Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第6章 遠い国から来た青年

第66話 海王カリュブディス -3-




「肉屑にしてやる、死ね!」

触手を這わせながら突進してきたカリュブディスを、それぞれ逆の方向へと避けたサキョウとクウォーツ。
直撃を受けていれば、間違いなく海王の言うとおりただの肉屑と化していただろう。
ごろごろと水晶の床を転がっていったサキョウは受身を取りながら素早く起き上がる。どうやら無傷のようだ。

一方クウォーツは避けた時の反動を利用しながら身軽に宙を舞い、コートの裾をはためかせながら地に降り立つ。
その蝶が舞うような華麗な動作に、魚人兵士達の何名かは武器を振るうことすら忘れて見惚れていた。


「怪我はないかい、悪魔族の青年。……名前、クウォーツっていったっけ」

背後にはリグ・ヴェーダを抱えたジハードの姿があった。顔を向けたクウォーツを笑顔で見つめている。
だがちらりとジハードを一瞥しただけで、彼は言葉を発することもなく再び顔をカリュブディスへと向けた。
ティエル達ならばすっかり慣れた素っ気無いクウォーツの態度だが、初見の人間にはなかなか理解されにくい。


「あのさ、聞こえているなら返事くらいはしてほしいなぁ」
「……」

「そこまで無視されてしまうと、さすがのぼくでも結構傷付くんだけど。まるで人形のようだね、あなたは。
 とにかく、リアンが海王の力の源である宝珠を破壊するまでの間、あいつの足止めに協力してくれるかい?」

「足止め?」
「あ、やっと返事してくれた。玉座の背後で光っているあの宝珠は、カリュブディスの力の源なんだ。
 宝珠が破壊されたと同時にぼくらで一斉攻撃を仕掛ければ、力を失い単なる魚人に戻ったあいつは必ず倒れる」


リグ・ヴェーダのページをぺらぺらと悪戯に捲りながら、ジハードが口を開く。
いくらリアンが高い魔力の持ち主とはいえ、羅刹女の宝珠を破壊するには短くはない時間を要するだろう。
カリュブディスが気付かぬように、注意をこちらに引き付けておかなければならない。なるべく派手な方法で。


「くれぐれも雷撃には気を付けて。カリュブディスは敵を近くに誘き寄せ、雷撃を操り感電死させるのが手だ」

そのジハードの言葉がまるで合図だったかのように、カリュブディスの蠢く触手から激しい火花が散る。
触手の先に集う黄を帯びた光は、ばちんという音と共に恐ろしい威力の雷撃となって四方へ飛び散っていった。
口の中で詠唱を完了させたジハードは、右手で素早く虹色の魔法陣を描いていく。

「障壁陣!」

魔法陣を完成させ、軽く指を鳴らす。
海王から放たれた雷撃は全て、虹色の魔法陣が盾となって弾き返したのだ。魔法の完成速度が尋常ではない。
どうやらジハードは相手を傷付ける攻撃系の魔法よりも、味方をサポートする系統の魔法が得意のようである。


「助かったぞ、ジハード! ……しかし海王の気を逸らす良い方法はあるのか?」
「あなたとクウォーツはカリュブディスがティエル達に背を向ける形になるように攻撃を仕掛け続けてほしい」
「難しそうではあるが……うむ、承知した」

「ぼくはカリュブディスの雷撃が、あなた達に降りかからぬように全力でサポートするから」

背後から駆け寄ってきたサキョウの手には、気絶した魚人の首根っこが掴まれていた。
己の役割を聞いて、思わず緊張の表情を浮かべながら頷く。相手の気を逸らし続けることは案外難しいのだ。
クウォーツはというと、ジハードの作戦を耳にしていたのかしていないのか、既に海王に向けて駆け出していた。
だがカリュブディスが己にしっかりと注目するように計算され尽くしたステップを踏み、海王を翻弄している。


「……リアン、どう? 宝珠を破壊できそう?」

海王の足止めを続けるクウォーツ達の様子が気になるのか、ティエルはちらちらと彼らの様子を気にしていた。
その間にも何名かの魚人兵士達の襲撃があったが、竜鱗の剣で地に叩き伏せる。


