Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第5章 君が、微笑んだ夜
第49話 君が、微笑んだ夜 -3-
「クウォーツ、わたし達はあなたをこの城から連れ出すために来たの」
サキョウに身体を支えられているクウォーツの前で、ティエルは懐からメビウスの指輪を取り出して見せた。
悪魔族ダントゥと戦い、命がけで手に入れた銀色の指輪。ただ彼のことだけを考えて手に入れた指輪だった。
崩壊の止まったぼろぼろの大広間の中央で、ティエルとクウォーツは静かに向かい合う。
「この指輪は、光に耐性を持つことのできるメビウスの指輪。あなたも太陽の下で生きることができるんだ。
けれどクウォーツ、あなたはどうしたいの? ギョロイアと共にこの城で生きることを選ぶか、それとも……」
……わたし達と生きることを選ぶか。
言葉に出さなくとも、ティエルの伝えようとしていることは彼にも察することができた。
そもそも人間と悪魔族は太古から憎み合ってきた、手を取り合って共に生きることなど決して許されない存在だ。
ティエルの差し出している銀色の指輪を見つめながら、クウォーツは硝子によく似た色をした瞳を僅かに細める。
ギョロイアではない誰かとの未来なんて考えたこともなかった。そして、ありえるはずがないと思っていたのだ。
しかしそれでいいのだろうか。確かにギョロイアのことは誰よりも大切に思っている。それは今でも変わらない。
彼女と共に、彼女の復讐のために、悪魔族として一生を過ごす道を自分は望んでいるのだろうか。
生き方は誰かが決めるべきものじゃない、自分自身で決めるものだ。
それならば……もっと違う生き方があっても、想像もしなかったような生き方があってもいいのかもしれない。
一度しかない、人生なのだから。
右手を動かそうとして激痛が走り、あぁ先程骨を折られていたのだとクウォーツは左手をティエルに差し出した。
彼は現在左手しか使えない。指輪を自分で嵌めることすら困難であろう。
笑顔で頷いたティエルは、暫しの間だけ迷い、やがてクウォーツの左手の薬指にメビウスの指輪を嵌めた。
……薬指を選んだ深い理由は特になかった。
昔どこかで、一生をかけた大切な約束を交わすときに左手の薬指に指輪を嵌めると耳にしたことがあったからだ。
まるで彼のために作られたかのように、指輪はぴったりと嵌っている。銀の輝きが明らかに増しているようだ。
「わたし達と、一緒に行ってくれますか?」
「……ああ」
クウォーツの返事を聞くと、ティエルとリアンは顔を見合わせて久々に心の底から笑顔を浮かべた。
思えばここまでくるのに本当に長かった、とサキョウは苦笑を浮かべている。しかしその表情には全く険がない。
「待て! クウォーツ様を拐かそうったって、そうはいかないよ人間どもが。あいつらをひっ捕らえるんだ!」
大広間を二分していた柱を漸く乗り越え、怒りに震えたギョロイアが従者達に指示を出していた。
その彼女の言葉と同時に、剣を手にした悪魔族の従者達がこちらに向かって一斉に駆け出してきたのが見える。
今更捕まるわけにはいかなかった。どんな手を使ってでも逃げ切らなくてはならない。
「ギョロイアさんが大変お怒りですし、私達もそろそろ逃げますわよ。……バーストスプラッシュ!!」
青い水晶球のロッドを回転させたリアンは、瓦礫に埋もれてしまった出口に向けて爆発の魔法を発動させる。
派手な爆破音が鳴り響くと共に木片や瓦礫が跡形もなく弾け飛んだ。奥には正面玄関ホールに続く廊下が見える。
「その怪我では走れまい、おぬしはワシが背負っていこう」
「結構だ。足手まといになる気はない」
「そうは言うがな……年長者の意見は素直に聞くものだぞ。せめて肩は貸してもいいだろう?」
「……」
言葉とは裏腹に、クウォーツの足取りは覚束ない。先程まであれほど暴行を受けていたのだから当然の話だった。
ティエルと目配せ合ったサキョウはクウォーツに肩を貸したまま、彼の身体をしっかりと支えながら駆け出した。
正面玄関ホールに向けて長い廊下を走り続ける。
所々に倒れている召使いの死体は町人達に殺された悪魔族だろうか。彼らに躓かぬように廊下を進んで行く。
「……お待ちよクウォーツ様、このあたしから逃げられると思っているのですか!?」
廊下に低く響き渡るギョロイアの声。
クウォーツが振り返ると、追手の従者の隙間を縫って何本もの太い蔦が絡み合いながら向かってくるではないか。
この蔦の恐ろしさは、前回この城を訪れた際に嫌というほどティエル達は思い知らされている。
「早く逃げろ、蔦に巻き込まれたら終わりだぞ!」
いつになくサキョウの緊迫した声に、ティエル達は後ろも振り返らずにただ出口に向かって走り続けた。
だが魔術で作られた蔦は瞬く間に彼らに追いつき、体力的に最後尾を走っていたリアンの足に絡み付いてしまう。
「きゃあぁっ!?」
「リアン!」
ティエルは迷うことなく立ち止まり、蔦に引き摺られていくリアンに向かって手を伸ばすが間に合わない。
「愚かな人間どもめ、このあたしに逆らうからだよ。手足を引き千切って見せしめにしてやる!
