Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ
第192話 Final Catastrophe -3-
「ぜんぶ……全部嘘だったなんて信じられないよ……わたしは絶対に信じないよ、リアン!!」
メドフォード城三階、謁見の間。
髪を振り乱して泣き叫ぶティエルの声も、リアンの魔法によって次々と崩壊していく中ではかき消されてしまう。
これほどの魔力を旅の最中は隠し続けていたのだ。悪魔の公爵と結んだ契約で、彼女は膨大な魔力を手に入れた。
魔力の総量では、あのジハードをも上回るかもしれない。
ティエル達を魔法の雨から護るために張られたジハードの極陣も、所々ひびが入り完全には防げてはいなかった。
攻撃は最大の防御だが、リアンに刃を向けるわけにはいかないため、彼は魔法を防ぐだけで精一杯であったのだ。
「前にも言ったじゃない。甘い考えなんて捨て去って、戦って生きるか死ぬか。ただそれだけのことなのよ?
その点では伯爵様の考えが正しいわ。まぁお人形の伯爵様はあなた達と違って深く考えてはいないと思うけど」
可憐なリアンの顔に歪んだ笑みを浮かべながら、焔の魔女と呼ばれる女はゆっくりとティエル達を見回した。
幾度の苦楽を共にした者達であった。疑うことすらせず、いつも、どんな時でも全力で応えてくれた愚かな者達。
だからこそゾルディスで彼らを仲間に引き入れようと持ち掛けたのだ。殺すには惜しいと珍しく感じたためだ。
「あの時、私の言うことを聞いてゾルディスの戦士になっていればよかったのよ。
たとえ戦争の最中に死んでしまったとしても、アンデッド兵士として永遠に私の側に置いてあげたのにねぇ?」
「リアンよ……頼むから、もう黙ってくれ。これ以上ワシの中のお前を汚さないでくれ……」
「それにしても、アンデッドになったあなたのお兄さんは実に呆気なかったわ。せっかく第二の命を与えたのに」
「……やめろ……!」
「いいわねその表情。皆、本当にいい顔をしてくれるわぁ。私の用意したシナリオは満足していただけたかしら。
仲間思いのリアンが土壇場で裏切り、苦楽を共にした仲間を皆殺しにする。随分と粗末なシナリオですけどね」
「リアン! お前のことを信じ続けてきたティエル達の気持ちを……これ以上愚弄することはワシが許さん!!」
魔法の余波であちこちが崩れ始める謁見の間。
項垂れたまま立ち上がる気力すら残っていないティエル、立て続けに極陣魔法を使用したため膝を突くジハード。
彼らを瓦礫の雨から必死に守ろうとするサキョウ。今すぐにでもリアンの頬を張って正気になれと言いたかった。
恐らく彼女は正気だろう。だが、サキョウはそれを認めることができなかった。信じたくはなかったのだ。
周囲にちやほやとされてきたために我が侭な部分もあったが、世話焼きで仲間思いの、娘のような存在であった。
天井から落下した巨大な大理石の欠片が、メドフォードの権力の象徴であった王座を粉々に破壊する。
それは膨大な魔力に溺れたリアンの力によって、この王国の誇りが跡形もなく握り潰されたような錯覚さえした。
「……滑稽だっただろうな。あいつらが、ただひたすらに貴様を信じ続けている姿を眺めているのは」
リアンの背後から、この場にそぐわぬ抑揚のない低い声が聞こえてきた。
