Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第5章 君が、微笑んだ夜
第51話 白い花の咲く丘 -2-
メドフォード関所から、石楠花の丘は近い。
墓守イエシュの家からマンティコラの森へ出発する前日、ティエルはこの丘に愛する者達の墓を作ったのだ。
祖母ミランダと、ゴドーやガリオン、仲の良かった侍女サリエやゲードルの謀反によって命を失った者達。
勿論墓の下に遺体はない。土を盛った上に、木の枝を組み合わせて作った十字架を挿したとても簡素な墓である。
それでもティエルは彼らが安らかに眠れる場所を作りたかったのだ。
空は晴天。小鳥のさえずる声があちこちから聞こえる一本道。
優しくそよぐ風に、道の周囲には木々や可愛らしい花が咲き誇っている。それらはティエルの心を癒してくれた。
あまりにも穏やかな光景に、メドフォードがゲードルの手に渡ったあの夜が夢ではないかと思えてくる。
しかし、それは決して夢などではない。まぎれもなく真実なのだ。
私達、そんなに信用ないの。……と。
出発前に寂しげに零したリアンの言葉を思い出す。そんなつもりではなかったのに、彼女を傷付けてしまった。
「違うんだ、リアン。わたしは」
ティエルの周囲をぱたぱたと飛び回る小さな蝙蝠に目を留める。クウォーツから借りた使い魔である。
「本当はね、お墓の前に来ると……わたしきっと泣くから。大泣きしちゃうと思うから。
これから新しい旅の始まりだってみんなが思っているときに、そんな気を削ぐような顔を見せられないよ……」
そこまで口に出してから、ティエルは思わず顔を赤らめた。
無意識のうちに先程から使い魔の蝙蝠に向けて語りかけていたのだ。相手が理解しているのかも分からないのに。
思わず照れ隠しの笑みが浮かんでしまう。蝙蝠は勿論何も語ることはなく彼女の周囲を飛び回っている。
「あなたが言葉を話すことができたら、お名前とか……あとはクウォーツの話を色々と聞いてみたかったなぁ」
独り言のように他愛もない話を続けていると、やがてメドフォード城を一望できる丘が見えてきた。
あちこちに咲く白い石楠花。白い花に包まれたこの丘を、人々は『石楠花の丘』と親しみを込めて呼んでいる。
懐かしいメドフォードの風を感じながら、ティエルは大きく息を吸い込んだ。決して匂いを忘れないために。
この風を身近に感じていた頃は、まさか自分が故郷を離れることになるなんて考えたこともなかったのだ。
国を追われてから、平穏であったティエルの毎日は一変した。
感傷に浸っている時間すらないほど毎日が過ぎ去っている。しかし今の自分は決して不幸だとは思わない。
父親のように穏やかに包んでくれるサキョウ、悲しみを吹き飛ばすほど明るいリアンがいつも側にいてくれる。
それに今は、一緒に世界を回りたいと強く思った相手であるクウォーツもいるのだ。
ゴドーの最期の言葉のとおり、メドフォードを出たティエルには数々の素晴らしい出会いが待っていた。
城にいた頃には決して得ることのできなかった仲間を手に入れたのだ。とても幸せなことなのだと彼女は思う。
旅に出てから早四ヶ月。祖母達を失い生きる意味をなくしてしまったあの頃が、随分と遠い昔に感じられる。
今なら胸を張って言えるだろう。生きていて、本当に良かったと。
『あらあら、ティエルったら。お姫様がそんな泥だらけの顔で歩いてはいけないわ』
剣術の稽古によって全身を泥に染め上げたティエルに対して、いつものように祖母ミランダが言っていた。
窘めることはあっても決して叱ることはせず、祖母は白く綺麗なハンカチでティエルの顔を優しく拭ってくれた。
その度にティエルは祖母の期待を裏切っている自分が情けなくなってしまう。
