Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第7章 みそらで嗤う道化師

第73話 眠らぬ港町アモール -3-




「待ちなさいよ、クウォーツさん! あなた、女の子の歩幅に合わせて歩いてやる優しさすらないんですの?」


味わいのある煉瓦で舗装された街道。左右には丁寧な細工の魔法街灯が浮かんでおり、橙色の光を発していた。
大通りから少し逸れたこの道は人通りもさほど多くなく、旅人の他には恋人達の姿が多く見受けられる。
確かに恋人と二人で並んで歩けば、ロマンチックな気分に浸れる街道であった。美しい並木と左手には夜の海。

そんな甘いムード溢れる周囲に、この場に似つかわしくない女の怒鳴り声が響き渡る。
ライトアップされている海を身を寄せ合って眺めていた恋人達は、一体何の騒ぎだと眉を顰めながら振り返った。


……これは、もしや新作映画の撮影なのか。

足音を響かせて歩いているのは、巷で持て囃されている俳優達が全て霞んで見えてしまうほど美しい顔をした青年。
男性的な美貌ではなく、非常に繊細で女性的な美貌だが、男女問わず周囲の誰もが目を奪われている。
そんな彼を追っているのは、女性らしい完璧な曲線を描く肢体を持った、こちらも美しく可憐な女であった。

女は必死な形相で男を追い続けている。しかし男は、台詞もなく立ち止まることすらしない。
この新作映画は別れた男に縋り続ける切ない女のストーリーなのか。男の無表情が、演技とは思えぬほど迫真だ。
悲恋映画は恋人と共に観に行くような内容ではないが、封切りされたら観に行こうかと周囲に興味を抱かせた。

だがその男と女は無論クウォーツとリアンの二人であり、これは映画の撮影などではなく実際のやり取りだった。
当の本人達は、周囲の視線を集めていることにまるで気付いていない。


「ところで」
「なっ……なによ」
「何故いつまでもついてくる」

「え?」

ぴたりと立ち止まったクウォーツが振り返る。
漸く彼に言葉が届いたのかとリアンは胸を撫で下ろすが、クウォーツから発せられた台詞は実に素っ気無かった。
リアンが追ってきた行動すら彼にとっては疑問だったのだ。勿論、彼女が怒っている理由も分からないのだろう。
先程まであれほど怒りを露わにしていたリアンも、このクウォーツの台詞には怒り続ける気力を失ってしまう。


「あなた……私が追ってきた理由も、私がこんなに怒っている理由も……本当に分からないんですの」


無感情な硝子の瞳に僅かな感情も乗せぬまま、クウォーツは無言で頷いた。
生ける人形。まさにその言葉がしっくりとくるような青年である。そんなことは分かっていたはずだ。何を今更。
それでも、もしかしたら少しずつでも変わっていってくれるのではないかと。リアンは淡い期待を抱いていた。

だが、やはり目の前の青年は何も変わらない。ティエル達との間に常に一定の距離を保ち続けている。
これ以上クウォーツに干渉し続けることは無駄なのではないか。人間と悪魔族は所詮混ざり合わない存在なのか。


「どうして分からないの? どうして分かってくれようとしないの? ……私のことが嫌い、だから?」

強気なリアンにしては珍しく、台詞の最後は声にならずに段々とか細く消えていく。
彼女は常に自信に満ち溢れており、怖いものなどなかったはずだった。しかしクウォーツの返事が怖かったのだ。
今まで幾人もの男達を我が侭に振り回してきたリアンが、気付けば出会った時から彼に振り回され続けている。
クウォーツと接していると酷く調子が狂う。男に対して優位に立ち、自信に満ち溢れた自分ではいられなくなる。


「悪いが、貴様の言っている意味が分からない」

そう言って、彼は首を傾げた。
感情を理解できないクウォーツに深入りし続けるのは、リアンにとってあまり良いとはいえないのかもしれない。
クウォーツに感情で訴え続けても何も伝わらない。彼は何も感じない。リアンとは根本的に違う存在なのだ。