耳に慣れたその声にリアンが静かに振り返ると、想像していたとおり妖刀幻夢を構えたクウォーツの姿があった。
これだけ長い間共に過ごしていても、彼の無表情の下に潜む真意をとうとう最後まで読むことができなかった。
「ゾルディス国で貴様を少しでも疑っていれば良かったのかもしれない。まぁ、今更どうでもいいか……」
「伯爵様。あなたに私を殺せるかしら? ……と言いたいところだけど、お人形のあなたには出来るでしょうね」
「……」
「思えばあなたもなかなか可哀想な男だったわねぇ。次の人生ではせいぜい幸せになれるように祈ってあげるわ」
「確かに貴様の言うとおり、私は貴様が裏切っても何の感情も湧いてこない」
そう呟くように言うと、クウォーツは妖刀幻夢をゆっくりとリアンへ向けた。
まるで硝子のようなアイスブルーの瞳が真っ直ぐに彼女を射抜いてくる。縫い止められたように身体が動かない。
果たして彼に縫い止められたのは身体だったのか。それともこの心だったのか。もう今では分からなかった。
「立ち塞がるのが誰であろうとも私は斬る。ずっとそうやって生きてきた。生きていくことしかできなかった」
「そうでしょうね」
「せめて、苦しまないように一撃で殺してやる」
「殺せるものなら殺してみなさいよ。静寂の彼方より生まれし形ある水よ、凍てついた刃となりて姿を現せ……」
「!」
「死になさい、アイシィレイジ!!」
瞬時に魔法詠唱を終えたリアンは手にしたロッドを振り上げると、クウォーツに容赦なく氷の魔法を放ったのだ。
だが。……鋭い氷の刃を放った後で、彼女は目にしてしまった。
こちらを真っ直ぐに見つめてくるクウォーツの背後で、崩壊の衝撃で脆くなっていた床が崩れ始めているのを。
氷の刃を避ければ彼は崩壊に巻き込まれる。崩壊から逃れようとすれば間違いなく氷の刃の洗礼を受けるだろう。
つくづく運のない男だとリアンは笑った。いつもこうなのだ。彼は神に見放されているのか、不運に見舞われる。
氷の刃に貫かれて死ぬか、崩壊に巻き込まれて死ぬかどちらかの運命だ。せめて、哀れな最期は見届けてやろう。
そう……思ったはずだった。
大理石の床に次々と亀裂が入り、クウォーツを巻き込んで崩れていく。
普段の彼ならばすぐに危険を察知できたはずだ。周りが見えぬほど、彼はただリアンだけを見つめていたのだ。
ティエルかサキョウか。それともジハードか。誰かがこちらに駆け寄りながら何かを叫んでいたような気がした。
舌打ちをしたクウォーツは地面を蹴るが、その床も脆く崩れてしまう。眼前に迫るのはリアンの放った氷の刃。
最悪だ。氷の刃に貫かれた上に、床の崩壊に巻き込まれるという不運にもほどがあるシナリオであった。
悪魔族に課せられた不運の鎖から、彼はとうとう最後まで逃れることができなかった。
その様子をじっと眺めていたリアンは、己に言い聞かすかのように頭の中で何度も同じ言葉を繰り返していた。
これでいい。最初からこうなる運命だったのだ。私にはアスモデウス様さえいればいい、他には何もいらないと。
そう、何もいらない。アスモデウス様が私の全て。そうでなければならない。この男が死んでも、何も思わない。
……死ぬ? 誰が。どうしてクウォーツが? 彼が死んでしまう? 死ぬかもしれない、クウォーツが……!!
