Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第7章 みそらで嗤う道化師
第81話 道化師とトロル -3-
「……クウォーツ!」
「ジハード、サキョウ!!」
突如背後から響いてきた轟音にティエルとリアンが振り返ると、ダンスホールの床の四分の一が崩れ落ちていた。
トロルはおろか、サキョウ達三人の姿も見えない。障害物のないこのホール内で隠れる場所など存在しなかった。
彼らは間違いなく崩壊に巻き込まれてしまったのだ。すぐに安否を確かめに行きたいが、状況がそれを許さない。
「ひょひょひょ、あっちのお友達しゃんは全員お亡くなりになってしまったようでしゅね。とても残念でしゅよ」
「勝手に殺さないでよ、サキョウ達は必ず生きてるんだから!」
「どうやら一階まで落下しているみたいでしゅよ? ……この高さでしゅからね、生きているわけがないでしゅ」
「黙れぇぇっ!!」
ティエルの不安を更に煽るような台詞を口にしながらも、タムラマの攻撃の手は止むことがない。
刃で作られたブーメランを自在に操りながら彼女達を翻弄し続ける。見た目以上になかなか手強い相手であった。
癇に障る笑みを浮かべながら、タムラマは不安を煽るような台詞で次々と揺さぶりをかけてくるのだ。
「マロの尊敬する偉大なるヴェリオルしゃまは、どうしてもティエルしゃんが必要なのだと言ってましたでしゅ。
あの方に必要とされるなんて、本来なら光栄に思わなくてはならないんでしゅよ? マロは羨ましいでしゅ!」
「……嫌がっている女の子を執拗に求めているだなんて。そのヴェリオルって男、少し危ないんじゃなくて?」
「ぎゃひっ!?」
「変態上司にはあなたみたいな変態部下が、よーくお似合いですわ!」
完全に存在を忘れ去っていたリアンが背後から現れ、そのままロッドを振り下ろしてタムラマを殴り飛ばした。
魔力の宿った大きな水晶球は、油断をしていた道化師の小柄な身体を鈍い音と共にあっさり吹っ飛ばす。
力の弱いリアンの一撃でこうも簡単に吹っ飛んでしまうとは、タムラマは意外に打たれ弱いのかもしれない。
「ティエル、こんな道化師の言葉なんて聞くんじゃないですわ。この程度でクウォーツ達が死ぬ訳ないでしょ?」
「リアン……」
「向こうには治癒魔法が使えるジハードだっているんですのよ。今は道化師に勝つことだけを考えなさいな」
リアンの力強い声で我に返ったティエル。
完全に道化師の話術に取り込まれていたのだ。彼らの無事を祈る心が、ほんの僅かに挫けそうになってしまった。
まるで炎が燃え盛るようなカーネリアンの瞳に見つめられ、ティエルは照れくさそうに笑みを浮かべる。
「……ありがとう、リアン。わたし、ヴェリオルの名前を聞いて頭に血が上っちゃったみたいだ。
こんな時こそ冷静にならないといけないのに、おばあさまやゴドーの最期の姿が脳裏に浮かび上がって……」
僅か十六歳にも満たない少女が、本来であれば二度と笑顔を失ってしまうような凄惨な体験をしたのだ。
その原因を作った張本人である男の名前を耳にして、冷静でいられるはずがない。むしろ冷静さを失って当然だ。
だからこそ、リアンは彼女を責めることなどできはしなかった。
「ヴェリオルはわたしから全てを奪ったんだ。家族も、友達も、生まれ育った故郷も何もかも全てを……!」
「ティエル、これ以上怒りに飲み込まれないで。やるべきことを思い出して。あなたが今、守るべきものは何?」
大きな瞳に涙を溜めたティエルを暫くの間見つめていたリアンであったが、やがて彼女を強く己に抱き寄せた。
小さな子供に言い聞かすように、優しく、だがしっかりとした確かな口調で彼女に語り掛ける。
リアンの胸に抱きしめられていると、怒りに支配されていた心がそのぬくもりで段々と解れていくようだった。
ああ、そうだったんだ。そう思いながらティエルは目を閉じる。
確かに自分は多くのものを失ってしまったけれど、今は守るべきものがある。守らなければならない者達がいる。
もう二度とあの夜のように失わないために、守ると誓ったではないか。こんな大切なことを忘れていたなんて。
「ほんとに……本当に、そうだね。わたしがするべきことは満月草を手に入れ、クウォーツ達と合流することだ」
「ええ、上出来。そのとおりよ」
一度だけぎゅっとリアンを抱きしめたティエルは、それから静かに身を離す。
殴り飛ばされたタムラマは石の壁に顔面を打ち付けており、大げさに痛がる動作を見せながら身を起こしていた。
「わたしリアンにたくさん勇気を貰ってる。元気を貰ってる。城にいたままだったら、今のわたしはきっといない」
「分かればいいんですのよ。……さぁ、早く変態道化師と決着をつけましょう?」
「変態とは聞き捨てならないでしゅねぇ、こんなにプリティでキュートなマロに向かって酷い言い草でしゅ!」
芝居じみた大げさな動作で怒りを露わにしたタムラマは、次の瞬間弾みをつけてブーメランを宙に放り投げた。
死のブーメランは意思を持つ生き物のように彼女達に襲い掛かる。
だがティエルは何か考えがあるのか、剣を構えたまま動こうとはせずに隣のリアンの名を叫んだのだ。
「リアン、お願い!」
「分かりましたわ。天空を舞う烈風を真空に変え、標的を切り刻め……ウインドカッター!」
