Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ
第197話 祝賀パーティーの夜
「……姫様? ティエル姫様ったら!」
「えっ!? 何か言ってた? エレナ。ごめんごめん、ちょっとだけぼーっとしていて全然話聞いてなかったや」
ティエルの自室にて。
豪奢な化粧台の大きな鏡に映る己の姿をぼんやりと眺めながら、完全に心ここにあらずといった様子のティエル。
彼女の髪を丁寧に結っているのは侍女のエレナである。くるんとした巻き毛とそばかすが特徴であった。
メドフォード城がゲードルに占拠された際に命を落とした侍女サリエよりは年上で、今年二十五歳になる侍女だ。
密かに好きな色である桃色のドレスに身を包んだティエルは、エレナの声に慌てて返事をする。
ふんわりとした大きな袖は、未だ完治には至らぬメドフォードの戦いで負った傷を全て隠してくれているようだ。
普段はただ無造作に垂らされただけの茶色の長い髪は、綺麗に巻かれて大きな金色の髪飾りで留められている。
祖母ミランダから誕生日に贈られた金の耳飾りは外され、彼女によく似合うピンクパールの耳飾りが光っていた。
飾り気のないティエルにしては珍しく、ほんのりと口に紅を差している。
鏡に映るティエルの姿は普段よりもずっと大人びており、剣を握って戦う彼女とはまるで別人のように見える。
「もう、ティエル姫様ったら。先程からわたくしのお話に返事をして下さらないんですもの」
「だからごめんって」
「しっかりと鏡を見て下さいな。このふわっとした可愛らしいドレス、なんて姫様にお似合いなんでしょう!」
「そーかなぁ。散々どこかの王子に山猿姫と呼ばれ続けていたから、笑われたりしないか不安なんだけど……」
「だっ……誰です!? こんなにも可愛らしいお顔立ちのティエル姫様に、そんなことを言う無礼な王子は!?」
「そういう風に言ってくれるのはエレナだけだよ。うん、お世辞でもありがとう」
この数日間、侍女エレナと共にドレス選びをしていたティエルだが、彼女本人よりもエレナの方が真剣であった。
ティエルとしては着れるものならば何でも良かったのだが、エレナが決して妥協を許さなかったのだ。
その甲斐あってか、選び出されたドレスはティエルの隠し持つ魅力を最大限に引き出してくれるデザインだった。
「何を仰いますやら。姫様はとっても可愛らしいお顔立ちをされておりますわ。わたくしの自慢の姫君ですから」
「……そこまで褒められると逆に怖いってば」
「旅をされる前と比べて随分とレディになられました。お仲間の素敵な男性達と恋をして、成長されたのですね」
「えっ? 素敵な男性達と恋って、もしかしてジハード達のことを言ってるの?」
「そうですよ! わたくし……ガリオン様以外で、あんなにも華やかで美麗な男性達を初めて拝見いたしました」
「いやまぁ……普通に見たら素敵なんだとは思うけど、わたしにとってジハード達は家族みたいな存在だしなぁ」
想像もしていなかったような台詞をエレナから言われてしまい、ティエルは思わず目を見開いて彼女を振り返る。
はっきり言えばジハードやクウォーツに対して男性という意識を殆ど持っていない。恋なんてとんでもない話だ。
「エレナも誰々が素敵だとか、かっこいいとか、そういう話が好きなんだからぁ。わたしにはよく分かんない」
「勿体ない……笑顔の素敵なジハード様なんて、既に城内に多くのファンがおりますのに。かくいうわたくしも」
「げっ、ほんとに!?」
「逆にクウォルツェルト様とは目も合わせられませんが。あれほど美しい男性と目を合わせるなんて無理ですよ」
「うーん、クウォーツは割と相手の目をじっと見つめるからね。もう慣れたけど、確かに初めは緊張するかも」
「わたくしはいつまでも慣れる気がしませんが……」
「ティエル姫様、そろそろお時間です」
その時。部屋の外から、戸を叩く音と共に時間を知らせる近衛兵の声が聞こえた。
エレナに軽く礼を言ってから立ち上がったティエルは、背筋をしっかりと伸ばして扉に向かって歩き始める。
廊下に出ると、正装をした近衛兵が二名立っていた。彼らの後に続きながら、赤い絨毯の長い廊下を進んでいく。
やはり所々戦いの痕跡を残す城内であったが、ほんの少しずつ以前の姿を取り戻そうとしている。
それでも以前と全く同じには戻らないものもある。命を落とした者や、去って行ってしまった者は取り戻せない。
ティエルがずっと思い描いていた未来では、ここにリアンの姿もあったはずなのに。何故彼女はいないのだろう。
