Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第5章 君が、微笑んだ夜

第52話 白い花の咲く丘 -3-




「……ミランダ様って、あなたはおばあさまを知っているの?」


ミランダから貰った懐中時計。老戦士が独り言のように何気なく発した言葉に、ティエルは思わず聞き返した。
まさか祖母の名前が飛び出してくるなんて思わなかったのだ。元メドフォード兵長というこの男は何者だろうか。
先程までの行動から、ティエルに危害を加えるような人物ではないと思いたいが……。


「これは失礼した、ティアイエル姫様。敬愛するミランダ様の孫姫様に、自己紹介をしておりませんでしたな」

男達に向けていた厳しい表情を柔らかな笑顔に変える老戦士。
ミランダの名を出したその瞬間、彼の顔が幸せそうに綻んだのは果たしてティエルの気のせいだったのだろうか。
恭しく片膝を地面に突くと、老戦士はティエルの手を取る。惚れ惚れするような優雅な動作であった。

「ロキと申します、姫様。あなたが物心を付く前にはメドフォードを去っていましたからな。
 これでもオレは他人より少々剣の腕が立つようで、鬼神と呼ばれメドフォードでは名が知れておりました」


「……ロキ、あなたはメドフォード兵長だったの?」
「はい。コロセウム出身の剣奴には身に余る地位でございます。しかしミランダ様はオレの腕を認めて下さった」
「ミランダおばあさまが……」

「今思い返せば、この国に留まっていればよかったと後悔しております」

この国を去ることをせずに留まっていれば、あの方をお守りすることができたのに。と小さな声で彼は呟いた。
ロキの表情があまりにも後悔に支配されていたために、ティエルの心はまるで締め付けられるように痛む。
この者は心から祖母を守りたかったのだと、そして今でも大切に思い続けているのだと手に取るように分かった。


「だったら何故、あなたはメドフォードを去ったの? 誰かを守りたいのなら、ずっと側にいなきゃ駄目だよ」


自分ならば、きっと片時も離れない。いつも側にいて守り抜いてみせる。
純粋すぎるがゆえに真っ直ぐなティエルの瞳。願わくは、この瞳がいつまでも曇らぬようにとロキは思った。
若かりし頃のミランダを思わせるような瞳である。誰よりも聡明で、誰よりも気高く、誰よりも国を愛した女王。

「……決して愛してはならぬ人を愛してしまったからですよ、姫様。だからオレは国を去ったのです」


目を細めながら、ロキは石楠花に囲まれた簡素な墓を見つめる。
メドフォードの愛しい者達、ここに眠る。とティエルの文字で刻まれた大きな墓標。殆ど文字が消えかけている。
墓石に見立てた木片にはミランダや、ゴドー。あの夜命を落とした者達の名前が、思いつく限り刻まれていた。

「石楠花はミランダ様が一番好きな花でしたな。華美なものは好まぬ、清楚なあの方らしい」


墓の前に立った二人は静かに目を閉じる。
一夜にして全てを失ってしまった。家族も友人も帰る場所も。あまりにも突然すぎて、暫く実感が湧かなかった。
復讐などきっと祖母は望んではいないだろう。……けれど、祖母の愛したこの国は必ず取り戻したい。

優しいそよ風に目を閉じた二人の髪が弄ばれる。ティエルはその風に、懐かしい祖母を感じたような気がした。







一方。メドフォード関所内の宿に残されたリアンは、サキョウを前にしてカードゲームに勤しんでいた。
双方の表情から察するに、現在はリアンが有利なのだろう。難しい顔をしながらサキョウがカードを選んでいる。

リアンの手に二枚残った札のどちらかが正解で、どちらかがトラップだ。ちらりと彼女の表情を盗み見る。
だが女神の如く麗しい微笑みを浮かべているリアンからは、残念ながら何の情報も読み取ることができなかった。
頭脳戦、そして心理戦はサキョウが最も苦手とする分野である。

