Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第5章 君が、微笑んだ夜
第45話 若き悪魔の夜想曲 -5-
満月の夜。
城と城下町を決定的に隔てる林を進み行くと、武器を持った町人達を威嚇するように現れるハイブルグ城。
古く黒ずんだ煉瓦の外壁は蔦がびっしりと絡み付いており、窓には全て分厚いカーテンが引かれているようだ。
城の上空では黒い鳥達がぎゃあぎゃあと鳴きながら円を描いて飛び回っている。
正にこの世のものとは思えぬ悪魔の城であった。
辺りに色濃く漂う得体の知れない紫の霧は、アザレグ達自警団員の気迫を削いでしまうには十分すぎるほどだ。
近くで目にする城がこれほど異質な雰囲気を放っているとは誰もが思わなかった。
「みんな、気をしっかり持て。恐れることなど何もねぇんだ。オレ達には神がついている。容赦はいらねぇ!」
「おおーっ!!」
アザレグの言葉で一気に高まる気迫。自警団員の男達は、武器を高く掲げて大きく吼える。
鉄製の錆びた門を次々と走り抜け、アザレグを先頭にしてどかどかと乱暴な足取りで正面玄関前に詰め寄った。
ある者は手に持った棍棒で扉を殴り付け、ある者は黒塗りされたベルを拳で殴打する。
「おい、扉を開けろ悪魔族ども! 伯爵を出せ!!」
アザレグが声を張り上げる。暫くすると中から閂が外される音が鳴り響き、重々しい扉が少しだけ開かれた。
神経質そうな顔をした従者の一人だ。細い眉毛に細いヒゲ、豊かな長い金髪。黒のスーツを身に着けた男である。
綺麗に整えられたヒゲの先を抓みながら、従者はまるで汚いものを見るような眼差しで口を開いた。
「騒がしいですね、一体何時だと思っているのですか。これだから人間は野蛮な生き物だと言われるのですよ」
「な、なんだと!?」
「お前達のように野蛮で下品な者達が、我が君との謁見を望むことなど無礼にも甚だしい。即刻立ち去りなさい」
「……先日オレの大切な娘、リサが殺されたんだ。死体は見るも無残な姿で町の噴水広場に捨てられていた」
鉈を手にした黒髪の男が血で汚れた布を前に突き出した。
「この衣服の切れ端は、娘の亡骸が握り締めていたものだ。お前達が娘をあんなにも残酷に殺したんだろう!」
「証拠があるんだ、今更言い逃れはできないぞ!」
「森に捨てられていた旅人達も、みんなお前達が殺したに決まっている!」
「たとえ、この衣服の切れ端が我々のものだったとしても……それが一体どうしたというのですか?」
差し出された布の切れ端を眺めていた従者だったが、やがて総毛立つような淫靡な笑みを口元に浮かべる。
その笑みを目にして、ああ、この者は間違いなく人間ではなく悪魔族なのだと誰もが理解した。
人間とは永遠に相容れることのない、人の姿をした人ではない存在。ただ憎み合うために存在する、夜の住人達。
「娘? 旅人達? 所詮は人間でしょう。家畜にも劣る野蛮な生き物が、何十体か死んだだけのことですよ」
「オレの娘を……」
「はぁ、まだ何か用ですか?」
「オレの娘をこれ以上愚弄するなあぁぁっ!!」
顔面を蒼白にさせて小刻みに震えていた黒髪の男は、突然叫び声を上げると鉈を振りかざしながら駆け出した。
その声に面倒くさそうな表情を隠そうともせずに顔を上げた従者の顔付きが凍り付く。
悲鳴を上げる間もなく鉈は従者の眉間に振り下ろされ、ばきりと頭蓋骨が砕かれた嫌な音が辺りに鳴り響いた。
その音がまるで何かの合図だったかのように、武器を握り締めた男達が倒れた従者に向かって次々と振り下ろす。
何度も武器で砕かれた身体は既に人の形を成してはおらず、肉塊と成り果てても殴打は止まらない。
潰れたトマトのような従者の死体を邪魔そうに足で転がしたアザレグは、半開きであった頑丈な扉を蹴り開いた。
「女だろうが男だろうが悪魔族は皆殺しだ! 伯爵を見つけたら、すぐにオレに報告しろ。絶対に殺すなよ!!」
「うわーっ、一体何の騒ぎだ!?」
「きゃあぁぁーっ!」
唸り声を上げた男達が次々と正面玄関ホールに突進していく。
突然のことで驚き逃げ惑う召使い達を蹴り飛ばし、悲鳴を上げるメイドの長い髪を掴んでは引きずり回す。
髪の毛が引き千切られる音。明らかに悪魔族だと分かるメイドは壁際に追い詰めると、斧や棍棒を振り下ろした。
赤黒い絨毯が血の色に染められていく。
「馬鹿な、こんなことをして許されると思っているのか!? 野蛮な人間どもが……!」
