Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第3章 麗しき薔薇の君

第28話 鳴り響く十二時の鐘




「ティエルったら本当に遅いですわね」

忘れ物をしたと言って元来た道を戻っていったティエルと別れてから、既に二時間近くが経過している。
だがここは街中や街道ではない。危険なことは何一つないだろうとは思いたいが、それにしても帰りが遅すぎる。
もしや黙って城の中を探検しているのではないだろうか。

「サキョウはすっかり熟睡しているし……もう、悩み事なんか何もないような顔しながら寝ちゃって」


少しはティエルを心配しなさいな、とリアンは少し離れた隣のベッドで眠っているサキョウに顔を向けた。
羽毛の掛け布団を跳ね除けて、彼は大きな口を開けて気持ちがよさそうに眠っている。
何があっても起きないだろう。だがこれほどまで、天蓋付きベッドが全く似合わない人物がいるだろうか。

ベッドの上で魔導書を読んでいたリアンは一つ小さなあくびをする。今日は一日歩き詰めでくたくただった。
ティエルが戻ってきたら少しだけ小言を言って、それからすぐに寝よう。
ああ、やっぱり小言は明日でいいかもしれない。ティエルも今日は疲れているだろうし、寝かせてあげよう。


そんなことを考えていると、外の廊下から微かな足音が近付いてくる。

足音は迷うことなく真っ直ぐにこちらに向かっており、恐らくティエルの足音だろう。漸く戻ってきたのだ。
やはり一言くらいは注意をしておこうと、リアンは怒った顔を作りながらベッドを下りて扉を開ける。
……しかし、廊下を歩いていたのはティエルではなかった。

「クウォルツェルト伯爵? どうして、あなたが……」

血のように真っ赤な絨毯の廊下を、眠っているティエルを抱きかかえながらクウォーツが歩いていたのだ。
リアンの姿に気付いた彼は表情を変えることもなく歩み寄ってくる。


「やだ、わざわざ伯爵様自ら運んできて下さって申し訳ないですわ。この子、今までどこにいたんですの?」
「私の部屋だ」
「え? ……えぇっ! な、なんで!?」

「やかましい奴だな。私が落とした指輪を届けに、彼女が部屋まで訪ねてきた」
「ああ、そうなんですの……って、あなた。今さりげなく私のことをやかましい奴とか言いませんでした?」

ぼそりと発せられた彼の言葉をリアンが聞き逃すわけはなく、形の良い眉をきりりと吊り上げる。
会話を続けることを既に放棄したのか、クウォーツは無言のまま彼女の前を通り過ぎて部屋へと足を踏み入れた。
そして、抱えていたティエルをゆっくりと空いているベッドに寝かせてやる。


「……ちょっと、無視しないでほしいですわ。あなたって大人しそうに見えて、結構いい性格していますわね。
 見た目だけは本当に好みのタイプでしたけど……残念ですわ。あーあ、あの時のときめきを返して下さいな」

「何を返せと?」
「そこに反応しないで下さいます? ……こちらの話ですわ」

渋々と扉を閉じたリアンは、ティエルのベッドの前で立ち止まったままのクウォーツへと顔を向ける。
大きな二つのベッドの上では、熟睡している人物が二人。リアンの大きな声にも起きる兆しは全く見えなかった。
それだけ二人とも疲れていたのだろう。勿論、リアンだって例外ではない。


「ティエルったら……。もう二度と伯爵とは関わるなって、サキョウから注意をされていましたのに」


相変わらず人の話を聞かない子だと溜息をついてから、リアンは思わず言葉に出してしまったことに気が付いた。
本人である伯爵の目の前で口に出すような台詞ではない。
きっと気分を悪くさせてしまっただろう。無礼だと罵られるだろうか。出て行けと追い出されてしまうだろうか。

しかし予想に反して、静かに振り返ったクウォーツは気にも留めていないようだ。少なくとも怒ってはいない。
いや、怒りどころか……全ての感情がぽっかりと抜け落ちている顔といった方が正しい表現だろう。
ここまで徹底的に表情を殺すことは、意図的には不可能である。


「確かに私とは関わらない方がいい。青い髪の持つ意味を、まさか知らないわけではあるまい」

忌み子、近親相姦の果てに生まれた者、災いを呼び寄せる者、死神に愛された者。不吉な噂は様々である。
自分がどれに当てはまっているのか、それとも全てに当てはまっているのか。彼には分からないことであったが。
そして知ろうとする興味すらも湧かなかったが。


