Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第6章 遠い国から来た青年
第56話 Have a break at deck
白い雲と、太陽の光に反射してきらきらと輝く青く広い海。テレジア号はゆっくりと穏やかな海路を進んでいる。
船員の話によると、ティエル達が目指すアンセムの地には一週間ほどで到着する予定である。
港町オートラントを出港してから早くも三日が過ぎた。
食堂の料理は文句の付けようがないほど美味しく、古いタイプの船には珍しく簡易バスルームも設置されている。
部屋が少々狭いのが小さな不満といえば不満であるが、気になるほどではない。むしろ快適な船旅と言っていい。
リアンは一人甲板に出て潮風に身を委ねながら、果てなく続く大海原を眺めていた。
彼女が一人旅だと勘違いした数人の男達が先程から何度か声を掛けてきたが、それらを慣れた様子でかわしていた。
遠くからでも一際目立つ、美しいハニーシアンの長い髪。女性らしい曲線を描くしなやかな肢体。可憐な顔立ち。
美人は罪である、とリアンは満足そうに口元に笑みを浮かべた。
(アンセムに渡れば、私の探し物が今度こそ見つかるかしら。……封魔石イデアを手にすることができるかしら)
蜂蜜色の混じるカーネリアンの瞳をすうっと細くする。
いかなる強国ですら滅ぼすことのできる力があるというイデア。リアンはそれだけを求めて旅を続けてきたのだ。
どんなに小さな可能性であっても進んで行かねばならない。自分に力を授けてくれた、あの方の力になるために。
あの方に相応しい女でなければならない。あの方の隣に並んでも、永遠に見劣りのしないような女でなければ。
それができないのであれば……捨てられるだけだ。
……いけない、つい感傷的になってしまった。
頭を振ったリアンは周囲を眺めてみる。甲板に出ている人数は疎らで、所々に数名が集まっているだけであった。
昼食の後からティエルの姿を見ていない。確か彼女は船内を探検してくると、意気揚々として出掛けて行った。
サキョウはトレーニング後は少しの間昼寝をするらしい。船旅は身体が鈍って仕方がないのだと彼は言っていた。
そんな暇を持て余しているリアンの瞳に、潮風で靡いている青い髪とドレスを模した紺を帯びるコートが映る。
何度見ても仰々しい服装である。しかしそれが彼によく似合っているのだから、悔しいけれど何も言えない。
リアンに背を向けた格好のクウォーツは彼女に気付くこともなく、手すりを掴んで海を眺めているように見えた。
「うふふ、なぁにしているんですの? クウォーツさん!」
クウォーツを驚かせてみたくて多少の悪戯心を胸に歩み寄ったリアンは、彼の背後からひょこっと顔を覗かせる。
だが、やはりというか彼は僅かな反応すら見せずに大海原を見つめていた。
その上彼女に視線を向けることもしない。はっきりと述べるならば、完全に無視をされている状況だということだ。
「……ちょっとあなたね、無視しないで下さるかしら。返事くらいしたらどうなんですの?」
「何か用か」
「クウォーツさんなんかに用があるわけないでしょう」
「だったら声をかけるな」
呆気なく会話は終了。クウォーツは既に、リアンの存在など最初からなかったかのように視線を海に向けている。
ただ海面を眺めているだけでは退屈をしないのだろうか。勿論退屈という感情が彼にあれば、の話であるが。
多くの男達にちやほやされることに慣れたリアンには、素っ気無さ過ぎるクウォーツの態度が気に入らなかった。
「ねえ」
「……」
「ねえってば」
「……」
「ねえねえ聞いているんですの」
「うるさいな」
立ち去ろうとはせず、構ってほしそうに隣に立っているリアン。彼女も長い船旅で暇を持て余しているのだろう。
しかし今回は相手が悪かった。長く楽しい会話を無口なクウォーツに求めること自体がそもそもの間違いである。
「雑談相手を探しているのなら他を当たれ」
「勿論そうしたいですわ。けどティエルもサキョウも無理だから、仕方なくあなたに話しかけているんですの」
「丁重にお断りさせていただこう」
「こんな美女の誘いを断るつもりなんですの? これでも故郷では、美人三姉妹と呼ばれて有名でしたのよ!」
「三姉妹? 姉妹がいたのか」
「え? ええ、私は真ん中で姉と妹がいますわ。と言いますか、反応してほしいのはそこじゃないんですけど」
「妹がいるとは到底思えない我が侭ぶりだ」
「なんですって!?」
静かな甲板にリアンの怒鳴り声が響き渡る。その声に驚いて振り返る乗客達の視線の先には、一組の男女の姿。
