Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第3章 麗しき薔薇の君

第26話 麗しき薔薇の君 -4-




「……ギョロイアさんって、旅の話を聞いてクウォルツェルトさんに話してあげたいって言ってなかった?」


メイドに連れられて大食堂まで案内されたティエル達は、これ以上にないくらいのもてなしを受けた。
甘く柔らかい肉に、スパイスの効いたソースが絶品の白身魚。パスタに煮込み料理。色とりどりのデザート。
ティエルが城にいた頃でも、稀に開かれる晩餐会でしかお目に掛かれないような料理ばかりであった。

しかし食事の席にクウォーツは勿論、話を聞きたいと言っていたギョロイアまでもが姿を現さなかったのだ。
楽しかったこと、驚いたこと。様々な旅の話を用意していたティエルは、ほんの少しだけがっかりしてしまった。
メイドに連れられて自分達に用意された部屋に戻る途中で、思わず冒頭の台詞を呟いたティエルである。

先頭に立って部屋まで案内をしてくれているメイドは、先程ティエルが庭園までの道を聞いた親しみやすい娘だ。


「なんだか残念。わたし、聞いてもらいたい話がいっぱいあったんだけどな」
「……もしかしたら私達が部屋から勝手に出たことを怒っているのかもしれませんわよ。だから言ったのに」
「過ぎてしまったことは仕方あるまい。美味い料理も食えたことであるし、まぁよいではないか」

「うわぁ……出ましたわね、サキョウの楽観主義。人生楽しそうで何よりですわ」
「人生を楽しく過ごすことに何も問題はあるまい!」


そんな背後のやり取りを耳にしながら、ティエルはふと前方を歩くメイドに顔を向けた。
この娘は他の人間離れをした雰囲気を持つメイド達とは違って、非常に素朴で人間らしく親近感を覚えたのだ。
彼女にならば、クウォーツのことを訊ねても答えてくれるだろうか。

「ねえ、メイドさん」
「なんでしょう?」
「クウォルツェルトさんってどんな人なの?」

ティエルの問い掛けに、暫くメイドは困ったような表情を浮かべる。
しかしその顔は彼女の問い掛けを迷惑に感じているわけではなく、何を言えばいいのか分からないといった顔。


「……実はわたくしも殆ど伯爵様とお会いする機会がなく、あの方の言葉は全てギョロイア様を通されます。
 正直に申し上げますと伯爵様がどんな声をして一体どんな話し方をされるのかも、わたくしは知らないのです」

「そうなの?」
「普段は三階のご自分のお部屋か、薔薇の庭園にしかおられない方ですから。その上あのお顔立ちでしょう?
 あれほどお美しい伯爵様に面と向かってお話しするなんて……わたくしどもメイドにはとてもできません」

「ふーん、割と優しい声していたと思うんだけどな」
「伯爵様とお話しになったのですか!? ギョロイア様としかお話しされないと思っていました……」
「確かにすごい綺麗な男の人だけど、面と向かってお話しするくらい別にいいんじゃないのかなぁ。駄目なの?」

「だ、駄目というか……畏れ多いといいますか……真っ直ぐにお顔が見れないといいますか」
「? よく分かんないなー」


そんな他愛のない話を続けていると、段々と二階の自分達の部屋が近付いてきた。
ふとティエルは懐に忍ばせていた指輪の存在を思い出す。完全にクウォーツに返しそびれてしまっている。
食事のときに彼に会えるかもしれないという淡い期待は叶わなかった。
明日の早朝にはここを出発する予定であるし、これでは彼に会えないままお別れになってしまう。


「先に部屋戻ってて。わたし、忘れ物しちゃった」

「それでしたら、わたくしが取りに戻りますが……」
「いいよいいよ大丈夫。すぐに戻るからさ」
「もう、ティエルったらドジですわねぇ。しっかりしなさいな」
「ワシらは先に休んでいるぞ?」

完全に呆れ顔のリアンと苦笑を浮かべているサキョウ。
メイドの申し出を笑顔で断ったティエルは、くるりと向きを変えて所々蝋燭の灯る薄暗い廊下を歩き始める。
向かう先は三階であった。決して嘘をついたわけじゃない。忘れ物と言えば忘れ物になる。

……クウォーツに指輪を返さなければならないという、忘れ物を。


長い廊下を進んでいくと、丁度左右の廊下の中央に位置する大階段が近付いてきた。
一階や二階までは歩くために不自由がない程度の灯りがあったが、三階へと続く階段から先は明らかに暗い。
じわじわと身体を侵食していくような妖気が渦巻いている感覚がしたが、きっと気のせいだろう。

