Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ
第189話 Distorted Love -3-
デスブリンガーから死者の魂が放出されたと同時にジハードは早口で防護の魔法を開始する。
肩を斬られ重傷を負っているサキョウに直撃すれば、恐らく命はない。彼やティエルは生来魔力を持っておらず、
高い魔力で常に護られているジハードとは違って魔法に対する防御力がゼロに等しいのだ。全くの無防備である。
冷静なジハードにしては珍しく、完全に暗記しているはずの詠唱を焦りのために何度も間違えてしまう。
それでも並の魔術師よりは高速詠唱である。早く魔法陣を完成させなければ、という焦りが思考を支配していた。
四方八方に弾け飛んだ亡者の魂はまるで雨のように謁見の間に降り注ぎ、赤い絨毯を瘴気で黒く焦がしていく。
ジハードが必死に完成させた魔法陣はティエル達を包み込み、死の雨から彼らを守ってくれているようである。
食らい付こうとする死者の魂を避けながらその様子を確認したジハードが、ほっと胸を撫で下ろした時。
背後に凄まじい殺気を感じたのだ。考えるよりも先に身体が動いていた。虹の魔本を投げ捨て咄嗟に右に転がる。
同時に脇腹に鋭い痛みを感じた。目で確認する必要もなく、それがデスブリンガーで斬られた痛みだと分かった。
魔力を主として戦う魔術師は、常に相手と一定の距離を保たなければならない。接近戦は命取りとなるのだ。
そして床に転がるジハードの身体を跨ぐように、巨剣を構えたヴェリオルが歪んだ笑みを浮かべて立っている。
この状況が何を意味するのか。それを理解できないほどジハードは愚かではない。このままでは確実に殺される。
「白髪のお坊ちゃんよぉ、漸くお前の余裕ぶった表情を崩すことができたなぁ。そんな顔もできるんじゃねぇか」
「……笑った顔がお望みなら、そうするけど」
「そういう態度が前々から気に入らなかったんだよ。恐怖に引き攣った顔で泣いて頼めば、一撃で殺してやるよ」
「態度はともかく、この緊張感のない顔は元々なんだから……文句をつけられても困るな」
「それじゃあ、お前がいつまで笑っていられるか見ものだなぁ!!」
「……っ!!」
右肩、左脚、左腕。わざと急所に当たらぬように、次々とデスブリンガーが突き刺さる。
嬲るように、楽しむように。哀れな獲物が弱り『殺してくれ』と涙ながらに懇願するのを待っているかのように。
歯を食いしばって悲鳴を飲み込んだジハードは、痛みで朦朧とする意識を奮い立たせてゆっくりと振り返った。
肩を斬られて倒れたままのサキョウ。その向こうでは、足を血で染めたティエルが呆然とこちらを見つめている。
ジハードを見ているのか。サキョウを見ているのか。それともヴェリオルを見ているのか。
彼女は大切なものを失うことを何よりも恐れている。
勿論それを理解しているからこそ、ヴェリオルは彼女が心の拠り所としている仲間達を執拗に傷付けているのだ。
仲間が過度に傷付けられている姿を目にすると、ティエルは絶望のあまり戦意を失ってしまうことを知っている。
けれど、いつまでもこのままではいけない。戦意を失ったままじゃ、何も守ることができないではないか。
「何を……ぼさっとしているんだよ……ティエル」
「……」
「ぼくらが……ヴェリオルの目を逸らしている隙に、イデアを完成させろって……言っただろう……?」
ジハードの振り絞った声にもティエルは反応を見せなかった。ただ両目を見開いて彼を見つめているだけである。
「この男は、あなたを苦しみや悲しみから守ってやるなんて言ってたけど……。
その苦しみを生んだのは誰だよ? あなたをずっと苦しめ続けていたのは誰なんだ? ……思い出してくれよ。
何故祖母やゴドー達が死んだのかを思い出せ……! 何のために、イデアの力を願ったのかを思い出すんだ!」
「……何の……ため、に?」
「そうだ。あなたは今まで……何のために旅を続けてきたんだよ!!」
漸くジハードの言葉が届いたのか、だが未だ困惑したような表情のままティエルはヴェリオルへと視線を移す。
それから血に塗れて倒れているジハードとサキョウへ顔を向けた。
そんなやり取りを不快感を露わにしながら聞いていたヴェリオルは、忌々しそうにジハードを見下ろした。
「さっきからうるせえな、死にぞこないのクソ白髪が。ティエルが何のために旅を続けていたのかだって?
