Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第6章 遠い国から来た青年
第54話 港町オートラント -2-
空腹を訴えるサキョウの提案で足を運んだのは、港町らしく海鮮料理をメインとするレストランであった。
丁度昼時を過ぎたこともあって店内の人数は疎らだ。これから夕食時が近付くにつれて混み合ってくるのだろう。
開け放たれた大きな窓からは涼しげな潮風が運ばれてくる。
壁は落ち着いた藍色で塗られて深い海を連想させ、テーブルや椅子などは全て雲を連想する白で統一されている。
細かな所にも店主のこだわりを感じさせられる店内は、食事を味わう者達の目も楽しませてくれるのだ。
遅めの昼食を取っている者達とは離れたテーブル席にティエル達が腰を下ろすと同時に、給仕が歩み寄ってきた。
「いらっしゃい! あんた達、この港町オートラントを訪れるのは初めてかい? すげぇ賑わっているだろう」
「うん、見るもの全てが新鮮でわくわくしちゃう!」
「そりゃあよかった、オレは生まれも育ちもずーっとオートラントでさ。そう言ってもらえると本当に嬉しいぜ」
ティエルの素直な感想に機嫌を良くした中年の給仕。
よく見ると胸のネームプレートには店長と書いてある。この時間帯は店主一人で切り盛りしているのだろうか。
「それにしても坊さん、こんなハーレムで旅をしていたら緊張しねぇのかい? オレだったら旅にならないねぇ」
「ハーレム? いや、一応男はワシだけではないのだが……」
「勿論そっちの青い髪の兄ちゃんが男だってことは分かってるよ。これほど美人な兄ちゃんなら緊張もするだろ」
ティエル達をぐるりと見渡してから、店主はクウォーツに向けて笑みを浮かべた。
だが自分が話題に上がっているというのに、クウォーツ本人は椅子に腰掛けて窓の外を眺めているだけである。
隣の席では、そんな彼の無関心な態度に呆れた表情を大げさに浮かべているリアン。いつもの光景である。
「おじさん、注文していい? わたしクリームソーダ。大きなバニラアイスとチェリーは必ず上に乗っけてね!」
「すまんすまん、お嬢ちゃんはクリームソーダね。あんた達は何にするんだい?」
「そうですわね……種類がありすぎて迷いますわ。ラズベリーティーもいいし、メイプルティーも捨てがたいし」
痺れを切らしたティエルの声に、漸く雑談を止めた店主はばつが悪そうに笑ってメモを取る。
先程からリアンはメニューを眺めながら迷い続けている。飲み物の種類が豊富で、なかなか絞れないのだ。
紅茶一つにしてもアップル、ラズベリー、バナナ、ストロベリー、メイプル、シナモンなど様々である。
「優柔不断なやつだな、早く決めろ」
「せっかちな伯爵様ですわね。……って、横からぐいぐいとメニューを覗き込まないで下さいな!」
「一人でメニューを占領し続けるな」
「もう、ラズベリーティーに決めましたわよ。その三角巾で吊っている右腕を、一度触ってやろうかしらね?」
「触れるものなら触ってみろ。……私はストレートの紅茶で」
「ワシは腹が減っているからこのシーフードランチを頼む。こら、リアン。店内で騒がしく暴れてはいかんぞ」
包帯に巻かれた右腕に触れてこようとするリアンの手を、無表情のまま振り払い続けるクウォーツ。
骨を固定中の怪我人に対してなかなか容赦がないが、傍目からはリアンが一人で暴れているようにしか見えない。
全員分の注文を聞き終えた店主は、足早にカウンターの奥へと消えていった。
「リアン、もうやめなよー。せっかくクウォーツの右腕が治りかけているのに、また痛めたらどうするの?」
「……この高飛車で可愛げのない性格の伯爵様は、少々怪我を負っていた方が大人しくて丁度いいんですのよ」
「そういうこと言うんだからぁ。クウォーツだってきっとリアンと仲良くしたいんだよ。ね? クウォーツ」
「?」
ティエルに言葉を投げ掛けられたクウォーツは、何を言っているのか分からないといった風に首を傾げている。
そんな様子から、彼はリアンと親しくなろうという気がまるでないのだと誰の目にもありありと見て取れたのだ。
あまりにも正直すぎるクウォーツの態度に心の底から疲れを覚えたリアンは、ぐったりと椅子に身体を預けた。
休息を取るためにレストランに入ったはずなのに、街中を歩いている時以上に疲れているのは気のせいだろうか。
悪魔族と分かり合うことは、想像以上に難しいことなのかもしれない。
「クウォーツ、昼の町は初めてだから疲れたんじゃない? 大丈夫?」
「ああ」
幸いにもクウォーツは周囲にエルフ族だと思われているようだ。
サキョウを除くティエル達も、初めは彼のことをエルフ族だと信じて疑わなかったので、おかしな話ではないが。
まさか日中に悪魔族が堂々と町を出歩いているなど一体誰が想像するのだろうか。
「クウォーツの右腕が治ったら、一度じっくりと剣技を眺めてみたいなぁ。目で追えないかもしれないけどさ」
ハイブルグ城で見せた彼の剣の腕を思い出し、瞳を輝かせるティエル。
技や動き、そしてタイミングなど全て無駄がなく、あんな緊迫した状況でなければきっと見惚れていただろう。
自警団長アザレグに腕を折られてからは、黒魔術の蔦からリアンを救い出した時を除いて彼は剣を握っていない。
折られたのは右腕だったため、左利きのクウォーツにとっては不幸中の幸いなのかもしれない。
しかし片腕が不自由な状態は身体にかかる負担が凄まじく、剣を握ることは暫く困難だとサキョウが言っていた。
「あんなにクウォーツが強かったなんて驚いちゃった。ペンや食器くらいしか握らないように見えるんだもん」
