Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第7章 みそらで嗤う道化師

第80話 道化師とトロル -2-




ガンッ! ガンッ!!

力任せに殴る大きな音と共に、頑丈な石の扉がまるで粘土で作られた脆い扉の如く破壊されていく。
ダンスホール内に封鎖できるような家具は見当たらない。既にトロルの太い腕が石壁を突き破ってしまっている。
せめて開けられぬようにと、慌てて扉に駆け寄ったサキョウの巨体が砕かれた石と共に呆気なく吹っ飛ばされた。

完全に扉を破壊したトロルは、ティエル達の姿を目にすると下卑た笑みを浮かべる。
だらしなく口を開き、泡の混じった黄色い唾液が糸を引きながら床に滴り落ちた。周囲に悪臭が広がっていく。
その様子を目の当たりにしたリアンは耐え切れなくなったのか、あからさまに顔を歪めて視線を逸らしてしまう。


「ご……ごちそう……おで腹減った。お前ら、全員おでのごちそう……!」

「お下品なお客しゃんでしゅねぇ、マロを食べても骨と筋張った肉ばかりであまり美味しくないと思いましゅ。
 それよりもティエルしゃん、ヴェリオルしゃまの命令でしゅからね。……マロと一緒に来てもらいましゅよ」
「嫌だと言ったら、どうするの?」

剣を構えながら用心深くタムラマとの間合いを取り始めるティエル。
身軽に跳ねたタムラマは満月草を懐に入れると、巨大なブーメランのような武器を取り出した。
月の光を受けて輝くそれは静かな銀色の光を放っている。周囲を鋭利な刃で縁取られた、死のブーメランである。


「無理矢理にでも連れて行きましゅ。邪魔する人達は、申し訳ないでしゅが……ここで死んでもらいましゅよ!」

「……面白いですわね、この厚化粧男。この稀代の魔女である私を殺せるものなら殺してみなさいよ」
「兄の仇であるヴェリオルの配下であればこのサキョウ、容赦はせん。兄の無念をワシの拳で受け取るがいい!」
「ずっと海底生活を続けていて身体が鈍っていたんだ。……準備運動くらいにはなってほしいな」

既に詠唱を終えた魔力をロッドの先に集結させたリアン。指の関節を鳴らし、モンク僧の構えを取るサキョウ。
無言のまま妖刀幻夢を握り直したクウォーツ。笑みを浮かべながらリグ・ヴェーダをぱらぱらと開くジハード。
クウォーツを除いた三人からは、簡単にやられはしない、という気迫が瞳にありありと現れている。


「厚化粧男なんて酷い言い草でしゅねぇ。このメイクの下には、超絶プリティなフェイスが隠れていましゅのに」
「笑わせますわね。私、ものすごぉぉく面食いなんですのよ!」


リアンのロッドから火炎球が放たれたと同時に、ティエル達は一斉に地面を蹴って駆け出した。
ティエルは一直線にタムラマへ向かい、サキョウとジハード、そしてクウォーツの三人はトロルへ向かっていく。
戦力が分断されるのは正直辛いが、ゆっくりと一体ずつ仕留められるほど相手は生易しくはない。

空中でくるんと一回転をしながら火炎の魔法を避けたタムラマへ、ティエルは竜鱗の剣をすかさず振り下ろす。
素早い身のこなしで彼女の剣から距離を取りつつ、タムラマは右手で掴んでいたブーメランを勢いよく放った。
縦横無尽にダンスホールを舞うブーメランは、まさに死の舞踏を披露しているかのようであった。

月光を受けて輝くブーメランは、その美しさとは裏腹に非情なる銀の刃となってティエルとリアンに襲い掛かる。
咄嗟に身を低くして刃の一撃を避けるが、ブーメランはまるで命を持っているかのように再び向かってきたのだ。


「……どうしますの、ティエル? 逃げているばかりじゃ、ただ体力を消耗するだけですわよ」
「ブーメランの動きを止めるためには、地に叩き落とすしかないよ。けれど、今の速度じゃ目で追うのがやっとだ」
「ええ、確かに」
「リアン。魔法で向かい風を作って、ブーメランの速度を少しでも弱められないかな?」

これほど無尽に飛び回るブーメランに向かい風を作ることはなかなか難しい。
次々と方向転換を重ねる飛び道具が相手では、向かい風どころか逆に追い風を作ってしまうことにもなり得る。
だがリアンはティエルの瞳を見つめながら、しっかりと頷いてみせた。彼女の表情に僅かな迷いすらない。

「分かりましたわ。……こんな所で梃子摺っている場合ではないですわね。早く満月草を奪い取らなくちゃ」


一方。
ティエルとリアンの二人から魔物を引き離すために、サキョウ達は休みなくトロルを挑発し続けていた。
彼女達がタムラマから満月草を奪い取るまで、トロルの注意を完全にこちらに引き付けておく必要があったのだ。

トロルはサキョウ達が相手にできるような魔物ではない。倒すことは考えず、ただ攻撃を避け続けていればいい。
しかし一撃でも受ければ確実に致命傷である。一瞬の気の緩みも許されなかった。
手当たり次第に棍棒を打ち付けるトロルに気圧され、サキョウ達はじりじりとホールの隅に追い詰められていく。

