Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第3章 麗しき薔薇の君
第21話 薔薇の舞う城下町
青白く大きな満月が、どこかくすんだ夜空の中でひっそりと輝いていた。
時折吹き抜ける生暖かい風に、まるで生き物のように蠢く木々の黒いシルエットがざわざわと音を鳴らす。
その瞬間、茂みから大きな羽を持った生物が次々に空へと飛び立っていった。
一言で表現すれば、ひどく陰気な森であった。
森が好くないものを呼び込んでいるのか、この森自身が好くないものなのか。双方が好くないものなのか。
ティエルが最初に訪れたあの不気味なマンティコラの森でさえも、この森には到底及ばない。
魔物とは明らかに異なる、甘ったるい毒のような妖気。身体にじわじわ染み込んでくる気味の悪い瘴気。
この森には人ならざる者達が存在しているのだろうか。
「……ねえ、道こっちで合ってるの? さっきから同じ場所をぐるぐる回っている気がするんだけど」
ぐにゃりと折れ曲がった太い枝が特徴の大木は、数時間前に目にしたものと同じだ。
その時はまだ夕暮れ時で余裕があり、面白い木があるものだとリアンと二人ではしゃいでいた。その時までは。
森を抜けるどころか段々と木々が深くなっていく様子に、疲れも手伝って徐々に口数が少なくなっていった。
「すっかり暗くなっちゃったし、むやみに動き回らない方がいいんじゃないかなぁ?」
「むやみに動き回っているつもりじゃないんですのよ。私の計画では、今頃森を抜けているはずなんですけど」
「そうなんだ……」
「そうなんですの」
マンティコラの森で迷っていた時と同じような台詞をリアンが口にする。
もしや彼女は方向音痴なのではないだろうか、とティエルの胸に不安が過ぎった。しかしそれは口に出さない。
口に出してしまったら、プライドの高い彼女が黙っている訳がないからだ。
「このままじゃ野宿になってしまうかもしれませんわね。こんな陰気な森に、町なんてあるはずないですし」
「えっ、こんな場所で野宿なんてするの? 無理だよ!」
「町がないなら野宿しかないじゃない。あら、もしかしてティエルったら怖がっているんですのぉ?」
「ち、違いますー。怖がってなんかいませんー!」
きゃあきゃあと賑やかに言い合っていた彼女達の背後で、突如大きな黒い塊が何匹も飛び立つ。
「うわーん!」
「出た! とうとう化け物が出ましたわ!」
「うおっ!?」
その途端言い合いを止め、転がるようにして二人は背後を歩いていたサキョウにしかとしがみ付く。
「二人とも落ち着け、あれはただの蝙蝠だ。怖がっていると、余計に好くないものを呼び寄せてしまうぞ?」
ははは、と場にそぐわぬ豪快な笑い声を上げるのはサキョウ。
彼はゴドーの実の弟であり、鍛え抜かれた肉体と僧侶の精神を併せ持つ頼もしい僧兵モンクなのだ。
恐怖に怯えきったティエルとリアンを、どこか微笑ましく見守っている。
「こんな場所で、怖がるなって言われても無理だよ……ん? あれ、もしかして町の明かりじゃない?」
サキョウの太い腕を抱きしめていたティエルであったが、前方に点々とした仄暗い明かりを見つけたのだ。
「煙突の煙も見えるし、間違いないよ。今夜はあの町に泊まろう!」
「きゃーっ、よかったですわ!」
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段々と近付くにつれ、点々とした明かりは深い森に囲まれた古めかしい町であることが分かった。
入口近くに表示されている薄汚れ朽ちかけた標識には、『ハイブルグ城下町』と辛うじて読み取ることができた。
黒ずんだ大きな煉瓦を幾重にも積み重ねた家々は、皆しっかりと戸を閉めていた。
町の奥には、小さな林。更にその向こうには大きな館の影が浮かび上がっている。領主の城なのだろうか。
城の方角から吹いてくる風から運ばれたのか、時折赤い薔薇の花びらが舞っている、淫靡で陰鬱な町である。
通りは誰一人として歩いていない。
「こんな森の中にある割には、なかなか大きな町ではないか」
「……夜だからかな、ちょっと暗い雰囲気の町だね」
「夜だからという理由だけではない気がしますけど。あら? あそこで人が集まっているの……お葬式かしら」
リアンの目配せした先には、細々とした明かりの灯る民家。その前では喪服に身を包んだ人々が集っていた。
微かに聞こえる啜り泣きの声。こちらの心にまで突き刺さってくるような泣き声であった。
