Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第5章 君が、微笑んだ夜
第43話 若き悪魔の夜想曲 -3-
メビウスの指輪を手に入れた町より遥か北。
広大なる深い森はハイブルグの森と呼ばれ、いくつかの町や村、そして一帯を治める伯爵の住まう城があった。
先代の伯爵はバイロンという名の男で、人間の身でありながら禁忌とされる黒魔術の研究に耽っていたという。
黒魔術は人間には決して唱えることができない、悪魔族のみが扱うことのできる呪われた魔術である。
悪魔の瘴気に毒されたのか、それとも誰かの手による死だったのか。
バイロンはやがて発狂し、城の地下室にて毒死した状態で見つかった。真実は今となっては誰にも分からない。
バイロン夫妻に子はおらず、夫の死後遺された妻は孫ほどに歳の離れた一人の若い男を養子とした。
その男は目の醒めるような艶やかな青い髪で、一度目にしたら決して忘れることのできない美しい青年だという。
しなやかに伸びた長い手足の、均整取れた肢体。その佇む姿は美術館に飾られた彫刻さながらだと誰かが言った。
青年は伯爵と呼ばれ、ハイブルグに穏やかな時間が流れるのだと誰もが思っていた。
だが……殆ど人前に姿を現すことのない伯爵は人ではなく悪魔なのだと、町の者は薄々と勘付き始めていたのだ。
その頃からだった。城に訪れる旅人達の無残な死体が、森に捨て置かれ始めたのは。
人ではない、忌み嫌うべき悪魔族。初めは小さな綻びだった不信感は大きな綻びへと繋がっていく。
大きな綻びは集団の過信を生み出し、やがては誰もが想像もしなかったような恐ろしい行動へと変化を遂げる。
一滴ずつ、グラスに垂らされた水のように。じわじわと確実に水かさは上がっていき、やがては溢れ出てしまう。
……その瞬間は、もうすぐそこまで迫ってきていた。
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紺色の絵の具を一面に零してしまったかのような、暗く淀んだ闇が広がるハイブルグの森。
通常森の中には『光ゴケ』と呼ばれる光を発する植物が生息し、旅人達の道をぼんやりと照らし導いてくれる。
しかしこのハイブルグの森に光ゴケは生息しておらず、明かりは夜空に輝く満月のみであった。
光への耐性を持つことのできる『メビウスの指輪』を手に入れたティエル達は、ハイブルグ城へと向かっていた。
目的はただ一つ。伯爵クウォルツェルトに、この指輪を渡すためである。
「あの曲がった木の枝が見えてきたから、もう少し進んだらハイブルグ城下町に辿り着くはずだよ」
ハイブルグ城下町は、こんな深い森の中にしては割と大きな町であったことを思い出す。
初めて訪れたときは家々の扉は全て閉まっており、通りを歩く者の姿も見受けられないとても陰気な町であった。
先頭を歩いていたティエルは背後の二人を元気付けるようにして振り返る。
「町まで辿り着いたら、どうやってクウォーツに指輪を渡すことができるか考えよう」
「玄関から堂々と行っても、快く中に招き入れてくれるとは思えませんし……まずはそれが最大の難関ですわよ」
「慎重になった方がいい。ワシらの姿を見られた途端に、城の者達に殺されることもありえるんだぞ」
……確かにそうだ。
ギョロイアにとってティエル達は、大切に隠し続けていたクウォーツを己の手から拐かそうとした人間達である。
彼女の怒りに触れ、今度こそ蔦に絞め殺されてしまう可能性も否定できない。
「復讐に必要だとか言っていましたけど、結局は美青年を近くで囲っておきたいだけなんじゃないんですのぉ?」
「ワシにはそう思えんかったがな。ギョロイアはあの青年のことを、単なる手駒としか思っていない」
「あら、サキョウにはそういう願望がないんですの? だからきっと、その気持ちが理解できないんですわ」
「美青年を近くに置きたいという願望は残念ながらワシにはないのだが……」
「少しは柔軟に考えなさいな。逆の立場になって考えるんですのよ、美女を近くに置きたいかってこと!」
「ううむ、それも考えたこともないのだが」
「……これからハイブルグ城に乗り込もうって時に、リアンもサキョウも随分と余裕だよね」
普段と全く変わらぬ口調できゃいきゃいと会話を続ける背後の二人に、ティエルは半ば尊敬の念すら抱いていた。
自分はというと、先程から緊張のために足が震えてしまって思うように歩くことができないというのに。
そんなティエルの言葉に、リアンは口元に怪しげな笑みを浮かべながら歩み寄り、彼女の肩を軽く叩いて見せる。
「うふふ、ティエルには度胸が足りないんですのよ。もっと胸を張って、大きく構えて歩きなさいな」
