Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第5章 君が、微笑んだ夜

第47話 君が、微笑んだ夜 -1-




物言わぬ肉片と成り果てたトキオの身体から溢れ広がっていく毒々しい血の池。
暫くそれをいつもと変わらぬ瞳で見つめていたクウォーツだったが、隣で腕を掴んでいるアザレグに顔を向ける。
アイスブルーの色をした彼の双瞳の奥底に浮かぶのは、呪いを帯びた魔性の色。射抜かれたような錯覚に陥った。


「この者は全く関係がないと言ったはずだ。……同じ人間を、貴様達はここまで躊躇いもなく殺せるのか」
「伯爵様よぉ、お前は自分の立場っていうものを理解していないようだな。まずは自分の心配をしろっての!」


薄笑いを浮かべたアザレグは無防備であったクウォーツの腹に容赦なく蹴りを入れる。
反動で身体がよろめくが、背後の男がクウォーツの両肩に腕を回して支えた。そこを間髪容れずに蹴り付ける。
靴底に金属でも仕込んでいるのか、内臓を滅茶苦茶に引っ掻き回されたような衝撃が彼を襲った。

げほげほと咳き込んだクウォーツの襟首をアザレグは無造作に掴み、皆が集う一階の大広間に向けて進み始める。


大広間には、既に残りの自警団達が期待の眼差しでアザレグ達を待っていた。
中心で折り重なり山になっている死体は、悪魔族の召使いやメイドであった。人間も混ざっているかもしれない。

頭を割られた者、首や手足を斬り落とされた者、腹の中身を晒している者。皆無残な姿で息絶えていた。
集っている男達の中には、売り捌くために頭部の皮膚が付着したままの長く美しい女の髪の毛を握る者もいる。
アザレグが引き摺ってきたハイブルグ伯爵の姿を視界に収めると、自警団達は一斉に歓声を上げる。


「とうとうアザレグさんが伯爵をひっ捕らえたぞ!」
「おい、すげえ綺麗な兄ちゃんじゃねぇか。……こりゃ先代伯爵夫人の愛人やってたっていう噂は本当らしいな」
「浅ましい奴め。地位を手に入れるためなら、相手が老婆でも身体を喜んで売りやがるのか」

「淫売野郎に遠慮はいらねえ、さっさと手足を切り落としちまえ!」


大広間の中央で囚人の如く両膝を突かされた状態のクウォーツに、町人達は口々に罵りの言葉を投げかけていた。
……その殆どが真実とは程遠い、噂が一人歩きをした酷いものばかりである。
しかし彼らにとって果たしてそれが嘘か真実かなど、罵りの材料にさえなれば最早どちらでもよかったのだ。

「やったね、アザレグ父ちゃん! さすが町一番の戦士だね。悪魔族を捕まえるなんてすごいよ、かっこいい!」


屈強な男達が集う中で、一際目立つ存在。
棍棒を握り締めた幼い少年がはしゃいだように、アザレグとそして彼が拘束するクウォーツへと駆け寄ってくる。
それを横目で一瞥したクウォーツは、吐き捨てるようにして呟いた。

「貴様が親だと? 聞いて呆れる。貴様はこのような危険を伴う場所に我が子を連れてくるのか」

「ああ、そうだ。お前のような悪魔族を絶滅させるために、こいつは悪魔族専門のハンターに育て上げるんだよ。
 よく見ておくんだ、シン。この男が父ちゃん達の倒すべき敵である悪魔族なんだ。こいつらに情けはいらねぇ」


「うん」

シンと呼ばれた少年は、ぐいと無理矢理に顔を上げさせられたクウォーツへ歩み寄ると彼の顔を覗き込んだ。
黙ったまま暫くまじまじと見つめていたが、腑に落ちない点があるのか少年は首を傾げる。

「もっと怖いひとを想像していたけど……きれいな女の人みたいなおにいちゃんだね」

「騙されちゃいけねぇぞ、シン。こいつらは見た目で人間を誘惑し、そして堕落させてしまう化け物なんだ。
 何人もの奴らがこの男に人生を滅茶苦茶にされた。これから相応の報いをたっぷりと受けてもらわねぇとな」


「……人間を誘惑? 堕落させる? 人生を滅茶苦茶に? 己の意志の弱さを、全て私達の責任にしていないか」
「なに?」

「貴様達が勝手に自らの人生を滅茶苦茶にしているだけだろうが。それを全て悪魔族の所為だと擦り付けるな。
 ならば貴様達人間に人生はおろか命までも無造作に奪われた悪魔族は? 貴様達も報いを受けねばなるまい」


振り返った勢いでアザレグの胸倉を掴む。
無抵抗だったクウォーツの突然の行動に周囲の男達は呆然としていたが、二人を引き離そうと慌てて駆け寄った。

感情を殆ど失ってしまっているクウォーツが、それは初めて見せた怒りの感情であった。
悪魔族を狩ることを生業とした者達はあまりにも多すぎる。虐げ、犯され、飽きれば虫けらのように殺された。
わざわざ隠れ住んでいた悪魔族を探し出し、自分達の娯楽と金のためだけに嬲り殺しにする。馬鹿げた話だった。


