Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第6章 遠い国から来た青年
第65話 海王カリュブディス -2-
カリュブディスを守るようにして立ち並ぶ魚人兵士達。
一人一人の実力は恐れるほどではないが、何しろ数が多い。全てを相手にしていては体力を奪われるだけだ。
海王はこのまま己の手を一切汚すことのないまま、ティエル達を葬り去る気なのだろう。
魚人兵士達を相手に背後で戦いを続けるリアン達の様子を一瞥したティエルは、隣のジハードを振り返った。
スカイブルーの瞳を細めてカリュブディスを睨み続けていた彼だが、はっと我に返ると彼女へと視線を移す。
何かを言いかけようと口を開き、しかしジハードはそのまま口を閉ざしてしまう。
「ねえ、ジハード。……あなたを助ける方法、たった一つだけあるよ。最初からそうすればよかったんだ」
剣を打ち合う音、魔法が炸裂する音、同時に上がる悲鳴は魚人兵士達のものだろうか。様々な音が鳴り響く。
爆発の光で一瞬だけ橙色に染まった白髪を押さえてから、ジハードはふるふると首を振った。
「だめだよ、ティエル。それはしちゃいけない」
「……どうして」
「あなた達は、そんなことよりも他に為すべきことがあるでしょう。そのために危険を承知でここまで来た」
「……」
「気持ちは嬉しいけれど、目的を見誤っちゃいけないよ」
また、橙色の光。
その柔らかな光に照らされたジハードの表情は、諭すような、しかしひどく穏やかで優しげな表情であった。
こんな笑顔で見つめられては、何も言えなくなってしまうではないか。彼はとてもずるいとティエルは思う。
「カリュブディスを亡き者にするのがぼくの望みだ。彼亡き後、この海底神殿で暮らすのも悪くはないかもね」
そもそも先に手を出してきたのはカリュブディスなのだ。ジハードに反旗を翻されても自業自得であった。
海王亡き後、ジハードに一体誰が刃向かえるというのか。恐らく魚人達は誰も彼に手出しはしなくなるだろう。
のんびりと昼寝をしながら、ホエールズシュラインを渡る船を見守っていく。それでもいいと彼は言っている。
「だからティエル、どうかぼくに力を貸してほしい。……あなたの願いとぼくの望み、一緒に叶えるんだ」
「うん……」
納得のいかない表情のまま、ティエルは頷いてみせた。
柔らかな笑顔に完全に隠されてしまって、ジハードの本心が見えない。彼は本当にそう思っているのだろうか。
本当に諦めているのか。ただ憎きカリュブディスが倒れてくれさえすればいいと、本気で思っているのだろうか。
家族の元に帰りたいとは思わないのだろうか。友達の元に帰りたいとは思わないのだろうか。
……考えるのは後にしよう。今はただ、ジハードの願いであるカリュブディスを倒すことだけを考えるのだ。
海王カリュブディスが、考え事の片手間で倒せる相手ではないことくらいティエルにも分かっている。
海王や魚人兵士達はリアンやサキョウ達に目を向けており、ティエルのことなど気にも留めていないようである。
その隙を見逃すわけにはいかない。彼女は力一杯地面を蹴り上げると、単身カリュブディスへと向かって行った。
海王の元へは行かせぬとティエルを襲った魚人達が、まるで透明な壁に弾き返されるようにして転がっていく。
気付けば己の周囲が虹色のヴェールに包まれていた。背後を振り返ると、ジハードが本を片手に頷いてみせた。
彼の防護の魔法である。
虹のヴェールに包まれたまま、ティエルは死角から竜鱗の剣をカリュブディスへと振り下ろした。
しかし余裕の笑みを浮かべる海王は、彼女の行動など既に見切っていた。片手を伸ばすと軽々と剣を受け止める。
甘いな、と口を開きかけたカリュブディスだったが、脇腹に凄まじい衝撃を感じて泡を吹きながら壁に激突した。
「ぐぶっ!?」
「……ティエルにばかり気を取られていたぞ、カリュブディスよ」
「うああ、カリュブディス様ご無事ですか!?」
周囲の魚人兵士達を粗方片付けていたサキョウが、全身の筋肉を隆起させながら渾身の鉄拳を叩き込んだのだ。
予想外の攻撃に、流石のカリュブディスも兵士達に介抱されながらも暫く立つことができないでいるようだ。
どうやら海王にも体術は効くようだと、ふうと溜息をつく。
「いつ見ても破壊力抜群の拳だ」
血泡を吹くカリュブディスの様子を無表情で眺め、サキョウの隣に音もなく降り立ったクウォーツが口を開いた。
「長年鍛え続けてきただけのことはある」
「そうか? ははは、お前に褒められると照れるなぁ」
「私と戦った時も、貴様の拳で肋骨が五本ほど折れていたらしい」
「うむ……」
「そのうちの何本かは臓器に突き刺さ」
「うわーっ、頼むからそれ以上言わんでくれ! すまぬ、あの時はティエル達を守ろうと必死だったのだ……」
「?」
クウォーツの言葉にぎくりとその巨体を震わせたサキョウは、青い顔をしながら両手を合わせて謝り始める。
拳の威力を褒めたつもりであったのに、何故か謝られることになったクウォーツは首を傾げるだけであったが。
「邪魔だ、どけ役立たずどもが!」
忌々しげに血を吐き捨てたカリュブディスは、助け起こそうとする魚人兵士達を苛立ちながら次々と殴り飛ばす。
兵士の一人は哀れにも首の骨が折れ、そのまま物言わぬ骸となって地に転がった。
初めて目にする鬼のようなカリュブディスの形相に、魚人達でさえも恐怖に怯えた表情を浮かべながら硬直する。
「愚か者め。オレの心配をしている暇があるなら、さっさと人間どもを仕留めてこい……!