よくもあたしの大切なクウォーツ様を奪ってくれたね! よくもあたしの復讐を台無しにしてくれたねぇ!」
「……そんなに大切だったのなら、もっと大事に、本当に彼を愛してあげればよかったのよ。何を今更……!」
「うるさい人間だね、死ぬがいいさ!」
その刹那。サキョウから身を離したクウォーツが、正に風の速さでリアンに向かって駆け出した。
地面を蹴りながら左手を前へ伸ばす。大分脆くなっていた手首の枷にぴしりと亀裂が入り、勢いよく砕け散った。
途端にクウォーツの全身から、一気に弾け飛ぶように溢れ出して止まらぬ赤い妖気。
無理矢理押さえ込まれてきた彼の膨大な魔力は、まるで意思を持ったかのように渦を巻きながら周囲に拡散する。
妖気に触れてしまった数名の従者が、絶叫と共にのた打ち回る。その恐ろしい光景に他の従者達の足が止まった。
「我が声に応えよ、妖刀幻夢!」
クウォーツの声と同時に、彼の伸ばした左手の先に周囲へ拡散した赤い妖気が渦巻きながら集っていく。
赤い薔薇の装飾が施された真紅の長剣が姿を現し、それを掴んだ彼はリアンに絡まる蔦を全て切り裂いたのだ。
目にも留まらぬ速さである。ティエル達がかつて恐怖し翻弄された、人間離れをした彼の動きであった。
再び襲い来る蔦の攻撃に備え、クウォーツは剣を床に突き立ててからリアンをサキョウに向かって突き飛ばした。
「ここは私に任せて、貴様達は今のうちに行け」
「嫌だよ! またクウォーツはわたし達だけを逃がすつもりなんじゃないの……!?」
もうあんな思いは二度としたくない。
意図が分からずティエルはふるふると首を振って立ち止まるが、暫くの沈黙の後にクウォーツが口を開いた。
「必ず行く」
「……待ってるから。クウォーツが来るまで、出口でずっと待ってるから」
彼の言葉に深く頷いたティエルは、困惑した表情を浮かべるリアン達を連れて振り返らずに廊下を走り始める。
「漸くご自分の立場を理解されたようですな、クウォーツ様。そうです、それでいいのですよ。
所詮あの者達は人間で、あなたは悪魔族。今は優しい顔をしていても、いつか必ずあいつらは裏切るでしょう」
廊下の奥から杖を突きながら歩み寄ってくるギョロイア。
彼女の周囲には黒魔術によって生み出された蔦が蠢き、いつでも彼を捕らえることができるように窺っていた。
妖刀幻夢を握り締めたまま一人残ったクウォーツに、猫なで声で彼女は語り続ける。
「あぁ、あたしのクウォーツ様。今でも誰よりもあなたを愛しております。あたしと共に生きましょう……!」
「ギョロイア、私はお前の幸せを一番に願っている。けれど、もうお前と共に生きることはできない」
妖刀幻夢を赤い霧に戻し、クウォーツは無表情のまま静かに呟いた。
「光の下で生きてみたいんだ。もっと外の世界を知ってみたいんだ。色々なことを感じてみたいんだ。
けれど……もしもお前がほんの僅かでも私を愛してくれていたなら……私はお前と生きることを選んでいたよ」
「……」
「さよなら、ギョロイア」
ぴたりと動きの止まる蔦。
何かを言いかけたギョロイアを一瞥したクウォーツは、踵を返してそのまま出口に向かって廊下を走り始める。
正面玄関ホールまで辿り着いた彼は最後に一度だけ廊下を振り返り、少しだけ目を伏せると外へ出た。
玄関前にはずっと自分を待ち続けていてくれた三人の人影。クウォーツは彼らに向かって肩を竦めて見せる。
