Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第3章 麗しき薔薇の君

第32話 In awe of him -3-




「殺すことはできない? 笑えないご冗談を。クウォーツ様、本気でそう仰っているのですか?
 この者達はあたし達悪魔族を長年に渡って虐げ続け、我が物顔で地を支配している人間達の一員なのですよ?」


己の手に触れるクウォーツの手を振り払い、ギョロイアは彼の両肩を乱暴に掴む。

「今まで人間達から受けた仕打ちを、屈辱を、まさかあなたはお忘れになったわけではないでしょうな!?
 庭園にあなたが埋葬したあの黒髪の若者をあれほど無残に殺したのは誰でしたか!? 人間達でしょう!
 ああ、畜生め! ……とうの昔に心の壊れた欠陥品のくせに、何故あたしの言うことが聞けないんだよ!!」

「忘れたわけじゃない」

ギョロイアの細い指が肩に強く食い込んでいる。それだけ彼女の人間達に対する恨みが深いものなのだと感じた。
ふるふると首を振ったクウォーツは、瞳孔の透けている特徴的な薄い色の瞳でギョロイアを見つめる。


「……私のことを、もっと知りたいと……友達になろうと言ってくれたんだ。おかしいだろ、この私にだぞ。
 虹を知っているか? ギョロイア。太陽に照らされて七色に輝く橋で、根元には宝物が埋まっているそうだ」


ティエルがクウォーツに聞かせてくれた多くの話は、どれも彼にとっては物珍しく想像もできない内容だった。
まるで暗闇の中に一筋の光が現れたように、全てに対して関心のなかった彼の心をほんの僅かに照らしたのだ。
……話を聞かせたのがティエルでなかったとしても、果たして同じように感じたのだろうか。
下心もなく純粋にクウォーツへ自分の感動を伝えようとした彼女だからこそ、彼の心に届いたのかもしれない。


「虹? 太陽? ……クウォーツ様、ご自分が一体何を仰っているのか分かっているのですか?
 そんな小娘どもの言葉に惑わされてはなりませぬ。あたしの言葉よりも、そんな奴等の言葉を信じるのですか?
 いつも側にいてあなたを愛し続けたのは誰でしたか? あなたが必要なのは、このあたし一人だけなんだ!!」

「ああ、そうか」
「クウォーツ様?」

鬼気迫る表情のギョロイアを前にして、何かを理解したようなクウォーツは無感情な薄青の瞳をぱちりと瞬いた。
何故こんな簡単なことが分からなかったのだろう、気付くことができなかったのだろう。


「お前がいつまでも復讐に囚われ続けているのは私がいるからか。私がいる限り、お前は幸せになれないのか」

復讐を達成するためにはクウォーツが必要なのだという。
彼がいなくなれば、復讐を達成することは決して叶わない。それならば、ギョロイアは諦めてくれるだろうか。
……長年彼女を縛り続けている復讐という暗い感情から開放され、幸せになってくれるだろうか。


床に伸ばしたクウォーツの左手の先に、こつんと硬いものが触れる。美しい薔薇の装飾がされた、赤い愛剣。
それを手繰り寄せ、刃先を己の首筋に宛がう。少しでも刃を引けば、呆気なく頚動脈を切り裂くことができる。
生きることはこんなにも難しいというのに、皮肉にも死ぬことはこんなにも簡単なのだ。


「それならば、私がいなくなればお前は幸せになれるんだ……!」

目を閉じて彼が手に力を込めようとするその瞬間、地面を蹴ってティエルが飛び出した。
剣を握るクウォーツの手首を掴むと、硝子の瞳を見開いた彼に対してティエルは天使のような微笑みを向ける。
しかし彼女はその優しい笑顔を浮かべたまま、反対側の手でクウォーツの頬を平手で強く叩いたのだ。

「なっ……」
「何やってるのクウォーツ!? 何でさっきから、自分を粗末にするようなことばかりしてるわけ!?」
「粗末になんか」
「誰かのために自分が犠牲になって、それがあなたの幸せな生き方なの!?」

顔を真っ赤にさせて怒鳴るティエルに、状況の飲み込めないクウォーツは打たれた頬の痛みも忘れて目を瞬く。
何故彼女がこんなに怒りを露わにしているのか分からない。彼女には全く関係のないことなのに。

