Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第5章 君が、微笑んだ夜

第46話 トキオ




城に乗り込んできた町人達の騒ぎは、自室のベッドの上で鎖に繋がれたままのクウォーツの耳にも聞こえてきた。


虚ろに天井を見つめていた彼の硝子の瞳が見開かれ、用心深く耳を澄ます。
数名の悲鳴、怒号、何かが壊れる音が階下から響いてくる。従者達を連れたギョロイアはまだ帰ってこないのか。
気配を完全に殺したままクウォーツが身を起こすと、左手を拘束する鎖がじゃらりと音を鳴らした。

絶え間なく聞こえる地響きに、ベッドの側の椅子に腰掛けていた召使いのトキオは不安げに表情を曇らせている。


様子を探ろうにも手枷のために身動きが取れない。何度かベッドの柱に枷を叩き付けてもびくともしなかった。
魔力を指先に集めようとするが、火花と共に赤い魔力は拡散する。やはり完全に魔力が封じられているようだ。
クウォーツはその時初めて手枷が忌々しいと呪った。


「……クウォルツェルト様。今の悲鳴、聞こえましたか? 階下では一体何が起こっているんでしょうか……」
「カーテンの陰に身を隠していろ」
「えっ?」
「聞こえなかったのか、早く身を隠せと言っている。何があっても声を上げずにやり過ごせ」


じろりと冷たい瞳を向けられて、トキオは飛び上がるようにして側の分厚いカーテンの背後へと身を隠した。
厚みのあるカーテンである上に寝室内は薄暗い。まさかここに人間が隠れているなど、誰も疑いはしないだろう。
トキオが身を隠したのと、ずかずかと乱暴な足音を立てて男達が寝室へなだれ込んで来たのはほぼ同時であった。

男達は手に赤く濡れた武器を持ち、ここへ辿り着くまでに何をしてきたか容易に察することができる。

寝室に足を踏み入れた男達は十人ほど。ぎらぎらと燃える目と、返り血を浴びた服。盗賊とも違うようだった。
即座に身の危険を感じ取ったクウォーツは、ベッドの上で片膝を突いて男達の様子を窺っていた。
この男達が盗賊でないとすれば、悪魔族を狩ることを専門としたハンターだろうか。どちらにしろ危険な状況だ。


「オレはハイブルグ城下町自警団長のアザレグだ。……ハイブルグ伯爵、クウォルツェルトだな?」

短い茶色の髪と、額に巻いたバンダナ。男達を引き連れたアザレグは、用心深くベッドに歩み寄って行く。
自警団達が待ちに待った本命とのご対面である。相手はハイブルグ伯爵。全ての元凶となった恐ろしい男だった。

……自警団達を見据えてくる伯爵は、皆が噂していたよりもずっと若い男のようだ。
一見すると少年、いや少女のようにも見える。
薄暗い中でもアイスブルーの光を爛々と発する瞳は、人ならざる者の証……伯爵は間違いなく悪魔族である。

「如何にも」

無駄な感情など一切省かれたクウォーツの声。
だがそれよりも男達の目を釘付けにしたのは、人間には決してありえぬ、背筋が凍るほど美しい彼の顔だった。
乱れ気味の青い髪と、身に着けている皺の寄った白いシャツでさえもこの青年を淫靡に彩る華にすら見える。
端麗と表現するだけではあまりにも言葉の足らない、まるで夢の中からそのまま抜け出てきたような麗姿である。


「こ……これは驚いたな。噂で聞いていた以上だ」
「信じらんねぇ、まさかこれほどとは……」
「……こいつに耳元で囁かれたら、正直オレだって悪魔に魂を売り渡しちまうかもしれねぇ」

相手が憎き悪魔族の伯爵であることも忘れ、男達はただ呆然とクウォーツを見つめていることしかできなかった。
自分達は一体何のためにここに来たのだろうか、と。目的すらも頭に残ってはいなかった。
そんな中で、最初に我に返ったのは自警団長のアザレグであった。取り繕うように凄みを利かせた声を発する。


「いいか、聞け伯爵。……オレ達は神に代わってお前ら悪魔族を一人残らず始末するためにここへ来たんだ!」

「そ、そうだ! お前達に許される生き方は、精々オレ達に媚を売って飼われる生き方くらいだろうが!」
「この穢らわしい淫魔め、今まで何人の人間達を毒牙にかけてきたんだ。本当に恐ろしい生き物だよ、悪魔族は」


