Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第8章 考古学者アリエス
第88話 邪教・サバトの福音 -2-
「うぅ……いててて」
突如地面に開いた穴に落ちてしまったサキョウは首を振りながら身を起こす。
かなりの高さから落下したような感覚があったが、どうやら数ヶ所の打撲と若干の切り傷だけで済んだようだ。
地面が妙に柔らかい。薄暗いために周囲の様子は詳しく分からないが、この柔らかい地面のお陰で助かった。
「リアン、無事か? どこにいるのだ」
「ここですわ。少し打撲しただけで、私は無事ですわよ」
ほんの少し離れた場所で、炎の魔法を杖の先に宿したリアンが長い髪に付着した泥を軽く叩いていた。
彼女の魔法のお陰で周囲の様子が段々と分かってくる。
白い瓦礫や土、そしてぐにゃりとした柔らかく湿ったものが積み重なり山になった上に落下したようであった。
「それにしても臭うなここは……まるで何かが大量に腐敗している臭いだぞ」
「本当に臭くて鼻が曲がりそうですわぁ、まさか私達ゴミ捨て場に落とされたんじゃないでしょうね」
「ゴミ捨て場といえば、この柔らかいものは一体何なのだ?」
「……え?」
灯りを手にしながらサキョウへ歩み寄って行くリアンであったが、彼が掲げているものを目にして凍り付いた。
明らかに強張っている彼女の表情を目にし、そこでサキョウは漸く己が手にしている柔らかいものに顔を向ける。
湿り気を帯びたその物体は、血に塗れ半ば腐りかけた人間の死体であった。
瓦礫と思っていたものは人骨であり、柔らかいものは腐りかけた大量の死体。その山の上に彼らは落ちたのだ。
腐ったような臭いが周囲に充満しているのは当然である。ここは死体の廃棄場であった。
かなり古い人骨もあれば、まだ元の顔が判別できるような新しい死体もいくつか見受けられる。
この死体の山は自分達と同じように罠に掛かり、落下した者達の末路なのだろうか。それにしても数が多すぎる。
サバトの福音は、神に捧げる生贄と称して恐ろしい殺戮の儀式を地下神殿にて行っていると耳にしたことがある。
もしや彼らは生贄の儀式の被害者なのではないだろうか。
「う、うわああぁっ!」
「いやあぁぁっ!?」
慌ててリアンの腕を引き寄せたサキョウは死体の山を転がるようにして駆け下り、周囲の様子を息を殺して窺う。
目の前には頑丈そうな鉄製の扉。どうやら出口は一つだけのようだ。
がたがたと小刻みに震えているリアンの肩を勇気付けるように強く己に抱き寄せて、サキョウは固唾を飲み込む。
「まずはここから脱出しよう、前に進まなければティエル達とも合流できんからな」
明るい声でサキョウが口を開いた瞬間。鉄の扉が勢いよく開き、奇妙な集団が足音もなくこちらへ向かって来た。
先の尖った黒いフードで顔を全て覆っている集団だ。皆揃って太い蝋燭の乗った長い燭台を手にしていた。
辛うじて目の部分の布だけは刳り貫かれており、半ば正気を失った血走った目がこちらをじっと見つめている。
「な……なんだ、お前達は……!?」
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「とにかく……リアン達を助けるためにも先に進まなくちゃ」
リアンとサキョウが消えた穴を暫く見つめていたティエルだったが、やがて立ち上がると洞穴へと顔を向けた。
「ねえアリエス、この洞穴は地下神殿に続いているんでしょう? 進んで行けばリアン達とも合流できるよね」
「続いてはいるけど、落とし穴が神殿のどこへ繋がっているかまではオレにも分からねーよ?」
「……地下神殿の情報をあれほど調べていたあなたのことだから、内部の構造は大方見当がついているだろ」
二人のことは関係ないとばかりに軽く答えたアリエスだったが、ジハードの冷たい視線が背後から突き刺さる。
ぎくりと表情を強張らせたアリエスの様子から、内部の構造を若干知っていることは図星だったようだ。
やっぱりジハードくんには敵わねーなぁと呟きながら肩を落とす。
「本当に大体の構造しか分からねーぞ? どっちにしてもここで立ち止まっている暇はねぇはずだぜ、急ごう」
アリエスの言葉に頷いたティエルとジハード、そして相変わらず無表情のクウォーツは再び洞穴を進み始める。