「太陽が見たいって、虹が見たいって言ったじゃない! クウォーツは本当に生きたくなんかないの……!?」


「たい……」
赤く熱を持って痛み始めた頬に手を触れると、顔を伏せてクウォーツは呟いた。

「……生きたい……」
「それだったら生きなきゃ駄目だよ! あなたは今までの分、たくさん幸せにならなきゃいけないんだから!!」

生き続けていたくても、生きることができなかった者達がいる。
愛する者達を殺され、正に生きることを放棄しようとしていたティエルに、墓守イエシュが投げかけた言葉。
それはどんな言葉よりも重い響きを持って彼女の胸に突き刺さったのである。


「この城に閉じ込められたままじゃ、太陽なんて絶対に見れないよ。だからクウォーツ、わたしと一緒に行こう?」

まるで牢獄のような鳥籠。クウォーツを縛り続けている見えない鎖を、誰かが断ち切らなければならない。
完全に断ち切ることができなくとも、せめて彼が自分から断ち切ることのできる切っ掛けになることができれば。
このハイブルグ城という牢獄は、やがてはクウォーツを本当の生ける人形へと変えてしまうだろう。

「けれど、私は」

「太陽を見てみたいんでしょ?」
俯いているクウォーツに、ティエルは優しく手を差し伸べる。友達になろうと、彼に言ったときと同じように。

「虹の橋の宝物を探しに行こうよ。昼の庭園でお散歩だってしようよ。一緒に行こう、クウォーツ……!」


自分に差し伸べられた手を、クウォーツは暫く何も言わずに見つめていた。
いつも、差し伸べられる手は下心に塗れていた。……それが分かっていても、既に何も感じなくなっていた。

信じられるものは自分一人だけだった。
自分に近付いてくる者は、甘ったるい愛を語ってくる者は、優しく差しのべられる手は、全て偽りなのだから。
ギョロイアがそうであったように、見返りを求めず近付く者など誰一人として存在しなかった。

けれど今度こそ。……これで、本当に最後にするから。
友達になろうと握ってくれた温かい手を、悪魔族でも関係がないと強く抱きしめてくれた腕を、真っ直ぐな瞳を。
信じてみても……いいですか?


ティエルが差し出した手に、顔をゆっくりと上げたクウォーツは躊躇いがちにおずおずと自分の手を伸ばした。
そして、その指先が彼女の指に触れようとした刹那。

「行かせぬわ!!」

怒りの声と共にギョロイアが振り下ろした杖から無数の蔦が飛び出し、クウォーツの手足に絡み付いていく。
粘液に包まれた太い蔦は、完全に油断をしていた彼の自由をいとも容易く奪ってしまう。


「逃がすものか、クウォルツェルトめ……絶対に逃がさないよ……!」
「クウォーツ!!」

我に返ったティエルは必死に手を伸ばすが、強い力で引き摺られていくクウォーツの腕を掴み損ねて宙を掠める。
それを引き金として、黒魔術で生み出された太い蔦がありとあらゆる方向からティエル達へ一斉に襲い掛かった。
向かってくる蔦の先端は皆鋭利に尖っており、ギョロイアはこのまま彼女達を串刺しにして殺すつもりである。


「やだちょっと、ギョロイアさん本気で怒らせちゃいましたわよ。もう、ティエルがあんなことを言うから!」

リアンの背後で蔦に巻き付かれたベッドの柱が派手な音を立ててへし折られる。
魔法で焼き尽くそうと振り上げた杖に別の蔦が次々と絡み付いた。周囲は既に囲まれており、逃げる隙間はない。
サキョウの怪力でも千切れぬ蔦にティエル達はじわじわと追い詰められていった。


「クウォーツ様に関わるなと最初に忠告をしてやったのに、わざわざ首を突っ込んできたのはお前達の方だよ。
 忌み事ばかりを呼び寄せる正真正銘の忌み子であるこの方に、一緒に行こうだって? はっ、笑わせてくれる!」

身体中に絡み付く蔦を引き離そうと身を捩るクウォーツの側に立ったギョロイアは、高らかに笑い声を上げる。
痩せ細った手を伸ばし、彼の青い髪を乱暴に掴んだ。

「この青い髪は、お前達人間が計り知れないほどの業を背負っているんだ。軽い気持ちで近付くんじゃないよ!」


「軽い気持ちなんかじゃない……!」
剣を両手で握り直したティエルは、向かってきた蔦を斬り捨てる。

先程クウォーツに斬られた背中の傷が痛んだ。彼の腕ならば、こんな傷ではなく致命傷を与えられたはずだった。
あの時、ティエルは完全に無防備な背中を見せていた。彼女の身体を二つに切り裂くことも可能だったはずだ。
心を失っていたとしても、彼はティエルが友達だと言って手を握り締めたあのクウォーツで変わりなかったのだ。


