Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ

第193話 For one's smile -1-




魔法の影響で激しい崩壊を続けていたメドフォード城謁見の間だが、次第に揺れが収まっていくようだった。
美しく荘厳であったかつての謁見の間の面影は最早どこにもない。砂埃がもうもうと立ち込め、瓦礫の山である。
とてつもなく長い間、この場所で戦っていたような気がした。必死に声を張り上げ続けていたような気がした。

唇を噛み締めたまま立ち尽くしていたティエルは、砂埃の向こうから現れた人影を目にすると漸く口を開いた。
声を発したつもりだったのに、声が出なかった。先程から振り絞るようにして声を上げ続けていたためだろう。
完全に乾き切ってしまった口内。何回か頼りない咳をしてから、ティエルはもう一度声を出す。


「クウォーツ、大丈夫?」
「ああ」
「リアン……は?」

ティエルの元まで真っ直ぐに歩み寄ってきたクウォーツは、彼女の問いかけに対してふるふると力なく首を振る。
彼の衣服はあちこちが大きく裂けて血が溢れ出しており、先程の崩壊が如何に凄まじかったのかを物語っていた。
その中でも左手の平の傷は相当深いのか、止血のために強く巻かれたはずのハンカチからは血が滴り落ちている。
もう元の色が何色だったのかも判別ができないほど、ハンカチは真っ赤に染まっていた。

「あいつは」

普段の彼と何一つ変わることのない、淡々とした声であった。
氷の結晶。そんな呼び名がしっくりとくるようなアイスブルーの瞳を彼女に向け、クウォーツは低い声を発した。

「あいつは……焔の魔女としての自分を選び、去って行った。それが、最後にあいつが選んだ生き方なんだろう」
「……」

まるで興味がないと言わんばかりの言い方。だがティエルは知っている。彼はこういう言い方しかできないのだ。
向かってくるのであればリアンであろうと剣を向け、そんなリアンが危機に陥れば迷わず手を差し伸べる青年だ。
矛盾している己の行動に、恐らくクウォーツは気付いていない。そんな彼だからこそリアンは惹かれたのだろう。


「階下にあいつを探しに行くのはやめろ。どうせ……もう生きているのかも分からないんだ」
「クウォーツ」
「あいつのことは悪い夢だったと思って早く忘れた方がいい。その方が、お前達にとって一番いいのではないか」

「そんなことを言われても、ぼくらがリアンを探しに行くことくらい知ってるだろ」
「……」
「でもあなたとティエルは絶対にここを動かないこと。二人とも出血がひどいんだから、止血処置して待ってて」


そう言ってからサキョウを振り返ったジハードは、目配せ合うと二人は地面を蹴って駆け出した。
階下に落ちたリアンを探しに行ったのだ。確かにティエルは先程ヴェリオルに刺された右腿の出血が続いている。
己のブラウスの袖を乱暴に破ったクウォーツは床に膝を突くと、彼女の右腿の止血処置を淡々とこなし始めた。

そんな彼の姿をぼんやりとティエルが眺めていると、こちらに真っ直ぐ向かってくる大勢の足音が聞こえてくる。
姿を現したのは、人質解放のために別行動をしていたサイヤー達騎士団の姿だった。だが、皆ぼろぼろの状態だ。
傷だらけの騎士団であったが、それでも全員笑顔を浮かべながらこちらに駆け寄ってくる。

「サイヤー、よかった。無事だったんだね」
「姫様、到着が遅くなって大変申し訳ございません。ですが、人質も我が隊も全員無事でおります!」
「城内のアンデッドの残党どもは、現在兵士副隊長アルビン殿の隊が追っております。我らの勝利です、姫様!」

「うん。勝ったんだ、わたし達は。ゲードルから国を取り戻すことができたんだ」


その時、ざわざわと急に窓の外が騒がしくなる。大勢の歓喜の声が響いてきたのだ。
アンデッドの呻くような声ではない。ゲードル率いるアンデッド軍に勝利した、メドフォード兵達の喜びの声だ。