「今魔力を溜めている最中ですわ。あと五分ほどカリュブディスの気を逸らしてくれれば発動できますわよ」

振り返ったリアンの額には、いくつもの玉の汗が浮いていた。
彼女の掲げるロッドの先には最も得意とする炎の魔法が渦巻き、呟く詠唱と共にどんどんと炎が肥大していく。
これだけでも凄まじい威力だというのに、まだ時間が必要なのか。五分とは短いようでとても長い。

どうか海王が気付きませんようにと、彼らが無事でいてくれますようにと、ティエルは祈るように目を閉じた。


海王はティエル達に全く気付くこともなく、休みなく攻撃を仕掛けてくるサキョウ達をひたすら追い続けていた。
一番癇に障る攻撃を仕掛けてくるのは、やたら素早い青い髪の若造だ。完全に海王を煽っている。
まずは青い髪の男を亡き者にしてやろうと手を伸ばせば、色黒の大男が踏み込んできてそれを邪魔するのだ。

ならばまとめて葬ってやろうと雷撃を放てば、ジハードが護りの魔法陣を発動させる。ああ、小癪な。苛々する。
……それにしても人間どもの様子がおかしい。
本気で攻撃を仕掛けてこないのだ。まるで挑発して気を引こうとしているかのように。一体何を企んでいるのだ。

一瞬だけ、大男の視線が何かを確認するかのように動いた。その後の安堵の表情を見逃すほど海王は甘くはない。
背後を振り返ると、奴らの仲間の一人である魔女が、羅刹女の宝珠を破壊しようとしているところであった。
そうか。男どもの煽るような戦い方は、あの魔女から注意を逸らすための作戦だったのか。


「まずい、カリュブディスがリアン達に気付いてしまった!」

「くくく……はっはっは! ジハードよ、人間風情がよくもここまでこの海王を虚仮にしてくれたな。
 羅刹女の宝珠を破壊させるわけにはいかん。宝珠の力を全て解放し、破壊される前にお前達を葬ってやるわ!」


カリュブディスの怒りに共鳴し、羅刹女の宝珠が一際強い光を発する。
その衝撃波にも似た強力な魔力は、近くに立っていたティエルとリアンをいとも簡単に弾き飛ばしてしまった。
宝珠の魔力が急激に膨れ上がっている。全力のリアンの魔力を以ってしても、既に破壊は不可能であろう。


「宝珠の魔力を全て解放させたオレに、最早敵はなし! これで終わりにしてやる、死ね愚かな人間どもよ!!」
「くっ、みんな地に伏せるのだ!」

海王の怒号と共に、膨れ上がった宝珠から雷撃が迸る。
まさに雷雨が降り注ぐ中、サキョウが宝珠に飛ばされ無防備な体勢であるティエル達を守ろうと駆け出していく。
だが雷撃は無情にも王の間全体に降り注ぎ、悲鳴を上げる魚人兵士達をも黒炭へと変えていった。


「畜生、ぼくの魔力よ……どうか彼らを守ってくれ!!」

眩い雷光。
雷雨は周囲の壁や柱を次々に粉砕していく。誰かの手だったもの、足だったものが光の中を過ぎっては砕け散る。
衝撃でがらがらと崩れていく王の間の中心で、ジハードは渾身の力を込めて護りの魔法陣を発動させた。
しかし焦りのために詠唱が不十分だったのか、出現した魔法陣は光の中で跡形もなく消え失せてしまったのだ。


やがて雷雨が止むと、立ち込める黒煙も徐々に引いていく。煙が引くと、現れたものは無残に破壊された王の間。
砕かれた水晶がきらきらと降り注ぐ様は、どこか美しくもあり、そして哀しい光景でもあった。
黒ずんだ水晶の塊。砂塵。岩。辺りに散らばる魚人兵士達の黒く焼け焦げた死体。千切れた手足や首だったもの。

