Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第7章 みそらで嗤う道化師

第71話 眠らぬ港町アモール -1-




四方を湖と森に囲まれた、水と緑の王国メドフォード。

平和で豊かな王国メドフォードとして名高いその理由は、賢王と謳われたミランダの存在が大きな所以である。
早くに夫である国王を亡くしたミランダは、未だ幼い息子達が人の上に立つ人物と成り得るその日までの期間、
女王として即位した。類稀なる魔力と知識を持ち、その力を以って彼女は数々の侵略戦争を無血で終結させた。

ミランダには二人の息子がいた。彼女の知識を受け継いだ兄エドガーと、類稀なる魔力を受け継いだ弟ブラムだ。
ティエルはそんな魔力を受け継いだブラムの一人娘である。
だが彼女に全く魔力は受け継がれなかった。祖母達に対する後ろめたさを胸に、ティエルは杖ではなく剣を握る。

そんな彼女に祖母や亡き両親は惜しみなく愛情を注いでくれ、何不自由のない幸せな毎日を過ごしていた。


……しかし。その幸せは、突如現れた謎の男ヴェリオルの手によって跡形もなく壊されてしまった。
ヴェリオルは祖母ミランダを無残に殺し、教育係のゴドー、友人であったガリオンやサリエの命を奪っていった。
愛する者達を奪われ、そして故国までも奪われたティエルは絶望の中でも生き抜くことを決意し、敵討ちを誓う。

何も力を持たないたった一人の少女には、国を取り戻し敵を討つなどほぼ絶望的である。できるわけがないのだ。
それでも彼女は諦めずに歩み始める。じっとしていては何も始まらない。運命は、自分で切り開くものだから。


だが神はまだティエルを見捨ててはいなかった。
マンティコラの森を進む傷心の彼女の前に現れたのは、カーネリアンの瞳を持つ神秘的な魔女リアンであった。
友のように、そして時には姉のように。明るく世話焼きなリアンはティエルの心の大きな支えとなってくれた。

次に出会ったのは、殺されたゴドーとよく似た雰囲気を持ったモンク僧のサキョウ。
ゴドーの実の弟だという彼は、兄の死を知ってもティエルを責めることをせずに、彼女の旅に同行を願い出た。
彼の真意は未だに測りかねない。だが穏やかで快活なサキョウを、今ではティエルは父のように慕っている。

深い森の奥。そして人目を避けるようにひっそりと建つハイブルグ城。
立ち入ることを禁じられていた赤い薔薇の庭園で、ティエルは感情を失った美貌の青年クウォーツと出会う。
彼は虹が見たいと言った。光が見たいと言った。それなのに、己の身がどうなろうとも他人の幸せを願っていた。
いつまでもクウォーツを城に縛り続ける見えない鎖を断ち切る役目は、自分しかいないとティエルは思った。

願いを一つだけ叶えると同時に消滅してしまうパンドラの箱、そんな言い伝えが眠るホエールズシュライン海域。
船上で、パンドラの箱の鍵たる資格を持つジハードという青年と出会った。
海底神殿の王であるカリュブディスを共に倒すことを条件として、彼はティエル達を海底神殿へと招き入れた。


ジハードに対して歪んだ執着を持ったカリュブディスから、彼を解放する方法はただ一つ。箱に願うことだった。
だがジハードは、それを願っては駄目だと言った。あなた達が海底までやって来た目的を見誤ってはいけないと。

手に入らぬならば、いっそ殺してしまえばいい。ジハードに対する海王の執着は、憎しみの域まで達していた。
ジハードの命を巻き込んだ海王の自爆ともいえる行動から彼を救い出すために、ティエルに躊躇はなかった。
己の存在が消し飛ぶかもしれないという時まで、彼女達を守るために防護の魔法陣を描いていたジハードの姿が、
ティエルの視界に焼き付いていつまでも離れなかった。

そんな彼らとの出会いが、ティエルを一人の人間として王女として、そして剣士として少しずつ成長させていく。
彼女は止まらず歩み続ける。たとえこの先に、どんなことが待ち受けていたとしても。







「ねえ、アモールの港が見えてきたよ。わたし達あそこで降りるんだよね? 町の明かりが星屑みたいで綺麗!」
「そうですわ、約二週間の長い船旅も漸く終わりですわね。新たな冒険の始まりはいつでもわくわくしますわぁ」

時刻は夜の六時を回っている。
すっかり慣れ親しんだテレジア号は、ティエル達の目的である港町アモールへゆっくりと入港しようとしていた。
悪魔族を神と崇めて信仰する邪教『サバトの福音』。大司教ゲマの手にイデアはある、とシグン大僧正は言った。
サバトの福音の本拠地である地下神殿がこの地に隠されているのだという。まずはそれを調べなければならない。

これからが大変だというのに、ティエルとリアンの二人はまるで単なる観光客のようにはしゃいでいた。
船が港へ近付くにつれて、宝石の如く様々な色に光る町の明かりが見えてくる。夜の港もなかなか悪くはない。


「港って夜でも人がたくさんいて明るいんだね」
「大きい港は、夜にも出港や入港する船がありますのよ。まさに眠らない町、うふふロマンチックでしょう?」
「おいおい二人とも、嬉しいのは分かるが……手すりからそんなに身を乗り出していると危険だぞ」
「大丈夫ですー! サキョウは心配性だなぁ」

