Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第3章 麗しき薔薇の君
第22話 ハイブルグ城
「あのう、ごめんくださーい!」
噴水広場から暫く進むと、やがて小さな林が見えてきた。城と城下町を決定的に隔てる境界のようにも思えた。
……この林を越えてしまったら、もう戻れなくなる。そんなことなどある訳がないのに、不安が胸を支配する。
城の中に薔薇の庭園があるのだろうか。赤い花吹雪が時折舞い上がった。美しくも妖しげな光景であった。
林を抜けると、闇に浮かび上がるようにして古びた屋敷が姿を現した。
石煉瓦の壁には所々野生の蔦が絡み付き、外壁は黒ずんでいる。鉄製の門は完全に錆びてしまっているようだ。
元はさぞかし美しかったであろう城は、現在はその面影をささやかに残すだけであった。
いくつも並んだ大きな窓には皆分厚いカーテンが引かれ、中の様子を伺い知ることはできない。
異世界に迷い込んだかのような不気味な佇まいに、思わず気後れしてしまったティエル達は顔を見合わせる。
だがここまで来て今更後戻りをするわけにはいかない。錆びた門を開け、玄関へと続く煉瓦の道を歩いて行く。
そして意を決したティエルは、黒塗りされたベルを二回だけ鳴らした。
重いベルの音が気味が悪いほど静かな辺りに響き渡る。……暫くすると、ゆっくりと扉が開かれた。
「ここは、ハイブルグ地方を統べる伯爵様の住まう城。何かご用でしょうか」
中から現れたのは、青白い顔色をした若い女。まるで喪服のような黒い制服を身に着けたメイドであった。
城と同じく、どこか陰気な雰囲気を纏っているのは気のせいではない。
「えっと、わたし達は」
「ワシらは森で迷って辿り着いた旅人だ。夜分遅くに大変申し訳ないが、地図があったら譲ってくれないか」
しどろもどろになっているティエルの代わりに、サキョウが前に進み出ると簡単に事情を説明した。
「それはお気の毒に。この森は道が大変複雑で、危険な魔物もおります。夜の行動は避けた方が賢明かと。
地図をお渡ししたいのは山々なのですが、残念ながらハイブルグ周辺の地図は存在しないのです」
メイドはにっこりと笑みを浮かべる。しかし目は笑っておらず、完全に貼り付けたような笑顔であった。
笑顔というのは他人を温かな気持ちにさせるものではなかったのか。
ここまで薄ら寒い恐怖を感じる他人の笑顔を、ティエルは今まで目にしたことがあっただろうか。
……きっと、ない。
「この城で一夜を過ごされてはどうでしょう? 伯爵様は大変聡明で、そして心優しい方です。
あなた方のように森で迷った旅人達を快くお泊めして、色々な旅の話をお聞きするのが趣味なのですよ」
「明るくなれば、少しは地理がはっきりするかもしれんしなぁ。……どうする、ご厚意に甘えるか?」
困った顔をしながら、サキョウはティエルとリアンを振り返る。
地図が存在しない上に森の道は複雑で、危険な魔物も出没するという。あのまま進んでいなくて本当に良かった。
そんな森にこれから戻って再び迷い続けるほど、ティエル達は命知らずではない。
「暗い森に戻るより、私は早くベッドで眠りたいですわぁ」
半分疲れ果てたようにして呟いたリアンの言葉により、ハイブルグ城に一泊だけお世話になることとなった。
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城の内部は少々薄暗い印象を受けた。
蝋燭の本数が圧倒的に少ないのだ。必要最低限の明かりさえ取れればいいという、伯爵とやらの意向であろう。
明るい場所をあまり好まない人物なのかもしれない。……これは単なる想像でしかなかったが。
立ち並ぶ家具は相当古いが、高価なものだと一目で分かる。壁紙や絨毯の色も落ち着いていて、センスが良い。
まるで血のように濃く赤い絨毯が敷き詰められる応接間に通された。
少々黴臭いが洒落たソファーは、大男であるサキョウを含めて三人で腰掛けても余りある、十分の広さであった。
そわそわと落ち着きなく暫くソファーに座って待っていると、燭台を持つ一人の老婆が姿を現した。
縮れた長い茶の髪を高い位置で丁寧に結い上げ、額には涙型のサークレット。
土気色の肌に、枯れ木のように痩せ細った小柄な身体。半ば瞼に埋もれた目。顔中に小さな瘤が浮き出ている。
正に不気味なこの館に相応しいともいえる、誰もが顔を背けてしまうであろう非常に醜い老婆だった。
くすんだ赤紫色の長いローブをずるずると引き摺りながら、老婆はティエル達の顔を一人ずつ順々に眺める。
老婆に見つめられたとき、ティエルの背中の肌は無意識に粟立つが、顔に出さずに会釈した。
「……お客人達、遠路遥々ハイブルグ城へようこそ。あたしの名はギョロイア=メクセプトル。
非常に繊細な上に人間嫌いである我が君、ハイブルグ伯爵閣下から城のことを全て任されている者だよ」
ギョロイアと名乗った老婆は、数本抜け落ちている歯を見せながら低く笑い声を上げる。
