Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ

第191話 Final Catastrophe -2-




「アスモデウス様の復活の儀式は、限られた地形と魔力の流れに該当する場所でしかできないの。
 あのお方に架せられた封印の鎖を解き放つ場所に、このメドフォードが選ばれたのよ。光栄なことでしょう?」

足音を鳴り響かせながら、焔の魔女は王座へと腰を下ろす。その声はどこか弾んでいるようにも感じられた。
限られた地形と魔力の流れ。メドフォード城の至る場所にアスモデウス復活の儀式に必要な魔法陣を描いている。
最後の仕上げはアスモデウスを呼び寄せるための生贄が必要であった。それも、極上の生贄でなければならない。


「あなた達四人の命でも生贄に十分なのだけど、ついでに城に残った全ての命もアスモデウス様に捧げましょう」
「何を勝手なことを言っているの。そんなにアスモデウスとやらを復活させたければ、自分の国ですればいい」
「……言ってるでしょう? お姫様。選ばれた場所でしか行えないと。残念だけど、もう儀式は始まっているわ」
「!」

儀式は既に始まっている。その台詞を耳にしたティエルの顔色がさっと変わった。
その儀式が完成してしまったら、メドフォード城に残った全ての命と引き換えにアスモデウスが復活してしまう。
止める方法はないのだろうか。あともう少しで国を取り戻すことができるのに。こんな所で死んでたまるか。

その時。
イデアの柄を強く握りしめるティエルの肩を、しっかりしろと言わんばかりに優しくぽんとジハードが叩いた。

「落ち着くんだ、ティエル。その復活の儀式とやらの作法はよく分からないけど、恐らく召喚魔法と似た作法だ」
「召喚魔法と?」
「ああ。召喚魔法を止める唯一の方法は、術者の意識を奪うこと。そして術者は、焔の魔女で間違いないだろう」
「……じゃあ、焔の魔女を倒せば復活の儀式は阻止できるの!?」


「そのとおりよ。術者である私を倒せば儀式を止められるけど、果たしてあなた達にそれができるかしらね?」

そう言いながらも、王座に腰掛けたまま焔の魔女は動こうとはしない。
構えるティエル達を前にしても呪文の詠唱すら始めていなかった。余裕の表れか、それとも別の理由があるのか。
だがこれは大きなチャンスだった。焔の魔女が油断をしている間に仕留めることができれば儀式は阻止できる。

もう二度と戦いたくはない相手だった。ゾルディス王国での恐怖がティエルの脳裏に甦る。
いくら焔の魔女が凄まじい魔力の持ち主だとしても、四人を相手にこれほど余裕を見せているのが腑に落ちない。
胸に抱いた微かな疑問を打ち消すかのように、ティエルはイデアを振り上げながら焔の魔女へと向かって行った。


「これ以上わたしの故郷を好きにはさせない。焔の魔女、お前を屠る!!」

しかし焔の魔女は動かない。己に真っ直ぐ向かってくるティエルを、彼女はただ静かに見つめ続けていたのだ。
間合いに入り、イデアが焔の魔女に振り下ろされたその時。魔女が口を開いた。先程までの声と全く異なる声を。


「へぇ、私を屠るんですって? ……けれど、あなたに私を斬ることができるんですの? ティエル」
「えっ?」

からん、と。実に気の抜けた音を立てながら、大理石の床にイデアが滑り落ちる。
ティエル達にとってあまりにも聞き覚えのあるその女の声は、間違いなく目の前の焔の魔女が発した声であった。
落としたイデアを拾い上げぬまま、ティエルは涙を堪えたような歪んだ表情でゆっくりと一歩後ろに下がる。

嘘だ。認めたくない。まるで幼い子供がいやいやをするかのように、何度も首を振りながらまた一歩下がった。
焔の魔女はそんなティエルを前にしても気にする素振りを見せず、頭部を覆っていた深紅のフードに手を掛ける。
同時にフードの中に収まっていた長い髪が広がりながら零れ落ちた。くるくると波打つ、長いハニーシアンの髪。


「なんで……どうして……?」

焔の魔女の素顔を目にしたティエルは、涙を溢れさせながらその場に崩れ落ちてしまう。
きっとこれは悪夢なのだと彼女は必死に自分に言い聞かせ続ける。そうでなければ頭がおかしくなりそうだった。
王座にゆったりと腰掛ける魅惑的な美しい女。この者こそが先程恐ろしい計画を語った焔の魔女の正体であった。

「リアン……!!」

「あなた達と共にいた時はそう名乗っていたわね。世話焼きで仲間思いの『リアン』を演じるのは苦労したわ」
「そう名乗っていたって……演じるってどういうこと? ……だってリアンはリアンでしょ……?」
「言葉のとおりよ。それでも結構あなた達のことは気に掛けていたつもりなんだから。
 ゾルディスに協力する気はないかって何度も聞いたでしょう? 私の期待を裏切ったのはあなた達の方なのよ」


緩やかな動作で王座から立ち上がった焔の魔女……リアンは、呻くような笑い声を上げる。
その表情は普段の彼女からは想像もつかぬほど冷酷で、まるで目の前のティエル達を嘲笑うかのようにも見えた。
確かにゾルディスで出会った焔の魔女は、ティエル達を何度も仲間に引き入れようとしていたことを思い出す。

「私に協力してくれないというのなら、あなた達はきっといつか私の前に立ち塞がる壁となる。
 不安の芽は摘んでおく方がいいでしょう? あなた達の命はアスモデウス様のために大切に使わせてもらうわ」
「……リアン」
「私は焔の魔女よ、白髪の魔術師さん。もうそんな名前で呼ばないで」

