Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第6章 遠い国から来た青年
第61話 カリュブディス神殿 -2-
ぽたり、ぽたりと。どこからか聞こえてくる雫の音。
近いようでとても遠い。ふわふわとした雲の上で、横たわりながら夢うつつで聞いているような錯覚に陥った。
どうして自分はこの音を聞いているのだろう。そもそもどこに横たわっているのだろうか。早く目を開けねば。
段々と鮮明になっていく意識。遠ざかっていた雫の音も、すぐ近くで鳴り響いているようだ。
重い瞼を開き、ティエルの瞳に一番初めに映った光景は……青い硝子で作られたような透き通った天井であった。
「いたた……」
身体の節々が痛い。どこかで打ち付けたのだろうか。
ゆっくりと身を起こしたティエルの周辺では、同じく目を覚ましたばかりだと思われるリアンとサキョウの姿。
彼らも寝ぼけた顔付きで身を起こすと、物珍しそうに辺りを見回している。
「サキョウ、リアン」
「あらティエルも気が付いたんですの、身体中を打ち付けたように痛いですわ。レディに対して酷い扱いねぇ」
「ここがカリュブディス神殿なのだろうか?」
……ひどく静かな場所であった。恐らく全てが硝子で作られているのだろう。
青く透き通った空間は光を発する不思議な海藻に照らされて、この世のものとは思えないほど美しい光景である。
まるで竜宮城のようだ、とサキョウが小さく呟いた。おとぎ話に登場する海底の王国の名前なのだという。
相変わらず水の滴る音が響き渡っているが、一体どこから聞こえてくるのだろう。
硝子細工を途中で諦めてしまったような、中途半端にぐにゃぐにゃと折れ曲がった像が辺りに立ち並んでいる。
手に武器を持ったそれらは、侵入者であるティエル達を無言で睨み付けているようにも思えてしまう。
「夢を見ているみたいに綺麗なところだね。海の底にこんな場所があるなんて、感動しちゃった」
背後を振り返ると洞窟のように開いた口があり、どうやら現在自分達は神殿の入口付近にいるようだ。
触れるとつるつるとした感触のする地面に手を触れると、ティエルは恐る恐る立ち上がった。
番人像が並ぶ入口の奥は、透き通った廊下が延々と続いている。カリュブディスとやらはこの奥なのだろうか。
「気が付いたのか」
「クウォーツ」
かつかつと革靴の音を響かせて、カリュブディス神殿の周囲を探索していたと思われるクウォーツが姿を現した。
「周辺は透明な岩が立ち並ぶ海底だった。神殿全体を包み込むように、薄い膜が魔法で張られているようだ」
「おいおい、一人で動き回るのは危険だぞ! ……それはさておき、薄い膜のお陰で海水が入ってこないのか」
「危険? それは私に向かって言っているのか」
「当然だろう。お前だろうが誰だろうが、ワシは心配するよ」
「……」
己の強さを自負しているクウォーツにとって、心配をされてしまうのは酷く心外なことなのであろう。
何を言っているんだとばかりに無感情な青い瞳をサキョウに向けるが、彼のお節介は今に始まったことではない。
サキョウとはそういう人物なのだ。そのためクウォーツは反論を続けることもなく、ふいと視線を外した。
「それにしても、肝心の白髪男の姿が見えませんわよ。まさか、私達をここに置き去りにしたんじゃ……」
「呼んだかい可愛いお嬢さん? 白髪男呼ばわりとは傷付くな。こう見えても、ぼくはまだ二十三歳なんだけど」
「ぎゃーっ!?」
色気も何もない悲鳴を上げたリアンの背後には、音もなく現れたジハードの姿。
太陽の光を帯びた白髪を持つ若者である。穏やかな物腰だが、一体何を考えているのか分からない青年だった。
「あなた達の察するとおり、ここは神殿の入口だよ。……パンドラの箱を持つカリュブディスは最奥にいる」
「パンドラの箱を手に入れるためには、どちらにしてもカリュブディスとやらを倒さねばならんというわけか」
「うん、まぁそういうことになるね」
これは大事になったと難しい顔をするサキョウに向けて、ジハードは事も無げに頷いてみせる。
その時、数人の足音がこちらに向かってきた。姿を現したのは、恐らく神殿周辺を警備していた兵士達であった。
全身を銀色の鱗で包み、離れた丸い目と大きな口を持った二足歩行の種族。彼らは魚人族と呼ばれる者達だ。
「……騒がしいと思ったら人間どもが紛れ込んでやがるぜ? ジハードが連れてきたんだろ、どうせ」
「またオレ達に逆らおうってのか? カリュブディス様に気に入られているからって好き放題しやがって!」
「気に入られている? ……その言い方は随分と語弊があるね。あいつは単にぼくを利用したいだけなんだから」
蔑むように投げ掛けられた魚人達の台詞に対して、ぴくりと片眉を上げたジハード。
不快感を露わにしつつも口元は柔らかな笑みを浮かべていたが、彼の右手は既に小さく文様を描き始めている。
「喧嘩を売っているつもりなら相手が悪いよ。ぼくはあなた達よりも遥かに強いんだから。……ん?」
「人魚さんだ! わーっ、感激だなぁ。ねえねえ、本物の人魚さんだよ。やっぱり信じていてよかったぁー!」
