Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第7章 みそらで嗤う道化師

第76話 月夜に浮かぶ古城 -1-




……月鏡の城。
元は西アモールを治める領主の城だったというが数十年も前に一家離散し、今はもう誰も住んでいない。
その天井の抜け落ちた最上階には、満月草という月の光を浴びて花を咲かせる薬草があるという話だった。

満月草は高い治癒力を持つ傷薬、そして煎じて飲ませれば解毒薬として医者や僧侶達に重宝されている薬草だ。
どんなに酷い傷や病でも、たちまち治してしまうという逸話がある。勿論凄まじく希少であり高価であるのだが。
アリエス博士のテストとは、その満月草を持ち帰ることだった。

しかし満月草を持ち帰るだけならば、他で調達した満月草をさも持ち帰ってきたかのように偽れるのではないか。
そんなティエルの疑問を見透かしたのか、助手の青年はへらへらと緊張感のない笑みを浮かべながら言っていた。
通常の満月草は黄色の花だけど、月鏡の城で取れる満月草は、唯一青い色をした花なんだ……と。
そのため偽物だとすぐに分かるのだそうだ。恐らく過去何人ものハンターが黄色の満月草を持ってきたのだろう。


時刻は既に夜だ。
アリエス博士の助手らしき青年は、目的地である月鏡の城を『少しばかり北に進んだ場所』と説明した。
だがいくら進んでも城は見えてこない。朝から晩まで一日中歩き続けていた面々は、既に体力の限界である。

このまま月鏡の城に到着したとしても、疲労した状態でテストに挑むわけにはいかない。
何人もの腕に自信のあるハンター達が合格できなかったテストだ。一体何が待っているのか想像もつかなかった。
今夜は休んで、できる限り万全の態勢でテストに挑みたい。皆の疲労が浮かんだ表情がその心境を物語っていた。


「……合格できないようなテストって一体何なんだろう。みんな満月草を取れなかったってことだよね?」

必死に逃げ帰ったような足跡が砂の荒地に続いている。風化されずにいるところを見ると、まだ新しいものだ。
屈強な男達が揃っているハンターが、形振り構わず逃げ帰ってしまうような恐ろしいことが起こったのだろうか。
勿論今のティエルには想像することしかできなかったが。


「それはもう王宮暮らしのお姫様には耐えられないような、恐ろしいテストですわよぉ。生きて帰れるかしら?」
「えぇぇ……」
「ハンター達の無残な死体があちらこちらに捨て置かれ、城内はその彼らの怨みの声が響き渡っているんですわ」
「やだもうリアン、怖いことばかり言わないでよ!」

ぷんぷんと頬を膨らませて怒るティエルの様子に、リアンはちょっとした冗談ですわよ、と苦笑を浮かべる。
ティエルはメドフォード城で暮らしていた頃から大のお化け嫌いであり、祖母やゴドーをよく困らせていたのだ。
しかしそんな怯えるティエルの横をゆっくりと通り過ぎたジハードが、実にあっけらかんとした様子で口を開く。

「テストを受けたハンターの中で、死人が何名も出ているのは確かな話だし……用心するに越したことはないよ」
「死人が!?」
「まぁ本当に彷徨える霊魂の類が出没したとしても、こちらには頼もしい僧兵が一緒なんだから。ね、サキョウ」
「うむ。このワシがついているから安心せい」


己の分厚い胸をばしんと叩きながら笑顔を見せるサキョウの姿は、実に頼もしく見えた。流石は最年長者である。
そんな彼を見てリアンに散々脅かされていたティエルの表情に漸く明るさが戻ってきたようだ。

「わたし頑張るよ。テストになんか絶対に負けない!」
「頼りにしているぞ。……それではティエルに元気が戻ったことであるし、今日はこの辺りで休もうではないか」
「えぇぇ……やっぱり野宿なんですのねぇ」

