Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第8章 考古学者アリエス

第89話 邪教・サバトの福音 -3-




開かれた大きな窓は、高い位置から大聖堂の様子が一望できる。丁度聖堂の真上に位置する部屋のようだ。
周囲に漂う果物の甘い香りと血液の臭いが、焚かれている香と交じり合って耐え難い異臭を発している。
鈍色をした人間の頭蓋骨が祭壇の至る所に飾られており、そして髑髏を囲むように白薔薇で埋め尽くされていた。


黒いフードを被った大勢の信者達が、まるで何かに取り憑かれたかのように祭壇に向けて祈りを捧げ続けている。
祭壇には小太りな男が一人立っていた。祈りを捧げる信者達の姿を教壇の前で満足そうに眺めているようだ。

イボガエルに似ている、というのが男を目にしたティエルの率直な感想であった。
顔中に浮き出る疣が特徴的な、蛙が潰れたような醜い顔の中年の男。立派に生やした顎髭がアンバランスである。
ティエル達に上から覗かれていることなど夢にも思っていないようだ。

太い指には大きな宝石があしらわれた指輪が嵌められており、身に纏った高価そうな法衣には美しい金の刺繍。
恐らく、この男が大司教ゲマで間違いないだろう。
アリエスを振り返ると、彼は深く頷いてみせた。悪名高い邪教の最重要人物を前にして若干緊張しているようだ。


その時、ゲマと思わしき男が一歩前に進み出た。
途端に聖堂は水を打ったようにしんと静まり返り、彼が右手を上げると同時に信者達の奏でる入祭の歌が始まる。
地の底から響いてくる呻き声にも似た不気味な歌声は、信者ではないティエル達にとっては不快でしかなかった。

ティエル達が耳を塞いでいる中で、ただ一人だけクウォーツは平然とした顔で祭壇付近をじっと見つめている。
ゲマの立っている教壇の更に奥。薄いカーテンの向こうに薄っすらと人影が映っていた。
その他の重鎮達だろうか。この位置では奥の方がよく見えないため、クウォーツがほんの少しだけ首を傾げた時。


「我が愛しい子供達よ。人間である己の身を呪い続ける、選び抜かれた我が子供達よ!
 全てを支配するべき存在は、強欲で浅はかな人間などではない。美と力を兼ね揃えた夜の住人悪魔族である!」

うおおおお、と信者達の唸り声にも似た歓声が聖堂内に響き渡った。
確かに人間は地上を支配するべき存在だとは思わないが、自らを貶め他種族をここまで賛美する姿は異様である。
肥えた両手で激しい身振り手振りを交えながら、ゲマは興奮したように悪魔族への賛美を口にし続けていた。


「……そうです。人間は本来劣悪種であり、滅ぶべき存在。分不相応の行いを悔い改めなければなりません」


突如響いた、裏返った男の声。薄いカーテンが静かに引かれていき、奥から姿を現したのは一人の男であった。
青白い肌、太い眉、真っ赤なルージュを引いた唇。痩せ型ながらも骨太な体躯を包む、刺繍の入った黒いコート。
立派な鼻の下には整えられた豊かな口髭。艶やかに黒く煌く爪化粧。毒々しい淫靡な雰囲気が漂う中年の男だ。

そして何よりも目を引いたのは、エルフ族と全く同じ形をした長く尖った特徴的な耳の形だったが……。


「あのおじさんが、例の客員相談役の悪魔族なのかな」
「耳の尖った悪魔族はまさしくヴァンパイアの証だ。しかも恐ろしく強いって噂だぜ? 生きて帰れるかねぇ」
「嫌というほど濃厚な妖気を感じるね。けれどリアンとサキョウがいない今、戦いを仕掛けるのは得策じゃない」

ティエルとアリエスが顔を見合わせていると、ジハードは二人の首根っこを引き寄せながらゆっくりと首を振る。
信者が聖堂に集っている間にリアン達を探しに行こう、と台詞の後に付け加えた時。再び大きな歓声が上がった。


「偉大なる妖しき夜の住人、バアトリ=ブランベルジュ卿。今宵の生贄はこちらでございます」

バアトリと呼んだ不気味な男に向かって恭しく頭を垂れたゲマは、贅肉に塗れた右手を上げて背後に合図を送る。
すると黒いフードを被った信者達が、奥から二つの巨大な十字架を鎖に繋いでずるずると引いてきたのだ。
二つの十字架にはそれぞれ人が括り付けられているようだ。その人物を目にした途端ティエルの瞳が見開かれた。