リアンの巧妙な罠に何度も引っかかり、とうとうここまで追い詰められてしまった。正に死ぬか生きるかだ。
ちなみにカードゲーム内での話である。


「さあ、早くカードを選んで下さいな。待ったは無しですわよ? 負けたら一週間私の荷物を持つんですからね」
「ううむ……荷物を持つこと自体は全く構わんが、ここで勝たねば男が廃る……!」
「早く選びなさいってばぁ。ほらほら、右のカードですの? それとも左のカードですの?」
「よし、右だああぁぁ!」

とうとう観念したサキョウがリアンの手からカードを引くが、その絵柄は死神が笑みを浮かべているものだった。
これでサキョウの十連敗が決定し、彼は一週間リアンの荷物持ちとなる。


「本当にサキョウは分かりやすいですわねぇ。……これじゃあ勝負にもならないですわ」
「考えていることが無意識のうちに顔に出てしまうのだ。そうだ、次はクウォーツも入れて三人で勝負しよう!」

「やるわけないだろ」

向かいのベッドの上で身を起こし、沈黙に徹しつつ窓の外を眺めていたクウォーツが振り返った。
その拍子に彼の青い髪がさらさらと揺れる。硬質そうな見た目の髪だが、意外にも柔らかな猫っ毛なのだろうか。
思わず触れてみたくなるような髪だが、それを触って確かめようとする勇気のある者はこの場にいなかった。


「そもそも何故こちらの部屋で騒いでいる。隣にも部屋があるだろう、馬鹿騒ぎをしたいのならそちらに行け」
「……どこの部屋でカードゲームをしようが、そんなの私達の勝手ですわよ」

ぴくりと片眉を上げたリアンはクウォーツの前まで足音を立てながら歩み寄り、ベッドの上の彼を見下ろした。

「クウォーツさん、あなた協調性という言葉を知っているかしら? 周囲に気を遣えない男はモテませんわよ」
「そういった願望は特にないので」
「……本当に可愛げのない性格をしていますのね。いくら見た目が超美形でも、どうでもよくなるレベルですわ」
「どうでもいいのなら、構わないでほしいのだが」


いい加減この会話を切り上げたいといった様子が言葉の端々から明らかに滲み出ているクウォーツとは裏腹に、
リアンは会話を終わらせる気はないようである。彼女は自分の言いたいことを全て吐き出さねば気が済まない。
普段ティエルやサキョウは、苦笑を浮かべながらもリアンの話を最後まで聞いてやるのだ。

だが、今回の相手はクウォーツである。
あの彼にティエル達と同じような対応を求めてはならない。むしろ会話が成立することが珍しいのだ。
表情が殆ど動かないばかりか、言葉を発することも少ない彼にここまで口を開かせるだけでも大したものだった。


「そういうわけにはいきませんわよ。これから生活を常に共にするんですから、こういったことはきちんと……」
「リアンよ、もうそのくらいにしておけ。……そうだクウォーツ、明日には出発できると先程言っておったな?」

いつまで経っても終わる気配を見せないリアンの一方的な会話に、見かねたサキョウが漸く助け舟を出す。
既に会話を放棄しているクウォーツに対して、負けず嫌いのリアンは彼が反応をするまで終わらせないつもりだ。
このままでは日が暮れてしまう。それにたった今サキョウは名案を思いついたのだ。

「右腕は使えないが、歩くだけならば問題ない」
「それならお前のリハビリも兼ねて、今から三人でティエルを迎えに行かんか?」







「できることならば、オレがミランダ様の仇を討ちたい。……しかし、その役目はオレではなく姫様の役目だ。
 本来であればオレはこのメドフォードに、ミランダ様に顔向けなどできない罪を背負った身なのですから……」

石楠花をミランダの墓前に手向けたロキは、隣に佇むティエルを振り返った。
この物腰の柔らかな紳士が一体どんな罪を犯したというのか。国を愛する彼が一体どんな罪を犯したというのか。
決して愛してはならない人物を愛してしまったと先程彼は言っていたが、それはこれほどまでの罪なのだろうか。