片方は、まるで物語から抜け出てきたかのような美青年。片方は、悩ましい曲線を描く肢体を持った美しい女。
黙って立っているだけでも周囲の視線を集めてしまうクウォーツとリアンなのだ。
そんな美しい容姿である二人が他愛のないことで延々と言い合いを続けている姿は、目立つ上に異様であった。
遠巻きで二人の姿に見惚れていた乗客達は、終わる気配を見せない言い合いに一体何事なのかと首を傾げている。
「それはともかく、美しかろうが醜かろうが私にとっては同じこと。そんな理由で私が態度を変えるとでも?」
潮風で乱れた青い髪を軽く整え、クウォーツは淡々とした声を発した。
「思い通りの対応をされなかったからといって、その都度文句を言われてはたまらない」
「なっ……」
「男にちやほやとされたいのならば、別に私でなくてもいいだろう。その辺の男達に相手をしてもらえばいい」
あまりにも図星を突かれ、リアンは一瞬だけ言葉に詰まってしまう。
何も言い返せない。まるで彼に心の中を覗かれているようであった。だがそんな言い方はないではないか。
異性にこんな冷たい言葉を投げ掛けられたことなど、ただの一度もなかったのに。
「そんな酷い言い方ないじゃない。なによ、馬鹿にして!」
「? 馬鹿にはしていない」
「女の趣味が悪いあなたには言われたくないですわ。……ハイブルグ城下町であなたの噂を聞いたんですからね」
ああ、本当はこんなことを彼に言うつもりではなかったのに。
それが言ってはいけない台詞だということも勿論理解していた。それなのに、口が勝手に言葉を紡ぎ出していく。
緩やかに振り返ったクウォーツは、特に何も言うわけでもなく薄青の瞳でじっと彼女を見つめた。
「あなたはギョロイアさんの愛人なんだって。あんな醜いお婆さんに媚売って、あなた恥ずかしくないの!?」
はあはあと息荒く叫んだリアンは、クウォーツから視線を逸らした。
心の奥底にまで突き刺さってくるような無感情な硝子の瞳を、今は真正面から受け止められる自信はなかった。
自分がどんなに酷いことをクウォーツに言っているのか分かっている。だからこそ、彼の反応が怖かったのだ。
……しかし長い間の後。彼から発せられた声は、普段と何ら変わりのない淡々とした声であった。
「私のことをどんなに悪く言おうが貴様の勝手だが、彼女のことまで悪く言うのはやめろ」
「……っ」
「美しいとか醜いとか、それしか貴様は言うことがないのか」
悔し紛れに張り上げたリアンの台詞を耳にしても、クウォーツは表情一つ動くことはなかった。
普段と同じように、薄い色の瞳をただ向けてきた。この瞳で見つめられると嘘が吐けない。吐くことができない。
言いようのない後悔が彼女の胸を支配していく。謝っても謝りきれない。こんなこと心にも思ってなかったのに。
「分かったのなら、視界から消えていただきたい」
「……さい」
「まだ何か?」
「……ごめん……なさい」
「……」
クウォーツから辛辣な言葉を投げ掛けられても、リアンはその場から動こうとはしなかった。
彼を見ようとはせずに唇を噛み締め視線を落としていたが、やがて聞き取れないほど小さく謝罪の言葉を発する。
「私、あなたのこと何一つ知らないから。少しでもあなたのことが知りたいだけなのに。……なんでいつも……」
「無理をしてまで私を知る必要はない。上手くいかないような好まぬ相手なら、関わらない方がお互いのためだ」
リアンから既に視線を外して海原に顔を向けていたクウォーツだが、その言葉にちらり、と視線だけを向けた。
「私の言うことは間違っているか」
「間違ってはいないと思うんですけど……」
「けど?」
「……それでも歩み寄ろうと努力するのが仲間でしょう? クウォーツさんには分からないかもしれませんけど」
「仲間?」
呟くように発せられたリアンの言葉に、クウォーツは初めて手すりから手を離して振り返る。
「私は仲間なのか」
「そうですわ、一緒に旅をしているんですもの。それに、あなたのこと、別に嫌いな相手ってわけでも……」
「……」
「そもそも嫌いだったら一緒に旅なんてしませんし……だからといって、あなたが大好きって意味ではなくて」
クウォーツに無表情でじっと見つめられ、そわそわと落ち着きなく彼女は視線を泳がせながら口を開いた。
はっきりと言葉にするわけでもなく、口の中で自分に言い聞かすかのように呟くリアンを暫くの間眺めていたが。
「少しくらいなら」
「え?」
「雑談、したいんだろ。少しくらいなら付き合ってやるよ」
「本当に?」
「……私も暇だしな」
艶のある青い髪に手櫛を入れてから、無表情のままクウォーツはリアンの頭を軽く小突いた。
+ Back or Next +