「己を見失った狂信者達め、必ず天罰が下るであろう!」
「か弱いレディにこんな扱いをして許されると思っているんですの!? さっさとこれ外しなさいよバカぁ!」

十字架に鎖で括り付けられているのはサキョウとリアンであった。
太く頑丈な鎖で何重にも身体を拘束されていては、怪力を誇るさすがのサキョウも全く身動きができないようだ。


「あっちゃー……捕まっちまってる。オレ達四人で二人を救出して、尚且つゲマを拘束するなんて無理な話だぜ」
「何言ってるのアリエス、それでも二人を助けなきゃ……わたし行ってくる!」
「いやいやちょっと待って、あなたは死にに行く気かい?」

大きく開いた窓から下に向かって飛び降りようとしたティエルの腕を、慌ててジハードが引き寄せる。

「少しは落ち着いてよ、今あなたが突っ込んで行っても生贄とやらが三人に増えるだけだ。もう少し隙を窺おう」
「でも……!」
「きっとリアンやサキョウも同じことを言うと思うよ、向こう見ずな助けなどいらないってね」


二人の生贄の姿を目にした信者達は、ある者は侮蔑の言葉を口にし、ある者は一心不乱に祈りを捧げ続けている。
その間にもリアンはじたばたともがきながら、有りっ丈の罵詈雑言をゲマに向かって投げ付けた。
しかしゲマは涼しい顔でそれらを聞き流し、満足そうな微笑みを浮かべるバアトリに向かって十字架を指し示す。

「この者達は異教徒の雄犬と雌犬でございます。バアトリ卿、彼らの罪深く穢れた血の浄化をお願いいたします」

「め、雌犬ですってぇ!? 私が雌犬なら、あなたなんて単なる不細工な潰れた蛙じゃないの!」
「リアン、もうやめろ。これ以上奴らに何を言っても無駄だ。それよりも冷静になって脱出方法を考えるのだ」
「脱出方法?」
「この人数だ……ティエル達が助けに来たとしても返り討ちに遭うのは明確だろう。彼女達を巻き込みたくない」


こそこそとそんな会話を続ける二人の前まで進み出たバアトリは、赤いルージュを乗せた唇をにいっと歪める。
その瞬間唇の端から鋭い牙が覗く。悪魔族の中でも最も知力と魔力の高い、恐ろしいヴァンパイアの証であった。
バアトリの人間とはかけ離れた魔物のような笑みに、サキョウとリアンの表情が凍り付く。


「これはこれは……今回の生贄は随分と活きがよろしいようで。それでこそ嬲り殺す風情があるというものです」
「ひいっ……」
「恐怖に震える美しい乙女。最高のシチュエーションですが、わたくし美しい男性にしか興味がないのですよ」

舌なめずりをしながら歩み寄ったバアトリは、嫌がるリアンの顎に手を掛けると極上の笑顔を浮かべた。
悪魔族は全て両性愛者と聞いていたが、どうやら彼は男にしか興味がないようだ。
惨たらしく犯される、というリアンの不安は若干消えたが、どちらにしても嬲り殺しにされるのは確定であろう。


「あなた方が見目麗しい男性であれば、わたくしの愛人になって生き残るという道も残されていましたが……。
 真紅の血に彩られた亡骸は男女問わず実に美しいものですよ。あなた方も真紅に染めて差し上げましょう」

「い、いやああぁぁっ!」
「悪魔族め、リアンには手を出すな! 殺すなら異教徒の僧侶であるワシだけにしろぉぉ!!」

リアンの悲鳴とサキョウの怒鳴り声が虚しく響き渡る。
ぺろりと己の唇を舐め上げたバアトリは、恐怖のあまり小刻みに震え続けているリアンへと手を伸ばしていった。


「ごめん、ジハード。無謀だと分かっていても、わたしは行くよ!」

既に竜鱗の剣を抜き放ったティエルは、大きな窓枠に足を掛けるとジハードの返事も待たずに飛び降りてしまう。
そして彼女の後を追うように、妖刀幻夢を既に召喚済みのクウォーツもまた窓枠を蹴って下へと消えていった。
二人の消えた窓枠を覗き込みながら、ジハードは溜息をつきながらゆっくりとアリエスを振り返る。


「……無謀だと分かっていても、もう止める気はなかったよ。ぼくも丁度飛び降りようと思っていたんだから」
「いやー、計算高いジハードくんらしくもなく実に無謀だねぇ」
「アリエス、あなたはどうする? どさくさに紛れて逃げるのならば、今のうちだけど」

無言の睨み合いが暫し続いた。
若葉色の大きな瞳に狡猾な光を湛えていたアリエスだったが、やがて普段のような少年めいた笑みを浮かべる。

「これから大暴れするんだろ? いいぜ、いっちょ最後まで付き合ってやりますか……!」





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