上瞼に半分ほど埋もれてしまっている目を見開き、彼女はティエル達を心から歓迎しているように笑っていた。
しかしそのあまりにも恐ろしい笑顔を目にし、ティエル達は完全に凍り付いてしまっている。
「お可哀想な我が君は、お前達のように自由に旅をすることが許されぬお身体なのじゃ……。
せめて旅人から聞いた珍しい話をしてさし上げるのがあたしの役目だ。お前達、色々な話を聞かせてくれよ」
「勿論ですとも。今日は泊めて下さって本当にありがとうございました」
「助かりましたわ」
深々と礼をしたサキョウに倣い、慌ててティエルとリアンも頭を下げる。
先程のギョロイアの言葉から察するに、ハイブルグ伯爵という人物は旅ができぬほど高齢な人物なのだろう。
自由に動くことのできぬ身ゆえ、旅人の話を聞きながら見ぬ世界に思いを馳せているのかもしれない。
「そう緊張せんでもよい。お前達は大切な客人だ。今からメイドに部屋まで案内させる。
夕食は夜八時。メイドが呼びにくるまで、部屋でゆっくりしていてもよいが……部屋から出るのは慎んどくれ」
「部屋から出ちゃいけないってこと?」
「この城は明かりが非常に少ない。勝手に動き回られて、怪我でもされてはたまらんからねぇ」
「そっか」
……確かにギョロイアの言うとおりだと、ティエルは妙に納得してしまった。
一応今の自分達の立場は『お客人』である。その『お客人』が階段を踏み外して大怪我を負ってしまったなど、
洒落にもならない。その上折角一夜の宿を提供してくれたギョロイア達にも迷惑がかかってしまう。
「けれど……わたし達泊めてもらっているのに、伯爵様に挨拶をしなくてもいいのかな?」
少しだけ眉を顰めたティエルは、サキョウを振り返る。
この城の主である伯爵に、せめて一言だけでも謝礼の言葉を伝えるべきではないのかと思ったためであった。
「挨拶しないままだと申し訳ないよね」
「うむ、しかし伯爵様がそう簡単に会って下さるともかぎらんしなぁ」
「それは遠慮しておこう。……先程も述べたはずじゃ、我が君は非常に繊細なお方の上に人間嫌いだと」
これ以上詮索はするなとばかりにギョロイアに言い切られ、腑に落ちないままティエル達は応接間を後にした。
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メイドに二階の部屋まで案内され、扉を開けたリアンは思わず感激の声を上げる。
少々古めかしいが、三つ並んだ天蓋つきのふかふかのベッド。美しい細工が施されたコンソールと大きな鏡。
贅沢な手触りの絨毯。メドフォード城のティエルの自室よりも、乙女心をくすぐる煌びやかな部屋であった。
「素敵なお部屋ですわ! あのギョロイアってお婆さん、顔はすっごい不細工ですけど案外いい人なんですのね」
「あんまり大きな声でそんなこと言わないでよ。……今日は疲れたなぁ。明日こそは森を抜けられるといいね」
「うむ、リアンを先頭にして歩いてはならんということが分かった。一人旅をしていた割には方向音痴であるな」
ティエルとリアン、そして自分の分の荷物を軽々と背負っていたサキョウは苦笑と共に床に置く。
「明日からは、しっかりと考えた上で行動することにしよう。ティエルも寄り道ばかりをする傾向があるしな」
「サキョウひどーい。……わたしなりに、一生懸命考えて行動していたのに」
確かにサキョウに注意されたように、自分はあちこち目移りをして寄り道をする傾向があった。
だがそれを認めてしまうのは悔しい。拗ねたように口を尖らせると、ティエルはカーテンを引いて窓を開け放つ。
……下には、昼に散歩をしたらさぞかし気持ちが良いだろうと思われる美しく大きな薔薇の庭園が広がっていた。
単に話題を変えるために開けた窓だったが、それすらも忘れて暫く魅入ってしまう。
「ねえ、すごい綺麗な庭園があるよ! 近くで見てみたいなー」
「あらあら駄目ですわよ、ギョロイアさんから言われたことを忘れたの? 部屋から出るのは慎むようにって」
部屋から出たいという気持ちを隠そうともしないティエルに対し、リアンが呆れたように声をかける。
問題事を起こし、屋敷から追い出されてしまったら元も子もない。
「そもそも、怪我をされたら困るから部屋から出ちゃ駄目なんでしょ? 危険なことなんかしないもん」
「それはそうですけど……サキョウ、何とか言ってやって下さいな」
「まぁすぐに帰ってくるのならば問題はあるまい。暗がりには近付かず、階段の踏み外しには気を付けるのだぞ」
「もう、サキョウったら甘いんですから! 庭園を見て満足したら、すぐに戻ってくるんですのよ?」
「はーい!」
両手を腰に当てて困った表情を浮かべるリアンだったが、これ以上はティエルを止めるつもりはないようだ。
なんだかんだいって彼女も甘い。
元気のよい声を二人に返したティエルは手を振ると、扉の向こうへと姿を消した。
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