Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第3章 麗しき薔薇の君

第24話 麗しき薔薇の君 -2-




「長い時間夜風に当たると、お身体が冷えてしまいます。さあ、クウォルツェルト様。お部屋に戻りましょう」


ティエル達の存在などには目もくれず、ギョロイアは両の手を伸ばしてクウォーツの白い頬に触れた。
思ったよりも冷たい彼の頬に、こんなに身体を冷やして、と溜息と共に零す。だがその声は愛情に溢れていた。

慈しむような親愛の情のそれだけではなく、愛しい恋人に対する甘い響きもどこか含まれているようである。
孫と祖母ほどに歳の離れたこの二人だが、明らかにそのような間柄などではなく、男と女の関係を匂わせていた。
ただならぬ淫靡な雰囲気に、ティエルの隣に立っていたサキョウが視線を逸らす。


「分かった」

己の頬に触れるギョロイアを暫く無言で見つめていたクウォーツだったが、小さな声で呟くと立ち上がる。
それでも表情一つ変わることもない。紡ぎ出された声色に感情が込められることもなかった。

「クウォルツェルトさん、またね」

こちらに背を向けたクウォーツにティエルは思わず声をかけた。ほんの、簡単な別れの挨拶のつもりであった。
ゆっくりと振り返った彼に、ティエルは笑顔を浮かべて小さく手を振る。
横目でそれを一瞥すると、彼女に何も返すことはなくクウォーツはそのままギョロイアと共に去って行った。


「……それにしても例の伯爵様があんなに若くて、その上とんでもない美青年だったなんて予想外でしたわぁ」
リアンにしては珍しく好みのタイプだったのか、彼らの去った方向をいつまでも名残惜しそうに見つめている。

「ギョロイアさんと若干いい雰囲気だったのが気になりますけど。でも年齢が離れすぎていますし、まさかね」

「そういう偏った考え方はいかんぞ、リアン。ワシは愛の形に年齢などは関係ないと思うが。
 まぁともかく、食事の時間も近いだろうし部屋に戻ろうではないか。ティエルも散歩ができて満足しただろう」
「そうだね、戻ろっか」

「しかしな、ティエル。もうあのクウォルツェルトという青年には二度と近付いてはならんぞ。
 泊めてもらっている身分でこう言っては悪いが……彼は青い髪の忌み子だ。関わり合いにならない方がいい」

「うん……」

サキョウに向けて軽く頷くような曖昧な返事をしたティエルは、足元に落ちていた銀の指輪に目を留める。
月の光に反射して輝くそれは、恐らくクウォーツが落としてしまったものだろう。確証はないがそんな気がした。
慌てて指輪を拾って懐に入れると、ティエルはサキョウ達の後を追って歩き始めた。







「……クウォーツ様、下賎な人間どもと会話などおやめ下さい。その美しいお身体が穢れてしまいます」

嘆くように言葉を発したギョロイアの視線の先には、窓枠に凭れ掛かるように腰掛けるクウォーツの姿。
硝子の瞳には生気が全く感じられず、表情すらない。一見すると精巧に作り上げられた人形のようにも見える。

ここはクウォーツの部屋であった。
微かな薔薇の香りと、古い家具の匂い。その双方が交じり合ったような香りが周囲に漂っている。
彼にとってはあまり意味のない古めかしい高価な調度品が並ぶ中、老婆ギョロイアの憎々しい言葉は続いた。


「あたし達悪魔族を長年に渡り虐げ続ける人間。本当に虐げられるべき存在は強欲で愚かな人間どもであるのに」

カーテンの引かれた大きな窓からは青白い月明かりが差し込んでおり、二人に濃い陰影を作っていた。
まるで、異質な空間。……この世のものとは思えない光景である。
美醜が人間離れしている、正に対照的な容姿のクウォーツとギョロイアはそんな幻想的な空間を作り出していた。


「そういえば先日、あなたを化け物と呼んで狂ったように喚き散らした娘……確かリサという小娘でしたか。
 城に出入りしていた仕立て屋に見習いとしてついて来て、偶然あなたのお姿を目にしてしまった罪深い娘」

青い髪を持つ者が、如何に呪われた存在か。仕立て屋見習いの娘は幼い頃から幾度も教えられてきた。
ここは化け物屋敷なのだと半狂乱になって暴れた娘を、ハイブルグ城に仕える従者は剣でばっさりと斬り捨てた。
腐敗が始まりかけた死体は、見せしめのために城下町の噴水広場に捨て置いたのだ。


「人間達にはよい見せしめになったことでしょう。あなたを化け物と罵った代償としては足りないほどです。
 クウォーツ様を悲しませる存在は、全てこのあたしが排除いたします。あなたの幸せがあたしの幸せですから」