「青い髪なんてわたしには関係ない、悪魔族なんてわたしには関係ない。わたしはただ……!」
「まだ戯言を続けるか、小娘が!」

「……もういい」
突如響き渡る声。蔦を引き離そうとしていた手を止め、クウォーツは感情のない瞳をギョロイアに向けた。

「私は逃げない、どこにも行かない。……だからお願いだ、ギョロイア。彼女達は逃がしてやってくれ」

「クウォーツ!?」
半ば全てを諦めきったような響きが含まれたその声に、何を言っているんだとティエルは目を見開いて振り返る。

「一緒に行こうって言ったじゃない、諦めちゃ駄目だよ!」


「お前は私に話してくれたな、自分達はやり遂げなくてはならない大切な目的のために旅をしていると。
 ならばこんな所で無駄に立ち止まっている暇はないはず。……それとも、お前の決意はその程度のものなのか」

無感情というより、冷たく厳しい声であった。
感情の乏しいクウォーツにしては、確かな抑揚のある声。その声の厳しさに、ティエルはびくりと動きを止める。
正に悪魔の頂点に君臨するヴァンパイアに相応しい、反論を一切許さない迫力があった。

「ギョロイア」

「……分かっております。仕方ありませんな、他でもない愛しいクウォーツ様の頼みごとじゃ。
 人間達よ、お前らは随分と運が良かったようだね。十秒だけ待ってやるよ。その間にとっとと逃げるがいいさ」


クウォーツに硝子玉のような瞳を向けられたギョロイアは、やれやれと溜息をつきながら古びた杖を掲げる。
すると、ティエル達を絞め殺そうと取り囲んでいた蔦がするすると引いていくではないか。
出口をかんじがらめに塞いでいた蔦も引き、この機を逃してしまえば城から逃げ出すことは不可能であろう。

それでも場に固まったように動き出そうとしないティエルの腕を、厳しい表情を浮かべたリアンが掴んだ。


「……今は引きますわよ。気持ちは分かるけど、今はまだその時じゃないの。けれど、いつか必ずその時が来る」
「リアン……」
「だから、その時を信じて待ちなさい。……折角彼が作ってくれた時間を無駄にするんですの? ティエル!!」


びくんと肩を振るわせたティエルだったが、やがてリアンに向けて力なく頷いてみせた。
その顔に漸く安堵の笑顔を浮かべたリアンは、それから表情もなくこちらを見つめるクウォーツを振り返る。
……微かに彼の唇が動き、何かを呟いたような気がしたが、リアンには聞き取ることができなかった。

「さあ、十秒が過ぎたがいいのかね? ほれほれ早く逃げんと絞め殺されてしまうぞ!?」
「ティエル、行きますわよ!」
「二人ともこっちだ! 早く来い!」

扉をこじ開けてティエルとリアンを急かすサキョウの声。再び蔦はティエル達を絞め殺すために向かってくる。
ぐっと唇を噛み締める。強く握った手は悔しさのあまり白くなってしまっていた。
彼女の名を呼ぶリアンの声。その声に、ティエルは漸く意を決したように踵を返すと扉に向かって駆け出した。


部屋の外へ一歩足を踏み出した途端、背後の扉は音を立てて勢いよく閉じられてしまう。
振り返っても、叫んでも、閉じられた扉の向こうにあるクウォーツの姿はもう二度と目にすることはできない。
途端に全身を後悔の念が支配する。ああ、やはり自分は逃げずに彼の腕を引くべきだったと。

扉が閉じられても蔦は容赦なく彼女達に襲い掛かる。
長い廊下を駆けながら、ティエルは思わず溢れてしまった涙を擦った。前を走るサキョウの姿が滲んでいく。


「……言っておきますけど、悔しい思いをしているのはあなただけじゃないんですからね」


隣に並んだリアンの口から呟かれた台詞。杖を振り上げ、迫ってくる蔦を派手に爆破させる。
もうすぐ一階へ繋がる中央大階段だ。階段を降りればすぐに広がる正面ロビー。そこを抜ければ玄関であった。

「散々引っかき回して私達だけ逃げろだなんて。こちらの気も知らないで、自分勝手な伯爵様ですわよ」
「……うん」


そう呟いてティエルは頷くと、前を真っ直ぐに睨む。もう涙は出なかった。
目の前には外の世界へと繋がる扉。勢いよく両手で扉を開け放ち、必ずここへ戻ってくると彼女は胸に誓った。
その時こそ、しっかりと彼の手を掴んでみせる。たとえ何があろうとも、握ったその手は決して離さない。

(だから……だから待ってて、クウォーツ)





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