Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ
第194話 For one's smile -2-
ティエル達が元左大臣ゲードルからメドフォード城を奪還してから、早くも一週間が過ぎた。
しかし国を取り戻したといっても、ティエルにはのんびりとしている時間は全くと言っていいほどなかったのだ。
激しい戦いによって傷付いた者。戦禍を色濃く残す城や城下町。そして完全に鎖国状態であった国交の回復など。
ゲードルによって塗り替えられてしまったメドフォード王国を、一刻も早く元の状態に戻さなくてはならない。
こうして色々なことに追われている状態が、もしかしたらティエルにとって却って好都合だったのかもしれない。
哀しいことを考えずに済むのだから。
「……というわけでして。問題はまさに山積み状態ではありますが、確実に前へと進み始めておりまするぞ!」
半ば書類に埋もれている執務室にて。
古ぼけた大きな机の前に腰掛けているティエルと向かい合う形で、ころころとした体格の男が熱弁を続けていた。
禿げ上がった頭には薄っすらとした髪が残っており、丸い目と大きな鼻、そして輪郭。恰幅の良い中年の男だ。
彼は右大臣トーマ。ゲードルによって地下牢に幽閉されていた人物の一人である。
あちこちに見受けられる打撲の跡は、ゲードルの政策に反対した際にアンデッドによって殴られたのだそうだ。
とぼけた容姿の男だが、こう見えてもミランダの右腕と呼ばれる男であり、殺されずに済んだのは奇跡である。
「こうして姫様と生きて話ができることが未だに信じられません。ああ、姫様が無事で本当によかった……!」
「うん、わたしもトーマ大臣が生きててくれて嬉しいな」
「身に覚えのない罪状でゲードルによって投獄され、わたくしは牢の中で死を覚悟していたところだったのです」
「さすがのゲードルも、かつての同僚や部下達を殺すことは躊躇いがあったんじゃないかな、って今は思うんだ」
「姫様……」
右大臣トーマは昔からゲードルと意見が合わずに衝突ばかりをしていたが、トーマの手腕だけは認めていたのだ。
彼が捕らえられていた地下牢には多くの者達が投獄されてはいたが、どうやら皆命に別状はないようだった。
脱獄などを企てず、大人しくしていれば殺されることはなかったのだという。
「でもトーマ大臣、ずっと牢に捕らえられていたんでしょ。もう少し休んでいた方がよかったんじゃない?」
己がどれほど不当な扱いを受けてきたかを熱弁中のトーマ大臣に、どこか辟易した様子でティエルが口を挟んだ。
この話の長さはジハードやゴドーのお小言に匹敵する。
初めのうちはトーマ大臣の訴えに耳を傾けてきたティエルであったが、さすがに毎日となれば辟易としてしまう。
「何をおっしゃいます姫様! 今がメドフォードの肝心な時、ここで姫様を支えないでいつ支えるというのです」
「ありがとう、トーマ大臣」
「そもそもゲードルの企みに、共に仕事をしていたこのわたくしが早く気付いていればこんなことには……」
「でも、怪我は大丈夫なの? 助けてくれるのは嬉しいけれど、もういい歳なんだからあまり無理しないでね」
「勿論ですとも。姫様のご友人のジハード殿ですか。あの青年の治癒魔法で、生活には全く支障はございません」
「牢から出た直後はトーマ大臣の顔、殴られてぼこぼこだったもんね。最初誰かと思っちゃった」
「そうですよ。ううむ、ゲードルめ……せっかくの男前が台無しであります!」
その時。静かに扉がノックされ、ひょいと顔を覗かせたのはサキョウであった。
普段ならばノックをせずに部屋に入ってくるサキョウだが、メドフォード王国ではそういうわけにはいかない。
家臣達の手前、ティエルに対してきちんと姫君として接しなければならないのだ。サキョウの苦手分野である。
「おうい、ティエルよ。取り込み中すまんが、入ってもいいか?」
「サキョウ。どうしたの、いいよ」
「うむ。それがな……おっと大臣殿も一緒か。ティエル……ではなくティアイエル姫。えー、その……ごほん」
扉を開けて部屋に足を踏み入れたサキョウは咳払いをしつつ言葉を濁している。
時折ちらちらとトーマ大臣の方へ目線を送っている様子から、プライベートな話のためにここへ訪れたのだろう。
「どうやら大切なお話のようですな。それでは、わたくしはこれで失礼させていただきます」
「また後でね、トーマ大臣。昼過ぎの会議は二階の会議室だったっけ?」
「はい」
場の雰囲気を察したトーマ大臣は、ティエルとサキョウに向かって深々と礼をすると部屋を後にした。
ぱたんと静かに閉じられた扉。それを確認したサキョウは彼女に向き直り、真剣な表情を浮かべて口を開いた。
彼の表情から、あまり明るくはない話の内容だとティエルにも容易に察することができる。恐らくリアンの話だ。
「先程二階の瓦礫の撤去が全て終了したのだが……瓦礫の中から、やはりリアンの姿は見つからなかった」
「見つからなかったということは、生きているって思っていいんだよね? 助かったって思っていいんだよね?」
「分からぬ。厳しいことを言うようだが、黒騎士達が遺体を回収した可能性も捨てきれない。……だがティエル」
「え?」
そこでサキョウは彼女の頭に優しく手を置いた。
温かく分厚い手の感触。ティエルはこの大きな手で頭を撫でられるのがとても好きだ。不安な心が安らぐのだ。