「違いますわよティエル。あんな不細工な種族が人魚のわけがないでしょう? あれは魚人族というんですのよ」
「うむ、人魚とは美しいおなごの種族だと聞いた。あの者達はどう見ても男だろう?」
「え……あの人たち人魚じゃないの……?」
感激のあまり目を輝かせているティエルを半ば呆れがちに眺めたリアンは、溜息と共に簡単な解説を始めている。
その背後では彼女の解説にうんうんと頷いているサキョウ。クウォーツなど魚人達に視線すら向けていなかった。
「ち、ちょっとあなた達ぼくの話を聞いているのかい? あの魚人達は敵なんだけど」
「嫌ですわ、あんな生臭そうな不細工達と戦うなんて。クウォーツさん、リハビリも兼ねて戦ってきなさいよ!」
「は?」
「ダゴンとの戦いでも、あなた偉そうな態度の割には全然役に立っていなかったじゃないですの」
「貴様もだろ」
いつまでも騒ぎ続けるティエル達を前にして、ジハードは人選を誤ったのかもしれないと少々後悔を始めていた。
……果たして彼らと共にカリュブディスを倒すことができるのだろうか。
初めはティエル達を危険視していた魚人達も、彼らを恐れることのない脆弱な存在だと判断したようだった。
「おいジハードよぉ……いくら協力してくれる奴がいないからって、こんな人間どもを連れてくるかぁ?」
「ひゃははは、計算高いお前にしちゃあ完全な人選ミスだな。戦えんの? こいつら」
「うるさいなぁ。あなた達に言われなくても、見る目がなかったかもしれないと若干後悔しているところだよ」
顔を寄せ合い、馬鹿にしたように大笑いを始める魚人達。
さすがのジハードも顔を赤くしながら虹色に輝く本を抱え込む。ティエル達は未だ好き勝手に騒ぎ続けていた。
「ジハードが連れてきた人間っていうから、どんな凄腕の戦士かと思えば……チンチクリンのガキが一匹だろ?」
「チンチクリン!?」
「すげぇ頭悪そうなデカパイの女が一匹」
「頭が悪そうですって……?」
「熊ゴリラが一匹。ここは動物園じゃねぇっての」
「く、熊ゴリラだとぉおお!?」
「股間にタマ付いてなさそうな、女みたいな顔した青い髪のフニャチン野郎が一匹」
「……」
「お前らみたいな奴ら相手にするまでもねぇよと言いたいところだが、オレ達も退屈していたところだしなぁ」
「侵入者は生きて帰さねぇよ。暫くオレ達の遊び相手になってもらうぜ!」
「まずい。あなた達、ぼくの後ろに早く下がって……!?」
醜い笑みを浮かべて武器を握る魚人達の様子に、ジハードはティエル達を守ろうと慌てて呪文の詠唱を始めるが。
それよりも早く背後から地面を蹴る音が響き、同時に青き風の如くクウォーツがジハードの横を駆け抜けていく。
続けて彼の後を追うように、剣を握ったティエルが魚人達に向かって飛び出して行った。
魚人達の利き腕を斬りつけて武器を叩き落としていくティエル。
クウォーツは容赦なく魚人達の首を目掛けて軽やかに赤い剣を振るい、斬り飛ばされた頭部が次々と宙を舞った。
「え!? お、おい……こいつら、もしかして滅茶苦茶強いんじゃ……!」
「マジかよ!」
「……あら、今頃気付くなんて遅いですわね。あなた達の目は節穴なんですのぉ? ウインドカッター!」
運良くティエルとクウォーツの剣から逃れた魚人達の前には、にっこりと笑みを浮かべるリアンの姿。
天女のような麗しい笑みと共に柔らかな唇から紡ぎ出される言葉は祝詞ではなく、慈悲なき魔法の詠唱であった。
魔力で生み出された翠の真空の刃が魚人達の身体を切り刻んでいく。
「やべえ、逃げろ!」
「カリュブディス様に早く報告するんだ……!」
「ジハードの野郎、覚えていやがれ!」
「カリュブディスとやらに伝えられてはやりにくいのでな、申し訳ないがお前達を行かせるわけにはいかん」
逃げ出そうと振り返った魚人達の襟首をひょいと掴んだサキョウは、拳を握り締め鳩尾に強烈な一撃を叩き込む。
悲鳴もなく意識を手放した魚人達を、次々と積み上げていく様は壮観であった。
「……」
ジハードに人選を誤ったとまで思われてしまうほど、好き勝手に騒ぎ続けていたティエル達。
そんな彼らのまるで人が変わったかのような戦闘の様子を、ジハードは呆然と眺めていることしかできなかった。
一見それぞれが自由に戦っているようにも見えるが、自らの役割を果たしながら互いのフォローを忘れていない。
見たところ戦闘能力が飛び抜けて秀でているのは悪魔族の青年か。
彼が最初に道を切り拓き、茶髪の少女が止めを刺す。魔法使いの女は全体の流れを把握しながら後方から援護し、
彼らから逃れた敵は色黒の大男が逃さない。まとまりのない四人かと思えば、見事なチームプレイである。
「……人選を誤ったというのは、どうやら早まった判断だったかな」
「何が人選なの?」
「うん? あはは、なんでもないよ」
首を傾げるティエルを前に、ジハードは片手を振りながら誤魔化すように笑うのだった。
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