「神に代わって?」
再び発せられるクウォーツの抑揚のない声。一語一語ずつ、男達の中に重く圧し掛かってくる錯覚すら抱いた。

「存在するはずのない神の名を都合よく語っているが、行おうとしていることは単なる虐殺だ。
 生き方は他人が強制的に決めるべきものじゃない。勿論、貴様達のいう神とやらにも決める権利はないだろう」

「あぁ?」
「悪魔族を憎むのなら憎めばいい。だが、言い訳に神の名を語るな。神の意思ではなく貴様達の意思だと認めろ」
「言い訳だと? もう一度言ってみろ、張っ倒すぞこの若造が!」


取り乱す様子もなく淡々と言葉を紡ぐクウォーツの様子が気に入らないのか、アザレグは彼の胸倉を乱暴に掴む。
竦み上がるような目つきで睨み付けても、硝子の瞳は僅かな恐怖や焦りすらも浮かぶことはなかった。
それが余計にアザレグの神経を逆撫でさせる。このお高くとまった伯爵の無表情を崩してやりたいと心底思った。

「お望みとあらば何度でも言ってやる。……所詮は人間も悪魔族も同じだということだ。違いなど存在しない。
 だが貴様達は隠れ蓑に神の名を使い、同じ事をしていると気付かない。いや、気付かない振りを……っ!」

ぱぁん、と。静まり返った寝室に響く乾いた音。
クウォーツの胸倉を掴んでいたアザレグが、言葉の途中であった彼の頬を思い切り平手で張ったのだ。
衝撃で倒れ込んだクウォーツをそのままベッドの上で押さえ付ける。手首の枷さえなければ避けられたはずだった。


「うるさいんだよ、悪魔族に発言権なんてねぇ。……言っておくが、オレは今までの奴らのように甘くはないぜ。
 お前みたいに気位の高い化け物は、屈辱に塗れた死に方が相応しいな。その澄ました顔がいつまでもつかな?」

「……」
「楽に死ねると思うなよ。そうだな……まずは裸に引ん剥いて、メス犬みてぇに野良犬と交尾でもさせてやろうか。
 耳も鼻も性器も削ぎ落として、たっぷり時間をかけて殺してやるよ。一週間は噴水広場に死体を晒してやる」


「神の天罰と銘打っている割には、随分と悪趣味なことで」


アザレグの脅しにも、彼の無表情が崩れることはない。
悪魔族は感情表現が人間と比べて乏しいが、先程殺してきた他の悪魔族達には感情というものが確かに存在した。
しかしこの目の前の青年には感情の起伏さえ感じられず、底知れぬ恐怖を抱かせる。

町人達は恐怖に慄き泣いて命乞いをする伯爵の姿を求めていたというのに、これでは面白味に欠けるではないか。
ペースを乱された男達は皆、困惑したような表情を浮かべて顔を見合わせる。


「とりあえず一階の大広間まで来てもらおうか。そうだ。おいヨセフ、斧で伯爵様の手枷の鎖を切ってくれ」
「ああ、分かった」
「……ったく、伯爵のくせに何で手枷なんざ付けてるんだよ。そういうプレイの最中ってやつか? 変態野郎め」

クウォーツの手首から伸びる鎖に向かって斧が振り下ろされ、呆気なく簡単に砕け散る。

しかし未だに手枷はしっかりと嵌ったままだ。これが外れなければ、剣はおろか魔法さえも使うことができない。
無力な状態で逃げようとするよりも、暫く様子を見た方がいいと判断したクウォーツは、抵抗を一切しなかった。
掴まれた時に乱れた胸元を簡単に整えると、彼は大人しくベッドから下りると前に進み出る。


……その時。
カーテンの陰で息を潜めて隠れていたはずのトキオが、青ざめた表情で自警団の男達の前に飛び出してきたのだ。

「どうかお助け下さい、慈悲深い自警団様! オレは伯爵に無理矢理連れてこられただけなんです。
 勿論神に顔向けできないような恥ずべき行動など、生まれて此の方一度たりともしていないと誓いますから!」

このまま身を隠していれば、トキオだけは助かったのかもしれない。
だが既に彼の恐怖は限界に達していた。あまりにも度を越えた恐怖のために、突飛な行動に出てしまったのだ。
涙で濡れた顔のまま男達の前に飛び出したトキオは、地に額を擦り付けるようにして己の命乞いをした。


