Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第8章 考古学者アリエス
第91話 漆黒たる悪魔の夜会 -2-
「おやぁ? ……どうやらティエルちゃん達の方に強敵が行っちまったみてーだぞ。こりゃ少し厳しいかね?」
バアトリを相手にするティエル達の様子を眺めていたアリエスは、少々ずれてしまった帽子を直しつつ振り返る。
恐ろしい強さを誇るというバアトリがこちら側に向かって来なくて良かったと、表情にありありと浮かんでいた。
本来悪魔族は人間よりも脆弱だが、戦闘能力を持つ悪魔族はまさに脅威なのだ。人々はそんな彼らを恐れている。
ましてや悪魔族の中で最も狡猾で残忍、魔力が高いといわれているヴァンパイアはできれば相手にしたくはない。
「あのバアトリってやつ、男が好きって言ってたし。オレみたいな美青年は貞操の危機を感じちまうぜ」
「あなたは一度自分を客観的に見た方が……じゃなくて、減らず口を叩いている暇があるなら手を動かしてくれ」
「ジハードくん、今割ときついこと言ったよな」
「幸いバアトリとやらはティエル達に気を取られている。その隙にイデアを奪い返すことくらいできるだろ?」
アリエスの抗議を軽やかに聞き流したジハードは、黒フードの一撃を難なくかわすと胸に強烈な鉄拳を叩き込む。
みしり、とした感触。細身ながらも筋肉質なジハードから繰り出される拳は、確実に相手の肋骨を砕いていた。
そんな彼の着地点にもう一人の黒フードが剣を振り下ろすが、アリエスが生み出した氷の魔法に声もなく倒れる。
「いやー、前ばかりじゃなくて後ろも気を付けた方がいいんじゃねぇの? ジハードくんよぉ」
「ぼくがあの程度の不意打ちを気付いていないとでも? ……アリエス、極陣の範囲に足を突っ込んでいるよ」
「うおぉ危ねぇ!」
黒フード数名とアリエスの足元に、虹色の光を発しながら巨大な魔法陣が浮かび上がった。極陣魔法である。
アリエスまで極陣の範囲に入れたのは確実にわざとである。
彼が魔法陣から離脱すると同時にジハードはぱちんと指を鳴らした。その瞬間、爆音と共に周囲が弾け飛んだ。
威力は加減されており、爆風で吹っ飛んだ黒フード達は皆軽い火傷と気絶で済んでいるようだ。
ジハードの絹のような白髪が爆破の光でほんの一瞬だけ橙色に染まる。風で乱れた髪を気に留める様子もない。
呻き声を上げながら倒れている黒フード達の姿を一瞥し、ジハードはふと口を開いた。
「……それにしても、ぼくとあなたは以前どこかで会ったことはないかい?」
「なんだそりゃ、ナンパの常套手段じゃねぇか。あらやだ、ジハードくんったらこんな時に何言ってんの」
「真面目に答えろよ」
「怖ぇなぁ。会ったことはないんじゃねぇの? ジハードくんが一度会った人間を忘れるようなら別だけどよ」
ぶつぶつと早口で声にならない声を発して詠唱を完成させたアリエスは、メイジスタッフを前方に突き出した。
杖の先端から勢いよく放たれる真空の刃。申し分のない威力の風の魔法ウインドカッターである。
「ジハードくんの記憶にねぇんなら、オレとは初対面だってことだ。深く考えるとハゲちまうぜぇ、大将?」
「……そうだね」
アリエスの言葉にジハードは詮索するような疑い深い瞳を伏せ、それ以上問い掛けるようなことはしなかった。
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「さぁ……わたくしに聞かせて下さい、あなた方の悲痛な断末魔を。そして見せて下さい、艶かしい血を……!」
うっとりと陶酔するように言葉を発したバアトリは、手繰り寄せた鞭をティエル達に向けて容赦なく振り下ろす。
鞭に付着している茨の棘によって紙のように服が裂け、肌が抉り取られる。鮮やかな血飛沫が辺りに飛び散った。
背中と腕に感じる肌を引き裂かれた激痛に、思わずティエルは顔を歪めながら膝を突く。出血量が尋常ではない。
彼女の血によって赤く染まった鞭をぺろりと舐め取ったバアトリは、魔物のような顔で笑みを浮かべてみせた。
「女性の血はあまり好みませんが、処女の血は甘く蕩けるようですね。あなたの血、全て頂きたくなりましたよ」
「だ、誰がお前なんかに血をやるもんか……!」
背中が焼け付くように痛い。背後のため怪我の様子を窺い知ることはできないが、相当深く裂けているようだ。
竜鱗の剣を支えにふらふらと立ち上がったティエルは、バアトリのほんの一撃だけで疲弊してしまっている。
獲物を狩るように彼女へ振り下ろされた鞭を、風の速度で突っ込んできたクウォーツが妖刀幻夢で切断した。
剣の煌きは一瞬の間だけだったが、ばらばらと鞭の残骸が宙を舞っていることから何度も斬り付けたのだろう。
短くなってしまった鞭を手繰り寄せたバアトリの前にクウォーツが降り立ち、無言で妖刀幻夢の剣先を向けた。
「やはり何度目にしてもお美しい……あなたのような方が、何故薄汚い人間などに加担しているのですか?」
「……」
「どうでしょう、このわたくしの愛人かつ親衛隊になる気はございませんか。最高の待遇をご用意いたしますよ」
にっこりと笑みを浮かべるバアトリに対して、クウォーツは声には出さずに、またそういう話か、と呟いた。
今まで愛人話を持ち掛けられることが相当多かったのだろう。その手の話は辟易しているといった様子である。