そんなもの決まっているだろう、愛するオレと出会うためだよ。オレ達はお互いに愛し合い、夫婦になるんだ」
「ははは。残念だけど、単なるあなたの片想いだろ……現実見ろよ、元帥殿」
「ああ?」
「ティエルは絶対に渡さない。そんなに結婚したけりゃ勝手に地獄で花嫁でも探してろよ。……生き地獄でな!」
口元を歪めたジハードから勢いよく放たれた灼熱の炎が真っ直ぐにヴェリオルへと向かっていく。
いつの間に詠唱を終えたのか。手負いの状態で唱えた魔法は、ヴェリオルが剣を払うとあっさり消えてしまう。
だがそれでも構わなかった。この魔法は、単にヴェリオルの気をこちらに逸らすためだけに発動させたのだから。
「ちっ、とことん癇に障るクソ白髪だ。そんなに解体されたいか!」
「……ジハードから離れろ、ヴェリオル!」
謁見の間に突如響き渡った声。その凛とした声に、ヴェリオルは首を傾げながらも背後を振り返った。
声の主はティエルだ。呆然として座り込んでいた少女の姿はそこにはなく、力強く剣を構える王女の姿であった。
先程刺された右腿に激痛が走るが、それでも彼女は一歩ずつゆっくりとヴェリオルへと歩み寄っていく。
死んだと思っていたギル。だが今目の前にいるのは、既に優しかった頃のギルではなかった。
ヴェリオルという名の仇だ。彼女の愛する者達を、愛する国を奪い去っていった憎き仇である。ギルではない。
「どうしたんだティエル、そんなに怖い顔をして。もう少しだけ待っていてくれ、今全てを終わらせてやるから」
「ヴェリオル、お前はもうわたしの知っているギルではない。お前はヴェリオルなんだ。
本当にお前がかつてのギルであっても……わたしにとって今のお前はおばあさま達を殺した仇でしかない!」
ティエルの右手に握られたイデア。
その嵌め込まれている淡い薄緑の宝玉の中には、五つの小さな光が宿っている。様々な思いの込められた光だ。
全てのジェムが集い完全な力を取り戻したイデアから、彼女の想いに共鳴するかのように風が巻き起こっていた。
暫く惚けたようにその光景を眺めていたヴェリオルだったが、やがて肩を震わせながら低い笑い声を上げ始める。
「……それがお前の出した結論か。オレをそこまで拒むのか。オレの存在をそこまで拒絶するのか」
「そうだ。わたしはお前の存在を全否定し、おぞましいとさえ思う」
「ならばオレは事実を受け入れるしかあるまい。では、お前の亡骸を手土産にゾルディスへ帰ることにしよう!」
ヴェリオルはそう言うと軽やかに超重量のデスブリンガーをティエルへ向ける。
先程彼女が切り裂いた腹の傷からは鮮血が滲んでいたが、ヴェリオルはまるで痛みを感じていないようである。
周囲の空気がぴりぴりと張りつめる。それは明らかに彼の構える巨剣から発せられる死者の咆哮であった。
だがこちらも負けるわけにはいかない。ジハードが言ったように、一体何のために旅を続けてきたのかを考える。
魔力の結晶を核とした完全なイデアは、使い方を誤れば国一つ消滅させることも可能な恐ろしい力であった。
それでもティエルはこの封魔石を恐ろしいと思ったことはない。
むしろ懐かしく、母の腕に包まれているような温かな心になるのだ。どんな時も彼女と共に戦ってくれた戦友だ。
五つのジェムを手に入れるために、色々なものを失ってしまった。それぞれに忘れられぬ想いが込められている。
……多くの人々の協力があったからこそ、ティエルは今ここにいる。
アリエスから譲り受けたイデアを構え、彼女は地面を蹴って駆け出した。そして同時にヴェリオルも地面を蹴る。
一つ目のジェムを求めて立ち寄ったセレステール王国。
ほんの一部分が他人と違うだけで『異端』と呼ばれ軽んじられていた魚人族の少年やヴリトラの子供を目にした。
そして、二つ目のジェムはエルキドだった。
ティエル達を挑発するかのように現れた悪魔族ミカエラの手により、サキョウの想い人のサクラが殺されたのだ。
雨の降りしきる中、サクラの墓前に佇んでいたサキョウの顔が今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。
三つ目のジェムはゾルディス王国の黒騎士となったガリオンから手渡された。
もう二度と大切なものを失わぬために、愚かな戦争を無くすためにガリオンは一つの強国の支配を目指している。
そのために忠誠を誓った主君や家族、親友を裏切ることになったとしても。彼は己の選んだ道は正しいと言った。
ロクサーヌの森の奥深く。四つ目のジェムは、バアトリの館で手に入れた。
遥か昔から続いている悪魔族と人間の因縁。永遠に終わることのない負の連鎖。復讐とは一体何だろうと考えた。
……バアトリもまた人間達への復讐のために強さを求め、生きる目的としていた。
復讐は新たな憎しみを生み出してしまうことも知った。それでもティエルは復讐を諦めることはできなかった。
みんなの仇を取ると、あの炎の夜に誓ったのだから。
「さらばだティエルよ、地獄で逢おう!!」
ヴェリオルがデスブリンガーを振り下ろす。超重量の巨剣を手にしながら、彼の動きは全く鈍ってはいなかった。
死者の魂の呻きと共に、剣がティエルの右肩を切り裂く。飛び散った鮮血が彼女の頬を濡らした。
しかし。三センチほど埋め込まれたところで、彼女の身体を裂くはずだった剣の勢いが止まってしまったのだ。
ティエルの方がヴェリオルよりも剣を突き出すのが速かった。……ただ、それだけだった。
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