Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第7章 みそらで嗤う道化師
第82話 確執
暴れ続けるトロルの重みに耐え切れなくなった床は、がらがらと音を立てながら周囲を巻き込んで崩れていった。
一部分が崩壊したのを切っ掛けに、古い城ゆえに元々脆くなっていた部分が連鎖的に崩れていく。
階下に落下したトロルの巨体は二階の床も受け止めきれずに、激しい崩壊と共にトロルは更に一階へと落下する。
降り注ぐ瓦礫に立ち込める砂埃。完全に崩壊が止まるまで、長らくの時間を要した。
壊れた家具や瓦礫に埋もれた一階ホールはしんと静まり返り、動く者はおろか微かな物音すらも聞こえてこない。
「……いってぇ……」
砂埃に塗れた人影がゆっくりと上半身を起こす。
牡丹の刺繍が美しい衣装に白い髪。身体中に擦り傷を負ったジハードである。落ちた衝撃で背中を強打していた。
どうやら柱と瓦礫の隙間に落下したようで、降り注ぐ瓦礫の洗礼は免れたようだ。昔からやたらと幸運であった。
打ち付けた背中に痛みが走るが、気になるほどではない。軽く治癒魔法をかけると痛みはすぐに治まった。
瓦礫が崩れぬようにそっと隙間から抜け出し、ジハードは初めて周囲の惨状を目にする。何もかもが滅茶苦茶だ。
ここは先程通過した一階のホールだろうか。なんとなく見覚えがある。上への階段は完全に崩れてしまっていた。
壊れた家具や瓦礫の山で、嵐が過ぎ去ったかのように足の踏み場もないほどだ。崩壊の凄まじさを物語っている。
それよりも、共に落下したはずのクウォーツやサキョウの姿が見えない。まずは彼らの安否を確かめなくては。
「クウォーツ、サキョウ……頼むから返事をしてくれ! まさか……瓦礫の下敷きになってしまったんじゃ……」
「呼んだか」
「うわ!? びっくりした!」
突如背後から響いてきた無感情な声に、珍しく素っ頓狂な声を上げて驚くジハード。余程想定外だったのだろう。
恐る恐る振り返ると、いつの間にか折れた太い柱の上にクウォーツが立っていた。
あちこちに擦り剥いた痕が見受けられるが、深い怪我は負っていない。乱れた髪を整える余裕すらあるようだ。
「もークウォーツったら驚かすなよ! いつからそこにいたのさ、気配を消されると心臓に悪いじゃないか」
「驚かせたつもりはない」
「……あれ、サキョウは一緒じゃなかったんだ。位置的に彼もぼくらのすぐ近くに落下しているはずなんだけど」
クウォーツの様子から彼は落下の衝撃で気を失ってはいなかったようだ。普段のように難なく着地したのだろう。
崩壊からどれほどの時間が経過しているかは分からないが、既にサキョウと合流していてもおかしな話ではない。
薄暗い中でも相当夜目の利くクウォーツならば尚更だ。だが彼は、黙ったままふるふると首を振るだけであった。
「もしかして、見つから……ないの?」
「これだけ探しても見つからないのであれば、瓦礫の下敷きになっているのかもしれない」
「下敷きって……大変じゃないか、そんな淡々と言っている場合じゃないよ! いやあなたはいつもそうだけど」
あまりにも素っ気無い彼の台詞に、ジハードは事の重大さが今一つピンと来なかったようだ。
この量の瓦礫の下敷きになれば命はないだろう。いや、諦めるのはまだ早い。運よく助かっているかもしれない。
もしもサキョウが怪我をして動けないのであれば、早急に彼を探さなければ手遅れになってしまう場合もある。
サキョウを探すために歩き始めた二人だが、改めて崩壊の凄まじさを思い知る。これでよく命があったものだ。
想像していたよりも一階ホール部分の壊滅は酷く、古城というだけあって相当老朽化が進んでいたのだろう。
砕けた石壁を乗り越えつつ進んでいくと、大階段の近くでだらしなく舌を出して息絶えるトロルの姿を発見する。
