Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第6章 遠い国から来た青年

第55話 ホエールズシュライン




「出航するぞー!」

カンカンカン、と出航を知らせる鐘の音が雲一つない青空へと吸い込まれていく。
鐘と共に威勢のいい海の男達の声があちこちから発せられ、古めかしいテレジア号はゆっくりと港を離れていく。
船首には大きな法螺貝を掲げた女神像。女神は彼らの航海に幸多かれと優しく微笑んでいる。絶好の航海日和だ。


「わぁ、船が動き出したよ! ……何だか不思議だね、リアン。こんなに大きなものが海に浮かぶなんて」

ティエルは初めての航海に興奮を隠しきれない様子である。
子供のように甲板を駆け回り、手すりから身を乗り出して海を覗き込む。太陽を反射させてきらきらと輝く海面。
光の一つ一つがまるで宝石のようだ。ティエルがいくら手を伸ばしても、到底届きそうもなかった。


「お魚さんはいるかな? あっ見て見て、向こうの方で何か跳ねた! そういえば、人魚って本当にいるの?」
「ティエルったら、そんなに身を乗り出していると海に落ちますわよ。海水浴をするには少し気温が低いですし」
「大丈夫だよー。リアンったら心配性なんだから!」

心底楽しそうにはしゃいでいるティエルの様子を眺めていると、こちらまで楽しい気持ちになってくるようだ。
苦笑を浮かべつつリアンも随分と機嫌が良い。ティエルが海に落ちないように、彼女の服の裾を握りしめている。


「人魚にはお目にかかったことはないですけれど、童話の人魚姫なら小さい頃に何度も読みましたわ」
「あ、知ってる! 確かとても可哀想なお話だったよね。わたしは少し苦手だったなぁ」
「これだからティエルはお子様なんですのよ。悲恋の切なさが分からないうちは、恋愛なんてできませんわね」

「別にいいもん。……ほら、港の人達が手を振ってるよ。おーい、わたしのこと見える? 行ってきまーす!」


この様子では、ティエルが異性に好意を抱くのはまだまだ先の話であろう。
今度は離れゆく港に向けて手を振り始めた彼女に、リアンはやれやれと溜息をつきながら手すりに身体を預ける。
甲板は景色を眺める人々で賑わっており、ティエルのように港に手を振る者達も多く見受けられた。

「それにしても、うちの男連中は一体どこに行ったのかしら。こんな人の多さじゃ見つけるのも一苦労ですわ」


サキョウとクウォーツの二人とは、知らぬ間にはぐれてしまったようだ。
様々なものに興味を示すティエルの後を慌てて追っているうちに、気付けば彼らの姿が見えなくなっていたのだ。
幸いにも彼ら二人は目立つ容姿のため、そのうち見つかるとは思うが……このまま放っておくわけにはいかない。

「やあ、君達二人旅かい? 奇遇だねー。オレ達も二人旅なんだ」
「どこの港で降りるつもりなんだい? オレ達は魚料理を食べにティンバーランドまで行くつもりなんだけど」

突然掛けられた明るい声にリアンが顔を上げると、いつの間にか若い男の二人組が目の前に立っていた。
今時の若者を絵に描いたような風貌の男達である。流行の橙色のジャケットに、ワックスで逆立てた流行の髪型。
整った顔立ちをしているわけではないが、都会の女性に人気がありそうな風貌の若い男達である。


「……残念ですけど、ナンパなら間に合っていますわ。男の連れが二人いますから」
「おっ、やっぱり君可愛いね。スタイルもいいし。よく言われるでしょ?」
「男の連れなんかどこにもいないじゃん! 女の子二人だけだと危ないから、オレ達が暫く一緒にいてあげるよ」

なかなか引き下がる様子を見せない男達に、リアンはどうしたものかと深い溜息をつく。
面倒なことになったのも、全てはサキョウとクウォーツがいないためなのだ。後で文句の一つでも言ってやろう。


「こんな所で海ばっかり眺めていても退屈だろ? 船内のカフェでお茶でもしながら話そうぜ!」

「ううん、わたしは海見てても退屈しないよ。海面に光が反射して、きらきら光ってるの見てるのも楽しいし」
手すりから身を乗り出していたティエルは、くるりと身体を回転させると身軽に甲板へと飛び降りた。

「それに場所を移動しちゃったら、サキョウ達と合流できなくなっちゃうし……お話しするならここでいいかな」
「この船に乗るのは初めてなのかい? じゃあホエールズシュライン海域にまつわる面白い話をしてやるよ!」







「ううむ困ったぞ……こんなに人が多くては、ティエル達が一体どこにいるのか皆目見当もつかぬ」

その一方。大勢の人で賑わうテレジア号の甲板を見渡しながら、諦めたように肩を落としているのはサキョウ。
知らぬ間にティエル達とはぐれてしまったサキョウとクウォーツは、彼女達の位置から丁度反対側の甲板にいた。
手すりに肘をかけながら無表情で海を眺めているクウォーツは、残念ながらティエル達を探す素振りも見せない。

「まぁ大して広くない小さな船であるし、そのうち見つかるだろう。ワシもクウォーツも目立つタイプだしなぁ」
「大して広くねぇ船で悪かったな、ガタイの良すぎる坊さんよぉ」
「のわあ!?」


突如背後から響いてきた野太い声に驚いてサキョウが振り返ると、浅黒いヒゲ面の男が立っていた。船員である。
しかし台詞の内容とは裏腹に、船員は人懐っこい明るい笑みを浮かべながら肩を組んでくる。

「確かに見た目はぼろい船だが、かなり頑丈なんだぜ? 幾度も危機を共に乗り越えてきたオレ達の相棒だ」
「そ、そうなのか。それは大変申し訳ないことを言った」
「気にすんなよ。……そうだ、今夜の飲み会に坊さんも来いよ。そっちの青い髪した別嬪さんもな!」


