Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第7章 みそらで嗤う道化師
第79話 道化師とトロル -1-
大階段を駆け上がり、二階へと到着する。ティエル達はそのまま脇目も振らずに三階へ続く階段を進んでいく。
アリエス博士の助手から聞いた話では、満月草は月鏡の城の最上階に咲くのだという。
幸いにもトロルは動きが鈍い。魔物が一階を彷徨っている間に満月草を手に入れ、城を脱出するのが最良である。
わざわざ勝ち目のない戦いを挑む必要はない。魔物討伐ではなく満月草を持ち帰ることが合格の条件なのだから。
走り続けながらティエルは背後を振り返るが、トロルが追ってきている様子はない。完全に引き離したようだ。
三階へトロルが辿り着くまでに、恐らくかなりの時間を要するだろう。その間に満月草を探さなくてはならない。
そして問題は城からの脱出方法だ。残念ながら窓は小さく、小さな子供ですら通り抜けることは不可能だった。
他の方法を考えねばならない。動きの鈍いトロルとはいえ、あまり悠長にしている時間はない。
一体満月草はどこに咲いているのだろうか。
長い廊下に並ぶ扉は殆ど朽ちていた。荒れ果てた部屋の中が見て取れるが、植物が咲いているような様子はない。
最上階まで階段を駆け上がり、そして今も尚走り続けているために体力の少ないリアンは息も絶え絶えである。
「ち……ちょっと、もうトロルは追ってきていないようですし……歩いてもいい頃なんじゃないかしら……?」
魔法使いは部屋に篭って魔法の研究をしているインドア派が多く、一般的に体力が少ない者達が多い。
リアンは決してインドア派というわけではないが、か弱き乙女を自称している通りに元々体力が少ないのだろう。
その一方。彼女と同じく魔法を主力とするジハードは、涼しい顔をしながらサキョウの隣を走り続けていた。
彼は武闘家と名乗ってもなんら遜色のないほど体術の心得がある。体術の得意な魔法使いなど、色々と反則だ。
長い廊下もついに行き止まりとなり、廊下の突き当たりには大きなダンスホールに通じる両開きの扉があった。
朽ちた天井はいくつか穴が開いており、そこから細々とした月明かりが差し込んでいる。
満月草は月の光を浴びて花を咲かせる薬草だ。花が咲くとすれば、このダンスホールのどこかのはずだった。
ホール内に人影がないことを確認したサキョウは、手招きで皆を呼び寄せる。
どうやらトロルは先程の一体だけのようだ。全員が部屋に足を踏み入れると、彼はしっかりと重い扉を閉めた。
扉が閉じると、ティエル達はほっとしたようにその場に座り込む。これで暫くは安心だろう。
「あぁーっ、びっくりした……あんな魔物初めて見たよ! トロルがこの部屋に気付かないといいんだけどな」
「とにかく満月草を探さないと。そうそうティエル、そんなに足開いて座り込んでるからパンツが丸見えだよ」
「え? やだ、ジハードのエッチ!」
「色気の欠片もない下着を不可抗力で見せられただけなのに……エッチ呼ばわりとはさすがに傷付くんだけど」
「思い切り傷付いたのはわたしの方です。パンツ見られた上に、色気の欠片もないなんてひどいよ!」
心底傷付いた表情を浮かべているジハードの様子だが、彼もまたティエルにとっては辛辣な言葉を口にしていた。
その隣では漸く呼吸を整えたリアンが、確かに色気は壊滅的にありませんわ、と頷いていた。追い討ちである。
先程まで続いていたはずの緊迫した空気は一瞬のうちに崩れ去っていた。普段の彼らの調子に戻っているようだ。
「これお前達。お喋りはそのくらいにして、トロルに見つからぬうちに満月草を探さなくてはいかんぞ……ん?」
トロルからは逃げ切ったが、満月草を手に入れて城から脱出しなくてはならない大切な目的が残っている。
サキョウは仲裁に入ろうと足を踏み出すが、ダンスホールの中央でしゃがみ込んでいるクウォーツが目に映った。
丁度真上の天井が抜け落ちており、彼の青い髪が月光に照らされて輝いていた。なかなか神秘的で美しい光景だ。
だが、今はそんな光景に目を奪われている場合ではない。
「……おういクウォーツ、朽ちた天井の真下にいたら危険だぞ。いつまた崩れてくるかもしれんからな」
「焼け跡がある」
「うむ?」
「ほんの数時間前まで、ここで何かが燃やされていたようだ」
未だ熱を帯びている黒い残骸の中からクウォーツがひょいと取り出したのは、焦げてしまった花のようなものだ。
元は青い花弁であることが辛うじて分かる。……月鏡の城最上階で咲く青い花はただ一つ、満月草であった。
その満月草が何者かの手によって焼き尽くされている。トロルの仕業とは考えにくい。一体誰がこんなことを。