「そんな簡単に言っても、無理なものは無理だよ。わたし、リアンみたいにいつも自信たっぷりじゃないし」
「あらまぁ。自信を持って胸を張りながら歩かないと、その小さな胸はいつまで経っても成長いたしませんわよ」
「む、胸の成長は関係ないもん! 今はまだ成長途中なんですー。これからどんどん大きくなっていくんですー」
「関係ありますわよぉ」
先程まで表情の強張っていたティエルの緊張を何とか解してやろうとする、リアンなりの気遣い方なのだろう。
彼女にからかわれ、現にティエルの様子は段々と普段の調子に戻ってきているようだ。
それを分かっているからこそ、サキョウは二人の言い合いを止めずに微笑ましく見守っていたのだった。
「とにかく城下町に辿り着かないと。こうしている間にも、クウォーツが辛い思いをしているかもしれないし!」
「ティエルったら、ちょっと待って下さいな!」
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最初に訪れたときと同じく『ハイブルグ城下町』と記された、朽ちかけた看板が見えてくる。
黒ずんだ煉瓦造りの家々が特徴的な町。こんな森の奥深くに位置する町にしては、割と大きい印象を持った。
民家の扉はしっかりと閉じられており、辺りに漂う陰気な雰囲気はあの時と全く変わりはなかった。
「ここに訪れるのは二度目ですけど、やっぱり陰気な町ですわね。昼間はまた違うのかもしれませんけど」
広大なハイブルグの森全体が人間達を捕らえて離さない、まるで牢獄のようであった。
月明かりに照らされて、闇に浮かび上がるハイブルグ城のシルエット。昔はさぞかし美しい城だったのだろう。
町の中央には、確か大きな噴水広場があった。そこを真っ直ぐに抜けると、やがては小さな林に辿り着くはずだ。
悪魔の城と、人間の町を決定的に隔てる壁である。
立ち止まることもなく町の中央通りを進み続けていたティエル達だったが、その速度が次第に落ちていく。
以前休憩を取った噴水広場の前に大勢の町人が集っていたのだ。皆深刻な顔をしながら何かを話し合っている。
首を傾げたティエルを制し、人畜無害な旅人を装ったサキョウが集団へと歩み寄って行った。
「もし、町の人。こんな夜更けに申し訳ないのだが、少しばかり道を尋ねたい」
「ああ……なんだ驚かすなよ、道に迷った旅人か」
「この町を出て森を西向きに進んでいくと、三時間ほどで道案内の看板が見えてくるよ。早くお行き」
「……三時間ほどって、随分と事も無げに言うんですのね」
「まぁとにかく旅人さんよ、早死にしたくなければこの町……いやハイブルグに長居はしない方がいい」
「どういうことなんですの?」
人々の輪の中央から、短い茶色の髪をバンダナで纏め上げた中年の男が進み出る。
鋭い眼光に、サキョウほどではないが鍛え抜かれた身体。周囲の人々の反応から、町のリーダー的な存在だろう。
「オレはハイブルグ城下町自警団長のアザレグ。二年程前から、旅人の変死体が周辺で見つかっているんだよ」
「みんな血を抜かれた状態で森や町外れに捨てられていた。森の獣に食われていたりで、そりゃあ酷い状態でな」
「二年前っていうと、例の新しい伯爵に変わった頃だ。やっぱり間違いない、あいつらが娘を殺したんだ!」
「おい少し落ち着けよヨセフ、それを今から確かめに行こうってんだ。……お前の娘、リサを惨殺した犯人をな」
いきり立つ別の男を、アザレグと名乗った自警団長は軽く諌める。
アザレグが町のリーダー的存在だというのはやはり明確で、興奮して顔を赤くしていた男は我に返って項垂れた。
ティエル達はそのヨセフという男に見覚えがあった。初めてこの町に訪れたときに行われていた葬式を思い出す。
娘の棺に縋り付いて泣いていた母親らしき人物の肩を、優しく抱いていたのがこの男であった。
「恐らく城の奴らはしらばっくれるかもしれねぇが、こっちには確かな証拠があるんだ。
先日殺されたリサの死体が握っていた上等な服の切れ端。あれは間違いなく城の化け物どもが着ている服だ」
「ハイブルグ城は、きっと恐ろしい悪魔族どもに乗っ取られてしまったんだよ」
「悪魔狩りだ、リサの仇……一人残らず悪魔族は殺してやる!」
「これはいわば天罰なんだ。神に見放された存在である悪魔族に、オレ達が神に代わって天罰を下してやろう!」
「悪魔族に天罰を!」
「おおーっ!!」
町人達の興奮は次々と辺りに飛び火していき、既に手の付けられない状態となっていた。
鬼が乗り移ったかのような尋常ではない人々の表情と熱気に気圧されて、ティエルとリアンは思わず後ずさる。
だがサキョウは一人、その様子を腕を組んだまま黙って眺めているだけであった。
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