それに笑顔で応えたティエルはクウォーツへ静かに手を差し出した。
暫く躊躇っている様子を見せていた彼だが、やがて静かに伸ばされた手をティエルは今度こそしっかりと握る。
「決してこの手を離さないから。だから、クウォーツも離さないで」
「信じて……みるよ」
「このまま林を真っ直ぐに進むとハイブルグ城下町だが、自警団の男達が待ち構えているかもしれぬぞ」
「私の魔法で全員吹き飛ばせばいいんですのよ」
「……城下町に行くのは危険だ。林には向かわず、このまま左に進んでくれ。森への抜け道がある」
林の手前で立ち止まったサキョウに向けて、恐ろしいことを口にするリアン。
そんな彼女の物騒な言葉をさらりと聞き流したクウォーツは、再びサキョウの肩を借りながら視線で示した。
確かに彼の言うとおり、今町の人々と諍いを起こすのは避けたいところだった。皆無言で頷いた。
ギョロイアが完全にクウォーツのことを諦めたとは思えない。
後ろを振り返り、追っ手が来ていないことを確認しながら進んだティエル達は城から少し離れた高い丘へ出る。
広大なハイブルグの森が一望できる。長い間走り続けていたために、リアンは息も荒くその場に座り込んだ。
「ちょっとあなた達、か弱い私のことを少しは考えながら走り続けてほしいですわね……」
「お前の方こそ、もっと体力をつけた方がいいのではないか? よければワシがトレーニングしてやるぞ」
「結構ですわ!」
未だ息の荒いティエルは呼吸を整えると、サキョウに身体を支えられているクウォーツへと顔を向ける。
酷い怪我の上にあれだけ走り続けていたというのに、息一つ切らしていない。彼は黙って城を見下ろしていた。
その瞳に浮かぶ感情はない。寂しさも悲しみすらも存在しない硝子のような瞳である。
「少し……後悔してる?」
「これでよかったんだ。あの城にいたままだったら、きっと誰もが幸せになれない気がする」
ティエルの声に振り返ったクウォーツは、淡々とした抑揚のない声で呟いた。
その瞬間。気の遠くなるような長い夜は漸く終わりを告げ、遥か彼方の地平線から眩い光が辺りを照らし始める。
小鳥の鳴き声と、柔らかい風。夜が明けるのだ。
クウォーツの視界は白く染まり、彼は思わず目を閉じる。あまりにも眩しい光に瞳が慣れていなかったのだ。
大丈夫だよ、と。ティエルが隣でそっと小さく呟いた。
静かに目を開けてみると、目の前に広がっている光景は闇夜しか映すことのなかった彼の瞳には眩すぎる光景。
「……わたし達は、この光の下で生きているんだ」
尚も無表情のまま朝日を見つめ続けるクウォーツの隣に立ち、ティエルは口を開く。
爽やかな風と共に大地を彩る美しい光。太陽の光を映したクウォーツの瞳は、更に薄く硝子めいて見えていた。
眩しそうにほんの少しだけ目を細めた彼は、こちらを見上げているティエルに顔を向ける。
「私も……この光を浴びて、生きてもいいのか……?」
「もちろん!」
太陽に負けないくらい、眩しいティエルの笑顔。
叶うはずのない願いだと思っていた。心のどこかで願うことすらも罪だと思っていた。何度も忘れようと思った。
けれど、忘れることなどできはしなかった。
この光景を永遠に記憶に残しておくために、決して忘れぬように、クウォーツは大地をいつまでも見つめていた。
+ Back or Next +