Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第3章 麗しき薔薇の君

第23話 麗しき薔薇の君 -1-




薄暗い廊下で何人かのメイド達とすれ違うが、部屋から出てはいけないなどと特に注意は受けなかった。


誰もが自分のことだけしか見ていない。まるで他人の様子に関心などないようにも見える。
この城の者たちは男女共に、どこか陰気な雰囲気と総毛立つような淫靡な空気を纏っている者が多かった。

……一言でいえば、ひどく人間離れしている。

妖しげな別世界に足を踏み入れてしまったかのようだ。彼らと深く関わってはならないと、本能が訴えている。
しかしティエルはぶんぶんと頭を振って、その考えを追い出した。
突然訪れた見知らぬ旅人達を快く泊めてくれたのだ。伯爵やギョロイアを含め、きっと心優しい人々に違いない。


「あの……あなたは確か、ギョロイア様のお客様ですよね?」
「……?」

遠慮がちな声が背後からかけられ、振り返ると若いメイド見習いのような少女が箒を手にして立っていた。
彼女は他のメイド達とは異なり、ティエルとごく近い存在のようにも思えた。
一体何が遠い存在で、一体何が近い存在なのかは上手く説明できなかったが。直感でそう感じたのだ。


「お夕食の時間は確かまだ先のはずですよ。どちらに行かれるのですか?」
「この城に綺麗な薔薇の庭園があるじゃない? ちょっとだけお散歩したいんだけど、行き方が分からないんだ」

「薔薇の庭園は、あそこの角を曲がって裏口を真っ直ぐに行けば辿り着きますよ」
果たして教えて良いものかと思案しているような表情を浮かべたメイドだったが、やがて声を潜めて言った。


「……けれどあの場所は伯爵様がよくいらしていますから、どうか長居はしないようにお願いしますね」
「うん。ありがとう、分かった」
「私達メイドも庭園の奥には近付くなと仰せ付かっているんです。あの場所は、伯爵様だけの場所ですから……」







メイドに教えられたとおりに裏口を進んでいくと、庭園に向かう道に出た。アーチ状になって薔薇が咲いている。
様々な色の薔薇に目を奪われる。暫く行くと、そこは大理石の噴水や美しい像が並ぶ薔薇の庭園が広がっていた。
白や桃色、オレンジ色の薔薇があちこちに咲き誇っており、とても幻想的な光景である。

ほんの少しだけ振り返って城を見上げてみると、自分達の部屋の窓から明かりが薄っすらと洩れていた。
想像以上である見事な薔薇の庭園に、リアン達も一緒に来ればよかったのに、とティエルは少し残念に思う。


……まるで誘い込まれるようにして、庭園の奥へ奥へと進む。
奥に行ってはいけないと言っていたメイドの言葉は既に頭にはなかった。魅惑的な光景が、奥へと誘っていく。
ティエルを待ち受けていたのは、入口付近には咲いていなかった赤い薔薇の庭園。真紅の吹雪が舞い上がる。

夜空に輝く青白い満月の光が、血のように濃い赤の薔薇を照らしている。この世のものとは思えぬ光景である。
それは思わず目を奪われてしまいそうな。瞳を捕らえて離さない、妖艶な魅力のある紅い色であった。


その時。ティエルの瞳に、赤とは対照的な艶やかな青色が映る。
庭園の最奥。大理石の小さな噴水の縁に、青い髪をした若い男が腰掛けていたのだ。気配など全く感じられない。


(気付かなかった、人がいたんだ! ……青い髪の人なんて、初めて見た……)

闇にこのまま溶け込んでしまいそうな、夜の髪色。
青い髪は呪われた髪の色だと授業で習った覚えがある。近付いてはならない、人間として扱ってはならないと。
忌み子の証、近親相姦の果てに生まれた者、言い伝えは様々だ。
ゴドーが昔よく読み聞かせてくれた聖書の神は語る。『青い髪をしているだけで、それは最早罪である』と。

……パキッと。
無意識のうちにティエルは足を一歩踏み出しており、乾いた枝を踏む音が静寂に包まれた辺りに響き渡った。
その音に驚くこともなく、青い髪をした男はゆっくりとティエルを振り返る。