二階とは違い、廊下に並ぶ扉の数は非常に少なかった。それだけ一つ一つの部屋が広いということだ。
廊下に無言で佇む剥製が、じっとこちらを見つめているような気がした。


(そういえば、クウォルツェルトさんの部屋ってどこなんだろう……)


まさか一部屋ずつ扉を開けて確かめるわけにもいかず、ティエルは廊下を歩きながら困ったように俯いた。
あのメイドに聞けばよかったと後悔をするが、親しみやすい彼女でも流石にそこまで教えてくれるとは思えない。

そんなティエルの瞳に、一つの大きな扉が映った。
頑丈で立派な扉だ。見事なレリーフが一際目を引く。それと同時に、どこか牢獄じみた雰囲気を感じ取ったのだ。
まるで人目を避けているかのように、その扉の周囲だけ蝋燭が灯っていない。

……この部屋はクウォーツの部屋だと、何故だか確信があった。

大きく息を吸い込み、呼吸を整える。それからティエルはそっと扉を叩いた。コンコン、と二回優しく。
しかし、暫く待っても返事はない。
勝手に入るのはさすがにまずいだろうと、ティエルはもう一度だけ叩く。


やはり返事はない。手の平の上にころころと指輪を乗せ、彼女は暫し思案する。
一番良い方法はギョロイアかメイドに指輪を預けることである。しかしもう一度ティエルは彼に会いたかった。
あの幻想的な赤い薔薇の吹雪の中で出会った、感情のない硝子の瞳を持つ青年と。もう一度話がしたかったのだ。

ぎゅっと目を閉じたティエルは、それから意を決したようにドアのノブを静かに回した。


薄暗く、広々とした部屋だった。手前に応接間があり、左奥には寝室。ふわりと香るのは薔薇の匂いだろうか。
応接間は古めかしいソファーに、伏せられたグラスが並ぶ戸棚。灯りはテーブルの上で灯る蝋燭が数本だけだ。
大きな窓は分厚いカーテンが引かれており、外の月明かりが全く入らない。

後ろ手で静かに扉を閉めると、ティエルは部屋の中を見渡した。応接間のどこにも彼の姿は見受けられない。
音を立てぬように、今度は左奥の寝室に足を運んでみる。
広い寝室の大部分を占領するキングサイズのベッド。皺の寄ったシーツの上で、クウォーツが寝転んでいた。


扉を叩いて返事がなかったのは、寝ていたためなのだ。夜分遅く来訪する己の非常識さをティエルは恥じた。
時刻は既に二十二時前である。就寝していたとしても何ら不思議な話ではなかった。
勝手に部屋に入った上に起こしてしまう訳にはいかない。小さく、ごめんなさいと呟いて彼女は踵を返すが。


「もう帰るのか」

どこか甘さを帯びている声が、ベッドの方から発せられた。
高いわけでもなく、かといって低すぎる声でもない。感情など込められていない筈なのに、蕩けそうな声である。
振り返ると、上半身をベッドの上で起こしたクウォーツが、青い髪を手櫛で梳きながらこちらに顔を向けていた。

「てっきり夜這いにでも来たのかと」
「やだもう、違うよ! クウォルツェルトさんの落とし物を届けに来たんですっ」
「落とし物?」

何だか凄いことをさらりと言われたような気がするが、あえて気にせずティエルはベッドへ歩み寄っていった。
薄暗い中でもクウォーツの薄青の瞳は光を反射して爛々と輝いている。少し猫みたいだ、と彼女は思わず微笑む。


「お部屋に勝手に入っちゃってごめんなさい。銀の指輪が庭園に落ちてたから、あなたのかなって思って」

差し出したのは、シンプルなデザインの銀色に輝く指輪。
男の指輪にしては少々サイズが細身だが、女の指には若干余ってしまうだろう。そんなサイズの指輪だった。
暫くその指輪を物を言わず見つめていたクウォーツは、ゆっくりと手を伸ばしてそれを受け取る。

一瞬だけ彼の指先がティエルの手に触れたが、印象どおり冷え切った感触だった。だが確かな人の体温を感じた。


「何か飲むか? 何がいい」
「いいの? 寝てたんでしょ、わたし邪魔じゃないかな」

よくよく考えてみれば夜分遅い上に、ここは伯爵という地位を持つ男の部屋だ。
そんな場所に身元も分からぬ旅の少女が歓迎されるはずがない。普通ならば、無礼な者だと追い出されるだろう。
しかしクウォーツは全くそんな素振りを見せずに、薄物を羽織って立ち上がる。向かう先は隣の応接間だ。


「邪魔ではない」
伏せられたグラスに橙色の液体を注ぎ、クウォーツはそれをティエルに差し出した。





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