Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第7章 みそらで嗤う道化師

第75話 緑のローブを着た青年




サバトの福音に封魔石イデアを盗まれたアリエス博士。
彼は封魔石を取り返すために強いハンターを求めている。ティエル達にとって、封魔石と関われる絶好の機会だ。

まずはアリエス博士に会って話を聞かせてもらうため、港町アモールを出発して数時間。目的地はまだ見えない。
博士は発掘調査のため、数年間も荒野でテント生活を続けているのだという。果たして苦にならないのだろうか。
ここ数年はアモール西の荒野にてテントを張り、珍しい大型生物の化石発掘に日々精を出しているそうだ。

荒れた大地に申し訳程度に根を生やす草花。砂埃に塗れて、すっかり白くなってしまっている。
アモールから続いていた煉瓦の歩道はとうの昔に途切れており、舗装されていない凹凸の激しい道が続いていた。
大小様々な石があちこちに転がっている。歩きにくさに加えて、その上砂埃が酷い。段々と目が痛くなってきた。


こんな辺鄙な場所に、本当にアリエス博士のテントが存在するのだろうか。
テントはとても大きいという話だ。そろそろ見えてきてもいい頃だろう。道を間違えてしまったのではないか。
砂埃を防ぐために鼻を押さえていたティエルの胸に、段々と不安が広がっていく。……戻るなら今のうちだ。

隣を歩いているリアンは、砂の付着した長い髪を気にしているようだ。賑やかな彼女が黙っていると不安が増す。
彼女のすぐ後ろには大荷物を軽々と背負ったサキョウの姿。彼はまだまだ元気が有り余っている様子だ。
転がっている石をリズムを取りながら、身軽に避けつつ歩いているのはジハード。割と楽しんでいるようだ。

彼らから数歩離れた最後尾では、表情というものがまるで存在しない顔をしているクウォーツの姿があった。
見たところ根を上げそうな者は見当たらない。
旅慣れているリアン、体力のあるサキョウとジハード。疲労という感情が薄いクウォーツ。自分が少し情けない。


「ねえ、そろそろ一休みしない? もう足がくたくたで歩けないよ」

足を止めたティエルはその場に座り込んでしまう。
履き慣れたブーツとはいえ、荒野は障害物が多くあまりにも歩きにくい。勿論、疲れも普段の倍以上である。

「ティエルったら、この程度で情けないですわねぇ。まぁ博士のテントがそろそろ見えてきてもいい頃ですけど」
「ギルドで見かけた地図には、西に真っ直ぐ進むとすぐだって書いてあるんだよ。すぐってどのくらいだろう?」
「すぐ? 嘘でしょ、かれこれ三時間は歩いていますわよ」

「ギルドの張り紙に書いてある町からすぐ、とか、簡単なお仕事です、という文はあまり信用しない方がいいよ」

そう言って笑ったのはジハード。
彼曰くギルドの張り紙の中にはハンターを数多く集めるために、若干嘘偽りが含まれている場合もあるという。
張り紙の嘘を見極めるのも、ハンターの立派な仕事の一つであった。


「昔さぁ、それでぼくも酷い目に遭ったんだよね。座っているだけでいい簡単なお仕事ですって書いてあってさ。
 確かに座っているだけでよかったんだ、ただし薄い腰布一枚でね。……ヌードデッサンのモデルだったよ」

「ヌードデッサン? ただ座っているだけで報酬が貰えるんなら、いいお仕事じゃない。やったの?」
「断ったよ。荒い息をしたおじさんに、全裸なら倍額出すから脱いでくれと言われたんだ。身の危険を感じたね」
「そのおじさんは、純粋に芸術を描きたかっただけなのかもしれないのにー」

「冗談じゃないよティエル。純粋に芸術を描きたいだけの人間が、あれをああして勃たせてくれなんて言うかい」
「……あれをああしてじゃ全然分からないよ。何をどうして、立つって何が? 座ってるんじゃないの?」


それはね、とご丁寧に説明を始めようとしたジハードの後頭部を、有無を言わさずにリアンが平手で叩いた。
だが振り返った彼は悪びれる様子もなく笑みを浮かべている。リアンが怒ることまで計算済みだったのだ。
やはりジハードを見た目どおりの思慮深い好青年だと思うのは、大変な誤りであった。彼は外見で得をしている。

一方クウォーツは騒がしい面々などには目もくれず、両手をポケットに突っ込んだまま身軽に岩に飛び乗った。
目を細めながら周囲を見渡している。……アリエス博士のテントを探してくれているのだろうか。
彼はとても視力がいい。静止視力は勿論、動体視力も凄まじく優れている。

戦闘中あれほどの速さで相手を翻弄することが得意なクウォーツなのだ。考えてみればそれも当然のことだった。


「三十分ほど進んだ先に巨大なテントが見える」
「本当にクウォーツ!? やったぁ、わたし道を間違っていなかったんだ。実は少し心配だったんだけど……」

「そんな調子では、いつか行き倒れるぞ」
「大丈夫だよ、だってクウォーツがずっと一緒だもん。クウォーツがいるから、絶対に迷ったりしないもん」
「……」

間違っていなくて本当によかった。
思わず全身で喜びを表現するティエルだが、やはり彼女を先頭にして歩くのは不安だと誰もが思ったのだった。







三十分後。
西に向かって延々と歩き続けていると、確かにクウォーツが言ったとおりに白茶けた巨大なテントが見えてくる。
まるでサーカスのテントだ。考古学者が数年も生活しているのだ、単なる小さなテントよりも理に適っていた。
テントの周囲には巨大生物の骨がにょっきりと突き出ている。成る程、博士の専門である魔物考古学の調査中か。

