Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第7章 みそらで嗤う道化師

第78話 月夜に浮かぶ古城 -3-




リアンの演奏で発動した仕掛けによって、蛇のレリーフに囲まれた最奥の扉は完全に開ききっていた。
扉が開いても一行は顔を見合わせたまま立ち止まっていたが、やがて固唾を飲み込んだティエルが進んでいく。
開け放たれた扉の前に立ち、奥を覗き込む。石畳の廊下が延々と続いているようだ。……勿論人の気配はない。


「廊下にもやっぱり誰もいないみたい。やけに静かだし、この城にいるのはわたし達だけなのかなぁ」

「もしかしたら恐ろしい魔物に皆食べられてしまったんじゃないかしら? 骨も残さず、頭からぱくーっとね」
「ぱくっと?」
「ええ。頭蓋骨も噛み砕き、脳髄を味わい、最後は頭のなくなった身体を手足から順番に引き千切りながら……」
「いやーっ! もうそれ以上言わないでよ、リアンの意地悪!」

顔を真っ青にさせたティエルがリアンの背を叩いている横で、同じく青ざめた表情を浮かべているのはサキョウ。
どうやらここにも被害者がいるようだ。彼女の生々しすぎる表現に、何かを鮮明に想像してしまったのだろう。
悪いものでも食べたの、とジハードが怪訝な顔付きで彼を覗き込んでいた。


「……リアンよ、必要以上に怖がらせてはいかん。誰もクリアしたことのないテストだ、気を引き締めて進もう」
「ほんの少し場を和ませるために言っただけじゃない。サキョウも案外ユーモアがないですわね」

「あの台詞を和ませるために言ったのなら、なかなかあなたも神経が図太いねえ」
「誰よりも神経が図太いジハードに言われたくないですわ!」
「あはは」
「ちょっと、笑顔で誤魔化さないで下さる?」


前々からリアンの愚痴を半ば無理矢理に聞かされ続けていたジハードは、彼女のかわし方も慣れたものである。
完璧な笑顔を浮かべ、リアンの文句をあっさりと聞き流していた。まるで賑やかなレジャー気分の一行であった。
彼らの声は静寂に包まれた廊下に大きく反響して、不気味な木霊をあちこちに生んでいた。

そんな騒ぎなど我関せずといった顔で最後尾のクウォーツが扉を通り抜けると、同時に音もなく閉まっていく。
重い音を立ててぴったりと閉じられてしまった扉に手を触れるが、やはり最初と同じく開く兆しは見えなかった。
出口を塞がれてしまった。扉の向こうで、誰かが再びピアノの仕掛けを発動させない限りは開かないのだろうか。


「この扉が開かなかったら、帰りはどうやって帰ればいいんだろうね」
「さあ」
「でもさ、お城なんだから他に出入り口があるよね。いざとなったらサキョウに壁を壊してもらえばいいしさ!」

扉に手を触れているクウォーツまで歩み寄るティエル。ちらりと視線を向けた彼に、楽観的な台詞を投げ掛ける。
根拠も何もない、絶対の自信。いくらサキョウの怪力でも石を砕くのは至難の業ではないだろうか。
そんな恐ろしい期待をされているとは露知らず、サキョウはリアンやジハードと共に楽しげに会話を続けていた。


「お前のその自信は一体どこから来るのだろう」
「なんとなくかな、物事は前向きに考えないと。悪いことばかり考えていたら、そっちに引き寄せられちゃうし」

彼女は信じている。信じることは大切だと、信じていれば必ず思いは通じるのだと。必ず乗り越えられるのだと。
その根拠のない自信はティエルの大きな力となり、今まで数々の困難を乗り越えてきたのだ。
誰かが彼女を太陽だと喩えていた。この曇りのない彼女の笑顔が太陽ならば、悪魔族にはあまりにも眩しすぎる。

「……クウォーツ?」
「気を付けろ、気配がする」
「え、気配って」

黙ったままじっと見つめてくるクウォーツに首を傾げたティエルだったが、その彼の瞳が突然鋭く細められた。
クウォーツの視線は奥へと続く廊下へ向けられている。いつの間にかサキョウ達も会話を止めて息を潜めていた。
その瞬間、地響きと共に廊下が大きく揺れる。かなり大きな地震だ。とても歩けるような揺れではない。

激しい揺れの中でもサキョウはしっかりと地に足を着けて踏ん張り、危うく転倒しかけたリアンを引き寄せる。
穏やかな表情など完全に消え失せたジハードは、魔本を片手で抱えながら厳しい瞳で廊下の奥を睨み付けていた。


「うわあぁぁ、助けてくれぇ!」
「化け物が……化け物が現れたぁぁっ!」

廊下の奥から数名の悲鳴。
ばたばたと忙しない足音と共に、必死の形相を浮かべているハンター風の三人の男達がこちらへ向かって来た。
短く刈り上げた髪に太い腕。皆揃って屈強な男達だ。だが彼らの顔は完全に恐怖のために青ざめている。