地上を這う蛆虫のような人間風情が、このカリュブディスに傷を付けた罪は死でもって償ってもらうぞ!」
怒りを帯びた声を発したカリュブディスの身体が粟立ち、ぶくぶくと肥大化していく。
それと同時に幾本もの長くうねった足が出現する。あの船上で戦った海獣ダゴンの姿を彷彿とさせる姿であった。
しかしダゴンとは比べものにならぬほどの凶悪さを秘めている。まさに神殿を統べる海王といった貫禄だ。
醜くうねる足を地に這わせ、正体を現したカリュブディスは不気味な笑みを浮かべながら向かってくる。
途中で触手に巻き込まれて捻り潰された魚人兵士の叫びが響き渡った。
「ぐおっ!?」
己に伸びる触手の一撃を受け止めようと構えたサキョウだが、呆気なく弾き飛ばされて大理石の柱へ激突する。
明らかに先程までのカリュブディスとは桁違いの力であった。これが海王の真の力だというのか。
叩き付けられた背に痛みが走るが、ゆっくりと休んでいる場合ではない。すぐさまサキョウは身を起こした。
「まずいな……これはワシらに勝ち目はないかもしれんぞ」
「それでも勝つしかない。死にたくなければ」
「クウォーツ……」
立ち上がったサキョウの隣で、妖刀幻夢を構えたクウォーツがアイスブルーの瞳をすうっと細くさせる。
彼の視線の先には少し離れた場所にいるティエルとリアンの姿。
「どんなに強い者でも綻びは必ず存在する。完璧なものなんて、この世界には存在しない。……行くぞ」
カリュブディスを挟んでサキョウ達とは反対の位置に立っていたティエルは、竜鱗の剣を強く握り締めた。
汗で上手く掴むことができない。変貌した海王は自分達の手に負える存在ではないと、ティエルにも分かった。
どうやら海王はサキョウとクウォーツを標的にしているようだ。女など敵ではないと考えているのだろう。
「このままじゃ二人が危ないですわ!」
「わたし、サキョウ達のところに行ってくる。二人だけじゃいくらなんでもカリュブディスには勝てないよ!」
「……待ってティエル。そしてリアン。カリュブディス本体を叩くよりも、あいつを弱体化させる方が先だ」
「弱体化って……?」
「そんなことができるんですの?」
駆け出そうとしたティエルの肩を、ジハードが掴んで引き戻す。
彼が黙って指し示したものはカリュブディスの玉座だ。その背後に、紫の光に包まれた水晶玉が浮かんでいる。
紫の光は厳重にも水晶玉を守っており、周囲に攻撃的な光を放っていた。恐らく手を触れれば一瞬で消し炭だ。
「あの水晶玉は秘宝の一つ、羅刹女の宝珠だ。契約した者の力を増大させる力を持っている。
カリュブディスはあの宝珠の力を借りて、一介の魚人から王に成り上がった。宝珠さえ壊せばあいつを倒せる。
けれど、勿論そう簡単に破壊できるような代物ではない。そこでリアン。魔女のあなたの力を借りたいんだよ」
「私の……?」
「うん。宝珠の魔力よりも強い魔力を叩き込めば、破壊することができる。でも残念ながら条件があってね」
強い魔力ならば、自分でなくともジハードでも破壊することが可能ではないのか。
むしろリアンよりも彼の方が高い魔力を持っているというのに。それでも宝珠を破壊することができないのか。
そんな彼女の疑問を既に見透かしているかのように、ジハードは少しだけ困ったように笑みを浮かべてみせる。
「ぼくに破壊は不可能なんだ。……何故ならあの宝珠は、女性の魔力でしか壊すことができない。
羅刹女の宝珠というくらいだから、性別があればあの宝珠は女なのかもね。男は手出しできないってことさ」
……それならば納得が行く。
魔法の使える女は、この場にはリアン一人だけである。力の源である宝珠を破壊する役目は彼女しかいないのだ。
「私しかいないんですものね。魔女の誇りにかけて、必ず破壊してみせますわよ」
「ありがとう、リアン。……ティエル。あなたは彼女の側から離れずに、魚人達から彼女を守ってくれ」
「分かった。ジハードもここで一緒に残ってくれるの?」
恐る恐る問い掛けるティエルに向かって、ジハードは首を振った。
魔本リグ・ヴェーダのページを器用にも片手で捲りながら身を翻し、戦い続けるサキョウ達の方へと進んでいく。
「ぼくも彼らと共に時間を稼ぐ。ぼくらがカリュブディスの気を逸らしている間に、宝珠を破壊してほしい」
+ Back or Next +