肝心のアリエス博士はテントの中だろうか。
ティエルが首を傾げた時、突然カーンカーンと何かを打ち付ける小気味のよい音が周囲に絶え間なく響き始める。
音のする方に一同が顔を向けると、茶色の髪をした青年が巨大な化石の発掘作業を行っているようだ。

「……あの、ここって考古学者アリエスさんのお家ですよね?」
「へ?」

恐る恐る青年に声を掛けるティエルだったが、彼は想像以上に驚いた顔をしながら振り返った。
あまりにも発掘作業に集中しすぎたために周囲が見えていなかったのだ。呆気に取られた顔のまま固まっている。
中肉中背。青年と少年の中間のような顔立ち。切り揃えられた茶の髪に、幼さを残したくりくりと丸い若葉の瞳。

砂で汚れた緑のローブに身を包み、その傍らには同じく緑の大きな拉げた帽子が置かれていた。
お世辞にも整った容姿とは言えないが、それほど醜い顔立ちというわけではない。どこにでもいるような青年だ。
しかし何故か惹き付けられるような魅力を持っているのは、その人懐っこい雰囲気ゆえか。


「確かにここは偉大なる考古学者アリエス先生の家だけど……お嬢ちゃん、先生に何かご用かい?」
「えっと」
「残念だけど新聞の勧誘なら間に合ってるよ。豪華な特典を前に断りきれなくて、結局五紙も取っちゃってるし」
「新聞の勧誘じゃないの、わたし達ハンター募集の張り紙を見てここまで来たんです!」

このままでは新聞の勧誘と勘違いをされたまま追い返されてしまう。現に青年は追い返す気満々の様子である。
ティエルの台詞を耳にして青年は、あぁなんだ、と興味など全くないと言わんばかりに溜息をついた。

「募集をかけても、本当に碌なハンターが来ないなぁ。お嬢ちゃん達も見るからに弱そうだし……帰った帰った」


見た目だけで判断し、テストさえ受けさせてくれないのか。
だがこの博士の助手と思わしき青年の気持ちも分からなくはない。期待外れのハンターばかりが来たのだろう。
そして、恐らく博士と助手は疲れてしまった。今では見た目だけの判断で、最初から篩い落としているのだ。
青年はティエルから視線を外すと、再び発掘作業を始める。早く帰れ、という雰囲気が態度から滲み出ていた。

「埒が明かない。手荒な方法を取るか」
「さらりと怖いこと言わないでよ。クウォーツったら、ぼくの時も脅そうとしたよね。……あれ、あなた……?」

指先に不吉な赤い魔力を集め始めるクウォーツを慌てて止めたジハードが、助手の青年の顔を見て首を傾げた。
言葉を途中で放ったまま、しげしげと半ば無遠慮に青年の顔を覗き込んでいる。
そんなジハードの不可解な行動に、一体どうしたのかと一同は目を瞬いていた。もしかして知り合いだったのか。


「あの男にしては若すぎるし……もしかしてあいつの息子? いやいやまさかね、単なる気のせいかな。うん」


何やら自問自答を繰り返している。
そんなジハードの様子を、助手の青年は特に気分を害した素振りも見せず、にやにやと楽しそうに眺めていた。
自問自答もやがて結論が出たのか、ジハードは苦笑を浮かべながら青年に向かって頭を下げる。

「ごめん、どこかで出会ったような気がして。でもあなたみたいな人と一度出会ったら、忘れるはずがないもの」
「へぇー……そりゃあ運命を感じちゃうね、もしかしてジハードくんとは前世で出会っていたのかもしれないな」
「……え?」
「まぁせっかくこんな辺鄙な場所まで訪ねてきてくれたんだ。テストくらいは受けてもらってもいいかもね」

緑のローブに付着した砂を払った青年は、依然怪しげな笑みを浮かべながら立ち上がった。
彼の台詞を耳にしたジハードは、ほんの少しだけ首を傾げる。だが、特に何も言わずに青年の様子を眺めていた。


「ありがとう、助手さん! テストって……わたし達は一体何をすればいいの?」
「簡単だよ。ここから少しばかり北に進んだ場所に、月鏡の城ってのがあってさ。今は単なる廃墟なんだけど。
 最上階に咲く満月草っていう、希少価値のある薬草を取ってきてくれるだけでいいんだ。な、超簡単だろー?」

確かに聞くだけならば簡単に聞こえる。
しかし今まで何名もの腕に自信のあるハンター達が挑戦し、そして誰一人としてクリアした者はいないテストだ。
恐らく単に薬草を取るだけでは済まない、恐ろしい何かが待っているのだろう。

「分かりましたわよ! その満月草とやらを取ってくれば、テストは合格なんですのよね?」
「おっ、威勢がいいね美人な姉ちゃん。そんじゃあ期待しないで待ってるぜー」

へらへらとした笑みを浮かべる青年に見送られ、ティエル達は満月草を求めて月鏡の城へと歩き始めたのだった。





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