「夜分遅く邪魔をした」
「……いえ」

ドアのノブに手を掛けたクウォーツに、リアンはスカートの端を摘みながら慣れた優雅な動作で一礼をする。
時計を見ると、十二時まであと三十分。
扉の向こうに姿を消そうとする彼の背を黙ったまま見送っていたリアンであったが、小さな声で口を開いた。


「クウォルツェルト伯爵。……あなたはどうして、世間から忌み嫌われることを完全に受け入れているの?」

廊下に一歩足を踏み出していたクウォーツの動きがぴたりと止まる。暫くの沈黙の後、静かに彼は振り返った。
それから間を空けて、再びリアンは口を開く。


「生きる者ならば、誰しも必ず幸せになりたいと願うはずよ。幸せになるために足掻こうと努力するはずよ。
 それなのにあなたは……あなたの生き方は幸せになろうとする前に、全てを諦めてしまっているように見える」


蝋燭の光を映したカーネリアンの瞳で、クウォーツの薄青色をした瞳をじっと見つめる。

本来ならばこのまま彼の背を黙って見送るつもりだった。明日になればお別れの、二度と関わることのない人物。
ティエルと出会う前の一人旅の道中、余計な物事には首を突っ込まない方がよいと痛いほど学んでいた。
それなのに。それなのに、どうしてこんな余計なことを口にしてしまったのだろう。

「諦めているように見えるか」
「ええ、私には」
「それなら、そうかもしれない」

呆気ないほど簡単に。そんなことなど、まるでどうでもいいと言わんばかりにあっさりと言われてしまった。
このクウォルツェルトという青年は自分自身に対して本当に関心がないのだと、その時リアンは悟ったのだ。

「ごめんなさい。失礼なことを言いましたわ……」

暫しの沈黙。
硝子を連想させるクウォーツの薄い色をした瞳。リアンはやはりそこに感情を垣間見ることは出来なかった。
ベッドの上では、そんな二人の様子などまるで気付いていないティエルとサキョウが寝息を立てている。
視線を合わせたまま逸らそうともせず黙り込んでいた二人だったが、やがてクウォーツの方から口を開いた。


「今……時間あるか」







「ねえ、ちょっと。待って下さいな、クウォルツェルト伯爵! 一体どこに行くつもりなんですの?」

三階の廊下をすたすたと足早に歩いていくクウォーツの背を追いながら、リアンが不安そうな声を発する。
この長い廊下は一体どこまで進めば終わりを迎えるのか。周囲の薄暗さも相俟って、不安は加速していった。

「まさか部屋に連れ込んで、私を襲うつもりじゃないでしょうね。……べ、別に嫌ってわけではないですけど。
 でもそういう関係の前にまずお付き合いをして、何回かデートをした後にっていう順序の方がロマンチックで」


「何か言ったか。襲うとか、ロマンチックがどうとか」
「なっ……何でもありませんわよ。変な部分だけ聞き取らないで下さいな!」
「おかしな奴だな」

振り返ったクウォーツは、先程のリアンの言葉を断片的にしか聞いていないようである。
顔を真っ赤にしたリアンのただならぬ様子に首を傾げて見せるが、再び背を向けて長い廊下を歩いていく。

「もう、私がここまで振り回されるなんて調子狂いますわね……」

普段は男を振り回してばかりであったリアンは、逆ともいえるこの慣れない状況に少々戸惑っていた。
しかし戸惑いつつも、何故か嫌な気分はしなかったのだ。


三階の廊下を暫く歩いていくと、やがてクウォーツは一つの扉の前で立ち止まる。
他の扉と比べて随分と飾り気のない扉である。それを静かに開けた彼は、目線でリアンを中へ入れと促した。
中の様子は暗くてよく分からない。

部屋の中に足を踏み入れても、暗闇に包まれているためにリアンには部屋の様子がさっぱりと分からなかった。
しかしそんな中でもクウォーツは構わず進んでいく。彼は相当夜目が利くようである。
漸くリアンも暗闇に目が慣れてくる頃、丁度彼は部屋の隅に据え付けられた階段を上り始めたところであった。
部屋の窓は全て木が打ち付けられており、倒れている家具には厚い埃が積もっているようだ。

寂しげな部屋に一人ぽつんと取り残されてしまったリアンは、慌てて彼の後を追って階段を上っていった。


辿り着いた場所は、どうやら屋根裏部屋のようであった。
低い天井に、大きな天窓が開いていた。そこから差し込む青白い月の光が、部屋に色濃い影を作り出している。
窓の真下で立ち止まったクウォーツは、軽く地面を蹴って外へと飛び出した。

