Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第6章 遠い国から来た青年
第67話 遠い国から来た青年 -1-
ジハードが放った巨大な龍は、輝く緑の粒子を辺りに散りばめながら王の間を縦横無尽に駆け巡っていった。
目を閉じていると、どこか温かく懐かしい。誰かの優しい腕に抱かれているような錯覚さえ起こす光であった。
緑の光は砕かれた水晶の欠片に反射して一層強く輝き、倒れているティエル達、そして魚人兵士達を包み込んだ。
あまりの眩さに、カリュブディスは両目を覆う。嫌な光だ。浴びていると何故かとても居心地が悪い。
(なんだろう……温かな光だな。ねえ、そこにいるのはおばあさまなの? わたしを迎えに来てくれたの……?)
暗闇に閉ざされていたティエルの意識が、突然一面の光の世界へと塗り替えられる。まるで天国のようだった。
そんな彼女に向かって差し出された手がおぼろげに映った。自分は死んでしまい、祖母が迎えに来てくれたのか。
恐る恐る手を伸ばしたティエルは、差し伸べられた手を握る。……温かい。現実のようにも感じられる手だ。
「……ミランダおばあさま?」
「やだな、ティエル。ほら、よく見てよ」
「え?」
ぼんやりとした目を瞬くと、手を握っていたのは祖母ではなく心配そうな眼差しを向ける白髪の青年であった。
先程まで千切れそうなほど痛みを発していた身体も、今は何も感じない。むしろ力が湧き出てくるほどだ。
カリュブディスの暴走に巻き込まれ、明らかに瀕死の重傷であった魚人兵士達の傷も見事に完治しているようだ。
彼らは一体何が起こったのか理解できずに、ただ首を捻るだけであった。
「あれっ? わたし、傷……治ってる」
「うん」
「もしかしてジハードが? ジハードが治してくれたの? でもどうやって」
ぺたぺたと自分の頬に手を当てたティエルは、信じられぬように口を開いた。
これは何の奇跡なんだろう。こんなことはありえない。完治しているのは、一人や二人なんてものではないのだ。
リアン達は勿論、魚人兵士達すら傷一つ残ってはいない。既に死亡してしまった者達は変わらず倒れていたが。
治癒魔法だったとしても、数十分唱え続けなければ切り傷さえも完治しないはずだ。それなのに一体どうやって。
「これがぼくが本来持っている力なんだ。けれどぼくはどうもこの力が好きになれなくて、封印し続けていた。
誰かを守るためには、強くなければならない。ぼくには相手を傷付けるための強い力が必要だった。……でも」
「でも……?」
「癒すことだって守ることなんだよね。目先ばかりに気を取られていて、ぼくは大切なことを忘れていたんだ」
……そう言って、ジハードは柔らかく笑みを浮かべた。
男にも女にも浮かべることのできない不思議な笑顔。世界でただ一人、彼だけが浮かべることのできる笑顔だ。
晴れ晴れとしたスカイブルーの色をしたジハードの瞳には、既に一片の迷いや曇りなどは残っていなかった。
「あなた達のお陰で、それを漸く思い出したんだ。我ながら気付くのがちょっと遅すぎたけどね」
「ジハード」
「……だから、あなた達をこんな場所で死なせはしない。ぼくが必ず守り抜く」
巨大な龍の姿をした魔力を纏い、ジハードは見せたこともないような厳しい表情でカリュブディスへ顔を向ける。
それを目にした海王は少しも動じることもなく、ふふんと軽く鼻で笑ってみせた。
「馬鹿な男だ。癒す力を使用したところで、それがどうしたというのだ。その力でオレを癒してくれるのかね?」
「治癒魔法でも一点に集約すれば魔力の塊だ。度を越せば衝撃波程度には使えるんだよ、カリュブディス」
両手に龍の魔力を宿し、構えの体勢を取るジハード。モンク僧の構えに似ているようで全く違っている。
次の瞬間驚くほど身軽な動作で地面を蹴ると、一直線に海王へと向かって行った。魔術師らしからぬ動きである。
思い返せば、ジハードの一つ一つの動作が魔術師とは思えぬほど身軽であったことをティエルは思い出したのだ。
カリュブディスから放たれた雷撃を避け、ジハードが片手を突き出すと緑の龍が海王へ勢いよく突っ込んでいく。
ずん、と鉄の塊をその身に受けたような重い衝撃を感じ、カリュブディスの巨体は呆気なく吹っ飛んでしまう。
吹っ飛んだ先には既に虹色の障壁陣が仕掛けてあり、海王は大きくバウンドしながら弾き返される。
「ぐうぁっ!?」
前のめりになり、思わず悲鳴を漏らしてしまう。そこへ突っ込んで行ったのはクウォーツだった。
眉一つ動かさずに剣を振るうと、次の瞬間赤い閃光が走る。あまりの速さに誰の目にも追うことができなかった。
カリュブディスが我に返った時には既に、右腕の激痛と共に斬り飛ばされた己の腕が宙を舞っていた。
「え!? お、おい……まさかオレの腕が」
「海王ともあろう者が、よそ見はよろしくなくてよ! 灼熱の炎を味わいなさいな、メギドフレア!!」