祖母は間違いなくティエルに剣術よりも魔術を習ってほしいと願っている。たとえ彼女に魔力がなくても、だ。
魔法使いであるミランダの孫であるのに、魔力を持たない姫。だが祖母は、そのことを素振りに出さなかった。
それがティエルにとって救いにもなり、そして祖母を悲しませているのだと苦痛でもあった。
丘に向かう道端には、石楠花の花が一面に咲いている。祖母ミランダが一番愛した花であった。
白の石楠花は決して目を惹くような派手な花ではないが、それでも雑草に囲まれながらも堂々と力強く咲く花だ。
『ねえ、ティエル。これは石楠花といって、わたくしが一番好きな花なの。この花をどう思う?』
『うーん。確かに綺麗な花なんだけど……地味かな。わたしはピンクやオレンジの花の方が華やかで好きだな』
昔。花瓶に活けられた白い石楠花を手にしたミランダが歩み寄り、ティエルはこう聞かれたことがあった。
遠慮を知らないあまりにも正直すぎる孫娘の返答に、祖母ミランダは思わず苦笑を交えながら口を開く。
『そうね、一見するとただの地味な花。けれどこの花は地味ながらも堂々と生きているわ。
決して派手で華やかな花ではないけど、わたくしはこの花のように前を向いて生きることを目標としているの』
祖母はその言葉のとおり、いつだって前を向いて堂々と生きていた。
このやり取りはつい最近であったはずなのに遠い昔に感じてしまう。どんどんと祖母が思い出になっていく。
数え切れないほどの祖母とのやり取りが、セピア色の思い出になってしまう。……それが寂しかった。
「……おばあさま、もう一度だけ会いたいな」
生き返ってほしいだなんて贅沢なことは望まないから。ほんの僅かな間だけでも祖母と向き合って話したい。
国を追われたけれど、ティエルは頑張って生きていますと胸を張って伝えたかった。
その場に立ち止まって暫く彼女が感傷に浸っていると、周囲を飛び回っていた蝙蝠が急にばたばたと騒ぎ始める。
言葉が伝わらなくとも、まるでティエルに危険を知らせているようにも見えた。
嫌な予感がする。身を隠そうと考えたが、丘に続く緩やかな道に身を隠すことができる場所など存在しない。
剣の柄に手を掛けて、用心深く周囲を観察する。前方から人相の悪い男達がこちらへ向かってくるのが見えた。
「……ん? どっかで見たことのあるガキかと思えば、手配書の写真で見たメドフォードのお姫様じゃねぇか」
「生け捕りにして大臣様に渡せば、一千万リンの賞金が貰えるってやつか!」
にやにやとした笑みを浮かべながら男達は顔を見合わせる。
まさか賞金が懸けられているなんて思わなかった。それほどにまでゲードルは自分を憎んでいるのだろうか。
しかし今はそんなことを悠長に考えている時間はない。一人でこの場を切り抜けなければならないのだ。
ここで捕まってしまえば、ティエルを信頼して送り出してくれた仲間達の気持ちを裏切ってしまうことになる。
……決して負けるわけにはいかない。
竜鱗の剣に手を掛けたままティエルは一歩後ろに下がった。相手はたったの二人。逃げ切れない数ではない。
「お姫様、お前さんには莫大な賞金が懸かっているんだ。一千万リンもあれば、暫く遊んで暮らせるぜ!」
「おいちょっと待てよ、見つけたのはオレ達二人だろ? 二等分して五百万リンずつ山分けだぞ」
「分かってるって。それにしても跳ねっ返りの山猿姫っていう噂は本当だな。美人だったら楽しめたのによぉ」
「確かになぁ。こんなチンチクリンのメスガキじゃ、何の役にも立たねぇし勃たねぇぜ、ってな」
「ぎゃははは!」
好き勝手なことを口走りながら、男二人は短剣を手にしつつ歩み寄ってくる。
戦うこともできない姫だと、完全にティエルを舐めているのだろう。ならばそう思ってくれていた方が好都合だ。