居心地が悪くなり、民家の前を静かに通り過ぎようとしたティエルは、飾られている写真を横目で一瞥する。
自分より少し年上の娘の写真であった。眩しい笑顔を浮かべて、こちらに向かって微笑んでいる。
棺に縋り付くようにして泣いているのは彼女の母親か。その肩を優しく抱いている男は父親だろうか。
これ以上目にするにはあまりにも辛すぎる。胸が締め付けられるような思いに駆られ、自然と歩みが速まった。
「何で死んじゃったのよリサぁ……!」
「まだ十八歳だったんだよ、可哀相に。……ついこの間、念願の仕立て屋見習いになれたって喜んでいたのに」
「仕事に行ったきり戻らなかったんだってよ。全身の血がほぼ抜かれて、腐敗した状態で見つかったらしい」
「オレは絶対にリサを殺した奴を許さねぇぞ!」
「……やっぱり森を進み続けます?」
葬式の様子がよく見える中央の噴水広場のベンチに腰を下ろすと、リアンは溜息と共に言葉を発した。
「あなた達も見たでしょう、店なんてどこも閉まっていましたわ。泊まれる所は期待できそうにないですわね」
「どうしてあの女の子は、殺されなくちゃならなかったんだろう」
「ティエル、どうしたのだ?」
喪服に囲まれた白い棺をぼんやりと眺めながら、ティエルが小さく呟いた。殆ど無意識のうちであった。
その言葉を耳にしたサキョウは、驚いたように彼女を振り返る。
「……さっきあそこの人たちが言っていたんだ、死体は全身の血がほぼ抜かれていたんだって。
何でそんな酷いことができるんだろう。殺された子はきっと怖かったし、苦しかったんだと思う。それなのに」
この地域は少々気温が低いのだろうか。ぶるっと身震いをしたティエルは、自分の足を抱え込んだ。
そんなティエルを慰めるように、温かく大きな手が彼女の肩を抱き寄せる。
見上げると、優しく見つめるサキョウの黒い瞳があった。ゴドーの瞳と似ているようで、全く違う瞳だった。
「お前は情が移りやすいのだな。思いやる心は大切だが、誰もに感情移入していたらお前の方が参ってしまうぞ」
「サキョウ」
「情を切り捨てなければならぬ時もある。しかしワシは、お前にいつまでもその気持ちを忘れないでほしい」
「うん……」
「しかし全身の血が抜かれた死体とは……まるで悪魔の眷属ヴァンパイアのような殺し方であるな」
よしよしとティエルの茶の髪を撫でていたサキョウであったが、ふと表情を曇らせる。
「ヴァンパイア?」
棺が外に運び出され、哀れな少女の亡骸は墓地へと向かうのだろうか。より一層啜り泣きの声が強くなる。
その様子を見つめていたティエルは、サキョウの言葉に首を傾げた。
悪魔族、ヴァンパイア。名前は何度か忌々しい声色と共に耳にしたことがある。それは城で、町で、寺院で。
「ヴァンパイアは残虐な悪魔族の中で、最も狡猾で魔力の高い奴らだ。悪魔の貴族とは誰が謳ったのか……」
天使が色欲と殺戮に溺れ、地に堕ちた者達の成れの果て。
はたまたその美しさに嫉妬した神が、翼をもぎ取った天使達の成れの果て。
伝承は様々であるが、全てにおいて共通項がある。悪魔族はとても残虐で、呪われた存在だということだ。
決して生かしてはならない。必ずや周囲に災いをもたらす。即刻殺害せよ、生きることが許されぬ存在。
「悪魔族って怖いんだ……」
「安心しなさいな、ティエル。普通に生活していたら、まず悪魔族と関わることなんてないですからね。
それよりもまず問題は、これから野宿するのか再び森を進むのか。現在の自分達のことを考えましょう?」
「確かにそのとおりだね。……さっきから思っていたんだけど、あのお城ってここの領主さんの城なのかな」
ティエルが遠く指さす先には、小さな林を隔てた向こうに大きく黒いシルエットが浮かび上がっていた。
この町がハイブルグ城下町という名前であるならば、あの城は恐らくハイブルグ城という名なのだろう。
「領主さんなら、きっと周辺の地図を持っているはずだよ。その上、もしかしたら一泊させてくれるかも!」
「そんな都合のよい領主がいるのかしら……」
「うむ、確かにティエルの言うとおり訪ねてみても損はあるまい。夜分遅くに訪ねるのは少し気が引けるが」
「いちいち気が引けていたら何もできないよ。そうと決まれば早く行こう!」
「仕方ないですわねぇ。門前払いされても拗ねないで下さいな、ティエル」
気が乗らない様子のリアンであったが根負けしたのか、ティエル達と共に領主の屋敷へと足を向けたのだった。
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