彼女がロッドを前に突き出すと同時に、先端の水晶から碧に色付いた風の塊が次々とブーメランに向かっていく。
風の魔法は強力な向かい風となり、ブーメランの速度を目で追える程度に落としたのだ。
その瞬間ティエルは剣を振り下ろしてブーメランを叩き落とす。衝撃で死の刃は粉々に砕けてしまっていた。
「マ……マロのブーメランが砕けてしまったでしゅ! 何てことをしてくれるんでしゅか、弁償でしゅよぉ!?」
「隙ありですわよおバカさん。氷の刃をくらいなさい、アイシィレイジ!」
「ぎゃひぃー!?」
目を見開いたタムラマが、床に散らばったブーメランの破片に向かってふらふらと歩み寄っていく。
その隙をリアンは見逃さず、即座に唱えた氷の魔法が彼を襲った。赤い血が辺りに飛び散り、確実に深手である。
甲高い悲鳴を上げながら地に倒れたタムラマの元へ、ティエルが駆け寄って行った。目的は一つ。満月草だった。
「悪いけど、満月草は貰う。わたし達は何があってもアリエス博士のテストに合格しなくちゃいけないんだ!」
「あぁん、ティエルしゃんったら……そんなにマロの身体をごそごそしちゃ駄目でしゅよぉ……」
「うるさいっ」
深手を負っているというのに、不気味な笑みを口元に浮かべ続けているタムラマ。
そんな態度に眉を顰めたティエルだが、満月草を手に入れることが先決だ。彼の懐をまさぐって花を探し続ける。
一息ついたリアンは二人の様子を離れた場所から眺めていたが、表情が急に強張り、杖を投げ捨てて駆け出した。
「ティエル、伏せなさい! ……ああもう、間に合わない!!」
……ティエルの背を目掛けて、粉々に砕けたはずのブーメランの破片がいくつも向かってきていた。
先程ブーメランが砕かれた瞬間。大きな破片は石床を跳ね返り、標的が油断するのを眈々と狙い続けていたのだ。
タムラマはそれを知っていたからこそ、笑みを浮かべ続けていたのだった。
直撃は最早免れないと悟ったリアンはティエルが背後を振り返るよりも早く、彼女を抱きしめながら地に伏せる。
「リアン!?」
「もう……ほんと、あなたは頼りなくて危なっかしくて……私がいないと何もできないお姫様なんですから」
状況を把握できぬまま床に押し倒されたティエルは、瞳を瞬きながら目の前のリアンを見つめた。
ゆっくりと顔を上げた彼女は普段どおりの強気な笑みを浮かべ、そのまま力なくティエルへと凭れ掛かってきた。
思わず支えた両手にはべったりとした感触。付着していたのは真紅の血であった。
華奢なリアンの背には、いくつものブーメランの破片が突き刺さっていた。深く刺さっている破片もあるようだ。
「……え……やだ、嘘……わたしだ、わたしの所為だ……!」
「ひょひょひょ、お友達しゃんは全員死んでしまったようでしゅねぇ……チャンスと言いたいところでしゅが、
マロもこの傷では戦えましぇん。今回は退却してあげましゅ、精々お友達しゃんに感謝しゅるんでしゅね!」
血を滴り落としながらタムラマは崩れた天井へ進んでいく。そして地面を蹴り上げ、穴の向こうへと姿を消した。
「あの変態道化師……勝手に殺さないでいただきたいですわ。……私はまだ死んでいませんわよ……」
「動いちゃ駄目だ!」
「もう、ティエルったら……大げさですわね」
大げさと彼女は言っているが、これは明らかに深い傷だ。こんな時ですらリアンは気が強く意地っ張りであった。
幸いにも臓器に突き刺さっているような様子はないが、一刻も早く治療をしなければ万が一ということもある。
だが治療設備のないこの環境で一体どうやって? その上ジハード達は階下に落下し、頼ることができないのだ。
とにかく、今できることをしなくては。唇を噛み締めながら破片を引き抜くと、リアンの身体がびくりと震える。
持ち歩くハンカチは大きなものが良いとリアンがよく言っていた。何かあった時に、包帯代わりになるのだと。
……その忠告を守っていて本当に良かった。ハンカチにしては些か大きすぎる布で彼女の傷口を押さえ付ける。
治癒魔法を使うことができないティエルに、これ以上何ができるというのか。
サキョウ達の安否も気がかりだ。一体どうすればいい。誰か教えてほしい。何もできない自分が情けなかった。
城にいた頃から随分と成長していると思い込んでいた。しかしそれは大きな間違いであったと今更気付かされた。
周囲のリアン達が常にティエルをフォローしてくれていたからこそ、数々の困難を乗り越えることができたのだ。
それを自らの成長だと勘違いをしていた。馬鹿だ。思い上がりも甚だしい。情けなさで急に涙がこみ上げてくる。
「馬鹿ね、泣き虫さん。……どうして泣いているの。怖い道化師はもういないんですのよ……?」
「ごめんね、ごめんねリアン。テストに合格なんてどうでもいい。……リアンが助かってくれれば何もいらない」
汗ばんでいるリアンの手をぎゅっと握りしめたティエルは、その時何かに気付いたかのように瞳を見開いた。
ああ、そうだ。何故こんな簡単なことに気付かなかったのだろう。気が動転していて、何も見えなくなっていた。
リアンを助けることのできる、たった一つの方法があるではないか。時間はない。その方法に縋るしかなかった。
「……わたしが必ず助ける。だから、それまで頑張って……!」
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