国を取り戻すことができた。本来ならばこのティエルの台詞は、心から喜びに満ち溢れて口に出すはずだった。
しかしティエルの表情は勝利とは裏腹に沈んでいる。……誰よりも喜んでくれるであろう人物がいないのだから。
ジハード達の後を追って今すぐにリアンを探しに行きたかった。だが、今は王女の顔をしていなければならない。


「姫様、ゲードルはどうなったのですか?」
「元左大臣ゲードルは、リュミラージュ大聖堂でわたしが討った。国を脅かす存在はもうどこにもいない」
「そうですか……!」

サイヤー達に向けて、ティエルはにっこりと笑みを浮かべる。王女として恥じることのないような凛々しい笑顔。
漸く国を取り戻すことができたのだ。王女である己が哀しい顔をしていては、皆も不安がるだろう……と。
今はまだ、リアンのこと、そしてヴェリオルのことを考えてはいけない。暫くの間は胸にしまっておかなければ。


「アンデッドの残党はアルビン隊に任せて、早急に怪我人達の手当てを。サイヤー、救護班の到着はまだなの?」
「もう到着する頃かと。城下町での負傷者は民間の救護チームを急遽作り対応に当たっているとのことです」
「分かった。重傷者から順に治療を受けさせてあげて」

「いえ、何よりも姫様を最優先にさせていただきます。それに重傷者という点ではそこの悪魔族も該当するかと」

確かにサイヤーの言うとおり、この場に集っている者達の中ではクウォーツの怪我が一番重傷のようにも思える。
しかし救護班よりもジハードに診てもらった方が傷の治りは早いのだ。
第一ティエルはともかくとして、恐らくクウォーツはジハード以外の者に傷を見せることは決してしないだろう。


「どうするクウォーツ、傷……診てもらう?」

それでも一応ティエルは彼に問い掛けてみる。
やはり想像していたとおりクウォーツは小さく首を振ると、その場にゆっくりと腰を下ろしたのだった。

国を奪還したとはいえ、これで終わりではない。屍兵達の残党はまだ残っており、死亡者や怪我人も多かった。
戦いの痕跡を痛々しく残している城や城下町。これらを全て元に戻すためには、相当の時間を必要とするだろう。
まさにやらなければならない仕事が山積みである。落ち込んでいる暇すらティエルには与えてはくれなさそうだ。

だが確実に一歩ずつ前に進んでいく。
焦らずにゆっくりと。不可能だと思われていた国奪還がこうして実現したように、一歩ずつ前へ歩んでいくのだ。







城の廊下には怪我人達の姿で溢れ、救護班達がその間を忙しなく駆け回る。
無傷や軽傷だった者、そして支配から解放された町人達は、崩れ落ちた瓦礫を手分けをしながら運び出していた。
指示を出すことに疲れを覚えたティエルは、この場をアルビン達に任せ、ふと謁見の間のテラスへと足を向ける。

ヴェリオル達との戦いで負った傷は、階下から戻ってきたジハードの治癒魔法によって応急処置がされていた。
勿論彼女よりも酷い怪我をしている者達も多く存在する。命に係わる怪我を負っている者達も少なくはなかった。
できればその者達を優先してほしいと、ティエルはジハードや救護班に向けて言ったのだが。

「ティエル」
「なに?」
「確かに命の重さは平等だし、あなたやクウォーツよりも重傷者は大勢いる。勿論それは分かっているつもりだ」
「……うん」

「けれど、ぼくの力は何よりもあなた達のために使いたいと思っている。
 どんなに人でなしだと罵られようと、名前の知らない誰かよりも……ぼくにはあなた達の命の方が遥かに重い」