もう一度リアンに会いたい。死んでしまったなんて信じない。絶対に生きていると、いつまでも信じ続けよう。
零れそうになってしまった涙を堪え、ティエルは凛とした表情で眩い光に包まれた大ホールへと足を踏み入れた。
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光溢れるガラス張りの大ホール。
それを二階の渡り廊下から見下ろしていたクウォーツは、くるりと背を向けると花びらの舞う廊下を歩き始める。
静まり返った周囲に響く靴音。少し強めに吹く風は心地よく、彼の夜色をした艶やかな髪を僅かに乱していく。
「……クウォーツ」
聞き慣れた声で名を呼ばれ、クウォーツは立ち止まる。彼の背後に音もなく姿を現したのはジハードであった。
渡り廊下の手摺りに腰掛けてスカイブルーの瞳をじっと彼に向けている。普段と何一つ変わらぬ穏やかな表情だ。
ジハードのファンなのだと豪語する侍女エレナが選びに選び抜いたという彼の少々派手目な深紅の衣装は、
まるで彼のためにわざわざ仕立てられたのかと思うほどよく似合っている。やはりエレナの目に狂いはなかった。
それでも着慣れぬ正装は若干窮屈に感じているのか、いくつかのボタンが外されて着崩れした状態になっていた。
メインイベントであるティエルのスピーチを聞き終え、役目は果たしたとばかりに会場を抜け出してきたのだ。
渡り廊下を見上げた時、クウォーツの姿を見かけた。用意されていた正装ではなく普段のドレスコート姿である。
勿論彼にもティエルとエレナが選んだ衣装が用意されていたのだが、この分では袖を通してすらいないのだろう。
クウォーツがこういった賑やかな催し物に参加をしないのは、今に限ったことではない。いつもそうであった。
しかし、今ホールに背を向けて歩き始めたクウォーツの姿は、普段とはどこか、何かが違うように感じられた。
言いようのない不安に駆られたジハードは思わず彼を呼び止めてしまったのだ。
「とっくにパーティーは始まっているよ。ティエルもあなたをずっと探してた。どこに、行くつもりなんだい?」
「さぁな」
「いつまでもそうやって誤魔化し続けるなよ。あなたはいつだって……大切なことは何一つ話してくれないんだ」
普段ならばそこで終わるはずの会話であった。
だがジハードはこのまま会話を終わらせる気はなく、依然納得が行かない表情のままクウォーツを見つめていた。
渡り廊下から階下に見える大ホールから、大勢の拍手と優雅な音楽が風に乗って微かに聞こえてくる。
暫くクウォーツは口を閉ざしてジハードに顔を向けていたが、やがて視線を外すと明るい大ホールを振り返った。
「……記憶を、取り戻したい」
「記憶?」
「前にも言っただろ、私にはギョロイアと出会うよりも前の記憶がないと」
「聞いたさ。でも、失ったものを無理に取り戻さなくてもいいよ。あなたには、過去よりも今を見てほしいんだ」
それは、ジハードの本心からの言葉であった。
過去に囚われてばかりいるクウォーツには、今を、そしてこれからの未来を見つめながら生きていってほしいと。
いつまでも過去を見つめていては、前に進むことなんてできない。だがクウォーツはふるふると軽く首を振った。
「それでも私は、失くした記憶を取り戻さなければならない気がする」
「どうして」
「このままでは単なる空っぽの人形のままだ。人形ではないのだと、胸を張って生きていけるようになりたい」
「……あなたのどこが人形なんだよ。こんな周囲を振り回してばかりの面倒くさい人形なんかいるわけないだろ」
「面倒くさいとは何だ」
「一人で結論を出して勝手に行動するやつが人形だって? もう既に十分生きているって胸張れると思うけどね」
煌びやかなホールから洩れる光がクウォーツの横顔を微かに照らしている。
傍目から見れば完全に等身大の人形だ。いや、命を持たない人形の方が彼に比べれば人間らしい表情をしていた。
これほど毎日共に過ごしていても、ジハードは彼の笑顔を目にしたことがない。それがほんの少し、寂しかった。
「ここを出て行くにしても、こんな急でなくてもいいだろ。もう暫くの間だけでもティエルの側にいてやれよ」
「……」
「それに旅には何よりも回復役が必要だと思うけどね。一人よりも二人の方がずっと心強いだろ。……なーんて」
「ジハード」
「なに?」
「……すまない。ティエルにも、そう伝えておいてくれ」
「そんなの自分で伝えればいいだろ。なあ、どうしたら気付いてくれる? どうしたらあなたは分かってくれる?