彼が一体何をするつもりなのか分からず、そのまま立ち止まっていたリアンへクウォーツが天窓から手を伸ばす。


「お手をどうぞ、やかましいお嬢様」
「……やかましいは余計ですわよ」


彼の手を掴んだ途端、まるで身体が浮き上がったのかと思うほど、リアンは軽く引っ張り上げられていた。
ふわりとクウォーツの隣に足をつけた彼女だが、屋根は足場が悪く、気を抜くと滑り落ちてしまいそうである。
そのためか、屋根に腰を下ろしているクウォーツはリアンの手を掴んだままであった。


「あなたって意外に強引な人ですわね。こんな危険な場所に連れ出して、何を見せるつもり……」

不満たっぷりな様子でそこまで言いかけたとき、リアンは思わず息を飲んだ。
屋根から見下ろす風景が、あまりにも美しかったからである。

先程あの葬式を行っていたハイブルグ城下町が一望できる。
点々と灯る家々の明かりが、まるで色とりどりの宝石が入っている箱をひっくり返したようであった。
ここから見るとあの暗い街の家屋も、小さく精密で可愛らしいドールハウスに見える。

隣に座っていたクウォーツは風で乱れた青い髪に一回手櫛を入れ、その町の様子を無表情で眺めていた。
立ったまま暫く呆然と町を見下ろしていたリアンも漸く落ち着いたのか、彼の隣に腰を下ろす。


「綺麗だろ。……一番好きな場所なんだ」
リアンの手を離すと、町を見つめたままクウォーツが口を開いた。

「こんな私でも、何かに迷うことがある。見失うことがある。そんなとき私はここで町を見る。
 町はいつでも、どんな時でも明るい光が溢れていて。迷っている自分が段々と馬鹿馬鹿しく思えてくるんだ」


「本当に綺麗……。こうやって少し手を伸ばしたら、光に届きそうですわ!」
隣のクウォーツに顔を向けてリアンは笑顔を浮かべ、それから静かに口を開く。

「どうして……私をここに連れてきてくれたんですの?」

リアンの言葉に彼は暫く沈黙して目を伏せた。……その時、十二時を知らせる鐘が一回だけ重く鳴り響く。
鐘の音は屋根の上でもはっきりと聞こえ、後には余韻だけが残った。

「どうしてだろう」
クウォーツは静かに目を開けてリアンを振り返る。その顔は、普段の彼となんら変わりのない無表情で。

「……最後に、誰かと一緒にこの光景を見たかったのかもしれない」







「クウォーツ様、どこに行かれていたのですか?」

リアンと別れたクウォーツは、そのまま真っ直ぐに自室へと向かった。
扉を開けた彼を待ち構えていたのはギョロイアである。先程従者と会話をしていた内容などまるで嘘のように、
その目は愛情に満ち溢れていた。どちらが真実なのか分からなくなってしまう。

手に持ったトレイに紫色の液体が注がれたグラスが乗っている。カルデンツァの毒花とやらを浮かべた液体だろう。
クウォーツはそれを一瞥すると扉を閉め、何も知らない振りをして問い掛ける。


「夜風に当たっていた。ところで、そのグラスは?」
「これですか? 遠方から珍しい飲み物を入手いたしましてな。是非クウォーツ様に、と」
「……それを私が飲むことを、お前は望んでいるのか」
「ええ勿論ですよ。……クウォーツ様、どうかされたのですか?」

じっとグラスを見つめるクウォーツの態度に、ギョロイアは訝しげな表情を浮かべながら歩み寄って行く。
彼の頬に手を触れてさも心配そうな眼差しで彼を見つめた。
単なる飲み物一つでクウォーツがここまで拒絶に近い態度を示したことなど、ただの一度もなかったためである。


「ギョロイア。お前が望むことならば、私は全てを叶えてやりたいと思う」

たとえ意思を完全になくした生ける人形になろうとも、その気持ちはきっと揺るぎはしないだろう。
ギョロイアからグラスを受け取ったクウォーツは、薄い色の瞳で紫色の液体を僅かな間だけ見つめていた。
それから意を決したように両の瞳を閉じると、彼は中身を一気に飲み干した。

「さよなら、ギョロイア」

意思の消滅は、自分という存在が消滅することだ。死も同然である。
クウォーツにはギョロイアと出会う以前の記憶がない。彼の世界は彼女から始まり、そして彼女で幕を閉じる。
偽りの愛だろうと、それでもよかった。……偽りであっても何も知らずに信じ続けていたかった。

他の誰が何と言おうとも、きっとそれも一つの幸せの形なのだろうと……そう思った。





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