落下したリアンをジハードとサキョウが追ってから少し遅れて、ティエルも階下へと駆けつけたのだが。
そこに彼女の姿はなく、瓦礫の山の前で力が抜けたように座り込む二人の姿があった。
落ちれば命のない高さだが、この目でリアンが死んだ場面を見たわけではない。今はただ彼女の無事を信じよう。

ふらふらとした足取りでティエルがテラスまで進んでいくと、外はいつの間にか夕暮れの橙一色が支配していた。
美しい夕日である。あまりの眩しさに、思わず彼女は目を細めた。
テラスに面した中庭で作業を続けていた兵士達が彼女に気付き、姫様だ、と声を上げて一斉にテラスを見上げる。

皆傷だらけではあったが、表情がいきいきと輝いている。祖国を奪われ耐え続けてきた日々はもう終わったのだ。
しかしヴェリオルを仕留めることができなかった。……彼は再びこのメドフォードの脅威となるかもしれない。
沈みゆく夕日を眺めながらティエルは厳しい表情を浮かべる。彼を討った時こそ、本当の意味での平和を迎える。

問題はまだ完全に解決しているわけではないけれど、今はまず目の前のことだけを考えよう。
そう決意したティエルは明るい笑顔を浮かべ、こちらに向かって声援を上げる国民達に大きく手を振って見せる。
再び沸き起こる歓声。心から平和を喜んでいる表情だった。


「はい、あなたの治療はこれで終わり。順番に行くからちょっと待ってて。……え? 仕方ないな、分かったよ」

ティエルの背後では、白髪を夕日色に染めたジハードが救護班に混じって傷付いた兵士達の治療に当たっていた。
彼は治癒魔法だけではなく医療の知識も豊富だ。包帯や添え木を手にしながら、治療をてきぱきとこなしている。
救護班として待機していたわけではなく、ずっと戦闘に参加し続けてきた彼も相当疲労しているはずだが……。

「ああ、そんな掠り傷くらい気合いで治してくれよ」
「待って下さい、これのどこが掠り傷なんですかっ!? 肉が抉れて骨が少し見えているじゃないですか!」
「うん? 男は我慢して強くなっていくんだぜ。……とまぁ、冗談はこのくらいにして。薬草はどこだったかな」
「この人鬼だ……!」

すっかり普段のジハードに戻っているようだ。
だが彼は自分の感情を押し殺して満面の笑顔を浮かべることができる人物である。簡単に吹っ切れるわけがない。
忙しない環境の中にわざわざ己の身を置き、今はリアンのことをなるべく考えないようにしているのだろう。


一方サキョウは、半崩壊してしまった謁見の間の瓦礫を運び出している。
並の男では到底持ち上げることのできない大理石の柱を軽々と肩に担ぎ、逆の腕では瓦礫を抱えて歩いていた。
彼の負った傷も決して軽くはない。傷口には包帯が巻かれており、そこからじわりと血が滲み出しているようだ。

一見すると普段のサキョウである。しかし、時折見せる暗い表情が現在の彼の心境をありありと物語っていた。


そして、クウォーツの姿はどこにもなかった。ジハードに傷を診てもらった後、忽然と姿を消してしまったのだ。
彼は良くも悪くも非常に目立つ容姿であり、見渡せる場所にいるならばすぐに見つけることができるはずだ。
これだけ探し続けても見当たらないということは、この謁見の間にはいないということである。

彼が最後リアンとどんな会話を交わしていたのかは分からない。勿論そのことを彼に訊ねようとも思わなかった。
あの時クウォーツを助けようと駆け寄った彼女の行動も、やはり演技だったのだろうか。それとも……。


テラスの手摺りを握る手に力が入る。駄目だ、今はリアンのことを思い出してはいけない。考えちゃいけない。
強い王女の姿を保っていなければならない。
滲んだ涙を手の甲で軽く拭ったティエルは、ぐっと唇を噛み締めると沈みゆく夕日をいつまでも眺め続けていた。





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