Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第8章 考古学者アリエス
第84話 考古学者アリエス -1-
カーン、カーン。
規則正しく金槌を打ち付ける小気味良い音が、広い荒野に響き渡る。時刻は既に夕暮れ時を過ぎようとしていた。
橙色の空が段々と夜の帳に支配されていくコントラストは何度目にしても美しく飽きない。自然の神秘である。
荒野の真ん中にぽつんとコテージのような巨大なテントが張られており、その周囲を巨大生物の骨が囲んでいた。
細々と燃える松明の光に照らされて、一人の青年が発掘作業に勤しんでいる。
素人が切ったと一目で分かる短い茶の髪に、若葉色の丸い瞳と低い鼻。中肉中背のどこにでもいるような青年だ。
彼の傍らには、拉げた大きな緑の帽子と長いローブ。そして全く手を付けられた形跡のない弁当が置かれていた。
朝からずっと食事も取らずに発掘作業に集中しているようだ。熱中すると周りが見えなくなる彼の悪い癖である。
しかし作業の甲斐あって、巨大生物の頭蓋骨が予定よりも早いペースで掘り出されている。
恐らくこの生物は大昔に絶滅したといわれている凶悪な魔物、サザンライノーだ。
三つ目のサイのような姿をした魔物なのだ。
そこで漸く青年は額の汗を拭うと金槌を傍らに置いた。
力尽きたかのように大の字にごろんと寝転び、手探りで水筒を引き寄せた。中に入っているのは単なる水である。
それでも砂埃に塗れながらの仕事の後に一気に飲むと、まるで生命の泉に湧き出る水のように美味であった。
「あー、仕事の後の一杯は生き返るねぇ。……これが酒だったら更によかったのになー」
寝転がったまま静かに目を閉じる。日暮れ時独特の涼しげな風が吹き、青年の髪を揺らしていく。
日夜砂埃に塗れた生活をしているが、身だしなみはきちんとしろとうるさい姪っ子のお陰で清涼感を保っていた。
可愛い姪っ子にしっかり言い付けられた召使いが、一日の終わりに彼の着ている全ての服を剥ぎ取っていくのだ。
少々口うるさくお節介なところが玉に瑕の姪っ子だが、大切で愛おしい存在である。
近々遠征先から戻ってくる頃だ。帰ってきたら彼女の好物である、カモメ亭のマカロニグラタンを食べに行こう。
早く会いたい。顔を合わせればお小言ばかりを言われるが、我が姪っ子はそんな怒った顔も大変可愛い。
「リナちゃん早く会いてぇなぁ。伯父さんはとても寂しいぞぉー」
「……リナちゃんって誰?」
「ん?」
仰向けに寝転がっていた彼の顔にさっと影が差す。同時に聞こえてきたのは、聞き覚えのない少女の声である。
視線を上へと移動させていくと、健康的な太腿。更にその上には、随分と飾り気のない白い下着が目に入った。
残念ながら目にしても、然程喜びを感じられないような下着であった。
「随分と色気のないパンツだなぁ。年頃の女の子なんだから、もっと可愛いパンツ穿かないと彼氏もできないぜ」
「えっ? お、大きなお世話です!」
慌てて青年から身を離したのは、無論ティエルである。
リアンの傷が完治するまで月鏡の城に留まっていた彼女達は、漸く昨日からこのテントに向けて出発したのだ。
ここ数日は幸いアリエス博士のテストに挑戦するハンターもおらず、久々にゆっくりと休養を取ることができた。
「にゃははは、まぁ安心しなよ。オレは嬢ちゃんみたいな、乳臭いお子ちゃまには全く興味なんてねーからさぁ」
「お子ちゃまじゃないもん。もうすぐ十六歳になる立派なレディです!」
「十六歳はお子ちゃまじゃん。……それはさておき、嬢ちゃん達もテストを諦めて逃げ帰ってきたというわけね」
にやにやと笑みを浮かべた青年は弾みをつけて飛び起きると、傍らに転がっていた緑の帽子を身に着けた。
頬を膨らませて拗ねた顔付きのティエルから視線を外し、彼女の背後に立っているリアン達を順々に眺めていく。
「無事に戻って来れただけでも幸運に思わなきゃ。命あってナンボだからね、死んじまったらそこで終わりだし」
「そこで助手のおぬしに相談なのだが」
ずいと前に進み出たサキョウが、風呂敷に包まれた何かを青年の前で広げてみせる。大量の黒ずんだ残骸だった。
「何だよおっさん、こんな所でゴミ広げんなよ。汚ねぇなぁ」
「ただのゴミではない。いいからよく見てみろ」
「はぁあああ?」
心底嫌そうな顔を隠そうともせずに、青年は広げられた残骸を覗き込む。
やはりどこから見てもゴミである。何かの燃え残りだろうか。辛うじて元が植物であったことが分かる程度だ。
いや、待てよ。……この特徴的な葉の形は確かに見覚えがあった。それに青い花弁もいくつか見受けられる。
「これ……もしかして満月草? 何でこんなに燃えちゃってんのさ、燃やして持ってこいなんて言ってねぇよ?」
「ぼくらが燃やしたわけじゃないよ。話すと長くなるけど、最上階に着いたら既に燃やされた後だったんだ」
「長くねぇじゃん、一言じゃねーか! ったく、誰だよ……オレの貴重な研究材料を燃やしやがった馬鹿は……」
憤慨した表情を浮かべる青年の前に、普段のように人畜無害の笑顔を浮かべたジハードがあっさりと言い放った。