はしゃぐ二人を見守っていたサキョウだが、少々身を乗り出しすぎていたティエルの服の裾を慌てて掴んでいる。

長い船旅はサキョウにとって不便だっただろう。モンク僧の修行の一つ、激しい組み手が殆どできなかったのだ。
体術の心得のあるジハードを相手に何度か組み手をしていたが、狭い船内で大男が暴れれば結果は見えている。
壁や床を突き破ってしまい、船長に思い切り叱られていた。……勿論ジハードは要領よく既に姿を消していたが。


「ティエル達がはしゃぐ気持ちも分かるな。ぼくは一年近く海底の神殿にいたから、地上は本当に久しぶりだよ」
「それじゃあジハード、わたしと一緒に町を回ろうよ。こう見えても旅慣れた冒険者だし、何でも聞いて!」
「あはは、それは頼もしいな」

ティエルの隣に並んで手すりを掴んだジハードが、にっこりと笑みを浮かべる。
行動を共にするようになってから分かったことだが、彼の睡眠は十時間プラス昼寝三時間が基本なのだそうだ。
眠ることが趣味なのだとジハードは冗談のように口にしていた。だが、冗談とは思えないほど真実味がある。

結局彼は今日までクウォーツと二人でベッドを使用していたが、友情を深めるのはまだまだ難しいと言っていた。
一度ジハードは無意識のうちに掛け布団をぐるぐると己の身体に巻きつけて完全に奪ってしまったことがあり、
その時は容赦なくベッドから蹴り落とされたのだそうだ。

ジハードからそんな話を聞いたリアンは、いい歳をした男二人が子供みたいな喧嘩をするなと半ば呆れていた。
しかしジハードは意に介さず、男はいくつになっても少年の心を持っているのだよ、と笑っていたのだった。


「それにしても狭いベッドとも漸くお別れだな。クウォーツに気を遣いすぎて眠れぬ日々を過ごしていたからね」
「どの口が言う」

下船の時刻が近付いているために、船室にいたはずのクウォーツもいつの間にか甲板に出ていたようである。
ジハードの台詞を耳にした彼は、珍しく間髪入れずに口を開く。まぁ突っ込みを入れたくなる気持ちも分かるが。

「ほら、ぼくって図太いように見えて周囲に気を遣いすぎて疲れちゃう繊細なタイプだろ?」
「意味が分からない」
「逆にあなたは硝子細工のように物凄く繊細そうに見えるけど、なかなか無神経で図太いよね」
「……」

クウォーツに対して、物怖じせずに会話ができる人間は数少ない。
だがジハードは初対面から全く恐れることなく彼と会話を続けている。しかもよく聞くとなかなか失礼な内容だ。
一瞬ひやりとしたリアン達だったが、特にクウォーツは気分を害した素振りも見せずに普段の無表情である。

そんな彼らの様子を眺めていたティエルは、心底嬉しそうな表情を浮かべていたのだった。







港町アモールで下船する乗客は、ティエル達を含めて十名程度だ。
すっかり顔馴染みとなった船長達に別れを告げて、桟橋を渡るとそこは船員が忙しく駆け回るアモールの港だ。
至る所に暖かな色をした橙色のランプが灯り、ちらほらと船を待つ冒険者や観光客の姿が見受けられる。

大きな積荷が山になっている船は貨物船だろうか。
見るもの全てが新鮮で興味深いものばかりだ。ティエルは港に降りた途端にきょろきょろと辺りを見回していた。


「あの船達は、これからワシらの知らぬ地を巡っていくのだろう。そう考えると実に夢のある話だ」
「サキョウは小さい頃、船乗りになりたいって夢があったって言ってたもんね」
「うむ」

駆け回る船員達の邪魔にならぬように、ティエル達は積み上げられた大きな木箱が集っている場所で立ち止まる。
まずは情報収集から始めなくてはならない。サバトの福音に関することならば、どんな些細な情報でもいい。
地道な聞き込みがティエルにとって祖国奪還の第一歩となるのだ。


「今日は誰かさんがまた壁を突き破ったせいで、昼食が遅かったですし。夕食はもう少し時間を置きましょう」
「聞いて驚け、リアン。ワシの拳は二週間の船旅でも全く鈍ってはおらんかったぞ!」
「……自慢げに言わないで下さいな。弁償に今までいくら掛かったと思っているんですの、この脳筋ゴリラ」

「ねえ、二手くらいに分かれて夕食まで町の散策はどうかな? サバトの福音について聞き込みも兼ねてさ!」

待ってましたとばかりに手を挙げて発言をするティエル。
聞き込みも兼ねてと一応彼女は口にしているが、本音は町の散策に重きを置いているのだろう。表情で分かる。
だが町の散策や聞き込みは、初めて訪れる町ではとても重要なことだ。リアン達も特に異義はないようだった。


「ティエルの言うとおりですわね、じゃあ二手に分かれて行動をしましょう。二時間後にここで集合して……?」

不自然に言葉を止めたリアンの形のよい眉がきりりと吊り上がる。
その様子に思わず一同が振り返ると、既にクウォーツは彼女の話も聞かずに背を向けて歩き始めていたのだ。

「ちょっと、どこに行くんですのよクウォーツさん!」
「二手に分かれるんだろ」
「あなた、情報収集をせずに一人でサボる気でしょう? 待ちなさいな、話はまだ終わっていないですわよ!」

お構いなしに歩き始めるクウォーツを怒りながらリアンが追いかけて行き、二人の姿は段々と小さくなっていく。
後にはぽかんと口を開けたままのティエルとサキョウ、そして苦笑を浮かべるジハードが残った。





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