背筋が凍るほど美しい顔をした青年であった。これほどの美貌の持ち主を、女ですら目にしたことがない。
どんな美女よりも遥かに凌駕する魔性の美しさ。長く尖った耳から察するに、恐らく彼はエルフ族なのだろう。
白皙の肌に、硝子のように薄く透き通ったアイスブルーの瞳。真っ直ぐに通った鼻筋と、形のよい唇。長い手足。
男にしては線が細く華奢な身体を包んでいるのは、ふわふわと広がる紺を帯びた黒いドレスコートであった。

年の頃は二十代の中ごろか。いや、前半にも後半にも、幼くも大人びても見える。少年のようで青年でもあった。
ティエルよりも恐らく十は年上かと思われるが、ふとした瞬間少年の面影をほんの僅かに覗かせる。
人形じみた無表情は彼の若さを曖昧にしてしまっていたが、よくよく眺めて見ると随分と年若い青年だった。


エルフ族を始めとして、耳の尖った者ならそう珍しくはない。
しかし目の前の青年はその中でも特に異質な存在に思えた。気配、そして生気が殆ど感じられなかったのだ。
それは非常に精巧に作られた、美しい等身大の人形のような。……もしくは物を言わぬ死体のような。


「あの……一人のところ、邪魔しちゃってごめんなさい」

暫く青年の姿を魅入るように凝視していたティエルだったが、我に返って口を開いた。
初対面の人物を、あれほど無遠慮にじろじろと眺めてしまったのだ。気を悪くさせてしまったかもしれない。

「はじめまして! わたし、ティエルっていうの。森で迷っちゃって、今晩一日だけお世話になります。
 ここには散歩に来ただけなんだけど……あなたを見かけて、髪の色がすごく綺麗だなーって見とれちゃった」


返事はなかった。
青年はこちらに顔を向けたまま何も言うこともなく、感情のない硝子の瞳でティエルを見つめているだけである。
生きている相手を前にしているはずなのに、人形に話しかけているようなどこか不思議な気分だった。

普通の感覚を持つ者ならば、これ以上彼に関わろうとする気など起きないだろう。しかしティエルは違った。
彼の言葉を待つために、ティエルもまた同じく青年の目を見つめ返した。


「あなたはここのお城のひとかな? ……そうだ! よかったら、あなたのお名前も聞かせてほしいな」

長い沈黙が続く。それでもティエルはにっこりと笑って、全く気にも留めない様子で次の言葉を続けた。
強めの風が吹き、庭園の赤い花びらが舞う。その風は、こちらを見つめる青年の夜色をした髪を軽く弄んでいく。
永遠にも思えるような長い沈黙の後、青年は風で少々乱れてしまった髪を整えることもなく、初めて口を開いた。


「クウォルツェルト。……クウォーツと呼ぶ者もいる」

「クウォルツェルトさんかぁ、あなたにぴったりなお名前ね。もしかして、あなたも庭園をお散歩していたの?」
「……」
「ここの庭園ものすごく綺麗だよね。お昼に散歩したら、また違うんだろうなー」


「ティエル、あなたこんな奥にいたんですの!」
「帰りが遅いから、また迷ったのかと心配していたのだぞ?」

突如背後から己の名を呼ぶ声が聞こえる。無論帰りの遅いティエルを心配して迎えに来たリアンとサキョウだ。
彼女の元まで駆け寄ってきた二人は、そこで噴水の縁に腰掛けているクウォーツの存在に気付いて足を止める。
彼に対し明らかに警戒した様子を見せるサキョウとは裏腹に、リアンは頬を赤らめてそわそわと落ち着きがない。


「ねえ、ちょっとティエルってば! こちらの男性はどなた? 早く私にも紹介しなさいよ」
「クウォルツェルトさんっていうの。青い髪ってすごい珍しいよね、わたしも最初見たときに驚いちゃってさぁ」
「……あなたってば。こんな桁外れの美青年を前にして、言及することは髪の色だけなんですの!?」
「え? ああ、そういえばお人形さんみたいに凄く綺麗な人だよね。それもびっくりしちゃった」

「お前達、あまりその者に近付いては……」

興奮した様子で詰め寄ってくるリアンに説明をする彼女に対して、難しい顔をしたサキョウが口を開きかける。
しかし最後まで言い終わらぬうちに、こちらに向かって音もなく静かにギョロイアが歩み寄ってきたのだ。


「……クウォルツェルト伯爵様、またここにいらっしゃったのですか」





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