Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第6章 遠い国から来た青年

第69話 戦い終わって -1-




「おい……あいつらが海の中に入ってから、そろそろ五時間以上が経っているんじゃねぇか?」
「残念だけど、もう生きてはいねぇだろうな。あの胡散臭い白髪の兄ちゃんに騙されて殺されちまったんだよ」
「見るからに怪しかったもんなぁ、あの兄ちゃん」

一方。
ティエル達が姿を消したテレジア号では、手すりから身を乗り出した船員や乗客が海面を覗き込んでいた。
皆不安な表情を隠そうともしない。ダゴンは白髪の青年によって倒されたが、あの青年自体信用ならない存在だ。
もしかしたら、ダゴンの大群を連れて再び戻ってくるかもしれない。そんな乗客達の恐怖が辺りを渦巻いていた。

海面は不気味なほどしんと静まり返り、海底の様子を窺い知ることはできない。

ダゴンの弾け飛んだ死体があちこちに散らばっていた甲板は、あの後皆で手分けをして綺麗に片付けられている。
犠牲になった乗客達の遺体には白い布が巻かれ、一箇所に集められていた。
腐敗の進行の関係もあって、船上で命を落とした者は陸に運ばれず海に埋葬されるのが船旅での暗黙の掟なのだ。


「てめぇら黙祷だ! 戦士として海に散った奴らのために、今から皆で黙祷を捧げるんだ」

どすどすと足音を鳴り響かせながら、片目に眼帯を当てた大男が船室から姿を現した。
陽に焼けた肌に、鋭い眼光。長く縮れた黒ひげの先を軽く編んでいる。色の褪せた灰色のコートを羽織った男だ。
彼の右手には、少々萎れた数本の白い花が握られていた。

「船長……」
「恐ろしい魔物相手に皆勇敢に戦ったよ、誇り高い戦士達だ」


船長と呼ばれた男の言葉に、甲板に集っていた乗客達は静かに目を閉じて黙祷を捧げる。
ダゴンの触手に巻き込まれた者。叩き付けられた者。海中に引きずり込まれてしまった者は遺体すら上がらない。
そして信用ならない白髪の青年に連れられて、船から忽然と姿を消してしまった若者達。

彼らが最期まで勇敢に魔物と戦ったと、この場にいる誰もが知っている。命を救ってもらった者も多く存在した。

険しい表情を浮かべながら進んで行った船長は、握っていた白い花を海面に向かって放り投げる。
黒い海にぱっと広がるいくつもの白い花弁。それはまるで、船長や乗客達の流した涙のようにも見えたのだ。


「……突然現れたあの白髪の兄ちゃんは、もしかしたら海底からやってきた死神だったのかもしれねぇな」
「え、どうして?」
「あいつは多くの命を引き換えにしてオレ達を助けた。船を救ってやる代わりに、大きな代償を払えってやつだ」
「いくらなんでも考えすぎだよ、そもそもこの船を助けたのも単なる気まぐれだったし」

「考えすぎじゃねぇよ、何だよおめぇさっきからやけに突っ込んでくるな……って、ぎゃーっ!?」

相手の顔も見ずに会話を続けていた船長は、その時初めてすぐ隣で手すりに肘を突いていた人物に顔を向ける。
白い髪にスカイブルーの瞳。頬と腕の刺青が特徴的な青年が、実に複雑な表情で黒い海面を見つめていた。
まさに今、死神なのではないかと喩えていた人物である。屈強な海の男らしからぬ悲鳴が船長から上がった。


「おめぇいつの間に……!」
「船長が色々と想像を膨らませているところ悪いけど、ぼくは死神でも何でもないただの好青年だし」
「自分で好青年って言うのかよ」
「ほら、ティエル達だってちゃんと戻ってきてるだろ?」

「無事に戻ってきましたー!」
「おおーっ、おめぇら生きていたのか!?」

背後ではティエル達が船員と再会を喜び合っているようだ。……一体いつの間に戻ってきていたのだろうか。
このジハードと名乗った白髪の青年はどうもやりにくい、と船長は思った。
いくつもの困難を乗り越えてきたテレジア号の船長ともあろう者が、こんな青二才相手に気後れしてしまうとは。


「まぁそれはともかくとして、何でおめぇは船に戻ってきたんだよ? 海底に帰ったんじゃなかったのか」

怪訝な表情を浮かべながらジハードを眺める船長。
彼は確か海底の神殿から来たと言っていた。そんな人間が、これ以上テレジア号に用があるとは到底思えない。
今度は一体何を企んでいるんだといわんばかりの船長の様子に、ジハードは思わず苦笑を浮かべる。


「……彼らの旅に同行させてもらおうと思ってね。ぼくが元々海底の住人じゃないのは見れば分かるでしょう?」
「確かに人間にしか見えねぇな」
「そういうわけで船長。暫くお世話になるけど、ぼくの分の船賃はダゴンを倒したことでチャラにしてほしいな」

この短時間で一体何があったのだろうか。
僅かであるが、ジハードの雰囲気が変化しているのだ。初めて姿を現した時の刺々しさが若干鳴りを潜めている。
気にならないといえば嘘になるが、テレジア号の船長はあえてそれを問わずに頷いた。


