Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第8章 考古学者アリエス

第87話 邪教・サバトの福音 -1-




アリエスのテントから北東に進んだ場所に、その深い森は存在した。一言で表現するならば『黒い森』であった。

深く生い茂った木々に遮られ、細々と月明かりが届く程度である。
周囲をぼんやりと照らす光は木々や岩に付着している光ゴケだ。青白く仄かに照らす光は、どこか幻想的である。
湿気の多い森のためか、時折露を含んだ葉から水滴が零れ落ちる。荒野の近くにこんな湿地帯があろうとは。

『サバトの福音』総本山である地下神殿の入口は巧妙に隠され、信者でなければ分からないのだとアリエスは言う。
こんな暗い森の中に悪名高い邪教の総本山が隠されているなどと、一体誰が想像するだろうか。
サバトの福音に情報を売っていた助手を捕らえ、少々脅してやったら呆気なく神殿への侵入法を白状してくれた。

更には見張りの交代時間、人が少なくなる時間帯などをアリエスは独自で調べ上げたのだ。恐ろしい執念である。
それほど姪を傷付けたサバトの福音が許せなかったのだろう。


「アリエスってさ、すごく家族思いなんだね。その姪御さんって一体どんな子なのか興味があるなー」


先頭を歩くアリエスの背を見つめながら、ふとティエルが口を開いた。
彼が封魔石と引き換えにしても惜しくはない存在。多くの信者達全てを敵に回しても復讐を遂げたい大切な存在。
変人だと噂されるアリエスだからこそ、人間味のある一面が垣間見えて嬉しい。それと同時に興味が湧いたのだ。

「そうだなぁ……リナは、あんたよりも十歳くらい年上で、グラタンが好きで、真っ直ぐとした性根の子なんだ」
「リナちゃんっていうんだ。グラタンが好きなの? わたしも好きだよ。チーズたくさん乗せるのが好き!」
「中でも一番のお気に入りは、カモメ亭のマカロニグラタンなんだってよ。今度リナと一緒に行ったらいいさ」

「会わせてくれるの?」
「地下神殿から無事に戻ってこられたら紹介してやるよ。きっとリナはティエルちゃんのこと、気に入ると思うぜ」


楽しみだ、と喜んでいるティエルと会話に花を咲かせているアリエスの様子は、まるで行楽気分のようであった。
恐ろしい邪教の巣窟に乗り込もうという緊迫した雰囲気など欠片も感じられないのは、サキョウ達も同じである。
ヨシノから教わった料理の内容をぶつぶつと口の中で復唱しているジハードを、早速リアンが邪魔をし始めた。

「ねえ、ジハード」
「オリーブオイルに隠し味はリコの実を少々……最初は強火で、あとは中火でじっくり……えっと何か言った?」
「家族といえば、ジハードは兄弟とかいるんですの?」

ちなみに私は三姉妹の真ん中ですわ、と彼女は付け加える。
世話焼きかつ甘え上手のリアンの性格から、彼女は姉からも妹からも愛されて育ったのだろうと十分に思わせた。
さぞかし美人で有名な三姉妹なのだろうねとジハードが口にすると、リアンの機嫌が明らかに良くなった。


「ぼくは逆に三兄弟の末っ子だよ、上に兄が二人いるんだ」
「そうなんですの。……けれどあなたって末っ子には全く見えませんわね、やけに達観しているといいますか」
「兄二人が割とアクが強かったからね。幼い頃からずーっと苦労し続けた所為かなぁ」

「ちなみにワシはゴドー兄上との二人兄弟であるぞ。クウォーツはいかにも一人っ子! ……という雰囲気だが」

リアンは三姉妹、ジハードは三兄弟、サキョウは二人兄弟。改めて考えてみるとなかなか身内の多い一行である。
何も言わずして一人っ子に決め付けられてしまったクウォーツは、否定も肯定もしない普段どおりであったが。
悪魔族は子供ができにくい種族だと聞いたことがある。それも年々悪魔族の数が減少している理由の一つだろう。


「敵の本拠地とやらに乗り込むというのに、緊張感が全く足りない」
「まぁいいんじゃねーの? いつもどおりでさ。緊張しまくっていたら逆に失敗しちまうことだってあるんだし」

家族の話で盛り上がっている面々を無表情で眺めていたクウォーツの呟きに対し、アリエスが実に楽観的に返す。

若干ぬかるんだ道を暫く進んでいくと、木々がさっと割れて小さな広場のような場所へと辿り着いた。
広場の中央には樹齢数百年を越えているような大木が根を張っており、その圧倒的な存在を彼らに誇示している。
獣道は完全に途切れてしまい、行き止まりであった。先頭を歩いていたアリエスがゆっくりと立ち止まる。