素知らぬ様子で海を眺めていたクウォーツは、急に会話を向けられたために表情を変えぬまま周囲を見渡した。
勿論男の言った『青い髪』という特徴に該当する人物はクウォーツ以外に存在するはずがない。

「私のことか」
「他に誰がいるってんだよ。それにしても兄ちゃん、男のくせになかなか色っぽい腰のラインしてんなぁ」
「……」
「へへへ、冗談だって。怒るなよー。まぁとにかく飲み会は夜八時からだ。いいな、必ず来いよ!」


クウォーツに凍り付くような冷めた視線を向けられても船員は豪快に笑い飛ばし、手を振りながら去って行った。
肝の据わった男である。しかしこれくらいの度胸を持っていなければ、海の男は務まらないのかもしれない。
彼らは大海という自然の強敵を毎日相手にしているのだ。弱気になっていては、命がいくつあっても足りない。

「そういえばワシも子供の頃は船乗りに憧れたこともあったな。自分だけの島を見つけてやるんだと夢見ていた」
昔を懐かしむかのように目を細めていたサキョウであったが、先程の会話を思い出して突然含み笑いを浮かべる。


「しかし、くっくっく……あの船員、お前のことを別嬪さんだと。どう考えてもおなごに使う褒め言葉だよな?」
「からかうのはよせ」

じろりとサキョウに硝子の瞳を向けたクウォーツだったが、その先を続けることはせずに背を向けたのだった。







「この海域は昔からホエールズシュラインと呼ばれていて、海底には太古の神殿や遺跡が眠っているらしいんだ」
「だだっ広い海の底には金銀財宝の眠る神殿。君達はロマンだと思わないかい?」
「うん、聞いているだけでわくわくしてくる! 行ってみたいけど、海の底なんて一体どうやって行くんだろう?」

先程知り合った二人組の若い男達は、興味津々といった様子で話に耳を傾けるティエルを前に得意げである。
リアンは既に退屈しており、手すりに背中を預けつつ周囲を眺めていた。はぐれたサキョウ達を探しているのだ。


「確かに海の底なんかにどうやって行くんだろうなぁ。呼吸や水圧の問題だってあるだろうし」
「それは魔法で何とかするんじゃねぇの? オレ魔力なんて全くないけどさ、魔法ってのは何でもできるんだろ」

「……そこまで魔法は万能ではないですわよ。あまり魔法使いを便利屋扱いしないでほしいですわ」

魔法使いを馬鹿にするな、と元々よろしくなかったリアンの機嫌は更に下降気味であった。
早くサキョウ達を探しに行きたいというのが彼女の本音だろう。興味のない話を延々と聞かされては辟易する。
しかし残念ながら男達はリアンの怒りに気付かない。


「それよりさ、そろそろ二人とも名前教えてよ。夜に食堂で待ち合わせて一緒にディナーでも食わない?」
「ちなみにオレはゴードンで、こっちがダリルっていうんだ。こうして出会ったのも運命だと思ってさ!」
「わたしはティエルだよ。……夕飯、サキョウとクウォーツも一緒でいいなら行くけど……」
「もう、ティエル! 知らない相手に対して安易に名乗ったりしてはいけませんわ。早く行きましょう?」

警戒心というものがないティエルの様子に、リアンは思わず溜息をつく。いつか誘拐されてしまうのではないか。
ティエルの腕をぐいと掴んだ彼女は、男達にきつい視線を送りつつ歩き始める。こうなったら強行突破である。


「えぇ? 待ってよー。君達みたいな可愛い子をほったらかしにするなんて、そいつらろくな連れじゃないなぁ」
「そんな薄情な男達なんかほっといて、オレ達と一緒に行こうよ」

気の進まない様子のティエルとリアンであったが、男達は引き下がる様子を見せない。
最近のナンパは強引になったなとリアンが眉を顰めたとき。聞き慣れた男の声が響き渡り、さっと人垣が割れる。
激しい足音を鳴らしながら姿を現したのは、まるで熊のように厳つい大男。日に焼けた肌と鋼の筋肉が特徴的だ。


「おういティエル、リアーン!」
「あっ、サキョウだー!」
「げえっ!? 熊ゴリラがこっちに向かってくる!」

嬉しそうに飛び跳ねながら大きく手を振るティエルとは裏腹に、男達は硬直したように肩を強張らせていた。
駆け寄ってきたサキョウの背後からひょいと顔を覗かせたのはクウォーツ。同時に男達から小さな悲鳴が上がる。

「うひゃあ、おまけに青い髪の男までいやがる!」
「誰だ貴様らは」
「ただの通りすがりの者です! 連れの男達ってこの人達のことだったのか……そ、それじゃあオレ達はこれで」


先程までの勢いはどこへやら、二人組の男達はそそくさと逃げるようにして去って行った。
その後ろ姿を寂しげに眺めていたサキョウは太い眉を下げ、しょんぼりとした様子でティエル達を振り返る。

「……明らかにワシの姿を見てからあの者達の様子が変わったよな。ワシ、何か悪いことをしたのだろうか」
「熊ゴリラが駆け寄ってきたら、そりゃあ誰だって逃げもするだろ」
「ちょっと待てクウォーツ! こんな笑顔の素敵なナイスガイに対して、お前まで酷い言い草ではないか!?」

「とにかく合流できてよかったね。わたしお腹空いちゃった!」


わいわいと騒ぎ始める面々をリアンは眺めながら、まさかサキョウの外見がナンパ避けになるとは思わなかった、 と一人小さく呟いたのであった。





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