打たれ強さを誇るさすがのトロルも城の崩壊には敵わなかったようで、頭部が半分ほど潰れてしまっていた。
一歩間違えれば自分達がこうなる運命だったのだと、背筋にひやりと寒気を覚える。
思わず足を止めるジハードだったが、クウォーツは歩みを止めずにすたすたとトロルの死体まで歩み寄って行く。
死体の周囲に落ちていた細長い布のようなものを拾い上げると、首を傾げるジハードに向けて差し出した。
「これは……まさか」
クウォーツが差し出していた細長い布は、赤と深い緑の色合いが印象的な鉢巻であった。
厳しい修行を耐え抜いた僧侶のみが身に着けることを許された、いわばモンク僧の証である。それが何故ここに。
認めたくはない現実が圧し掛かってくる。見つからないサキョウ、息絶えたトロル、そして近くに落ちた鉢巻。
それらのピースが意味する残酷な答えは一つだけだった。……サキョウはトロルの下敷きとなってしまったのだ。
「サキョウ……」
「どうか安らかに」
愕然とした様子で目を見開いているジハードの隣で、クウォーツは胸に片手を当てながら静かに目を閉じた。
助けられなかった悔しさのあまり唇をぐっと噛み締めたジハードも、やがて両手を重ね合わせて仲間の死を悼む。
心優しく、頼もしかったサキョウ。海のように穏やかな広い心の持ち主で、どこか父性すら感じさせられた。
その時。目を閉じるクウォーツとジハードの背後から大きく太い腕が伸び、二人の肩をがっしりと掴んだのだ。
「二人ともぉ! ううぅ無事で本当によかった、ずっと探していたんだぞ……うごふぅっ!?」
「誰だ! ……って、サキョウ?」
突然のことで、相手が誰かも確認することのないまま二人は振り向きざまに背後の人物に一撃を与えていた。
身体に染み付いてしまった戦士としては実に優秀すぎる条件反射である。
ジハードからは鳩尾に強烈な蹴りを入れられ、クウォーツからは顔面に肘鉄を食らったサキョウは既に涙目だ。
「何故生きている」
「まさか未練を残したあまり、化けて出てきたとか……!」
「おい、まるでワシが生きていては駄目なような言い方ではないか! ……いてて、お前達は本当に容赦ないな」
「この状況じゃ勘違いもするだろ! この冷感症のクウォーツですら、率先して黙祷を捧げていたんだよ?」
「ジハード貴様、冷感症の意味をもう一度調べ直してこい」
「おおそうか。ありがと……いや、率先して黙祷をしちゃいかんだろ!? もっとワシの生存を信じてくれよ!」
サキョウも他の面々と同じく、打撲や擦り傷だけで済んでいるようだ。
鳩尾に食らった蹴りと、顔面に食らった肘鉄が一番ダメージが大きいということは……あえて触れないでおこう。
憤慨した様子のサキョウに詰め寄られるクウォーツだが、他の階段を探してくると呟き、歩き去ってしまった。
「もー、擦り傷治そうと思ったのに行っちゃった。相変わらず自由なんだから。あ、サキョウ傷治すから見せて」
「うむ……すまんな」
やれやれと溜息をついてクウォーツを見送ったジハードは、瓦礫に腰掛けるとサキョウに向けて手招きをした。
差し出されたサキョウの逞しい腕には、至る所に擦り傷が見受けられた。軽傷といえども化膿する場合がある。
傷口に触れるように手をかざすと、淡い緑色の光がジハードの手の平から発せられる。優しい癒しの光であった。
暫くその光をぼんやりと見つめていたサキョウであったが、彼らしくもなく呟くような小さな声で言葉を発した。
「……なぁ、ジハード」
「うん?」
「クウォーツはワシの生存を早々に諦めていた……んだよな」
「早々にではないよ? ぼくが目を覚ますまでは、ずっとぼくらを探し続けていたんだろうし。どうして?」