「仇を討つ……か。おばあさまは幸せだったのかな。あんな惨い殺され方をして、幸せだったはずはないよね」


さぞかし無念であっただろう。
突如現れたヴェリオルに、目を背けたくなるほど惨い殺され方をしたのだ。痛かっただろう、苦しかっただろう。
もしかしたらティエルを恨んでいるのかもしれない。何故助けてくれなかったの、と。

「ミランダ様が幸せだったのか、それは姫様が一番よく知っているはずだ」

ティエルの浮かべる暗く重い表情にロキは気付いているのかいないのか、肩を竦めてから彼女の頭に手を置いた。
温かく大きな手。サキョウほど大きく分厚くはなかったが、しっかりとした力強い手であった。


「姫様が元気でいてくれるだけでミランダ様は幸せだろう。あの方にとってあなたは、そんな存在なんだからな」
「幸せ……」

諭されるようにロキに言われ、思わずティエルは堪えていた涙をぼろぼろと零してしまった。
国を追われてから、ヴェリオルが現れてから、悲しんでいる時間などなかった。常に気を張り詰めてばかりいた。
しかしティエルは今、久しぶりに子供のようにわんわんと声を上げて泣いたのであった。

そんな彼女を見守るように、ロキは優しく頭を撫で続けてくれていた。







「……これだけ泣いたらすっきりしちゃった。ごめんね、恥ずかしいところを見せちゃって」

気が済むまで泣き続けていたティエルは、赤く腫れぼったくなってしまった目で照れ隠しにロキに笑いかける。
切り揃えられた白髪を何回か撫で付けた彼は、姫様の気が済んだのならよかった、と微笑み返してくれた。

「泣くことは別に恥ずかしいことじゃない。泣くことによって何かを発散できることも、吹っ切れることもある。
 それに泣きたいのに泣けない者も、泣くことすら知らない者もいる。だから泣ける者は泣いた方がいいんだ」


ティエルの脳裏に青い髪をした青年の姿が浮かぶ。泣くことすら知らない者もいる。涙の意味を知らない者もいる。
確かにロキの言うとおり、泣くことは決して恥ずかしくなんかないのだ。
そうだね、とティエルが口に出そうとしたとき。遠くの方角から聞き慣れた声が響いてくる。

思わず顔を上げて振り返ると、彼女の名を呼びながら大きく手を振って駆け寄ってくるリアンの姿が目に入った。
その背後では苦笑を浮かべているサキョウ、そしてゆっくりとした足取りで歩くクウォーツの姿もあった。

「姫様の友達か?」
「うん……!」


「無事でよかったですわ。心配だったから、やっぱり来ちゃいましたわよ!」
ティエルの元まで息急き駆け寄ってきたリアンは、隣に立っていたロキには目もくれず彼女を強く抱きしめた。

「本当に無事でよかった……」


実際は道中賞金目的の男達に襲われかけたりもしたのだが、これはリアンに黙っておいた方がいいだろう。
これ以上余計な心配を掛けさせたくない。
しかしリアンやサキョウはともかく、クウォーツまで来てくれるとは思わなかった。歩いて大丈夫なのだろうか。


「迎えに来てくれたのは嬉しいけど……サキョウ、まだクウォーツは安静にしてないと駄目なんじゃないの?」
「リアンがうるさくてなぁ。クウォーツのリハビリも兼ねて迎えに来てしまったよ……おっ、そちらの御仁は?」

「オレはロキ。元メドフォードの兵長だった。偶然姫様と出会って、墓参りをご一緒させていただいた」
「これはこれは、心強い同行者がいたのだな。元メドフォードの兵長殿が一緒ならば道中安全だっただろう」
「うん、本当にロキには助けられたよ」