よしよしとティエルの頭を撫でていたサキョウが、大荷物を地面に下ろした。
目の前には小さな林が広がっている。水の匂いもする。だがリアンは野宿に対して若干不満そうな表情であった。
彼女はふわふわのベッドと風呂がなければ我慢ができない性分だ。そのために野宿を極力避けてきたのだが……。

そしてクウォーツが加わってからは町で宿を必ず取るようになり、野宿をすることは完全になくなってしまった。
リアン以上に潔癖の傾向があるクウォーツが野宿に難色を示すかと思いきや、彼はいつもどおりの無反応である。


「リアンは野宿嫌いだよね。わたしは好きだな、みんなで役割分担して少しずつ準備してさ。楽しいじゃない?」
「楽しくありませんわよ! 美味しい食事もない、お風呂もない、ベッドじゃない場所でなんか眠れませんわ」
「……まあまあリアン。その美味しい食事とやらは、ぼくに任せといて」
「えっ?」

笑顔を浮かべたジハードの台詞にリアンが振り返る。どうやら『美味しい食事』という部分に反応したようだ。

「美味しい食事って……あなた、料理できますの?」
「適度にはね」
「全く料理ができないような顔をしていますのにねぇ。あまり期待をしないで待ってますわ」


「ようし、準備を始めるぞ!」

一番張り切っているのはサキョウであり、てきぱきと皆に指示を出している。
モンク僧の修行の一つである過酷なサバイバル経験がある彼にとっては、野宿など最早楽しいキャンプであった。
気の進まない様子でリアンが周囲に魔物避けの結界を仕掛け始めると、サキョウはティエルを手招きで呼んだ。

「ティエルよ、これからワシと薪を拾いに行こうか。よく燃えて長持ちするいい薪の見分け方を教えてやるぞ」
「はーい! 薪の見分け方なんてあるんだー」
「クウォーツとジハードは周囲の見回りと水汲みに行ってくれ。それではリアン、引き続き結界をよろしく頼む」

「分かりましたわよ。か弱い女性である私に野宿を強いるなんて、本当に酷い男達ですわぁ……」


まるで親子のように仲睦まじく去っていくティエルとサキョウの背を暫くの間恨めしく眺めていたリアンだが、
漸く覚悟を決めたのか愛用のロッドを手にしながら彼らとは反対方向へと歩いていく。
魔物避けの結界は広範囲に及ぶものほど魔力を消費するのだが、用心深い彼女は大きな結界を仕掛けるつもりだ。


「さすが皆行動が早いなー。それじゃ、そろそろぼくらも行こうか? 見回りと水汲みに」

笑顔を浮かべながら皆を見送っていたジハードだったが、沈黙に徹し続けていた背後のクウォーツを振り返る。
硝子のように透き通った薄青の瞳が、スカイブルーによく似たジハードの瞳を見つめていた。
一見すると普段と同じく無感情なクウォーツの瞳であるが、微かな感情がそこに存在しているように感じたのだ。

この瞳を以前どこかで彼から向けられたような気がする。一体いつだっただろう、とジハードは思考を巡らせる。
ああそうだ、あの時だ。……ティエル達と初めて出会った日の海底神殿だ。あの時も彼はこの瞳を向けていた。
クウォーツをよく知らなかったあの時は、同じ年頃の同性と知り合えて、ただ純粋に嬉しかったことを思い出す。

この瞳の感情をほんの僅かでも理解することができれば、彼との距離はもう少し縮まってくれるのだろうか。


「どうかしたのかい、クウォーツ。ぼくの顔に何か付いてる?」
「……何も」
「あっ、分かった。ぼくがあまりにもハンサムでワイルドな魅力に溢れすぎて、見惚れちゃってるんだろ」

勿論クウォーツが真実を答えるはずなどない。そんなものは勿論承知の上でジハードは問い掛けたのだ。
そう、彼が胸の内を答えるわけがない。恐らくこれからもずっと。ならばここは明るく茶化してしまう方がいい。
あれこれと詮索されるよりも、きっとクウォーツは軽く流してもらうことを望んでいるはずだ。

