Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ

第190話 Final Catastrophe -1-




「くくく、今回は……お前の、勝ちだな……」

深々と腹部にイデアを埋め込まれたヴェリオルの顔が、触れそうなほどティエルの近くにあった。
血走った瞳。彼女がイデアから手を離すと、ヴェリオルは満足げな表情を浮かべながらゆっくりと倒れていく。
彼が倒れると同時にデスブリンガーもまた重い音を立てながら床に転がった。

巨剣をちらりと一瞥したティエルは、それから小刻みに呼吸を続けているヴェリオルを黙ったまま見下ろすと、
彼の腹に埋め込まれたイデアを勢いよく引き抜いた。これで仇を討ったとは思っていない。早く止めを刺さねば。
血に染まり鮮やかに色付いているイデアの刃。赤とは何て美しい色なのだろうとティエルは場違いに考えていた。

イデアを構え直し、痙攣を続けているヴェリオルを眺める。
この男を殺せば全てが終わるのだ。もう二度と、ゾルディス王国などにメドフォードを好き勝手にはさせない。
恐らくメドフォードを襲ったのはゾルディス王や焔の魔女の考えではなく、ヴェリオルの独断だろう。

八年前この国で一体何があったというのか。祖母はあんなにも残酷に殺されねばならないほどの罪を犯したのか。
ヴェリオルの瞳に暗い復讐の炎を宿させた原因はこの王国だというのか。祖母は彼に何をしたのだろうか。
いや、これ以上考えるのはやめよう。敵に情けをかけてばかりではいけないと教えられた。甘さは捨て去るのだ。


「さあ……どうした、可愛いティエル? 手が震えているぞ……オレを殺して仇を取るんじゃなかったのか……」

口から溢れる血を拭いもせずに、ヴェリオルはイデアを構えたまま動かないティエルに向けて優しく語り掛ける。
早く止めを。これで全てが終わるんだ。ぐっと唇を噛み締めたティエルは、そのままイデアを振り下ろした。
殺された祖母達の無念。生き残ったサイヤー達の今日までの苦悩。様々な者達の顔が彼女の脳裏を過ぎっていく。


……だが。
イデアはヴェリオルの心臓に突き刺さる前に動きを止めてしまった。いや、彼女は止めざるを得なかったのだ。
まるで背後から冷水を浴びせられたように汗でぐっしょりと濡れている。この感情は、底知れぬ恐怖であった。

それは、人間にはありえぬほどの底知れぬ魔力だった。灼熱の炎にも似た魔力を纏った何者かの気配を感じた。
そしてティエルはこの気配の持ち主をただ一人知っていた。できることなら、二度と出会いたくはなかった人物。
焔の王国ゾルディスに君臨する、妖しくも魅惑的な魔女。絶大なる魔力と権力を兼ね揃えた影の支配者であった。


「ねぇお姫様。そんなに焦ってヴェリオルを殺すことはないわ。聞きたいことは山ほどあるんじゃないかしら?」


まるで血を吸ったかのような、布地の少ない毒々しい深紅の衣装。魅惑的な身体を惜しみなく曝け出している。
フードを目深にかぶり、彼女が一歩足を踏み出すごとに装飾の鈴がちりんちりんと涼しい音を鳴り響かせた。
焔の魔女の背後には数名の黒騎士達が控えており、彼らは倒れていたヴェリオルに急いで駆け寄ると肩を貸す。

「……焔の魔女!? どうしてここに……」

あまりにも予想外の人物の登場に愕然としていたティエルは、我に返ると大きく彼女から距離を取る。
魔法攻撃が主力の焔の魔女から距離を取ったところで無意味な行動かもしれないが、一刻も早く離れたかった。
怯えた様子のティエルを眺め、それからヴェリオルへと顔を向けた焔の魔女が笑みを浮かべたような気がした。


「ふふふ。ゾルディス屈指の強さを誇るヴェリオル元帥が、こんな小娘相手に無様なものねぇ」
「ちっ……来るのが……遅いんだよ、クソ魔女が」
「助けに来た仲間に向かって酷い言い草ね。まぁいいわ。ここは私に任せてあなたはゾルディスへ帰還なさい」

「……お前に奴らが殺せるのかね」
「それはこちらの台詞よ、そもそもあなたにこのお姫様は殺せないわ。愛してやまない可愛い未来の花嫁だもの」
「うるせぇな、クソ魔女が。それ以上口にすると……容赦せんぞ」
「重傷を負っていても口が減らない元帥様ね」

歪んだ笑みを浮かべたヴェリオルに向かって、焔の魔女は懐から転移の魔法を封じ込めた水晶玉を差し出した。

まずい、逃がす気だ。せっかくここまで追い詰めたのに、ヴェリオルを逃がすわけにはいかない。
慌てて彼らに駆け寄ろうとしたティエルの前に、炎にも似た魔力の壁を身に纏いながら焔の魔女が立ち塞がった。
その隙にヴェリオルと黒騎士の姿はこの場から煙のように消え失せる。移転の水晶玉を使われてしまったのだ。


「ヴェリオル!」
「ごめんなさいねぇ、お姫様。あんな男でも一応我が国の元帥なのよ。ここから先は私が相手をしてあげるわ」
「焔の魔女、お前なんかに用はない! 今すぐあいつをここに連れ戻してよ!!」