「確かに私は貴様が理解できない、何故なら私と貴様は他人だからだ。そんなもの分からなくて当然なのでは」

「そういう意味じゃ……ないですわよ」
「ではどんな」
「もういいですわ、一人で行きたいのなら勝手に行けばいいじゃない。……集合時間には必ず戻ってきなさいよ」


そう吐き捨てるように呟いたリアンはクウォーツに背を向け、彼の返事も待たずに歩き始める。
これ以上彼に何を言っても響かないと諦めたのだ。互いに無関心でいる方が、関係が悪くなるよりはずっといい。
クウォーツとの関係が今以上に悪くなり、気まずい思いを抱いたまま長い旅を続けるなんて考えたくもない。

振り返りもせずに歩いていくリアンの背を、クウォーツは普段の無感情な硝子の瞳のまま見つめ続けていた。







どのくらい闇雲に歩き続けていたのだろう。

クウォーツと別れてから行く当てもなく、ただ先程までの彼との会話を忘れようとするために歩き続けていた。
勿論何度かナンパ目的の男達に声を掛けられたが、リアンが返事すらせずに歩き続けていると皆諦めていく。
どうかこのまま放っておいてほしい。……今は誰かと会話をするような気分ではなかった。


そもそも何故こんなことになったのか。二週間の船旅から新大陸に到着し、新たな旅の幕開けのはずであった。
見知らぬ町を散策し、情報収集がてら気になるお店もチェックする。そんな楽しい時間が始まるはずだった。
それなのに何故自分は今にも泣きそうな顔をしながら、何をするわけでもなく一人で歩き続けているのだろう。

最初からクウォーツなどを追わなければ、今頃はティエル達と楽しい時間を過ごしていたのかもしれないのに。
変に世話を焼こうとはせずにクウォーツを放っておけば良かったのだ。彼もそれを望んでいた。
もう無理だ。少しでも彼のことを理解しようと努力をし続けてきたつもりだが、無理だ。彼には何も伝わらない。


そんなことを考えながら歩いていたために、周囲が見えていなかった。
長らく閉店したままの店が並んだ寂れた通り。紙くずや割れた酒瓶、煙草の吸殻。掃除が全く行き届いていない。
先程まで歩いていた海沿いの煉瓦通りから、大分離れた場所まで歩いてきてしまったようだ。

ピンク色の明かりが灯っている店がいくつか見受けられ、店の前には肌も露わな格好の女達が客引きをしている。
道の端でだらしなく寝転ぶ酔っ払いや浮浪者達。暗い路地裏では、何かを取引しているような様子の男女の姿。
明らかに真っ当な職に就いていないような男達が、にやにやとした笑みを浮かべながらこちらに顔を向けていた。

……港に戻ろう。待ち合わせの時間には少し早いけれど、こんな場所を歩き続けるよりは良いだろう。


「よぉ、姉ちゃん。泣きそうな顔して歩いて、彼氏にでもフラれたのかい?」
「夜の町は危ねぇから、家まで送ってやるよ」
「それにそんな格好じゃ誘ってると思われるぜ。……それともフラれた腹いせに男探しに来た?」


胸元を隠しながら元来た道を歩き始めたリアンの前に、先程の男達が下卑た笑みを浮かべたまま立ちはだかった。

彼らの視線が無遠慮に突き刺さる。確かに男達の言うとおり、彼女の服装は自慢の胸と脚線を露わにしたものだ。
そんな格好で夜の町を歩いていれば、誘っていると誤解をされても無理はなかった。
だが見ず知らずの男達に下品なことを言われる筋合いはない。ただでさえ、今は誰とも話したくないというのに。

こういう場合は相手にしない方がいい。
男達に顔も向けずにリアンは再び歩き始めた。そんな態度が癇に障ったのか、男の一人が彼女の腕をぐいと掴む。

「おい無視してんじゃねぇぞ。……へぇ、結構いい女だな」
「この女、路地裏に連れ込んじまおうぜ! こんな場所でふらふらしているから悪いんだよ」
「触らないで下さいな! 天空を舞う烈風を真空に変え……ん!? んんーっ!」