「オレはこのとおり人間です、あなた達の仲間なんです! 伯爵の単なる暇つぶしにオレは無理矢理……!」

「信用ならねぇなぁ。大体こんなに綺麗な悪魔族の伯爵様が、お前みたいな不細工な男をお小姓にするかね?」
「へへへ、単に不細工好きかもしれないぞ。さすがお美しい伯爵様は、特殊な性的嗜好をお持ちですなぁ」
「嘘だろうが本当のことだろうが、もうどっちでもいいぜ。……邪魔だからこいつも殺しちまおうか」


じろじろとトキオの全身を眺めていたアザレグが、面倒くさそうに言った。
その言葉には、同じ人間だろうが関係ない。ただ邪魔だからという理由だけで殺すという意味が込められていた。
容赦なくトキオに下された死刑宣告に、横にいた男が手に持った大きな鉈を勢いよく振り下ろす。

「うわああぁぁっ!!」

しかしそれが振り下ろされるよりも早くクウォーツがトキオの前に飛び出すと、左手で鉈を叩き落としたのだ。
枷から繋がる短くなった鎖がじゃらりと宙を舞った。叩き落とされた鉈は、乾いた音を立てて遠くへ転がっていく。


「何しやがる、伯爵!?」
「この者は本当に関係がない。私が単なる暇つぶしのために側に置いていた」
「なっ……」

変わらぬ淡々とした口調。それでもクウォーツはアザレグを薄青の瞳で見据えた。
空の青とも違う、海の青とも違う。薄く張った氷のようで、氷の下には零度の闇がただ広がっているだけである。
そんな瞳を向けられて、アザレグの身体がぎくりと凍り付く。

「私に敵意を向けるのは構わない。だが、関係のない者達まで手を出すのは止めろ。
 それとも貴様達のいう神とは、そんな者達まで殺せと言っているのか。それはそれは実に好戦的で野蛮な神だ」

「……え?」


予想もしていなかったクウォーツの言葉に、トキオは思わず目を見開いて彼を眺める。
伯爵の言うとおり、あのまま隠れていれば自分だけは助かったのに。それを自らの手でふいにしてしまったのに。
自分だけが助かりたいために『伯爵に無理矢理連れてこられた』と、半ば裏切ったように出任せを言ったのに。

伯爵がこの青年だと知ってからは、決して無理矢理などではなく、自ら喜んでお世話役を務めていたというのに。
それなのに、彼は未だかばってくれようとしているのか。


「……まぁそこまで伯爵様が言うんなら、本当にこの人間の若造は無関係なんだろうな」
「仕方ねぇなあ、そいつは助けてやるか」

「今のうちに早く逃げろ」
完全に腰が抜けて座り込んでいるトキオの耳元で、クウォーツは周囲の男達に聞こえぬように小さな声で囁いた。

「お前は生き延びるんだ。薔薇の苗が花を咲かせたら……いつか、私に見せてくれるんだろ」


『オレ……今大切に育てている薔薇の苗があるんです。
 花を咲かせたら、一番最初にクウォルツェルト様に見ていただきたいんです。きっと綺麗な赤い薔薇ですよ!』


「さっさと歩けよ伯爵様。これから楽しい宴が始まるっていうのに、主役であるお前が来ないでどうするんだ」

アザレグはクウォーツの青い髪を乱暴に掴んでトキオから引き離すと、半ば無理矢理歩かせる。
数日間ベッドの上での生活を強いられていた所為か、ふらふらとした覚束ない足取りでクウォーツは歩き始める。
ほんの数日動かなかっただけで身体はこんなに鈍ってしまうものか、と彼はどこか他人事のように考えていた。


町人達に連れられていくクウォーツの後ろ姿を、這い蹲った格好のままトキオはぼうっと見つめる。

……トキオの独り言のような言葉を、クウォーツはしっかりと聞いてくれていたのだ。
拳を強く握り締める。あまりの恐怖のために、身体が情けないほど小刻みに震えているのが自分でも分かった。
言うことを利かない足を必死に奮い立たせ、トキオは震える手を伸ばしゆっくりと立ち上がりながら口を開いた。


「クウォルツェルト様……!!」


だがその言葉と同時に、知らぬうちにトキオの背後に回っていた男達によって次々と斧や棍棒で殴打される。
振り返ったクウォーツの目の前で、こちらに手を伸ばした格好のままトキオの顔面は真っ二つに割られていた。
辺りには鮮血が飛び散り、先程まで意志を持って確かに生きていたはずのトキオの身体は肉片へ変えられていく。

「……やっぱりこいつも、悪魔族に魂を売り渡している人間だったか。けっ、この恥知らずが」





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