「時折思うのだ。クウォーツは、ワシら人間達と共に生きると選択したことを……後悔しているのではないかと」
「後悔って……?」
ジハードは、サキョウとクウォーツの出会いを詳しくは知らない。
知っていることは、森の奥深くの屋敷で彼と出会い、太陽に耐性を持つことのできる指輪を渡したことだけだ。
人間と悪魔族の確執は深く根強い。僧侶のサキョウがクウォーツを人として認めた理由は未だ分からないままだ。
気にならないわけではないが聞くのが憚られた。いつか彼らが話してくれる時まで聞かずにおこうと決めたのだ。
「……クウォーツと初めて出会った頃、ワシは暫くあいつを人として認めていなかった。認めたくなかったのだ」
「あなたは僧侶だからね」
「そうだな。穢らわしい悪魔族のためなどに、命懸けで指輪を手に入れるなんて正直冗談じゃないと思っていた」
「サキョウの考えは間違ってはいないと思うよ。ぼくは否定しない。……ただし僧侶として正しい考え、だけど」
「それは勿論分かっているつもりだ」
「うん」
「その考え方は未来永劫決して変わることがないと思っていた。ワシにとってモンク僧の教えは絶対で、信条だ」
悪魔族は人ではない。人によく似た美しい姿をしているだけで、中身は人間を誘惑し堕落させる魔物なのだと。
彼ら種族は残虐で、人の血や精気を糧にして生き長らえている忌まわしい存在だ。多くの人間が破滅に導かれた。
そしてサキョウが今まで出会い、殺してきた悪魔族は皆そんな魔物達ばかりであった。
「……だがあいつを知っていくうちに、僧侶として決して認めたくはない真実に気が付いてしまったのだ。
あれほど人間達に拷問のような暴行を受けても、あいつは種族に拘ることもなく他人を優先させる男なのだと」
クウォーツが描いていた幸せの中には、常に己の姿は含まれていなかった。
誰よりもギョロイアの幸せを願い、己の身よりもティエル達の命を優先し、魔物を演じてまで町人達を逃がした。
勿論これは単なるサキョウの想像でしかなかった。クウォーツからはっきりと言葉で告げられたわけではない。
僧侶としてのサキョウではなく、一人の人間として見過ごすわけにはいかないと……強く思わせる何かがあった。
ティエルやリアンがあれほど彼に惹かれている理由が、ほんの少しだけ分かりかけてきたような気がした。
悪魔族だという理由で存在を否定し続けていたが、果たしてこれでいいのかとサキョウは思い始めていたのだ。
「ワシはクウォーツに対して確かにそう思っているが……けれど、あいつはどう思っているのだろうな」
「どうって?」
「心無い罵声を浴びせたこともある。見殺しにしかけたこともある。あいつにとってワシはきっと……うぐっ?」
暗い面持ちのまま俯きかけたサキョウの両頬を、ぱちんという軽い音を立てながらジハードが突然触れる。
口を突き出した情けない格好のまま目を白黒とさせるサキョウを、彼は黙ったまま空色の瞳で見つめ続けている。
怒っているわけでも笑っているわけでもなく、じっと見つめてくるジハードの顔は整っているがゆえに少し怖い。
「ジ……ジハード……急にどうしたのだ?」
「どうしたのって、治療が終わった合図だよ。傷痕一つ残さずに治癒できるぼくって、さすが天才癒術師だなぁ」
確かにジハードが言ったとおり、先程まであちこちに見受けられていた擦り傷や打撲は綺麗さっぱりと消えていた。
町の僧侶ならば数十分時間を必要とする傷を、ほんの数分で完治させてしまうジハードの魔力に改めて驚かされる。
ありがとう、と慌てて礼を述べるサキョウに黙ったまま笑顔で応えるジハードだが、やがて小さく呟いた。
「……羨ましいな」
「え?」
「ううん、なんでもない」
聞き取ることができずに思わずサキョウが聞き返したが、ジハードはくすくすと笑ってはぐらかすだけであった。
+ Back or Next +