Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第7章 みそらで嗤う道化師
第77話 月夜に浮かぶ古城 -2-
荒野で一夜を明かしたティエル達は、再び月鏡の城を目指して北へと進み始めた。
何度か休憩を挟み、一行は漸く月鏡の城へ到着した。それにしても何が『少しばかり北に進んだ場所』なのだ。
丸一日以上は歩き続けている。これが少しばかりという距離なのだろうか。
満月草を手に入れて無事に戻った暁には、あの助手の青年に文句を言ってやろうとティエルは誓った。
数十年も廃墟という話だが、想像していたよりは朽ちてはいない。どっしりと威厳を湛えた姿を見せ付けている。
頑丈な石造りの城壁には奇妙な形をした蔦が絡み付いており、訪れた者達を威嚇するには十分だった。
そんな古城を前にして、先程まで雑談を交わしていたリアンとサキョウは緊張した面持ちを浮かべているようだ。
普段と変わらず無表情のクウォーツ。彼は荒野を歩き続けていたために砂に塗れてしまったコートを叩いていた。
その隣に立っているジハードは、先程の休憩時にしっかりと睡眠を取っていたために随分と元気そうであった。
無表情と微笑み。それぞれ常に一定の表情を崩すことのない彼ら二人は、ティエルの目には大変頼もしく見えた。
……早くテストを終わらせて、温かいお風呂に入りたい。
昨日の野宿では湖で身体を清めることしかできなかった。いや、むしろ水浴びができたことにすら感謝すべきだ。
贅沢な望みだと理解はしているが、やはり温室育ちの姫君は温かく広いお風呂が恋しかったのだ。
城壁と同じく石造りの頑丈な扉。
テストを受けに来たハンター達の姿は周辺に見受けられない。今回挑戦をするのはティエル達だけなのだろうか。
サキョウに目配せをすると心得たとばかりに前に進み出る。扉に手を掛け、気合の入った声と共に扉を開け放つ。
ぶわっと舞い上がる塵や埃。こじんまりとした玄関ホールがティエル達を出迎えた。
やはり人影一つ見受けられない。四方に窓はなく、ぼんやりと魔法ゴケが玄関ホールを照らしていた。
元はさぞかし高価な品物であろう絨毯はぼろぼろに朽ちており、所々に冷たい石畳や雑草が顔を覗かせる。
埃の降り積もる錆びた甲冑。古びたグランドピアノ。最奥には大蛇のレリーフで縁取られた扉が見えた。
「へぇー、思っていたよりも立派だね。もっとぼろぼろでお化け屋敷みたいなのかなって思ってた」
興味を引かれるものが多いのか、ティエルは周囲をきょろきょろと見回していた。
侵入者を威嚇しているような甲冑に近付いて指で突く。その衝撃で甲冑が揺れ、再び辺りに埃が舞い上がった。
「ちょっとティエル、むやみやたらに触らないで下さいな! 危険な仕掛けがあったらどうするんですの?」
「ご、ごめんなさい」
「リアンの言うとおりだよ、確かにこの部屋には仕掛けがあるみたいだ。どういったものかは分からないけどね」
「えっ?」
ティエルが振り返ると、ジハードは床に膝を突きながらある一点を見つめている。
血痕、それも決して古くはない。茶色に変色した部分が全て血だとすると、相当広い範囲で出血しているようだ。
それに血に塗れた何かを出口に向かって引きずった跡も見受けられる。負傷した仲間を運んでいたのだろうか。
「油断をして命を落としてしまっても、生き返らせることはできないよ。癒しの力は決して万能ではないから」
「ジハード?」
「ああ、ごめん。らしくもなく感傷的になっちゃったね。一言でいえば、皆くれぐれも怪我をするなってことさ」
その台詞を呟いた彼の表情が僅かに曇ったように見えたのは、単なるティエルの気のせいだろうか。
しかし目の前のジハードは、すっかりいつものように本心の見えない穏やかな笑みを浮かべているだけである。
訝しげなティエルの様子など気にも留めずに、ジハードは最奥の扉の前に立つクウォーツへと歩み寄って行った。
「どうしたの、クウォーツ」
「扉が開かない」
「え、本当に?」
「単にあなたが非力なだけなんじゃないんですのぉ? ジハードの方がよっぽど男らしい体格をしていますもの」
「……リアンってば困るなぁ。まさかぼくをそんな不埒な目で見ていたなんて」
「不埒な目とは何よ、誰でもいいから扉を開けなさいな。サキョウならこのくらい鼻息で吹き飛ばせますわよ!」
「いや、いくらなんでもワシだってそんな」
このままでは本当に『じゃあ鼻息で吹き飛ばしてみてよ』と言われかねない。
先程からジハードの視線を感じる。恐々サキョウが顔を向けると、彼はにやぁと意地の悪そうな笑みを浮かべた。
まずい、これをネタにしてからかわれる。サキョウは慌てて扉に手を掛けるが、確かに固く閉ざされていた。
「サキョウの怪力でも開かないの?」
「うむ、本当に開かんぞ。鍵が掛かっているか、もしくは仕掛けとやらで開くのか……」
「仕掛けかぁ」
木製のかんぬきや簡単な鍵程度ならば、サキョウの怪力でこじ開けられるはずだ。
ティエルは閉ざされた扉を眺めてみるが、鍵穴のようなものは見受けられない。恐らく仕掛けで開くのだろう。