静かに燃える松明が続く洞穴の壁には、赤茶色の塗料によって奇妙な文様が描かれていた。
ティエルには内容を理解することはできなかったが、明らかに不吉な内容であることは誰の目にも見て取れた。
まるで全ての文様が呪いの言葉であり、招かれざる侵入者達の精神を徐々に蝕んでいこうとしているかのように。
「……なぁクウォーツくん。あんた悪魔族なら、もしかしてこの文様と文字の意味が理解できるんじゃねーの?」
「聞いてどうする」
「単に知的好奇心を満たしたいだけだよ。オレ、悪魔族関連は色々と血生臭そうだし研究対象から外れててさぁ」
『研究対象』という言葉に引っ掛かったのか、クウォーツは硝子を連想させる薄い色の瞳でアリエスを見つめる。
しかしアリエスはへらへらとした笑みを浮かべながら首を傾げていた。どうやら全く悪気はないようだ。
彼は悪魔族だけを奇異の目で見ているわけではなく、彼にとっては自分以外の全てが『研究対象』となるのだ。
「貴様が期待しているような内容ではない」
「なぁんだ、やっぱり壁画の意味分かっていたんじゃねーか。黙っているなんてクウォーツくんも人が悪いねぇ」
「描かれている内容は全て黒魔術の術式で、塗料は恐らく人間の血液」
「うんうん興味深いじゃねーか、悪魔族しか唱えることができない黒魔術。そこに人間と悪魔の差異がある」
「……」
「では悪魔族とは一体何者だろう? 神を誘惑した大罪で地に堕とされた天使達の末裔、というのが有力な説だ」
ぶつぶつと独り言のように呟きながら己に問い掛けているアリエスの姿は、やはり研究者といった風情であった。
それよりもティエルは、壁画の塗料が全て血液だという事実にぞっとした。
これだけ多くの血液を一体どこから調達したのだろうか。もしや生贄と称して奪い取ったのではないのだろうか。
罠に掛かったリアン達の安否が気がかりだ。捕まってはいないだろうか。酷いことをされてはいないだろうか。
「リアンとサキョウなら、きっと大丈夫だよ。彼らが簡単に殺されるほど弱くはないって知っているだろう?」
「ジハード」
「ぼくらに今できることは何があっても先に進むことだ」
「……うん」
どのくらい歩き続けていたのだろう。
緩やかな下り坂へと変わった洞穴の道を進んでいくと、岩壁が綺麗に積み上げられた石の壁へと変化していった。
黒いフードを頭から被った姿の信者達が、燭台を手にしながら音もなく通路を歩いているのが確認された。
地下神殿へと辿り着いたのだ。ここまで見張りに見つからなかったのが奇跡だが、この先は難しいのではないか。
物陰で不安げな表情を浮かべながらアリエスを見上げるティエルだが、彼はにやりと余裕の笑みを浮かべている。
「信者専用の黒フードなら人数分ちゃんと用意してるぜ。襲撃してきた信者どもから一応奪い取っておいたんだ」
「さっすがアリエス! これなら堂々と神殿内部を歩き回ることができるね」
「開いてそうな部屋でも借りて早速着替えようぜ。……んーと、手っ取り早く一番近いあの部屋にしよう」
アリエスが示した先には、小さな扉があった。周囲に信者達の姿は見受けられない。
それならば洞穴に入る前からフードを被っておけば良かったんじゃないかと思ったが、口には出さないでおこう。
身体を滑り込ませるように部屋の中へ足を踏み入れる。小奇麗に装飾された内装だったが、幸いにも無人である。
部屋の奥には大きな窓があり、少しだけ顔を覗かせてみると、高い位置から見下ろす形で大聖堂の祭壇があった。
黒いフードを被った大勢の信者達が続々と大聖堂へと集結しているようだ。一体これから何が始まるというのか。
「大聖堂に人がたくさんいるよ?」
下を恐る恐る覗き込んでいたティエルが振り返る。黒いフード達が続々と集っている光景は極めて異様であった。
「何かの儀式が始まるみたい……」
「これだけ人間が集まっていると虫が蠢いているみたいだぜ。毎月九日は黒ミサの日だから、それじゃねぇかな」
「黒ミサの日ならばゲマ大司教は勿論、重鎮達は全てここに集結するだろうね。だからこの日を選んだのかい?」
「そのとおりだよ、ジハードくん。上手くいったら重鎮どもを一網打尽にできるかと思ってね」
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