ハイブルグ城で暮らしていた頃、周辺貴族からクウォーツに持ち掛けられた話の全てが正式な婚姻ではなく、
まるで情夫のような扱いの愛人話だったというのも、お飾りの伯爵である彼の存在を軽視している表れであった。
「もしかして……あなた、あの人間達に弱みを握られているのではないですか? 益々許せませ……うぐっ!?」
反応のないクウォーツに対して甘い言葉を囁き続けるバアトリ。その横っ面をサキョウによって蹴り飛ばされる。
あまりにも彼を口説き落とすことに夢中になっていたために、周囲が見えていなかったのだ。
「クウォーツ、奴の言葉に耳を傾けてはいかん。あいつの言葉は全て甘い毒素となり、お前を蝕んでいくだろう」
「耳を傾けているように見えるか」
「それを聞いて安心した。よし、一気に攻めるぞ!」
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「ティエル! ……大丈夫ですの!?」
「リアン」
「ごめんなさい、私が油断しなければこんなことには……」
切り裂かれた背中の痛みを堪えながら立つティエルに駆け寄ったリアンは、彼女に肩を貸して唇を噛み締めた。
全て己が悪いのだ。周囲に警戒していれば、罠に嵌ることもなかった。
己が人質に取られてさえいなければ、もっとスムーズにゲマを拘束できたのかもしれない。いや、できただろう。
「こんな傷くらい平気だよ、リアン達が無事ならいいんだ」
「でも」
「バアトリはわたし達に任せて。リアンはその隙に、大司教ゲマからイデアを取り返してほしいんだ」
イデアは大司教ゲマが肌身離さず持ち歩いているのだとアリエスが言っていた。
バアトリさえいなければゲマは単なる人間だ。それも至極無力な部類の人間だろう。彼の戦闘能力は皆無である。
だからといって、間違いなく強敵のバアトリをティエル達だけに任せるわけにもいかないとリアンは眉を顰めた。
ティエルは背中に大怪我を負っている。ジハードとアリエスは際限なく現れる黒フード達の相手で精一杯だ。
サキョウとクウォーツの二人だけでバアトリを相手にするのは正直かなり厳しいのではないか。
暫く視線を泳がせていたリアンであったが、ティエルの栗色の瞳にじっと見つめられ、漸く迷いが消えたようだ。
「……分かりましたわ、必ずイデアを奪い返してみせますわ。私だってやる時はやるんですのよ!」
ゲマの元へと駆け出して行く彼女の背を眺めていたティエルは、痛みで支配される身体を奮い立たせて前を向く。
サキョウに蹴り飛ばされたバアトリは大理石の石像に激突したようだ。砕けた石像を払いながら咳き込んでいる。
「ぐうぅ……愛の言葉を囁いている最中に蹴り飛ばすとは、本当に情緒の欠片もない野蛮な連中ですねぇ……」
ゆっくりと立ち上がると蹴り飛ばされた衝撃で溢れた鼻血を手の甲で拭う。
その拍子に袖が捲れ、黒い薔薇を模した刺青が露わになった。バアトリの毒々しい雰囲気によく似合っている。
だがバアトリの刺青を目にした瞬間、サキョウの目が大きく見開かれたのだ。隣のティエルは思わず首を傾げる。
「どうしたの、サキョウ。顔色がすごく悪いよ……どこか怪我してるの?」
彼の顔面は既に蒼白である。ぶるぶると握り締められた拳からは血が滴り落ちていた。
そんなサキョウの様子を目にしたティエルは、どうしたの、と再び言いかけた言葉を思わず飲み込んでしまう。
同じく駆け寄ってきたクウォーツも無表情のまま首を傾げ、サキョウとバアトリの二人を交互に眺めていた。
「悪魔族よ。名は確かバアトリ……と、いったな。お前に聞きたいことが一つだけある」
酷く静かに。
快活で朗らかな普段のサキョウらしからぬ、感情の全く篭っていない声色で彼はバアトリに向かって口を開いた。
その声にバアトリは顔を上げ、さも穢らわしいものを見るような目つきを向ける。
「なんでしょうか」
「かつてエルキドという国で女を殺さなかったか。血を奪うわけでもなく、ただひたすら残酷に殺さなかったか」
「はい?」
「生きたまま四肢を切り裂いて、その首を何度も踏み躙らなかったか。……答えろ淫魔ぁ!!」
淫魔というサキョウが口にした蔑称に、ほんの一瞬だけクウォーツの肩が震えたのをティエルは見逃さなかった。
問い掛けられたバアトリ本人は不快な表情のまま、殺した人間のことをいちいち覚えていませんよ、と口にする。
それでも何か思い当たることがあったのか、やれやれと肩を竦めてみせた。
「そういえば、かつて一度だけエルキドに足を踏み入れたことがございました。あまり覚えてはいないですがね」
「女を殺したのかと聞いているのだ!」
「くどいですよ、覚えていないと言っているでしょう? 恐らく何人かは殺しているとは思いますけどねぇ……」
それが何か、と。今まで食べたパンの数を覚えているわけがないでしょうと、そう言わんばかりの口調であった。
殺した人間の数など、彼にとってはすぐに忘れてしまう程度の些細なものなのだ。
己の血で赤く染まった拳を握り締め、サキョウは確信したような厳しい表情で真っ直ぐに前を向いた。
「よく聞けバアトリよ、ワシの母は悪魔族に殺された。右手首に黒薔薇の刺青をした、鞭を使う悪魔族になあ!」
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