「あの時……全てが偽りだったとあいつは言っていたが、偽りの中には確かな真実があったとワシは信じている」
「……うん」
「ずっと共に旅をしてきたワシらだけでも、リアンの無事を信じてやらなくてはな。たとえ次に出会った時……」
敵になってしまったとしても。
言葉を続けなくとも、ティエルにはサキョウが伝えたかったことが察せられた。彼の表情が全てを物語っている。
次の出会いが喜ばしいものになるという確証はない。むしろ、敵として彼女が再び姿を現すこともあり得るのだ。
それでもいい。それでも今はただ、リアンが生きていると信じていたい。生きていてくれているだけでいい。
「だがティエル、あまり無理をしてはいかんぞ。感情を殺し続けることが強さではないと、以前言っただろう」
「そう、だね」
「もしも耐え切れなくなったら、何でもワシにぶつけてくれていい。ワシは……それくらいしかできんからな」
ティエルが見上げると、いつものように優しいサキョウの黒い瞳があった。
思わず泣きながら縋り付いてしまいそうになる心を必死に宥め、ティエルはにっこりと笑みを浮かべて見せる。
「ありがとうサキョウ。……でもわたしは大丈夫だよ、まだ頑張れるから。落ち込んでいる時間なんてないし」
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優しい日差しの降り注ぐメドフォード城の中庭。
騎士団の詰所にて長い会議を終えたサイヤーは、簡単な昼休憩を取るために中庭のガゼボに向かって歩いていた。
兵士や騎士にはそれぞれに休憩所が設置されているが、昔から彼は中庭で休憩を取るのが日課になっていたのだ。
大理石で作られた白いガゼボの下には既に先客がいることに気付いたサイヤーは、思わず歩みを止める。
ベンチに腰掛けていたのは、青い髪に白皙の肌をした若い男。まるで等身大の人形のような美貌の持ち主だった。
確か名はクウォーツと呼ばれていた。人間とは決して相容れない悪魔族でありながら、人間と共に生きている。
「よお、悪魔族」
「……」
サイヤーは軽い調子で声を掛けてみるが、クウォーツは目線を合わせることもなく中庭の景色を見つめていた。
こうして改めて眺めてみると、硝子のような儚ささえ感じさせられる青年であった。それが悪魔族の特徴なのだ。
一週間前のメドフォードの戦いで、次から次へとアンデッド達の首を刎ねた悪夢のような強さが嘘のようである。
「随分と暇そうじゃねーか。いつも一緒にいる白髪の兄ちゃんにでもフラれたのか」
「何か用か」
「用がないと声かけちゃ駄目ってか? 馬鹿言え、そんなわけねーだろ。お高くとまってんじゃねぇよ、悪魔族」
「……うるさいな」
面倒くさいという態度を隠すこともせず、漸くクウォーツがサイヤーへ視線を向けた瞬間。
サイヤーは腰に携えている剣を鞘ごと彼に向かって振り下ろしたのだ。メドフォードで一二を争う速さであった。
しかしクウォーツは顔色を変えることもなく、その一撃を難なく避けると地面を蹴ってひらりと宙へ飛び上がる。
サイヤーの背後に降り立った彼は、同じく鞘に収めたままの赤い剣を突き出した。目にも留まらぬ速さであった。
完全に人間離れをした動きだ。これが、人間が到達することのできない悪魔族の強さだというのか。
「降参、降参だよ。あーもう、すっげぇ悔しいな。これでも一応、メドフォードじゃ指折りの剣の腕なんだぜ?」
「だろうな」
「え? だろうなって、オレのこと認めてんの……っておい、お前の左手! 包帯から血が滲んでるじゃねーか」
剣を握るクウォーツの左手には、しっかりと包帯が巻かれていたが、先程の一件で傷が開いてしまったようだ。
思えばあの戦いから、たった七日しか経っていない。深い傷を負っていた彼がそんな簡単に回復するはずがない。
恐らく安静中だったのだろう。それを、無理に剣を握らせてしまった。
いくら手に傷を負っていたことを知らなかったとはいえ、さすがのサイヤーと言えども気まずさを覚えてしまう。
「……悪かったな、悪魔族」
「?」
「そもそもお前が、そんな傷を負う必要はなかったんだ。本来それは、オレ達が負わなければならない傷だった」
「意味が分からない」
「なんでだよ」
「傷を負ったのは、己の不注意が招いた結果だ。誰の所為かといえば私の所為だろう。貴様達が負う必要はない」
「かっこつけてんじゃねぇよ。はいそうですかって、そういうわけにもいかねーだろ」
「面倒くさいやつだな」
「あーはいはい。面倒くさくて結構、それがオレなんだから」
案外、人間と悪魔族は共に生きていけるのかもしれない。……その時ほんの少しだけ、サイヤーは思った。
ただ種族だけで判断し、相手を知ろうと努力をしないのは……もしかしたら大きな過ちであるのかもしれない。
暫く迷うような表情を浮かべていたサイヤーだが、やがてぶんぶんと頭を振る。難しく考えるのは性に合わない。
因縁やしがらみなんてものに囚われず、自分の信じる道を突き進む。それがサイヤーという男なのだ。
緩んでしまった包帯を器用にも自分で巻き直しているクウォーツを眺め、サイヤーは静かに己の右手を差し出す。
案の定無表情のまま首を傾げるクウォーツ。だがサイヤーは、その時初めて険のない笑顔を彼に浮かべて見せた。
「姫様から聞いたぜ、この城に留まるんだろ? お前とは長い付き合いになりそうだし……まぁ、よろしくな」
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