「クウォーツ!!」
その瞬間。彼の名を叫んだリアンは駆け出すと、クウォーツの腕を掴むために彼に向かって大きく手を伸ばした。
同時にリアンの足場にも亀裂が入り、彼女は大きくバランスを崩してしまう。
「馬鹿っ……」
駆け寄ってきた彼女を目にして何かを言いかけたクウォーツの頭上を、彼女が放った氷の刃が掠めていく。
鋭利なその刃は、彼の背後で崩壊から免れていた太い柱に深々と突き刺さった。
完全に足場を失ったクウォーツは迷うことなく氷の刃を握り、反対側の手で落下しかけたリアンの腕を掴んだ。
……雨のようにばらばらと、大理石の欠片が降り注いでくる。
大小様々な尖った破片は刃の雨となって、強く目を閉じていたリアンに深い傷を残しながら下へと落ちて行った。
全身が千切れそうなほど痛い。だがそれよりも気になったのは、上から流れ落ちてくる生温かい液体であった。
静かに目を開いたリアンは、頬に流れ落ちてきた液体に触れる。ぬるりとした生温かい感触。間違いなく血だ。
それでは、この血は一体誰のものなのだろうか。
恐る恐る顔を上げたリアンの瞳に映ったものは、彼女の腕を掴んでいる血に濡れたクウォーツの姿であった。
余程強い力で掴んでいるのか、彼の指が腕に食い込んでいる。爪の何枚かは剥がれ落ちかけているようだった。
大量に降り注いだ瓦礫のために彼の衣服はあちこちが裂けてしまっており、破れた部分から血が溢れ出している。
リアンの腕を掴んでいる手と反対側の手では、柱に突き刺さった氷の刃を握り締めていた。
魔力で生み出された刃は、二人分の体重を片手で支えているクウォーツの手の平に深く食い込んでいたのだ。
先程からリアンの頬を濡らしている血は、そんな彼から流れ落ちている血であった。
刃物を握り締めるなど無茶にもほどがある。普通の者ならば、刃を握った瞬間に全ての指を失っていただろう。
必要最低限の力で刃の部分を握り締めているのだ。だが、このままでは左手の指を失うのも時間の問題だった。
剣士であるクウォーツが、利き腕の指を失うということはまさに死を意味する。
リアンがこちらを見つめていることに気付いたクウォーツは、彼女に顔を向けると、まずったな、とだけ言った。
あまりにも普段と変わらぬ彼の姿。リアンが正体を明かしても、こんな状況でも、彼だけは何も変わらなかった。
普段と変わらぬ口調で、感情のない瞳のままで。それを目にしたリアンは顔を歪め、それから震える声で叫んだ。
「もう……やめてよ……!」
「?」
「どうして私を助けるの!? どうしてあなたは、いつも私の心をかき乱すようなことばかりするのよ……!!」
「言っただろ」
こんな時でも淡々とした口調でクウォーツが口を開く。手の平に食い込んだ刃が痛むのか、少々間を空けてから。
「ゾルディスの牢で、お前が来てくれた時に」
「え?」
「……守ってやる、と」
ああ。彼はあの時の言葉を覚えていたのだと、堪え切れなくなった大粒の涙がリアンの瞳から次々と溢れ出す。
最後まで何を考えているのか分からない男だった。分からなかったけれど、ただ一つだけ知っている。
彼はとても器用なのに、生き方だけがどうしようもなく不器用な男なのだと。そんな部分さえも愛しいと思った。
『リアン』と。名前を一度として呼んではくれなかったけれど、それでもただ彼の側にいるだけで幸せだった。
人を愛するということは、こんなにも幸せで……こんなにも苦しいことなのだと思い知らされた。
「早く両手で私の手を掴め。言い訳は全て後で聞いてやる」
ぬるぬるとした血で滑り、リアンの腕を上手く掴むことができない。
クウォーツは更に力を込めて彼女の腕を掴み直そうとするが、確実にリアンの身体は下がり始めている。
階下の様子は暗くて分からないが、落ちれば命はないだろう。二人の足元にはどこまでも深い闇が広がっていた。
「……私って本当に馬鹿ね。あなたがあの方よりも大切な存在になっていたことに、今更気付くなんて」
「何を言って」
「気付いても……もう全てが遅いのにね」
彼女の言葉の真意が分からずにじっと見つめてくるクウォーツに、リアンは普段のような笑顔を浮かべて見せる。
しかし次の瞬間。クウォーツの手を振り払うと、彼女の姿は闇に吸い込まれるようにして落下していった。
「……本当に、馬鹿だな」
リアンの腕を掴みそこなってしまった右手を虚ろな瞳で見つめたクウォーツは、どこか吐き出すように呟いた。
「私も……馬鹿だ」
+ Back or Next +