青年は更に項垂れて満月草の燃え残りを暫く突いていたが、やがて諦めたように口を開く。
「あーあ、オレの負けだ。まぁジハードくんがあんた達に協力している時点で、結果は分かっていたんだけどさ」
「それじゃあ、アリエス博士に会わせてくれるんだ!?」
「勿論だよ。嬢ちゃん達、ついといで」
衣服の砂埃を軽く叩いた青年は、発掘道具をまとめると背後の巨大なテントに向かって歩き始めた。
あの中にアリエス博士がいるのだ。動物の皮を繋ぎ合わせたテントは松明の炎に照らされて橙色に染まっている。
入口の布を軽く捲り上げている青年に向かって、ふとサキョウが口を開いた。
「……ハンター達の中には、テストを受けずに力尽くで博士に会おうとする者もいたのではないか?」
「ああいたね、そんな奴ら。ハンターは脳まで筋肉の奴らが多くて困っちまう。もっと教養を身に付けろっての」
「う、うむ」
「そういう馬鹿には、殺さない程度に痛い目見てもらったぜ。オレこう見えても結構凄腕の魔術師だからさぁー」
からからと笑っている青年は、お世辞にも強そうには見えない。だが、本人がそう言うのだからそうなのだろう。
青年に促されてテントの中に足を踏み入れたティエルは思わず目を見開いた。
広々とした中には大昔の巨大生物達の骨が綺麗に組み立てられており、それらが所狭しと飾られていたのだ。
全てこの地域から発掘された骨なのだろうか。あまりの迫力に、ティエルはぽかんとしたまま言葉も出なかった。
……それにしても散らかっている。どうやらアリエス博士は几帳面な性格ではないらしい。
辺りには古ぼけた分厚い書物が散乱し、積み上げられている本や放り投げられている本など惨憺たる様子である。
それらを物珍しそうに眺めていたティエル達の前に、黒い髪をした恰幅のよい中年の女が姿を現した。
「お帰りなさいませ、アリエス博士。本日のお仕事は随分と早く終えられたのですね。そちらの方々はお客様?」
……アリエス博士?
今この女性は青年に向けて『アリエス博士』と呼ばなかったか。彼は単なる助手のはずだ。聞き間違いだろうか。
だが青年は否定もせずに、へらへらと緊張感のない笑みを浮かべながら彼女に向けて手を振っているではないか。
「まぁね。ヨシノさん、お茶を六人分持ってきて。あと今日の夕飯は客がいるから多めに作っといてね」
「畏まりました。……博士のこんなに嬉しそうな顔を見るのは久々ですね、リナお嬢様がいらして以来かしら?」
「もー、リナの話はいいから早くお茶持って来てくれよぉ。……ん? どうしたんだい嬢ちゃん達、その顔は」
「アリエスって……ねぇ助手さん、あなた今……アリエスって呼ばれてなかった……?」
口をぱくぱくとさせながら、ティエルは震える指で青年を指していた。
サキョウやリアンも驚きの表情を浮かべていたが、ジハードは何かを考え込んでいるかのように眉を顰めている。
「おぬし、アリエス博士の助手ではなかったのか!?」
「そりゃ単なるあんた達の勘違いってやつだよ。そもそもオレ、自分が助手だなんて全く言ってないじゃんさぁ」
「ううむ……確かにそうだが……」
「にゃははは、騙されてやんの! オレの溢れんばかりの知性に気付かないとは、嬢ちゃん達見る目がねぇなー」
「大いに誤解を招くような台詞は言っていたが。早く本題に入れ」
心底悔しがっている様子のティエルの隣で、表情と同じく何の感情も込められていない声色でクウォーツが呟く。
確かに青年はアリエスを先生と呼んでいた。ティエル達が助手と勘違いしてしまうのも仕方がないことだろう。
並の人間ならば竦んでしまうほどの視線を向けられた青年……アリエス博士だが、余裕の笑みを浮かべたままだ。
「ほんの軽い冗談だって。それにしても兄ちゃん、前々から思っていたけどすげぇ美人だね。悪魔族なんだろ?」
「……」
「それじゃ改めて自己紹介しておこうかな。オレの名前はアリエス、あんた達が会いたがっていた考古学者だよ」
まさか変わり者で有名なアリエス博士がこんなにも歳若い青年だったとは。
恐らく二十歳を超えているのだろうが、童顔であるために十代の少年のようにも見える。年齢不詳の青年だった。
魔物考古学の界隈では有名な学者であることを微塵にも感じさせられない、やんちゃな悪戯少年といった印象だ。
テントの隅に座椅子の置かれた簡易応接室のようなスペースがあり、アリエスは目線でティエル達に座れと促す。
「さてと。嬢ちゃん達がこのオレに会いたがっていた理由は、ハンターの募集に興味があったんだろ?」
「そうなの! サバトの福音に奪われたイデアを、共に取り戻しに行ってくれないかっていう募集を聞いて……」
「……ってことは、目的は賞金一千万リンか。いや、金には興味がなさそうだな。封魔石イデアの方が目的かい」
身を乗り出したティエルを品定めするかのように、アリエスは帽子の端を持ち上げると笑みを浮かべてみせた。
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