「ねえ、おにいさん達もアリエス博士のテストを受けにきたハンターなの!?」

「あぁそうだよ! だがテストなんざクソ食らえだ、金よりも命の方が大切だぜ!」
「他の仲間は全員あの化け物に頭から食われちまった……!」
「お前らも命が惜しけりゃ逃げた方がいいぜ。あの化け物を相手になんざ、どんなハンターでもできっこねえ!」

突っ込むようにして駆け寄ってきた男達にティエルは声を掛けるが、彼らは唾を撒き散らしながらそう告げた。
ただ事ではない。一体何が廊下の奥から向かってくるのか。それにこの等間隔に揺れる地震は関係があるのか。
そう、等間隔の地震だ。一定の間隔で起こっている大きな揺れは、まるで巨大な足音のようであった。


「魔物かぁ……やっぱりそう簡単にはクリアできないってわけか。さーて、一体どんな姿をしているのやら」


ジハードは背後で小刻みに震えているハンター達に顔を向け、それから廊下の奥へと用心深く視線を移動させる。
次第に近付いてくる大きな足音。一際巨大な揺れが周辺を襲い、通路の奥から巨大な影がぬっと姿を現した。
また一歩。巨大な影が近付いてくる。ティエルは震える手で剣を抜くが、汗のために上手く握ることができない。

「見て、あれ……!」

カーネリアンの瞳を見開いたリアンの指し示した先には、完全に灯りの元に姿を現した巨大な怪物の姿があった。
黄土色の肌。だらしなく垂れ下がった贅肉に、耳まで裂けた口の脇からは泡の混じった唾液を滴り落としている。
見事に禿げ上がった頭部に、上向きの鼻。ぼろ布を腰に巻き付けただけの衣服に、右手には棍棒を握っていた。

「見つけたぞぉ、人間ども……おでのご馳走……もう逃がさないぞぉぉぉ……」


たどたどしく言葉を発しながら、目を背けてしまいそうなほど醜悪な姿をした怪物はこちらへ向かってくる。
あれはトロルですわ、とリアンが震える声で口にした。
痛みに対して非常に鈍感で、動きは鈍い。だが岩など一撃で粉砕してしまうほどの怪力を持つ凶悪な魔物である。
知能の低い彼らが行動する理由はただ一つ。空腹を満たすために、目の前の獲物を骨ごと貪り食うことだけだ。


「……トロルだと? 単なる実力を測るテストにしては、あまりにも勝ち目のない相手ではないか!」
「テストの合格条件は魔物討伐ではないよサキョウ、ぼくらが満月草を持ち帰ることだ。相手にしなければいい」
「そ、そうか。確かにそうだな!」

ジハードの言うとおりである。博士の条件は満月草を持ち帰ることだ。トロルを倒せとは言っていない。
幸いにも相手は動きが非常に鈍い。その隙を突いて、満月草を手に入れることができればいいのだ。

大きく頷いたサキョウは廊下の左側にあった大きな扉を蹴り飛ばし、まずは扉の向こうへ逃げろと皆を促した。
このまま大勢で廊下にいては危険すぎる。ティエル達は急いで扉の中へと飛び込み、ハンター達もそれに続く。
だがクウォーツだけは剣を抜き、トロルへと向き直る。彼は感情を失っているゆえに、恐怖心が存在しないのだ。


「クウォ……」
「何しているの、早く来なさいよクウォーツ! あなたまさか、あんな恐ろしい相手と戦う気なんですの!?」

名前を呼びかけたティエルよりも早く、見せたこともないような形相でリアンがクウォーツへと駆け寄った。

「ジハードが言ったでしょ、戦う必要はないって。満月草を手に入れさえすればいいのよ!」
「恐ろしい相手という感覚が私には分からない。いちいち逃げ回るよりも、確実に殺しておいた方がいいのでは」
「だ……だめ……! だめよ、絶対に行かないで!!」

恐怖を感じる心が存在しないということは、こんなにも無謀なことが言えてしまうのか。
トロルの一撃を食らっただけで、ただでさえ華奢な印象が強いクウォーツなど原形を留めずに即死だろう。
今にもトロルへ駆け出して行きそうな彼の腕に、身を挺してでも止めようとリアンは両手で縋りついた。

暫し睨み合いが続く。
絶対に行かせないという並々ならぬ彼女の剣幕に折れたのか、クウォーツはトロルから視線を外して剣を収める。


扉を抜けると、そこは正面ホールのような造りになっていた。
中央に二階への階段が続いており、そしてホールの左右には扉が一つずつ存在した。目指すは最上階の満月草だ。
ティエル達は迷いもなく階段に向かって駆け出すが、三人のハンター達は首を振って立ち止まっていた。

「二階に行ったら、あの化け物に追い詰められるだけだぜ? ……オレ達は別の道を行かせてもらうからな」
「お前ら殺されに行く気かよ? 付き合いきれねぇ!」
「おい、オレ達は早く逃げようぜ」

ぶるっと身震いをしたハンター達はそう口にすると、ティエル達など見向きもせずに右の扉へと向かって行った。





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