「そうですわよ、見た目で油断させるなんてずるいですわ」
「悪魔族は元々細身の体格が多いのだから、それは仕方あるまい。ところでその剣は誰かに習ったものなのか?」
「分からない」
一斉に詰め寄られてもクウォーツは表情すら変えぬまま、ぱちりと硝子の瞳を瞬いた。
「誰かに習ったのかもしれないし、そうではないのかもしれない」
「え? それはどういう……」
「記憶がないんだ、ギョロイアと出会った二年前よりも昔の記憶が。気が付けば彼女が側にいた」
……知らなかった。
しかしそう考えると、クウォーツがあれほどギョロイアのことを大切にしている様子が理解できた気がする。
彼にはギョロイアしかいないのだ。これは雛鳥が初めて見た相手を慕う刷り込みとよく似ていた。
そんなことが頭を過ぎったリアンとサキョウであったが、勿論口に出せるはずもない。やはり命は惜しいのだ。
やがて注文したものがテーブルに運ばれ、早速サキョウは念願のランチを幸せそうな表情で味わっていた。
ティエルはチェリーの乗ったクリームソーダにご満悦であり、リアンはラズベリーティーの香りを楽しんでいる。
一方クウォーツは俯いたまま紅茶を見つめ、それから己の指に嵌る銀色のメビウスの指輪に視線を落とした。
「……私はまだ、この指輪の礼を言っていなかった」
「え?」
無感情としか表現できない声を発した彼は椅子からゆっくりと立ち上がり、顔を上げたティエル達を見回した。
左手の平を自分の胸に当て、目を閉じながら軽く頭を下げる。流れるような優雅な動作であった。
まるでマナー講座の見本ともいえるクウォーツの一礼に、ティエル達は口をぽかんと開けたまま魅入っている。
「ありがとう。私のために危険な目に遭わせてしまって……すまない」
「いや、そのう。まぁなんだ。ワシは僧侶であるが、全ての悪魔族を排除するわけにも……」
「何でクウォーツが謝るの? 指輪を取りに行ったり、城に戻ったりしたのはわたしが勝手にやったことだし。
むしろ謝るのはリアン達を巻き込んだわたしの方なんだよ。本当にリアンやサキョウには迷惑かけちゃった」
ハイブルグに戻ることに対して直前まで大反対をしていたサキョウは言い難そうに口をもごもごとさせていたが、
ティエルは慌てて両手を振って立ち上がる。この一件にサキョウやクウォーツが責任を感じることはないのだ。
全ては周囲を巻き込んでしまった自分が悪いのだと、彼らに分かってもらわねばならない。
「わたし、クウォーツのことで頭がいっぱいになってて。だからあなたが今ここにいてくれて本当に嬉しいんだ」
「ティエルはそうかもしれませんけど、私は違いますわよぉ。……彼女にお願いされて仕方なくなんですから」
ラズベリーティーに角砂糖を一つ入れてから、リアンは目を細めながら冷ややかに言った。
「別にクウォーツさんのためじゃないんですから、都合よく勘違いしないで下さいね」
「うむ? そもそもメビウスの指輪の話を持ち出したのはお前ではなかったか。三日三晩調べ続けていたとかで」
「あれ? クウォーツのことが忘れられないとか言いながら、ダントゥに向かって行かなかったっけ」
「メビウスの指輪の話は偶然聞いただけですし。そ……そんな恥ずかしいことなんて言っていませんわよ!」
首を傾げているサキョウとティエルの正直な言葉に、顔を真っ赤にさせたリアンはテーブルを叩いて否定する。
そんな様子を薄い色の瞳で見つめていたクウォーツは目を逸らし、ほんの少しだけ顔を伏せたのだった。
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そろそろ出航の時間も近付き、ティエル達は他愛のない雑談を交わしつつ港へ歩き始めた。
潮風にカモメの声。様々な種族の旅人や、忙しそうに積荷を下ろす船員達。港には船がいくつも停泊していた。
ティエル達の乗る船は『テレジア号』と名の付いた、古めかしくも頑丈そうな歴史ある大きな船である。
「ねえリアン、これって沈んだりしないよね?」
「さぁ、それはどうかしらねぇ? 冒険にはロマンと危険がつきものなんですから」
ティエルをほんの少しからかうつもりで軽く発言したリアンであったが、想像以上に彼女は顔を青くさせていた。
「こらこらリアン、ティエルをあまり苛めてはいかん。本気にしているではないか」
「ティエルったら本気にしないで下さいな。うふふ、冗談ですわよ。そう簡単に船は沈みませんわ。……多分ね」
「うわーん、多分って言ったぁー!?」
「いい加減にせんか、リアン!」
一連の騒がしいティエル達のやり取りに、道行く人々が驚いたように振り返っている。
少し距離を取りながら歩くクウォーツは小さく溜息を零した。何故人間達は、あんなにも賑やかなのだろうか。
やはり人の多い町に出て多少なりとも疲れているのかもしれない。疲れを感じるなんて、まるで生き物のようだ。
人形と呼ばれ続けてきた彼にとって随分とおかしな話であった。
「……あの海域にモンスターが出没するのは、これでもう五回目だってよ」
「オレも聞いた。ホエールズシュライン辺りの海域だろ? タコみてぇな化け物が出るって噂だぜ」
「ひえぇ、こえーなぁ。オレ達の乗る船はホエールズシュライン経由じゃないんだろ?」
背後から聞こえてきた声にクウォーツが立ち止まると、旅人達が暗い面持ちで顔を見合わせながら話している。
海にもモンスターが出没するのかとクウォーツは首を傾げるが、自分の名を呼ぶティエルの声で再び歩き始めた。
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