「痛い思いをしたくなけりゃ大人しく捕まってくれよ、お姫様」
「殺しちまったら賞金も出ないからな!」
飛び掛ってきた男の一人を咄嗟にかわしたティエルだったが、もう一人の男に髪を掴まれてしまう。
引き摺られた瞬間。彼女の周囲を飛び回っていた使い魔の蝙蝠を赤い霧が包み込み、巨大な身体へと変貌させる。
濃い紫色の毛皮に大きな羽。鋭い牙を持つ恐ろしいモンスター、ジャイアントバットであった。
「うわっ、何だこのモンスターは!? ひぇえええ!」
突如目の前に現れた、鋭い牙が覗く口から唾液を滴り落とす凶悪なモンスターの姿に腰を抜かしてしまう男達。
ジャイアントバットは容赦なく彼らの肩や腿に齧り付く。辺りに飛び散る血飛沫を見て、ティエルは我に返った。
今更何を驚くことがあるのだろうか。そもそもクウォーツが、ただの可愛らしい蝙蝠を使い魔にするはずがない。
「わたしは捕まるわけにはいかない。……どうしても邪魔をするというのなら、斬る!」
「この甘ったれた小娘が、本気で男に勝てると思ってんのか!?」
ジャイアントバットに襲われている相棒には目もくれず、もう一人の男は拳を振り上げながら向かってきた。
ティエルは精神をぐっと集中させ、男の隙を窺いながら剣を構える。……その時。
どこからともなく現れた金色の塊が真っ直ぐに男に向かって飛んでいき、それは鈍い音を立てて額に激突した。
めきり、と。ティエルにはそんな音が聞こえたような気がした。
強烈な痛みと衝撃に、男は情けない叫び声を上げながら額を押さえて地面を転がり回る。出血もしているようだ。
「ぎゃああぁぁ〜! 痛ぇ〜! オレの頭蓋骨が木っ端微塵になったああぁ〜!!」
「……情けねぇな、その程度で頭蓋骨が木っ端微塵になるわけないだろうが。威勢が良いのは見かけだけか?」
「だ、誰だてめぇぇ!?」
年齢が感じられる、年老いた男の低い声。だがその低音は深い重みがあった。
石楠花の茂みの陰から、がっしりとした身体つきの男が姿を現す。白髪を短く切り揃え、立派な髭を貯えている。
年齢は六十歳を超えていると思われるが、眼光はぎらぎらと鋭い。間違いなくこの男は手練の戦士だろう。
「大の男が二人がかりで、こんな女の子を襲うってのは紳士のオレとしては見過ごせねぇなぁ」
「だから、誰だよてめぇは!?」
「オレか?」
大剣をすらりと抜き放った老戦士は慌てる男達に問い掛けられると、にやりと口元に不敵な笑みを浮かべた。
その顔をティエルはどこかで目にしたことがあるような気がした。
「……オレは元メドフォード兵長ロキだ。まぁお前らに言っても分からねぇか」
「ロキって」
「まさか、あの鬼神のロキじゃねぇか? ある日突然メドフォードから姿を消した最強の戦士っていう……」
「マジかよ!? オレ昔憧れていた……じゃねぇ、そんな奴に勝てるわけがねぇよ!」
ロキという名に心当たりがあった男二人はメドフォード出身なのだろうか。
顔を青くさせながら半ば転がるようにして逃げていく。その様子をティエルは口を開けたまま眺めているだけだ。
状況が飲み込めない。突然現れたこのロキというティエルの知らない人物は、とても有名な人物らしい。
「助けてくれてありがとう……」
だがいつまでも呆然としているわけにはいかない。はっと我に返った彼女は、老戦士に向かって頭を下げた。
そんなティエルの様子を微笑ましく見つめてから彼は地面に落ちた何かを拾う。
よく見るとそれは金色の懐中時計だった。先程男の額にぶつかった塊は、ロキの投げたこの懐中時計だったのだ。
「あの男が石頭でなくて本当によかった。……これはミランダ様から頂いた、オレの大切な時計だからな」
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