「ちょこまかと素早い奴らだなぁぁ……余計に腹が減るじゃねぇかぁ、大人しくおでに食われろおぉぉ!」

「ううむ……相手の動きが鈍いとはいえ、限られた空間の中で逃げ続けるのは想像していた以上に難しいな……」
「ぼくの極陣で動きを封じるという手もあるけど、あれって制限時間が短すぎるのが難点なんだよね」

トロルとの距離を十分に取りながら顔を見合わせるサキョウとジハード。
ティエル達からトロルを引き離そうとすればするほど、彼らが部屋の隅に追い詰められる形となってしまうのだ。
追い詰められている割には随分とのんびりした声で呟くジハードの隣へ、ふわりとクウォーツが降り立った。


「クウォーツ」
「手を出すなというから手を出してはいないが、いつまで逃げ続けていればいい。このままでは全員食われる」
「トロルにとっては人間と悪魔族、どっちが美味しいんだろうね。ぼくもサキョウも筋肉質で不味いと思うけど」
「……来るぞ」

この緊迫した状況では洒落にならない台詞を呟いたジハードに、普段のように感情のない瞳を向けたクウォーツ。
ジハードの他愛のない軽口はいつものことなので、勿論彼が返事をすることはない。
そんな二人に向かって、ついに痺れを切らしたトロルがその巨体を大きく揺らしながら突進してきたのだ。
直撃すれば命はない。ジハードは魔本を手にしながらも軽々と身を翻し、クウォーツは地面を蹴って飛び上がる。


「おでの食い物ぉぉ! ……あれ、食い物、どこいった?」
「どこを見ている」

突然目の前で姿を消してしまった仕留めたはずの獲物に、トロルは首を傾げた様子で立ち止まっていた。
このままでは埒が明かないと、素早く背後に回ったクウォーツがトロルの右腕に向かって妖刀幻夢を振り下ろす。
確かな手ごたえ。丸太のように太い腕は呆気なく斬り落とされ、断面から緑の血が勢いよく噴き出した。

「んあ……? 何だか、腕が痒い、ぞぉ? お前、おでに、何かしたのかぁ?」
「痛みを感じていないのならば、もう片腕も斬り落とすまでだが」
「お……お前、人間じゃない。悪魔族、だな? 悪魔族食ったら、おでも、きれいに、なれるかなぁぁ……?」

「クウォーツ、これ以上は接近するな! ……それにクウォーツを食べても、モミアゲが長くなるだけだから!」

涎を滴り落としながら残った片腕をクウォーツに伸ばすトロル。
だが、クウォーツはもう一方の腕も斬り落とそうとその場から動かなかった。これ以上の接近は危険である。
即座に魔法を完成させたジハードが印を切ると、虹色の魔法陣がぐるりとトロルを囲んでいく。
対象者の動きを僅かな時間止めることのできる極陣である。彼がダゴンを相手にした時に見せた不動の陣だった。


「もう、クウォーツったら割と捨て身の攻撃が多いんだから冷や冷やするよ……ん、どうしたんだい?」

極陣に動きを封じられて暴れ続けるトロルを後目に、ジハードはクウォーツへと駆け寄って行った。
だが彼は言葉を発することもなくこちらを見つめているだけである。いや、見つめているというより睨んでいる。

「えっ、どうして機嫌損ねてるのさ!? あなたが睨んでくると、その顔立ちだけに迫力がありすぎるんだけど」
「私を食っても、モミアゲが長くなるだけだと?」
「ちょっとした可愛い冗談じゃないか。そんな長いモミアゲが似合う男は、きっとあなたくらいだよ。うん」

「これはモミアゲじゃない」
「いやいや、どう見てもモミアゲだろ」
「違うと言っている」

確かにクウォーツの髪型は、両耳サイドの部分だけが長い特徴的な髪型だ。
厳密にはモミアゲではないその部分を、モミアゲと呼ばれるのが不愉快だったのだろう。だがモミアゲに見える。
モミアゲだ、モミアゲじゃない、実にどうでもいいことを言い争う二人に、極陣の解けたトロルが近付いていく。


「おい二人とも何を暢気に話しているのだ、そっちにトロルが向かっているぞ!?」

漸くサキョウの声で背後を振り返ったクウォーツとジハード。
腹を空かせたトロルが片手を振り上げながら迫ってきていたのだ。これで命を落としてしまえば非常に情けない。
それでも一瞬のうちに戦闘態勢に入った二人はさすがとも言うべきか。間髪入れずにその場から同時に離脱した。


「もう腹ペコだ、ああぁ〜!」

力任せに振り下ろされたトロルの強烈な一撃は、既に誰もいなくなった床に何度も振り下ろされる。
あまりの空腹のために、二人が離脱したことすら気付いていないのだ。次第に床に大きな亀裂が走っていった。
危機を察知したジハードが不動の陣の詠唱を始めたと同時に、衝撃に耐え切れなくなった床が崩壊を始める。

トロルの周囲数メートルを巻き込んで、がらがらと床が崩れていく。あまりにも一瞬の出来事で逃げる間もない。
サキョウ達三人を床の崩壊に巻き込みながら、トロルは呻き声と共に階下へと落下していった。





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