それでも、クウォーツは何も答えなかった。
ギョロイアに顔すら向けずに、ただぼんやりと窓の外を眺めている。そんな彼の様子にやれやれと溜息をつく。
愛しい我が君はまるで生き人形である。表情が動くこともなく、殆ど言葉を発することもない。


「さて……そろそろ地下に蓄えている血の貯蔵庫が残り少なくなってきておりましてな。
 地下牢で現在飼っている一人と、今晩訪れたあの馬鹿な三人の人間どもを後ほど殺すことにいたしましょうか。
 なにしろ血は新鮮な方が美味ですからな。古くなった血は不味い上に臭くて、飲めたものじゃありませんから」


窓の外に視線を向けているクウォーツの瞳には今、何が映っているのだろうか。

独り言のように会話をする日々もギョロイアは既に慣れている。そして彼が反応する唯一の言葉も知っていた。
クウォーツの全てを束縛し、手にすることのできる、まるで彼に課せられた呪いのような言葉であった。


「……愛しています。あたしのクウォーツ様」


ふいに、窓の外を眺めていたクウォーツが彼女を振り返った。
どこまでも澄んだ色をしている薄青の瞳が、ギョロイアを映し出す。そこには何一つ感情の色は見えなかったが。
慈愛を含んだ笑みを浮かべ、ギョロイアは彼に向かって優しく両手を差し伸べた。
暫くギョロイアを見つめていたクウォーツだったが、窓枠から身を離すと彼女にゆっくりと歩み寄って行く。


「ギョロイア」

目の前で立ち止まったクウォーツは、片膝を地面に突くとギョロイアの細い身体を引き寄せた。
壊れぬように、壊さぬように。両腕を彼女の背に回して縋るように抱きしめる。ふわりと彼から香る薔薇の匂い。

クウォーツのさらさらとした柔らかな髪を優しく梳きながら、ギョロイアは慈しむように微笑みを浮かべる。
最後に彼の笑った顔を見たのは一体いつだろうか。いくら思い起こそうとしても、そんな記憶は存在しなかった。

「……私も」

髪を梳き続けるギョロイアの手に、やがて彼は上から自分の冷たい手をゆっくりと重ね合わせた。
まるで愛しい恋人にそうするように、彼女の指に己の指を一本ずつ絡ませてクウォーツはギョロイアに囁いた。
感情など存在するはずのない彼にしては、ひどく甘い、蕩けるような甘い声であった。

「私も……愛しているよ。ギョロイア……」







「確か夕食時にはメイドさんが呼びに来るって言っていましたけど……遅いですわね。お腹空きましたわ」

クイーンサイズのベッドの上に腰掛け、リアンは愛用のロッドを艶々に磨き上げていた。
これは彼女が出会った当初からずっと戦闘で使い続けていたもので、先端には大きな青い水晶玉が飾られている。
ロッドがなくとも勿論魔法は使用できるのだが、このロッドは彼女の魔力を増幅させる効果があるのだという。

「ねえティエル、私の話を聞いていますの? さっきからずっと考え事ばかりして。どうかしました?」
「え? あ、うん。聞いてるよ」


窓辺の椅子に腰を下ろして外の庭園をぼんやりと眺めていたティエルは、リアンの不服そうな声に顔を上げた。
ティエルの手には庭園で拾った銀の指輪が握られている。いつクウォーツに返そうか、そればかりを考えていた。
サキョウは絨毯の上で目を閉じ座禅を組んでいる。モンク僧は如何なる時も修行を怠らないのだ。


「夕食の時に、あの人に会えるかなって考えてたの」
「クウォなんとかさんっていう、薔薇の庭園にいた伯爵? サキョウが言っていたでしょ。彼に近付くなって」
「……クウォルツェルトさんだよ」

「そう、その人。少しだけときめいたのは否定しませんけど。正直に言うとすごい好みのタイプでしたけど。
 後から冷静に考えると、いくら美形でも青い髪は無理ねって思いません? 硝子みたいな瞳をしていましたし」


「そうかな? 青い髪、綺麗だったよ。少し無口な人かもしれないけど、名前だって教えてくれたもん」
「……無口というより、あれは無感情っていうんですのよ」
「それにほら、瞳の色がすごい薄い人だったから、瞳孔が透けて硝子みたいな瞳に見えちゃうんだよ。きっと」


難しい顔をしたリアンを振り返ると、ティエルは先程の薔薇の庭園での出会いを思い出す。

彼と交わした言葉は確かに少ないけれど、悪い人物には見えなかった。もっとよく彼のことを知りたいと思った。
もっと彼と色々な話をしてみたいと思った。そう思わせる、どこか惹かれるような魅力が彼にはあったのだ。

「まぁ、あなたがそう言うのならいいですけど。どうせ明日になれば、二度と関わることのない相手ですから」
腰に手を当て、溜息と共にリアンが口にしたとき。扉が軽くノックされ、メイドが夕食の時間を告げに来た。





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