「嘘だろ。あなたの本心は別にあるはずだ。けれどここまで来てしまった以上、後戻りできなくなっているんだ。
 だって信じられるかよ。今までずっと騙し続けてきたって? あの時もこの時も? 冗談だとしても質が悪い」


床に崩れ落ちてしまったティエルの隣に並ぶように、ジハードが一歩前へと進み出る。
普段と全く変わらぬ落ち着いたジハードの声だったが、僅かに声が震えており、彼は明らかに動揺していたのだ。
それを裏付けるように、彼の手から離れたリグ・ヴェーダが床に落ちても、拾うこともせずに立ち尽くしている。

ジハードが常に何よりも大切にしていたリグ・ヴェーダの存在を忘れるほどに衝撃であったのだ。


「焔の魔女……いや、お前が何と言おうともワシはリアンと呼ぼう。そもそも全てがお前の計画通りだったのか」
「拘るわねぇ。そんな女はもう存在していないと言っているのに」
「ティエルの国を奪ったことも、そしてティエルと出会ったことも。全てはこの結末のための計画であったのか」

「この国はアスモデウス様の復活の儀式に相応しい舞台。王国の崩壊を目論むヴェリオルと意見が一致したのよ。
 でも、この国については殆どヴェリオルに任せっきりだったわぁ。お姫様と出会ったのは本当にただの偶然ね」


まるで普段のリアンが笑うように、女神のような笑顔を浮かべながら彼女はティエル達を順繰りに眺めていく。
がっくりと床に崩れ落ちているティエル。大粒の涙を溢れさせ、じっとこちらを見つめている。
ティエルには随分と親身になって接してきた。祖国と家族を奪ってしまった後ろめたさがあったのかもしれない。

次に唇を噛み締めているジハードを。力を求め過ぎたあまり禁忌に触れた彼とは、どこか似た者同士であった。
その所為か、とても気が合った。惹かれた相手も同じだった。だがリアンは相手に愛を求め、彼は愛を与えた。

そして、怒りとも哀しみともつかぬ瞳で見つめてくるサキョウ。感情に真っ直ぐであるはずの彼らしくない表情。
どんな顔をすればいいのか彼自身も分からなかったのだ。状況は理解できても、感情が追い付いていかなかった。


最後に。リアンの告白を耳にしても、それでも普段と変わらず人形のような顔付きのままであるクウォーツに。
男の心を奪うことはあっても、男に心を奪われるようなことなどあってはならなかった。
この男だけは愛してはいけないと。決して愛してはいけない男であった。苦しむことは分かっていたはずなのに。


「アスモデウス様の儀式の完成のため……あなた達には死んでもらうわ!!」

周囲の気温がじわじわと上がっていく。焔の魔力だ。リアンが詠唱を始めてもティエルは立ち上がる気力もない。
もう何もかもが信じられなかった。そもそも何が真実で、何が偽りだったのか。真実など存在しなかったのか。
しかしただ一人、クウォーツだけはあっさりと妖刀幻夢を抜き放った。


「何をしている、早く戦闘態勢に切り替えろ。死にたいのか」
「クウォーツ……」
「誰であろうが向かってくるのならば敵でしかない。貴様達ができないのであれば、私が一人で片を付けよう」

そう言いながらクウォーツは床に落ちたままになっているリグ・ヴェーダを拾うと、ジハードへと差し出した。
暫く差し出されたリグ・ヴェーダを見つめていたジハードであったが、それを乱暴に振り払うと彼の胸倉を掴む。

「片を付けるって……どうするつもりだよ」
「殺すだけだ。私はおかしいことを言っているか? 貴様が怒っている理由が分からない」
「向かってくるからってリアンを殺すのか!? あなたにとって彼女は、その程度の存在だったのかよ……?」

「ならば手出しはせずに、このまま殺されろというのか」
「そういう意味じゃない!」
「ではどんな意味だ」


「こんな時に意見の食い違い? うふふ、私に遠慮することはないわ。私も遠慮なく行かせていただくわよぉ!」
「!」

クウォーツとジハードのやり取りを楽しげに聞いていたリアンは、容赦なく彼らに向かって魔法を発動させる。
焔の魔女を象徴とする、炎の魔力。鉄をも溶かす灼熱の火炎が彼女の指先から放たれたのだ。
剣を握り直してリアンに突っ込んで行こうと地面を蹴りかけるクウォーツだが、ジハードが前に立ち塞がった。

「邪魔だ、ジハード!」
「もう嫌なんだよ、目の前で大切なものが傷付け合うのは!!」


全く手加減など感じられぬ灼熱の塊をジハードは咄嗟に極陣で跳ね返そうとするが、全てを防ぎきれてはいない。
魔法陣をすり抜けた炎の触手は床に突き刺さり、王座に突き刺さり、ティエル達の肌や衣服を焼いていく。
リアンは本気で彼らを殺そうとしていた。普段は押さえ付けていた魔力を全て解放し、全力で叩き潰す気だった。

ティエル達が反撃する間もなく、リアンは次々と容赦なく魔法の雨を降らしていく。
アスモデウス公爵の手足となるべく契約をしたあの日から、彼女は人間にはありえぬほどの魔力を手に入れた。
腐敗しきったゾルディス国を正しい道へと導くために。誰もが差別されることのない優しい世界を作るために。


リアンが唱えた凶悪な魔法は謁見の間を次々と破壊し続けていく。崩れる柱、倒れる像、飛び散るシャンデリア。

……その光景を呆然と眺めていたティエルは、既に戦う気力を失っていた。立ち上がることすらできなかった。
だが立ち上がってどうするというのだろう。立ち上がったとしても、リアンに剣を向けることなどできなかった。





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