扉から視線を外して玄関ホールを見渡したティエルの瞳に、この場にそぐわぬものが映る。
「……ねえ、このピアノすごく立派だね。でもどうして玄関にピアノを置くんだろう。単なる飾りなのかな?」
ダンスホールや音楽室ならばともかく、玄関ホールにこれほど大きなピアノを飾りとして置くだろうか。
他の置物と同じくピアノには分厚い埃が積もっていたが、大小様々の手形が付いていた。随分と新しい手形だ。
このピアノをつい最近まで複数の者達が触れていた、ということになる。明らかに不自然であった。
確かに不自然だね、と隣で呟いたジハードに頷いてみせたティエルは、ほんの軽い気持ちで鍵盤を指で押した。
その瞬間。天井の小窓がぱっくりと開き、巨大な鉄球が振り子のように飛んできたのだ。
ジハードは咄嗟のことで身体が動かないティエルを突き飛ばすと、地面を蹴ってひらりとピアノの上に飛び乗る。
振り子の鉄球は先程まで二人が立っていた場所を通過し、何事もなかったかのように再び天井へと戻って行った。
「ティエル、ジハード! 大丈夫ですの!?」
「あ……あわわ……死ぬかと思った……」
「だから言ったじゃないか、不用意に触っちゃ駄目だって。一歩間違えれば死んでたよ。……ん? 何これ」
完全に腰が抜けてしまっているティエルに向けて、ジハードはピアノの上でしゃがんだまま深く溜息をついた。
そんな彼の視線が、譜面台に置かれた数枚の紙束へと向けられる。
完全に黄ばんでしまっているただの古い楽譜だった。所々に茶色くなった血飛沫が点々と付着しているようだ。
「楽譜があるよ。表題は『扉を開く鍵』だって。仕掛けのあるピアノに意味深な表題……関係がありそうだね」
「もしかして、この曲を弾いたら扉が開くのかも! 多くのハンターがクリアできなかった理由はこれかも?」
「確かにピアノが弾けるハンターは少ないだろうね。かく言うぼくも弾けないから、お姫様のティエル頼むよ」
「えっ!? お、音楽の授業……サボってばかりいたからなぁ。猫のワルツくらいなら何とか弾けると思う……」
猫のワルツとは、ピアノの初級用教則本の序盤で登場する練習曲である。勿論、自慢できるようなものではない。
しかしジハードが差し出している楽譜の内容は、明らかに上級用の難易度である。
これで殆どのハンター達が脱落してしまったのではないだろうか。音楽家を連れてこなければならないのだから。
「でも大丈夫! サキョウはともかく、こっちにはリアンやクウォーツがいるもん。二人とも弾けそうだよね」
「ティエルよ、ワシは初めから論外なのか?」
「……弾けるの?」
「弾けるわけがないだろう!」
何故か胸を張って誇らしげに言うサキョウ。やはり聞くだけ無駄であった。
「リアンはピアノ弾けるの?」
「一応この程度なら弾けますけど……あなた、一応お姫様なんですのよ。もっと自覚を持っていただかないと」
「だって音楽の授業、じっとしてるのが退屈だったんだもん。クウォーツは弾ける?」
「嗜む程度なら」
二人が確実に弾けることは分かったが、クウォーツの方は弾く気など全くないといった雰囲気を醸し出している。
そんな非協力的な彼の様子に、リアンは仕方ないですわね、と文句を口にしながらもピアノの前に座った。
暫く楽譜をめくって確認すると慣れた手つきで弾き始める。想像していたよりも穏やかな旋律だが、難曲である。
優しい曲風の中にも、物寂しさと力強さを感じさせられる曲だ。音楽に疎いサキョウまでもが聞き惚れていた。
旋律の美しさもさることながら、これだけの感情を込めることのできるリアンの実力も相当である。
「それにしても、博士が求めている人材は強いハンターだろう? ならば腕力を測る仕掛けにすればいいのにな」
「腕力しか能がない奴らはお断りなんだろ」
「うっ……そうは言うがな、ピアノを弾けても強い魔物相手に勝つことなどできんぞ?」
「まぁな」
サキョウに空返事をしつつクウォーツが眺めている先は最奥の扉である。
曲が進んでいくと同時に、少しずつ開かれていくのが分かった。弾き終わる頃には完全に開ききっているはずだ。
肉体派揃いのハンター達に対してピアノを条件にするなど、アリエス博士は噂どおりの捻くれた人物なのだろう。
扉の向こうでは一体どんなテストが待ち受けているのか。
曲がクライマックスに近付くにつれて、激しい盛り上がりを見せている。心に強く訴えかけてくるような音だ。
その力強さと情熱は先程までの旋律とは大きく異なり、まるで別の曲のようであった。
そして終盤に差し掛かり、穏やかで静かな旋律に戻っていく。終わりを迎えることに名残惜しさを感じてしまう。
「こんなに真剣に弾いたのは、本当に久しぶりですわよ」
「リアンすごーい! 思わず聴き入っちゃった。わたしもこれくらい弾けるようになれたらいいなぁ」
「腕が鈍っていなくて良かったですわ。ティエルも今から練習をすれば、このくらい弾けるようになりますわよ」
華麗に曲を締めくくったリアンが満足そうに振り返る。その背後で、完全に開ききった扉が黒い口を広げていた。
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