「ぐあああ!」
羅刹女の宝珠に向けるはずだった灼熱の魔法が、カリュブディスの全身を包み込む。
人間の炎など敵ではないと余裕の笑みを浮かべようとした海王だったが、明らかに炎は己の皮膚を燃やしていた。
カリュブディスの表皮を覆う強靭な鱗は、いつの間にか剥がれ落ちてしまっていた。一体いつの間に。
……そうだ、あの時だ。ジハードの放った緑の龍を受け止めた時、龍が触れた部分の鱗が全て剥がれていたのだ。
「海王カリュブディスよ。おぬしも一端に王と名乗るのなら、潔く諦めるのだ。……もうおぬしに勝ち目はない」
「誰に向かって言っている? オレは海王。お前達人間どもに代わり、地上の支配者となるべき魚人族の王だ!」
「ならば覚悟せよ。一つ言っておくが、地上はワシら人間達だけのものではないぞ!」
振り下ろされたサキョウの拳を左手で受け止めたカリュブディスだったが、怪力に耐え切れずに悲鳴を上げる。
呆気なく殴り飛ばされた先には、ティエルが座り込んでいた。
血走った海王の視線と、彼女の視線がぶつかり合う。やはり神は王である自分を選んだと海王はほくそ笑む。
すぐさま身を起こすとティエルの腕を乱暴に引き寄せた。こんな小娘一人くらいならば、片手でも十分殺せる。
「カリュブディス、ティエルを離しなさいな!」
「待て」
「ちょっとクウォーツさん、どうして止めるんですのよ!?」
ロッドを握りしめて思わず駆け出そうとしたリアンの腕を、何かに気付いたようなクウォーツが引き戻した。
「人間どもよ、この小娘の命が惜しければ今すぐ武器を捨てて地べたに這い蹲れ! さもなくばこいつを殺……」
「……ねえ、カリュブディス」
「なんだ小娘、命乞いは聞かんぞ」
「あなたはどうしてジハードに拘り続けるの? あなたの拘り方は、ただ彼の力が欲しいんじゃなくて、まるで」
「黙れ。答える義務はない」
「カリュブディス、もうやめよう。あなたの負けだ」
既に音もなく背後に回っていたジハードのひやりと冷たい手が、その声と共にカリュブディスの首筋に触れる。
……振り向かなくとも分かっている。
あえて感情を省いた声を発しているが、ジハードの表情はどこか困ったような、そんな顔をしているのだろう。
ゆっくりとカリュブディスが振り返ると、やはり想像していたとおりの表情を浮かべるジハードの顔があった。
何故ジハードはそんな表情を浮かべるのだろう、とカリュブディスは思った。相手は自分をこの海底に縛り付けた
憎き海王であるのに。そんな顔をされると、ほんの僅かでも期待をしてしまうではないか。
あの頃に戻れるのかもしれないと、期待をしてしまうではないか。そんなことは決してありえないことなのに。
「……オレの負けだと? オレを誰だと思っている。この神殿を統べる、魚人族最強の海王だぞ!」
ジハードの手を振り払いティエルを突き飛ばした海王は、ふらふらとした足取りで宝珠へと歩み寄って行く。
震える手を伸ばし宝珠に触れると、それが仕掛けのスイッチになっていたのか、王座に小さな箱が現れる。
一見すると何の変哲もない古びた木の小箱だ。だが箱の帯びる魔力が、ただの箱ではないことを物語っていた。
「カリュブディス。パンドラの箱を持ち出して、一体何を……」
「羅刹女の宝珠の力を限界以上に使用してしまった代償に、間もなく宝珠は跡形もなく消し飛ぶだろう。
どうあってもお前を手に入れることができぬというのなら、このパンドラの箱ごとオレは消滅してやろう」
「……カリュブディス」
「はははぁ、残念だったなジハードよ。パンドラの箱が消し飛べば、契約者のお前も共に消し飛ぶ運命なのだ!」
「あなたは……何故そこまでぼくを憎む」
「くくく、はははは! 地獄でまた会おうジハード……!!」
狂ったように笑い声を上げたカリュブディスは、パンドラの箱を抱え込みながら王座にぐったりと身体を預ける。
王座に腰掛けた彼の背後では膨張を始めた宝珠に次々と亀裂が入り、辺りは眩い閃光に包まれた。
その瞬間、目にも留まらぬ速さで駆け出したのはクウォーツである。
妖刀幻夢の剣先をパンドラの箱に引っ掛け、海王の手から奪い取るとそのままティエルの方へと放り投げた。
しっかりと箱を受け取ったティエルは、彼女達を守ろうと防護の魔法陣を描いていたジハードに向けて叫んだ。
「ジハード! ……早くパンドラの箱を開けてえぇっ!!」
箱の封印が解かれたのと、宝珠の衝撃で箱が粉々に消し飛んだのは果たしてどちらが早かったのか。
そして爆音に掻き消されてしまったパンドラの箱へのティエルの願いを耳にした者は、この場にいたのだろうか。
全てが光の中に溶けていく光景を、王座に腰掛けながら眺めていたカリュブディスは微かに笑みを浮かべた。
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