ああ、そうだ、そうだったね……あなたは言葉と態度ではっきりと示さなければ分かってもらえないんだった」
絞り出すようにして声を発したジハードは、ほんの一瞬だけ悲しげに顔を歪める。
「……行くなよ……!!」
渡り廊下に重く響き渡った声。
遠ざかっていく背に向けてジハードは叫んだが、それでも、もう二度とクウォーツが振り返ることはなかった。
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きらきらと光る煌びやかな照明。優雅に流れる楽団の演奏。
美しく着飾った者達が溢れる大ホールにて、ティエルはその光景をぼうっとした表情を浮かべながら眺めていた。
先程皆の前で披露したスピーチも、途中で何度もつっかえてしまったが、何とか無事に終わらせることができた。
グラスを掲げながら乾杯の言葉をティエルが述べた時、皆が本当に幸せそうな表情をしていたことを思い出す。
彼女の目の前には赤いワインの入ったグラスが置かれていたが、先程から量は全く減ることはなかった。
とても上質で美味しいワインだと耳にしたが、ティエルはワインよりもグレープジュースの方を好んでいるのだ。
ぼんやりと会場を眺めてみると、離れたところでサキョウが着飾った女性達に声を掛けられているのが見える。
ぱつんぱつんのタキシード姿であった。少しでも腹筋に力を込めただけで破れそうだ。
恐らく女性達からダンスのお誘いを受けているのだろう。サキョウの困惑した表情がそれを顕著に物語っている。
パーティー開始直後からにこやかな笑顔を見せていたジハードの姿は今はない。どこかに行っているのだろうか。
もう一度だけ会場を見回してから、ティエルは溜息をついた。
やはりクウォーツは姿を現さないつもりなのだろうか。人の多い場所を好まぬ彼には、無理なお願いだったのか。
暫く考え込んでいるような表情を見せていたティエルだが、やがて勢いよく席を立つと入口に向けて歩き始める。
「おや、姫様。どちらへ行かれるのですか?」
「えっ……ええと、友達の姿がまだ見えなくて。少しだけ探しに行ってもいいかな。すぐに戻るからさ」
入口で警護をしていた近衛兵達から声を掛けられ、ティエルはぎくりとしたように振り返った。
「それならば我々にお任せ下さい。姫様はこちらでお待ちを!」
「いいからいいから、本当にすぐに戻るから心配しないで。あなた達はこの会場をしっかりと警備していてね」
「ひ、姫様!?」
長いドレスの裾をむんずと掴んだティエルは、近衛兵達の制止も振り切って会場を飛び出していく。
優しげな風の吹く開放的な長い廊下。中庭の庭園から運ばれてきた赤い薔薇の花びらが周囲に散らばっている。
僅かな胸騒ぎを覚えたティエルは、己がドレスを着ていることも忘れてクウォーツの姿を求めて駆け出したのだ。
クウォーツが今日まで使用していた客室にも、中庭の庭園にも、城下町が一望できるテラスにも彼の姿はない。
漸く彼女が二階の渡り廊下まで辿り着いた時。一点を見つめながら手摺りに腰掛けているジハードを見つけた。
「ジハード!」
「……ティエルかい。姫君がパーティーを抜け出してきたら駄目じゃないか」
「それよりもクウォーツを見かけなかった? さっきから探しているんだけど……部屋にも、どこにもいないの」
「クウォーツは」
ゆっくりと振り返ったジハードは暫く戸惑っている様子を見せていたが、やがて諦めたような顔で口を開いた。
「……行ったよ」
「え? 行ったって」
「彼にとって愛情は最後まで理解できない重荷だったのかな。ぼくらと生きる道よりも、あいつは一人を選んだ」
「何を言っているのか分かんないよ……ジハード……」
「最後にあなたにすまないと言っていた」
「嘘だよ!! だってクウォーツと約束したもん、ずっとここにいるって……庭園お散歩しようって……!」
ジハードの声を遮るように、想像していたよりも荒い声が出た。
クウォーツを追うために駆け出そうとした足に長いドレスの裾が絡まり、そのままティエルは転倒してしまう。
打ち付けた手の平がひりひりと痛む。赤い花びらが舞う渡り廊下には、既に人影を見つけることはできなかった。
……本当は心のどこかでは気付いていた。クウォーツがここに留まる気など初めからなかったことに。
ティエルがこれからの話をすると、彼は決まって一瞬だけ間を空けてから返事をすることに本当は気付いていた。
ぼろぼろと零れ落ちた涙が頬を伝い、いくつも地面に染みを作っていく。
擦り剥いた腕に血が滲んでいたが、それでもティエルは起き上がろうともせずにいつまでも泣き続けていた。
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