挨拶を交わしているサキョウとロキの姿を眺め、ティエルは未だに己に抱き付いているリアンの背を優しく叩く。
ぐすぐすと鼻を鳴らしているリアンの様子から察するに、彼女にはさぞかし心配を掛けてしまったと後悔をする。

ティエルの周囲を飛び回っていた蝙蝠は、クウォーツの姿を見るや否や嬉しそうに彼の元へと飛んで行った。
やはり長い時間、主人と離れて寂しかったのだろうか。……この小さな蝙蝠にも随分と助けられた。


「リアン、心配掛けちゃってごめんね。わたしはこのとおり無事だから安心して。クウォーツもありがとう」
「……クウォーツさんの無責任な発言の所為で、ティエルが怪我さえしていなければ私はそれでいいんですのよ」
「まだ言っているのか」

纏わり付くように飛び回る蝙蝠の相手をしてやりながら、こちらに歩み寄ってきたクウォーツ。
紺を帯びた黒のドレスコートは彼が歩くたびに優雅にふわふわと舞い、道行く人々の視線を釘付けにするだろう。
右腕を三角巾で吊っているが、それ以外は殆ど完治しつつあるようだ。これならば明日にでも出発できそうだ。


「執念深いやつだな」
「なんですって? さっきから失礼な男ですわね!」

クウォーツの言葉に、ティエルから身を離して勢いよく振り返ったリアンだったが、にやりと笑みを浮かべる。


「……クウォーツさんたら、本当は私の気を引きたいだけなんでしょう? だからそんな意地悪ばかり言うのね」
「話が見えないのだが」
「けれど、ごめんなさいね。あなたとお付き合いはできないわ。私、根暗な男はご遠慮したいんですのよぉ」

「根暗な男とは、私のことか」
「あなた以外に一体どこにいるんですのよ。あらあら、自覚がないのも困りものですわねー」
「こちらこそ、貴様のように下品な女は遠慮したいな」
「げ、下品な女ですってぇ!?」

笑ったり怒ったりと表情がくるくると変わるリアンとは対照的に、淡々と言葉を紡いでいるだけのクウォーツ。
ギョロイア以外の人物には口を開くことすら珍しい今までの彼にしては、決してありえなかった光景である。
けれど怒りのために興奮しているリアンは、そんなことには気付かない。


「いつの間にあの二人、あんなに仲良くなったの?」
「やはりティエルにもそう見えるのか……」

ぱちぱちと目を瞬きながら二人を眺めていたティエルは、背後のサキョウへと顔を向けるが、
腕を組んだサキョウは苦笑を浮かべ続けている。留守番をしていたときからずっと二人はこの調子だったのだ。
明日から随分と賑やかな旅になりそうである。







「それでは姫様、そして姫様のご友人の方々もどうかお元気で。……またいつかどこかでお会いいたしましょう」
「うん、ロキも元気で。ありがとう!」

くすんだ緑色の外套を肩へと払い除けたロキは、ティエル達に向けて深々と礼をする。
去っていくロキの後ろ姿に向けて大きく手を振り続けるティエルと、両手を合わせて頭を垂れるサキョウ。
明日にはメドフォードとも長い間お別れである。次にここへ戻ってくる時は、国を取り戻す時でありたい。


「さあティエル、早く宿に戻りますわよ。明日から新たな旅へ出発なんですから用意をしないと」
「そんなに急がんでも、ゆっくりと一歩ずつ進もうではないか」

カーネリアンの瞳を輝かせ、ティエルの手を引くリアン。彼女の長いハニーシアンの髪が心地のよい風で舞った。
豪快な笑い声を発しながらその後を続いていくサキョウ。
石楠花が揺れる道で、未だ慣れぬ太陽の光に目を細めているのはクウォーツ。とても穏やかな光景であった。


ティエルは心の中でそっとメドフォードと祖母に別れを告げ、リアンの手を握り返すと前を向いて進み始める。
風で舞う白い花びらは、彼らの出発をまるで祝福しているかのように空へと高く舞い上がっていった。





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