「ひょひょひょ、皆しゃんとてもお困りのようでしゅねぇ。探しものなら、マロが手伝ってあげましゅよ?」
突然周囲に不気味な笑い声が響き渡る。
野太い男の声を半ば無理矢理に裏声にしたような、頭に響く耳障りな声であった。一言でいえば不快な声だ。
ぴたりと動きを止めたティエル達が声の発せられた方へ視線を移すと、そこには一人の小柄な男の姿があった。
顔は白く塗りたくられ、道化師のような恐ろしい泣き笑いのメイクを施している。
先が二股に分かれた大きな赤い帽子に、奇抜な道化師衣装。痩せてはいるが、ごつごつとした随分と骨太の体格。
突如現れた、あまりにも場にそぐわぬ派手な男の登場に、ティエル達は暫く呆気に取られた表情を浮かべていた。
「あなた……誰? もしかして、この城に住んでいる人なの? それともトロルの仲間……?」
「トロル? そんなものは知らないでしゅねぇ。……ところで、ティエルというのはあんたしゃんでしゅか?」
はっと我に返ったティエルが恐る恐る問い掛けると、道化師は大げさな動作と共に前に進み出る。
その道化師の台詞に首を傾げるティエルを除いた面々は、険しい表情を浮かべつつ瞬時にして戦闘態勢に入った。
この男はティエルの名前を知っている。……ということは、メドフォード城を占拠した大臣の手の者だろうか。
「ティエルはわたしだけど、わたしに何か用なの?」
「おバカ! 馬鹿正直に名乗らなくてもいいんですのよっ」
「信用ならない人物に、わざわざ情報を与えてどうするんだい。黙っておけばよかったのに……」
あっさりと名乗ってしまったティエルに対して、背後でリアンとジハードが肩を落としながら溜息をついている。
敵に対しても馬鹿正直なのが彼女らしいといえばらしいのだが。
「あんたしゃんがティエルでしゅか! マロはヴェリオルしゃま配下、道化師タムラマと申しましゅ」
「ヴェリオル!?」
「ひょひょひょ。ヴェリオルしゃまの命を受け、ティエルしゃんを迎えに来たんでしゅよ」
ヴェリオル。その名前には、深い憎しみを帯びるほど聞き覚えがある。
炎に包まれた城。惨たらしく殺された祖母ミランダ、そしてゴドー。ガリオン、サイヤー、愛しい者達。
全てを一瞬にしてあの男に奪われてしまった。忘れたくても忘れることのできない、いや決して忘れるものか。
この手で必ず皆の仇を討つと、あの日ティエルは誓ったのだ。
「……タムラマとやら、死にたくなければとっとと帰れ。そして主に伝えるのだ、首を洗って待っていろとな!」
ティエルを守るように、怒りに燃える瞳でサキョウが前に進み出る。
ヴェリオルはサキョウにとって兄を殺した憎き仇だ。仲の良い兄弟だったという。その憎しみは計り知れない。
剣を引き抜いたティエルも静かに構えた。それでも余裕の表情のタムラマだったが、その笑みがぴたりと止まる。
「大人しく帰る気がないのなら、今すぐ首を刎ねてもいいが」
「あぁん怖いでしゅね。そんな虫けらを見るような目で美人から見つめられたら、何かに目覚めちゃいそうでしゅ」
いつの間にかタムラマの背後に回っていたクウォーツが剣を抜いていた。
床を蹴って彼から距離を取ったタムラマは、にやにやと笑みを浮かべながら懐から数輪の花を取り出して見せる。
月の光を受けて青い花を咲かせる万能薬、まさにティエル達が求めている満月草であった。
「これが何だか分かりましゅか? あんたしゃん達が欲しがっている花でしゅよね」
「まさか……満月草!?」
「ひょひょ、その通りでしゅ。他はみ〜んなマロが焼いてしまったから、これが最後の満月草になりましゅねぇ」
やはり故意に満月草は焼かれていたのだ、この目の前の道化師によって。
満月草はタムラマにとって全く必要のないものだ。ティエル達に対する単なる嫌がらせか、それとも挑発なのか。
どちらにしても、最後の満月草を手にしているタムラマをこのまま逃がすわけにはいかない。
「マロから奪ってみましゅか? 奪えるものなら、でしゅけど。……おっと、お客しゃんが来たようでしゅね」
閉ざされた入口の扉にタムラマが顔を向けると同時に、地響きと共に外側から強く扉が叩かれる。
どうやら力任せにひたすら殴っているようだ。頑丈なはずの石造りの扉は、みしみしと嫌な悲鳴を上げていた。
外側からくぐもったようなトロルの声が聞こえてくる。この分では扉が破られてしまうのも時間の問題であった。
「ひょひょひょ。折角だからトロルしゃんも中に入れてあげて、皆で一緒に遊んだ方がうんと楽しいでしゅよ!」
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