あまりにも目を逸らしたくなるような光景である。
その中心で、ジハードは一人立ち尽くしていた。彼の周囲だけが、一切雷雨による影響を受けていなかったのだ。
何故。どうして自分だけが無傷なのか。瞬時にその答えを導き出した彼は、カリュブディスを振り返った。


「カリュブディス、お前まさか……」
「そうだジハード。心優しいオレは、お前にチャンスをやろうと思ってな。お前だけは助けてやったのだ」
「……」
「今からでも遅くはない。ジハード、オレの右腕となって共に魚人王国を作り上げよう」


だがジハードはそんなカリュブディスから無言で視線を外し、ティエル達の姿を求めてふらふらと歩き始める。
黒ずんだ死体達の中に、どうか彼らの姿がありませんように。半ば祈るようにジハードは進み続けた。

その時。水晶の塊の隙間から赤く染まった手が見えた。
慌てて駆け寄り岩を転がすと、火傷と打撲のために血に塗れたティエルとリアンが寄り添うように倒れていた。
恐る恐る揺り動かしても反応すらしない。力なく頭を振りながら一歩後ろに下がると、サキョウの姿が目に入る。


……宝珠に弾き飛ばされた彼女達を守ろうと、きっとそれだけを考えていたのだろう。
自分の身がどうなろうとも構わずにサキョウは雷雨の中を駆け抜けた。だが辿り着く前に力尽きてしまったのだ。
うつ伏せに倒れるサキョウの背には、いくつもの黒ずんだ火傷の痕があった。名を呼びかけても返事はない。

その傍らには折れた柱の下敷きになり、意識を失ったクウォーツの姿。
雷撃は免れているようだが、出血が酷くじわじわと血池が広がっている。彼が倒壊する柱に気付かぬはずがない。
あの雷雨の中。サキョウに向けて倒れてきた柱に、彼が誰よりも早く気付いていたことをジハードは知っている。


「可哀想になぁ。お前がここへ連れて来てしまったために、こいつらはこんな目に遭ったんだ。お前の所為だよ」
「ぼくの……」
「お前の所為じゃないと言うのなら、一体誰の所為だ? お前しかいないだろう」

ジハードを追い詰めるかのようなカリュブディスの言葉は続く。

「残念だがこいつらはもう助からない。お前に関わらなければ、こいつらは死ぬことはなかった。
 これはお前がつまらん意地を張り続けて、オレを拒み続けた報いなのだよ。……お前がこいつらを殺したんだ」


「……そうだね。あなたの言うとおりだよ」

暫く俯いていたジハードは、やがてゆっくりと歩き始めた。
クウォーツへ倒れた柱を、唇を噛み締めながら両手で退け、火傷で黒ずんでしまったサキョウの背に手を触れる。
それからティエルとリアンの顔に付着した血を右手で拭ってやった。

「あなた達を巻き込んで……ごめんね。こんなぼくを信用してくれるなんて、呆れるくらいお人好しなんだから。
 でも……嬉しかった。ほんとに嬉しかった。短い間だったけど、まるで友達ができたみたいだったんだ」


もう誰も信じることができないと思っていたけれど。一人でいることに慣れてしまったと思っていたけれど。
……ちっとも、そうじゃなかったな。


「カリュブディス。お前はぼくの魔力を必要としているけれど、ぼくの力は本来誰かを守るためだけの力なんだ」
「ジハード、何を……?」
「リグ・ヴェーダの魔法など所詮は付け焼き刃にすぎない。……見せてやるよ、ぼくが本来持っている力をね」
「なんだと?」

鋭い表情で前を見据えたジハードは、両手で印を結びながら長い詠唱を始めた。

先程まで彼が使用していた虹の魔法陣を描くリグ・ヴェーダの魔術とは、これは明らかに違う種類の魔術である。
彼が生来持つ能力だ。緑の光は一匹の巨大な龍の形を作り上げ、うねるように彼の周囲を取り巻いていた。
ジハードの左腕に入れられた刺青と全く同じ形の龍であった。彼の守護神ともいえるような存在なのだろうか。

「覚えておけ、海王カリュブディス。ぼくは癒術師ジハードだ。誰かを癒し、命を与えるために生きている!!」





+ Back or Next +