「殺された悪魔族の中には、人間達と関わらないよう静かに暮らしていた奴らだっていたんだよ。
 彼らが何をした? 穢らわしいと罵りながらも私を辱めた人間達は何なんだ? 馬鹿にするなよ人間どもが!」


「……それがどうしたっていうんだよ。そもそもお前ら悪魔族さえいなければ、何も起こらなかったって話だろ。
 そうだ、知っているかい伯爵様。罪を犯した悪魔族を捕らえたら、慣わしとして胸に焼鏝を当てるんだってよ」

暖炉の火によって熱せられた家畜用の焼鏝。かつての光景が過ぎり、反射的にクウォーツの身体が強張る。
左右から乱暴に服を引き裂かれ、衝撃で舌を噛まぬように丸めた服の切れ端を無理矢理に口の中に突っ込まれた。
二人の男の腕が両肩に回されているために、抵抗すらできない。赤々とした鉄の印が彼の素肌に押し当てられた。


焼け爛れていく肌。肉の焦げる音と共に、白い煙が辺りに立ち込める。
ともすれば上げそうになる悲鳴を必死に噛み殺し、口の中に突っ込まれた布の隙間からくぐもった声が洩れた。
更に追い討ちをかけるように焼鏝は剥き出しになった肩や腹にも押し当てられる。周囲から上がる男達の笑い声。


「可愛くねぇなぁ、人形じゃねぇんだから少しは悲鳴の一つでも上げてみろっての」
「おい、伯爵様の顔殴ったの誰だよ。悪魔族の恐ろしさを知らしめるために、顔は傷付けないようにしろって」
「その焼けた鉄の棒をケツから突っ込んでやれよ。ひぃひぃ泣いて悦んで下さるかもしれないぜ?」

そう口にしながら男の一人が、火傷で爛れたクウォーツの腹を力を込めて蹴り上げる。
床に転がった彼の口の中から丸めた布を取り除くと、ごほりと吐き出される血反吐。それでも悲鳴すら上げない。
振り下ろされた棍棒が身体中を殴打する。誰もが彼の泣き叫ぶ姿を期待していたが、呻き声が洩れるだけだった。

次第に霞んできた視界に、薄笑いを浮かべたアザレグが焼けた鉄の棒を手にしながら歩み寄ってくるのが映る。


「伯爵様の美しいお姿を町の奴らにも見せてやりましょうや。泣いて命乞いをして下されば最高なんですがねぇ」
「助けて下さい人間様ーって鼻水垂らして縋れば、同情した誰かが助けてくれるかもしれねぇぞ?」

「私が命乞いをすると思うか。……いつか、貴様達も必ず相応の報いを受けるだろう。それを覚えておけ……!」


口の減らない伯爵様だ、次は性器を削いでみようか、いや焼けた棒で串刺しだ、殺すならその前に犯してやろうぜ。
男達が口々に勝手なことを言っているような気がしたが、段々とその声が遠くなっていく。

ああ、でも。最後に一つだけ願いが叶うなら。
ギョロイアの幸せを願おうとして、……だがその願いよりも無意識のうちに心の奥底で強く求める願いがあった。


『虹の橋の宝物を探しに行こうよ。昼の庭園でお散歩だってしようよ。一緒に行こう、クウォーツ……!』


彼を初めて『人間』として扱ってくれた、あの風変わりな旅人達の。
今頃はどこか遠い地にいるであろう彼らの幸せを、大切な目的があると言った彼女の願いがどうか叶うようにと。
次に生まれ変わったときは、ただの人間の青年となって。そして彼らと旅する人生も悪くはないのかもしれない。
決して……叶わぬ願いだけれど。


「……クウォーツ!!」

その時。男達の声に混じって、悲痛な響きを乗せた少女の声が大広間に響き渡る。
どこかで聞いたことがある声だった。彼を『クウォーツ』という愛称で呼ぶ者は、ごく限られているはずだ。

とうとう己は狂ってしまい、聞こえるはずのない声まで聞こえるようになってしまったのかと。そう彼は思った。
しかし自警団の男達も皆口を閉ざして声が響いた方向へ顔を向けている。ならばこれは現実なのか。


男達の視線の先には三人の人影。
唇を噛み締め、それでもしっかりと地に足をつけて立っている長い茶色の髪をしたティエルという名前の少女。
彼女の背後でそれぞれ構えているのは神秘的なカーネリアンの瞳をした魔女と、見惚れる体躯を持った大男だった。