「いやぁ照れるな。基本ぼくは女性の方が好きだけど、あなたに迫られたら正直ぐらっとくるかもね。なーんて」
「……」
「ちょっと冗談だってば、そんな怖い顔で見ないでよ。こう見えてもぼくはナイーブで傷付きやすいんだからね」


ジハードの軽口によって、クウォーツの視線からは先程までの僅かな感情は綺麗さっぱりと消え去っていた。
だが、果たしてこれでいいのだろうか。……本当は気付かない振りなどせずに、詮索すべきだったのではないか。
他人の心を読むなんて、とても簡単なことだと思っていた。だが案外難しいものだと改めて思い知らされた。


「話したくないのならいいんだけどさ。少しは胸の内を表に出さないと、いつかはあなたの心が壊れてしまうよ」


この台詞が、今のジハードがクウォーツに対して最大限に歩み寄った末の台詞であった。
しかし目の前の生き人形のような青年は、何一つ反応を示さずに背を向けて歩き始める。何も心に届いていない。
ジハードは深く溜息をつき、ゆっくりと彼の後を追っていったのだった。







「美味しーい! 本当にこれジハードが作ったの?」

ご満悦のティエルが手にしているのは、様々な野菜や肉のたっぷりと入ったシチューである。
野宿の際は一つの鍋で多くの栄養素が含まれる料理が適している。シチューやスープはその代表格の料理だった。
実を言うと、ティエル、リアン、サキョウの三人旅だった頃、彼女達は野宿の鍋料理で恐ろしい目に遭っている。

その日は誰よりも張り切っていたサキョウが料理当番だったが、今から思い返すのも恐ろしい下手物鍋であった。
まず何故かスープが黒い。皮を剥かずに野菜が放り込まれている。食べることのできない茸や雑草が入っている。
極めつけはトカゲのような、謎の爬虫類が混入されていた。

顔を真っ青にさせたティエルとリアンに首を傾げながら、サキョウは一人でその鍋を平らげていたのだが……。
勿論そのすぐ後でサキョウが腹を壊したのは言うまでもない。


便利なキッチンや、満足な調理道具や調味料もない。そんな状況で美味しい料理を作るのは至難の業である。
だがティエルが現在手にしているシチューは、城の晩餐会で並べられる料理より数倍も美味だと感じたのだ。
有名シェフの作る料理のように洒落た味付けというよりは、家庭的な温かい味である。だが、それがいい。

野菜は硬すぎず柔らかすぎずに丁度いい塩梅で煮込まれており、肉は元干し肉だったことを全く感じさせない。
塩と胡椒、その他ほんの僅かな調味料だけでこの味が出せるのだろうか。
『美味しい料理は任せて』と自分から言うだけあって、確かにジハードの料理の腕前は相当のものであった。


「作る人の腕前があれば、簡単な材料でもこんなに美味しい料理ができるんだね。ジハード、プロになれるよ!」
「……疑って申し訳ないですわ。でも男性にこれだけ作られてしまうと、女として嫉妬してしまいますわね……」
「モンク僧の修行には料理という項目がなかったからな。ジハード、おかわりを貰おう!」
「わたしもー!」


早速空になった皿を差し出しているティエルとサキョウ、どこか悔しそうな複雑な表情を浮かべているリアン。
クウォーツには先程、食事はいらない、と一度断られた。
だが『戦闘の要であるあなたが、空腹で調子が出なかったらどうするの』と、ほぼ無理矢理に器を押し付けた。

サキョウとリアンの二人に左右から他愛のない茶々を入れられながらも、クウォーツは無表情で食し続けている。
手を止めていないところを見ると、恐らく不味いとは思っていない……のかもしれない。そう思いたい。


「喜んでもらえてよかったよ。一番嬉しいのは、食べてくれた人が笑顔になってくれることだからね」

料理は自分のために作るよりも、誰かのために作る方が楽しい。そしてその相手が笑顔であれば尚更嬉しいのだ。
そう言って、ジハードは笑ったのだった。





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