身の危険を感じ取ったリアンは得意の魔法を唱えるために詠唱を開始するが、背後の男に口を塞がれてしまった。
腕を掴まれた上に口を塞がれてしまっては、魔女であるリアンは単なるか弱い女にしか過ぎない。
ああ、何故こんな目に遭うのだろう。汚い手で身体に触るなと言いたかったが、彼女が男の力に敵うはずがない。

必死の抵抗も虚しくリアンは暗い路地裏へ連れ込まれてしまう。誰も助けてはくれない。まずい、このままでは。
ずきんと足首に走る痛み。どうやら男達ともみ合っている最中に、左足を挫いてしまったようだ。
暴れる両手をいとも簡単に一人の男に封じられる。背後に回った別の男が、彼女の衣服に手を掛けようとした時。


「何をしている」

よく耳に慣れた無感情な声が辺りに響いた。感情など込められてはいないはずなのに、どこか甘さを帯びた声。
これが無意識で為せる業ならば、さすが彼ら種族は淫魔と呼ばれるだけのことはある。
驚きのあまり目を見開いたリアン、そして男達が振り返る。そこには先刻別れたはずのクウォーツが立っていた。

「……あぁん? 誰だてめぇは」
「邪魔すんなよ、青い髪の美人な兄ちゃん。その大事な顔をボコボコに殴られたくねぇなら、とっとと消えな」
「それとも兄ちゃんがこの女の代わりにオレ達の相手をしてくれるのかい? それはそれでそそるけどな」

「クウォーツさん……」

男達に囲まれるクウォーツを不安そうに見つめるリアン。華奢な体格の彼が、力勝負で勝てるとは到底思えない。
無感情な彼のことだ。何も見なかったことにしてリアンを見捨てる可能性も大いにありえた。
しかし男達に囲まれたクウォーツは、人形のような顔付きのまま意外にも立ち去ろうとはしない。


「その女は私の連れだ。用があるのなら、私が聞こう」

夜でも爛々と輝く瞳は悪魔族の特徴である。
周囲に赤い妖気を携えてこちらをじっと見据えるクウォーツの姿は、人ならざる者の恐怖を抱かせるには十分だ。
多くの修羅場を経験してきた男達だからこそ、この青年は決して関わってはならない存在だと本能で感じ取った。

背筋に冷たいものが走る。男達は額に汗を浮かせ、乾いた愛想笑いを浮かべながら少しずつ後退りを始めていた。

「で、用件は」
「えっ……いや、その……可愛い彼女を夜に一人で歩かせるのは危険だから、常に近くにいてやれよな。うん」
「姉ちゃんよ、あんたも人が悪いぜ。こんな怖い……いや、美人な彼氏が一緒だったんなら早く言ってくれよな」


クウォーツに無感情な声で問い掛けられた男達は、慌てた様子で捲くし立てるとそそくさと立ち去っていく。
男達の背を相変わらずの無表情で見つめていた彼の視線が、そこで漸く座り込んだままのリアンへ向けられた。
彼の視線が痛い。なんとなく責められているように感じられる。

「なによ」
「何が」
「馬鹿な女だと思っているんでしょう。……感情のまま一人で怒って危険な場所に迷い込んで、結局助けられて」
「ああ」

「……っ! 分かってますわ。どうせ私は、お節介でうるさくて馬鹿な女ですわよ。だからもう放っておいて!」
「そうだな」

だが素っ気無い言葉とは裏腹に、クウォーツは座り込んでいるリアンに向かって左手を差し出した。
手を差し出している彼の真意が掴めない。カーネリアンの瞳にうっすらと涙を溜めたまま、リアンは目を瞬いた。
いつまでもリアンがそんな調子なので、業を煮やした彼はぐいと腕を引いて彼女の身体を軽々と背負ってしまう。