だが、三人とも目の前の惨状が信じられずにいた。
大広間の中央で、山のように折り重なった悪魔族達の死体。目を背けずにはいられない惨い死体ばかりである。

そしてずっと探し求めていたクウォーツも、酷い暴行を受けていたと一目で分かった。
顔や身体には青く鬱血した痣。破かれたシャツの隙間から見える素肌は何度も押し当てられた焼鏝で爛れている。
赤く熱せられた鉄の棒で、これから彼に何をしようとしていたのか。ティエルは想像するだけでも寒気を覚えた。


「貴様達は」

ぱちりと、硝子の瞳を瞬く。何故この者達はここにいるんだろう、何故再びここに戻ってきたのだろう。
大切な目的があると言っていなかったか。だからわざわざ逃がしてやったのだ。それなのに、何故。どうして。

「何故戻ってきた。折角逃がしてやったのに、私の行動を無駄にするつもりか」
「だって言ったじゃない!」
「え?」

「わたしと一緒に行こうって……!!」


何を言っているのだろう、この人間は。
果たされることのない口約束のようなものだと思っていた。たった一人の悪魔族のために戻ってきたというのか。
約束を果たすために、危険を冒してこの城に戻ってきたというのか。……信じられない話だった。

「愚か者め……今すぐ逃げろ、殺されるぞ!」
「ごちゃごちゃとうるせぇ伯爵様だなぁ、少しは黙ってろ。……仕方ねぇ。その口、黙らせてやるか」


忌々しそうに口を開いたアザレグは背後からクウォーツの右腕を掴むと、無造作にあらぬ方向へ捻じ曲げた。
ばきり、と。聞こえるはずのない骨の折れ曲がった音が、ティエルの耳に幻聴のように鳴り響く。
右腕の関節がありえない方向に曲がっている。だがそれでも、彼は歯を食い縛って悲鳴一つ上げずに耐えていた。

悲鳴を上げてしまっては、苦しむ素振りを見せてしまっては、男達を喜ばせるだけだと知っているからだ。


「意地でも悲鳴を上げないつもりかよ。……おい、そこの旅人さん達。お前達も悪魔狩りに混ざってみるか?
 こいつはエルフ族にも見えるが、尖った耳は悪魔族の中でも最も恐ろしいヴァンパイアと呼ばれる奴らの証だ」


アザレグは手を伸ばしてクウォーツの青い髪を乱暴に鷲掴むと、長く尖った耳をティエル達に見せ付ける。
確かにエルフ族と全く同じ形をした耳だった。ティエルも初めは彼をエルフ族だと信じて疑わなかった。

だがクウォーツが悪魔族だからといって、それが一体何だというのか。早くそんな男の手など振り払ってほしい。
ティエル達が束になっても敵わぬほどの強さを持っている彼が、何故されるがままになっているのだろうか。
それとも抵抗できない理由があるのか。


「……そうだ、次はこの耳を削いでやろうか。今度こそ伯爵様はいい声で泣き叫んでくれるかな?」
「やめなさいよ! もうこれだけ傷付けたら十分でしょう!?」

まるで人形のように反応のないクウォーツに苛立ちを覚え、アザレグは懐から鋭いナイフを取り出した。
それと同時にロッドを握り締めたリアンが止める間もなく前に進み出る。

「あなた達のやっている行為は神の天罰なんかじゃない。……集団でたった一人を傷付ける、単なる私刑だわ」


「何だとぉ?」
「そういえばこの旅人達、最初から妙に悪魔族の肩を持つ発言ばかりしていたよなぁ」
「悪魔族に魂を売り渡した人間の恥知らずか。これ以上こいつをかばうつもりなら、容赦しねぇぞ!」

男達の目の色が変わった。アザレグの合図で皆武器を構え直し、じりじりとティエル達へと歩み寄ってくる。
既に彼らの顔つきは人間のそれではなく、血に飢えた魔物のような残虐な表情を浮かべていた。


「いいよ、相手になってあげる。……わたしの友達をこれ以上傷付けるというのなら、全力であなた達を止める」

「むさ苦しいおじさま達の味方をするよりも、囚われの美しい王子様を助け出す方が絵になるでしょ?」
「悪魔族のために拳を振るうなど僧侶の掟に反するが……仕方あるまい。ワシも相手になろう」

迷いもなく竜鱗の剣を引き抜いたティエルと、既に魔法の詠唱を終えたリアンが立ちはだかる。
その背後では、覚悟を決めたサキョウが拳を握り締めていた。僧侶の身である彼にとっては苦渋の決断だろう。


「何故」
枷の嵌った左手を地に突き顔を上げたクウォーツは、まるで理解できないといった風に弱々しく頭を振った。

「何故、たかが一夜の出会いであった私のためにそこまでするんだ……?」
「時間なんか関係ないの」

剣を構えながら、ティエルは搾り出すように言葉を発する。
この嘘偽りのない本心からの言葉が、半ば生きることを諦めてしまっている彼にどうか届くことを祈りながら。
凍り付いた彼の心に響くことを祈りながら。

「たった一夜でも忘れられない出会いがあるの。……わたしはあなたを、この城から連れ出すために来た!」





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