「……ねえ、アリエス。行き止まりみたいだよ。こんな何もない場所に本当に地下神殿なんて存在するの?」
「一見行き止まりのように見えるだろ? こんな場所に巧妙な擬態魔法が掛けられているなんて誰も思わねぇし」

ふふんと自慢げに胸を反らしてみせるアリエス。
擬態魔法って何? と聞き慣れぬ単語に首を傾げているティエルの目の前で、彼は大木に向かって進み始めた。
目前に大木が迫ってもアリエスは歩みを止めようとはしない。このままではぶつかってしまうではないか。

危ない、とティエルが思わず顔を覆おうとした瞬間、アリエスの姿は大木に溶け込むようにして消えてしまった。


「アリエスが消え……ちゃいましたわ」
「消えてねぇよー」
「ぎゃーっ、怪奇キノコ人間ですわぁ!」

大木から、にょきりとアリエスの頭が覗いている。まるで幹に人間の頭が生えているような不気味な光景である。
色気も何もない悲鳴をリアンが上げてしまうのも仕方がないことだろう。


「もしかして、この大木自体が擬態魔法で作られた存在なのかな。ほら、薄い膜みたいにすり抜けられるよ」

アリエスの頭が生えている大木に向かってジハードが手を伸ばすと、彼の腕が霧に包まれたように消えてしまう。
薄いカーテンのような膜に魔法で擬似景色を映し出しているのだろう。
確かに一見すると単なる行き止まりのような場所で、大木に向かって突っ込んでいく物好きなど無きに等しい。

恐る恐るティエル達も大木へ歩み寄っていくと、ひやりとした霧に包まれた感覚である。
そして先程まで行き止まりであった広場の先には、奇妙な文様の描かれたアーチと深い洞穴が広がっていたのだ。
邪教の総本山だというのに見張りの姿が見受けられない。まさしくアリエスの調べた見張りの交代する時間帯か。


「ここからはちょいと急ぎ足で行こうぜ。信者どもに見つかっちまうのはできれば避けたいからな」
「なんだか緊張するな。気を引き締めていかないと……あ、アリエス待ってよう!」

ずかずかと遠慮の欠片もなく洞穴へ進んでいくアリエスの背を、慌ててティエルが追っていく。
拳を強く握り締めて気合を入れたサキョウも静かに進み始めるが、隣のジハードは立ち止まったままであった。
難しい顔付きで洞穴の奥を見つめている。睨み付けていると表現してもいいほど目付きが険しい。


「どうした、行かんのか? ジハード」
「うん……すごく嫌な予感がしてね。帰りの光景をどうしても思い浮かべることができないんだ」
「貴様にも不安に思うことがあるのかと言いたいところだが、私も同感だ。二度とここには戻れない気がする」

ジハードに続いてクウォーツまでもが消極的なことを口にした。
怖いもの知らずである普段の二人が決して口にすることのない台詞に、サキョウの背に冷たい汗が流れ落ちる。
もしや自分達は、取り返しのつかないほど恐ろしい場所へ踏み入れようとしているのではないのだろうかと。


「ふふふ、もしかしてあなた達ったら怖いんですのぉ? 稀代の天才魔剣士様と、天才癒術師様なんでしょう?」
「相変わらず可愛くない言い方だなー。怖がっているわけじゃなくて、嫌な予感がするだけだって言ってるだろ」
「それが怖いって言うんですのよぉ」


にやにやと悪戯じみた笑みを浮かべながら、背後のリアンがクウォーツとジハードに対して茶々を入れる。
歩き始めていたジハードは思わず振り返りながら否定していたが、クウォーツの方は無言で洞穴へと進んで行った。

「私は全く怖くはありませんわ、だって勝利を確信していますもの……きゃあっ!?」
「おい大丈夫か、リアン……うおおぉっ!?」
「リアン、サキョウ!?」

突如二人から上がる悲鳴。

ジハードの目の前でリアンの足元が急に崩れ始め、側に立っていたサキョウも大きくバランスを崩す。
すぐさま手を伸ばしたジハードだったが、彼女達の姿は地面の穴に吸い込まれるようにして消えてしまったのだ。
大きくぽっかりと開いた穴は暗闇に包まれ、様子を窺い知ることができない。相当深い穴のようだ。


「どうしたの、今の悲鳴は!?」

悲鳴に気付いたティエルが駆け寄って来るが、リアンとサキョウの姿が見えないことに眉を顰める。
……どうやら侵入者用の罠が仕掛けられていたようだ。
先に進まなければならない理由ができてしまったね、と穴周辺を調べていたジハードがゆっくりと振り返った。





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