「挑発に乗ってはいかん、ティエル。よく考えてみるのだ。この焔の魔女自らメドフォードに足を運んだ理由を」

振り返ると、デスブリンガーで斬られた肩から血を溢れさせたサキョウが覚束ない足取りで歩み寄ってきた。
恐らくジハードの治癒魔法で応急処置をしているのだろうが、血が完全には止まっていない。
そして、サキョウに続いて前に進み出たのは己の傷を治癒途中のジハードだ。こちらも申し訳程度の処置である。


「あらぁ、大変。全員血まみれじゃない。せっかくのいい男が台無しよ、白髪の魔術師さん」
「焔の魔女。あなたはヴェリオルを救出するためだけにここへ来たのか? 違うだろう。真の目的は何だ」
「私、こう見えても仲間思いなのよ」
「けれど三対一では分が悪いんじゃないかい。あなたを返り討ちにできる程度の気力はまだ残っているけどね」

「やだ、とっても怖い顔。女性に対してその表情は紳士として失格ね。……あら? 最後のキャストの到着だわ」
「なに?」


くすくすと笑い声を上げた焔の魔女が、そう言いながら背後に位置した両開きの扉を振り返った瞬間。
突然扉が乱暴に開かれ、数体のアンデッド達が転がり込んできたのだ。いや、吹っ飛ばされたという方が正しい。
呻き声を上げながらごろごろと転がったアンデッドの身体を表情もなく蹴り飛ばし、クウォーツが姿を現した。

三十体以上のアンデッド達を相手にすると言って二階に残った彼だが、見事全てを倒しここまで辿り着いたのだ。
謁見の間の中央に立つ焔の魔女の姿を目にすると彼は小首を傾げて見せる。
ヴェリオルの存在までは予想はできても、焔の魔女の存在はさすがのクウォーツも予想できなかったのだろう。


「あれだけの数のアンデッドを相手に、まさか無傷でここまで辿り着くなんて。やっぱり敵に回すと怖い男ねぇ」
「……」
「あのお方に捧げる生贄も全員揃ったことですし、そろそろ私の真の目的を教えてあげましょうか。
 光栄に思いなさい。……アスモデウス公爵閣下をお迎えする儀式に、このメドフォード王国が選ばれたのよ!」

陶酔したように弾んだ声を発する焔の魔女。
アスモデウス公爵というのは一体何者なのだろうか。そしてメドフォードが選ばれたとはどういうことなのか。
問い掛けようとしたティエルだったが、聞いてはいけないような、これ以上関わってはならないような気がした。

アスモデウスという人物に決して関わってはならぬと、本能が警告を発しているのだ。
しかしこのメドフォードが選ばれたと聞いてしまった以上、焔の魔女の発言を無視するわけにはいかなかった。


「生贄って、メドフォードが選ばれたって……どういうこと?」
「もっと喜びなさいな、お姫様。あなた達のちっぽけな命で、アスモデウス様をお迎えすることができるのよ?」
「だから誰なの、アスモデウスって!?」

「……アスモ……デウス……?」
「どうしたの、クウォーツ?」

ティエルの隣で小さく呟くようにその名を紡いだクウォーツは、一瞬だけ軽い眩暈に襲われる。
思い出すな。今ならまだ大丈夫。今ならまだ何も思い出していない。失われたはずの彼の記憶が囁きかけてくる。
ふらふらとした足取りで無意識に後ろに下がったクウォーツの身体を、慌てて駆け寄ったティエルが隣で支えた。

普段よりも更に血の気の引いた青白い彼の顔色。
脳は過去の記憶を全て失っていたとしても、身体に染み付いてしまった記憶までは完全に失っていなかったのだ。
だが、幸いにも焔の魔女はクウォーツの変調に気付いていないようだった。


「アスモデウス様はね、全ての種族が幸せに暮らすことのできる楽園を作り上げようとしているお優しい方なの」
「それは……病床のゾルディス王の考えではなかったのかい。あなたは以前、我が王の考えだと言ったね」
「ゾルディス王? あんな老いぼれ、とっくの昔に殺しているわ。私の王は初めからアスモデウス様ただ一人よ」

焔の魔女の発言に、ジハードは何かに気付いたようなはっとした表情を浮かべる。

「元々は北の小国だったゾルディス。ここ数年間で急激に力をつけて、巨大な軍事国家を目指していたのは……」
「そうよ、察しのいい魔術師さん。あの老いぼれの考えではなく、全て私の王であるアスモデウス様のお考えよ」
「ゾルディスには、王位継承者として二人の王子がいると聞いたけど?」
「さあ……まだ生きているんじゃないかしら、精神状態は保証できないけれど。これも皆の幸せのための犠牲よ」

「焔の魔女よ、誰かの犠牲で成り立つ幸福は続かぬぞ! そのアスモデウスとやらにも伝えておけ」
「誰が何と言おうがアスモデウス様のお考えは変わらないわ。あなた達は全員復活のための生贄となりなさい!」

指先で炎の魔力を転がしつつ、焔の魔女はティエル達四人を前にしても全く怯むこともなく口を開いたのだった。





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