数人の町人達に追い詰められ、がたがたと震えている召使いの男。
青白い顔色にでっぷりと肥えた身体。しかし先程発した台詞から、この男も間違いなく悪魔族の一人であった。
「……おい、伯爵はどこにいる? 青い髪をしてるっていう噂の伯爵様はよぉ?」
「ひいいぃぃっ! どうか命だけは助けてくれぇ!」
「命が惜しけりゃさっさと言うんだ、伯爵はどこにいやがる!?」
「言う、言うから助けてくれ! ……三階だ! クウォルツェルト様は、三階のご自分のお部屋にいらっしゃる」
「クウォルツェルト? ほぉ、それが伯爵の名前か」
「そ、そうだ。三階に並ぶ扉の中で、一つだけ周囲に明かりが灯っていない扉がある。そこがあの方のお部屋だ。
お前達はクウォルツェルト様が目的なんだろ? それならオレにはもう用はないはずだ。だから助けてくれ!」
「仕方ねぇなぁ」
にやにやと笑みを浮かべながら顔を見合わせる町人達の姿に、召使いの男は助かったとほっと胸を撫で下ろすが。
次の瞬間斧が振り下ろされる。肉が裂ける音、骨の砕かれる音、断末魔の悲鳴。
戦う術を持たない悪魔族は普通の人間と比べて脆い。生命力に満ち溢れた人間に、腕力も体力も劣っているのだ。
……人間達が恐れているのは類稀なる魔力を持った、ほんの一握りの悪魔族であった。
「助けてやるだなんて言うわけねぇだろ、悪魔族は皆殺しなんだよ!」
「おい、アザレグさんに報告しろ。ハイブルグ伯爵様の居場所は、三階の明かりが灯っていない扉だ!」
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一方、ティエル達は無言のままハイブルグ城に続く深い林を走り続けていた。
ぐにゃりと曲がった木の根に何度も躓いて転びそうになりながらも、ただひたすら前を向いて足を止めはしない。
急がなきゃ。どうか、無事でいて。願いはただ一つだけだった。
(間に合ってほしい……!)
汗ばんだ右手に握られているメビウスの指輪の感触を確かめ、ティエルは祈るように唇を噛み締める。
暫く物も言わずに走り続けていた三人であったが、やがて林を抜けると静かに足を止めた。
満月の光に照らされて浮かび上がるのは、ハイブルグ城である。最後に目にした時と何一つ変わっていなかった。
「やっと……辿り着いた」
乱れた息を整えると、ティエルは城を見上げる。
迫りくる蔦に追われて城から逃げ出した時は、後悔ばかりが胸を支配して何も考えることができなかったのだ。
けれど。メビウスの指輪を手に入れ、ようやくここまで来ることができた。
ハイブルグ城に繋がれた、クウォーツの見えない鎖を断ち切ってやる。彼に、本当の自由を知ってもらいたい。
今度こそ、必ず。……掴んだその手を離したりはしないから。
「この様子じゃ、自警団の人達は歯止めが利かない状態になっていますわね。あれは多分悪魔族の死体ですわ」
リアンの小さな呟きにティエルとサキョウが振り返ると、正面玄関前に血に塗れた何かの肉塊が転がっていた。
鈍器や鋭い刃物を何度も振り下ろされたような死体である。あらゆる方向に曲がった関節、散らばった肉片。
千切れた青白い腕が、辛うじてこの死体が元は悪魔族だったことを物語っていた。
「ひどい……」
「人間は弱い。自分と異なる存在を酷く恐れている。弱いからこそ、残酷にもなれるのだ。……さぁ、急ぐぞ」
サキョウの力強い声に頷いたティエルは、大きく開け放たれたままの扉からハイブルグ城内へと足を踏み入れる。
正面玄関ホールはあちこち破壊されており、壁際で震える召使いやメイド達の姿が目に入った。
赤い絨毯の上に散らばっているのは長い髪の毛、腕、死体達。殺されているのはどうやら悪魔族ばかりであった。
「ねえ、メイドさん。クウォーツの居場所を知ってる? お願いだから教えて!」
「あああぁぁ……嫌あぁぁ! 殺さないでえぇえ!」
「ティエル、無理だ。……地道に探すしかない」
震えているメイド達にクウォーツの行方を訊ねようとしたが、首を横に振りながら怯えており、話にならない。
余程恐ろしいものを目にしたのだろう。
血溜まりで倒れている死体の中に、どうか青い髪が見つからないようにと。
それだけを、ただひたすらに祈りながら。ティエル達は死体の顔を覗き込むようにして進んで行った。
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