「命の恩人に船賃なんざ貰わねぇよ。だが困ったことに客室が満室なんだよなぁ……オレの船長室に来るか?」
「えー、どうしようかなぁ」
「ならばジハード、ワシとクウォーツの部屋に来ればいい!」

いつの間に話を聞いていたのか、船長とジハードの間に突然割って入ったのはサキョウであった。
あれほど激しい戦いの後だというのに、元気が有り余っているようである。さすがは日々鍛え続けている僧兵だ。


「幸いにもベッドはなかなか大きかった。少し横に詰めれば、男が二人並んで眠ることだって可能だぞ」


サキョウのような稀に見る大男が横になっても十分余りあるベッドとは、一体どれほどの大きさなのだろうか。
恐らく狭いであろう船室に、キングサイズのベッドを置くことができるのだろうか。そして置く意味はあるのか。
少々その点が引っかかったジハードであったが、せっかくの厚意だ。ここは一つ甘えさせてもらおう。

「ありがとうサキョウ、それじゃあ一緒のベッドでお願いするよ」
「うむ、クウォーツのベッドだけどな!」
「え? ……え?」
「あいつは華奢な体型であるし、お前も割と細身だろう。二人で寝ても十分の広さだ。年齢も同じくらいだしな!」

年齢が同じくらいだということは果たして今の話に関係があるのだろうか……と胸を過ぎったジハードであったが、
サキョウの気持ちのよいくらいの笑顔を眺めていると、そんな細かいことはどうでもよくなってくる。
これを機にあの等身大の人形のような無感情のクウォーツと仲良くなれたら、それはそれで良いのかもしれない。


「どうやら話がついたみてぇだな。ようし、それじゃあ出発だぜ。野郎ども、さっさと自分の持ち場に戻んな!」
「おおーっ!」

再び明るい声を取り戻したテレジア号にゆっくりとマストが上がり、船員達は早速出発の準備に取り掛かった。
ダゴンの進入によって甲板に溜まっていた大量の海水も、乗客達の協力によって今では大分引いたようである。
そして甲板に出ていた乗客達も時刻が深夜であったことを漸く思い出し、あくびをしながら船室へ戻って行った。

乗客達に手を振って別れを告げたティエルは、くるりと向きを変えるとジハード達の元へと駆け寄っていく。
どうやら彼女にも部屋割りの話は聞こえていたようである。


「ジハード、サキョウ達の部屋に行くんだね!」
「うん」
「わたし達の部屋でも別によかったのになぁ。わたしもジハードと一緒に寝たーい」
「やだティエルったら、何てことを言うんですの! ……筋金入りの天然発言も、ここまでくると立派ですわね」

ティエルの無邪気な発言に、隣で聞いていたリアンは思わず目を見開く。
いくらティエルに他意はないとはいえ、年頃の乙女が若い男と一緒に寝たいなどと大きな声で言うものではない。
何故かリアンに怒られることになった彼女は、理由が分からずに目を白黒とさせていたが。


「まぁそういうわけで……申し訳ないけど暫くの間よろしくね、クウォーツ」

そういえば、当の本人であるクウォーツに了承を得ていなかった。勝手に話を進めていたことを思い出す。
しかしジハードが明るく声をかけても、顔を向けることすらなくクウォーツはすたすたと甲板を歩き始めてしまう。
遠ざかっていく彼の後ろ姿を眺めながら、仲良くなるのはなかなか難しそうだとジハードは大きな溜息をついた。


「ぼくら、仲良くなれるのかなぁ」
「気にしなくてもいいですわよ、いつものことなんですから。……さぁティエル、私達は部屋に戻りましょう」
「身体中べたべただから、お風呂に入りたいよー」

先程まであれだけの死闘を繰り広げていたために、ティエル達は煤や汗、そして魚人の返り血などで汚れていた。
いくらなんでもこのまま寝るわけにはいかない。あまり気にしないようなサキョウはともかく、女性は嫌だろう。
幸いにも部屋には簡易バスルームが設置されている。ダゴンの襲撃によって故障していなければいいのだが。

部屋に戻っていくティエル達を見送り、サキョウは顎に手を当てながらジハードの姿を上から下まで眺めていた。
一体何を観察しているのだろうと、彼の不審な行動にジハードは思わず首を傾げる。


「どうしたの、サキョウ」
「ジハード、お前はとりあえず風呂に入れ。頭から返り血を浴びて凄まじい状態だぞ。着替えはワシのを使え!」
「サキョウも大概だと思うんだけどね。まさかあなた、そのまま寝るつもりじゃないよね?」

「うむ、勿論だ。駄目なのか?」
「いやぁ駄目というか……シーツ汚れちゃうだろ」
「はっはっは、そうだなぁ。まぁ気にすることでもあるまい!」
「えぇー、少しは気にしてよ」

あまりにも自信満々の様子で胸を張るサキョウ。
もしや普段からその調子なのか。そう考えると、却ってクウォーツと一緒のベッドでよかったのかもしれない。
汗まみれかつ泥まみれのベッドで眠ることに比べたら、隣に誰が寝ていようが綺麗なベッドならば些細な問題だ。

……そんなことをジハードが考えているとは夢にも思わず、サキョウは彼の肩を抱きながら歩き始めたのだった。





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