「ち……ちょっとクウォーツさん!?」
「足を挫いているんだろ」
「え?」
「そんな足でのろのろと歩かれては、集合時間に間に合わない」


何故分かったのだろう。
先程男達に路地裏へ連れ込まれた際に、確かにリアンは足を挫いてしまっていた。だが一言も彼に伝えていない。
集合場所にさえ辿り着けば、ジハードが治療してくれる。だがこの足で歩けばかなりの時間を要するだろう。
だからといって町中で背負わなくてもいいじゃないか。色気も何もあったものではない。きっと目立ってしまう。

思わず普段のように可愛くない文句を口にしようとして、しかしリアンは言葉を飲み込んだ。
文句を言えば、再び先程のような一方的な喧嘩になる。こんな時くらいは素直に彼に甘えてもいいのかもしれない。
細身の体格に似合わず、クウォーツはリアンを背負って歩いていても然程重さを感じていないようであった。

……意外に男らしいところがあるんだな、とリアンは思う。
彼の髪に顔を埋めるような形になり、微かな薔薇の香りが彼女の鼻孔をくすぐった。香水の強い匂いとは違う。
どこかふわふわとした感覚がリアンを包み込む。何故だろう。彼の背中に身を委ねていると、とても安心する。


「クウォーツさん」
「何か」
「……ありがと」

素直に言葉を伝えるということは、こんなに勇気が必要なことだったのか。
いや、違う。ティエル達には素直な言葉を紡げていた。しかしクウォーツに対しては伝えられなかったのだ。
照れくさくて恥ずかしくて。リアンの顔が思わず赤く染まる。それを悟られぬように、再び彼の髪に顔を埋めた。

勿論クウォーツは返事をしない。
普段ならば返事くらいしなさいよ、とリアンは眉を吊り上げていただろう。だが不思議と今は気にならなかった。
ただこの照れくさいような、感じたことのないふわふわとした穏やかな時間が彼女は心地よかったのだ。

そんなことをリアンが考えている間にも暗く寂れた通りを抜け、漸く先程の煉瓦の道へと戻ってきたようだ。
これならティエル達との集合時間に十分間に合う。クウォーツに背負われた自分を見て彼女達は何と言うだろう。
その時、沈黙を続けていたクウォーツがふと口を開いた。

「そういえば」
「何ですの?」
「いつまでその呼び方を続けるんだ」
「呼び方って?」

「……クウォーツ、さん」

呼び捨てでも構わない、ということなのだろうか。……あぁもう、頭の中が色々な思考で溢れ返っている。
治まりかけていた顔の火照りが再びリアンを耳まで染め上げる。彼のことだ。その言葉に意味なんてきっとない。
意思とは裏腹に早鐘のように高鳴り始める胸を、クウォーツに気付かれてはいないだろうか。

やはり彼を理解するのは難しい。だが、どんな小さなことでもいいのだ。諦めずに少しずつ彼を知っていきたい。


「敬称を付けて貴様に名前を呼ばれると、何故かしっくりとこない」
「分かりましたけど、しっくりとこないって何なのよ……あなたって本当に、私を振り回してばかりですわね」
「は? 振り回しているのは貴様の方だろ」
「わ……私がいつあなたを振り回したのよ? いつもあなたの我が侭に振り回されているのは私の方でしてよ!」

先程までの穏やかな空気が一瞬にして崩れ、普段の二人の様子にすっかりと戻ってしまっているようだ。
けれどこんな些細なやり取りも、クウォーツを少しでも知る切っ掛けになればそれでいいとリアンは思い始める。
彼の数少ない感情を、いつか垣間見れる瞬間が来るかもしれない。


「……そもそも貴様が、無駄に肌を露出した格好をしているから目を付けられたんだ。己の過ちを悔い改めろ」

「あら。私の服装に文句をつける前に、あなただって男のくせにやたらリボンやフリルばかりの服装じゃない?」
「リボンやフリルが女のものだと誰が決めた」
「きゃーっ!? やだちょっと落ちるところでしたわよ、クウォーツさ……クウォーツのばかぁっ!」

背負われた体勢から危うく振り落とされそうになり、慌ててしがみ付くリアン。だが彼は相変わらずの無表情だ。
そんなクウォーツに向けて、彼女の一方的な抗議の声が静かな町にいつまでも響き続けていた。





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