Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第8章 考古学者アリエス
第93話 イデアの器とジェム
水を打ったように静寂に包まれていた辺りであったが、やがて拳の力を緩めたサキョウがふっと笑みを浮かべる。
その表情はティエル達の見慣れた普段のサキョウの顔だった。鬼神を連想させる表情は既に消え失せていた。
「みんな、突然取り乱したりして本当にすまんかった。一番の年長者であるワシが色々と心配を掛けてしまった」
「サキョウ……」
「話は後にしろ。仇を討ちたいのであれば、早く首を刎ねろ。……そいつはまだ生きている」
ほっと胸を撫で下ろしたティエル達の背後で、感情の省かれた淡々とした声を発したのはクウォーツであった。
彼の言葉に皆が一斉に背後を振り返ると、顔を醜く憎悪に歪ませたバアトリがゆっくりと身を起こしていたのだ。
右足は膝から下が逆を向き、頭部からは血が溢れている。彼は恨みを込めた呪いの眼差しをこちらに向けていた。
「わたくしとしたことが油断をしてしまいました。安心なさい、もうあなた達を殺す力は残っていませんよ……」
そこまでバアトリが呟いたとき、こそこそと彼に背を向けて逃げ出そうとしている大司教ゲマを瞳の端に捉える。
バアトリに視線を向けられていることに気配で気付いたのか、振り返ったゲマは短い悲鳴を上げて腰を抜かす。
「そういえば……ゲマ大司教」
「ひ、ひいっ!?」
「わたくしに戦わせておきながら、あなたは先程も逃げ出そうとしておられましたね? 美しくない行動ですよ」
「いえ……その、誤解でございますバアトリ卿! 決して逃げ出そうとしたわけではなく、援軍を呼ぼうと……」
醜い言い訳は聞きたくありません、と小さく口にしたバアトリはサタネスビュートを勢いよく手繰り寄せると、
恐怖に慄くゲマと黒フード達の首を一瞬で切断したのだ。切断箇所からまるで噴水のように血飛沫が上がった。
……悪名高い大司教ゲマの、実に呆気ない最期である。
ごろごろとティエル達の元へ転がる首。ゲマを含めた五人分の血の噴水は、周囲を真紅へと染め上げていった。
だらしなく舌を垂らしたゲマの生首を前にして、小刻みに身体を震わせたティエルが息を飲む。
「あなた方も、これで終わりとは思わないことですね。わたくしを敵に回してしまったことを心底後悔しなさい」
「なんだと?」
「必ずや報復をいたします。どこに隠れていようと必ず見つけ出し、一人残らず殺して差し上げましょう……!」
「ならば今この場で息の根を止めてやる、淫魔め!」
拳を握り締めたサキョウがバアトリへ掴み掛かろうとした瞬間。
懐から黒く小さな玉を取り出したバアトリは、それを己の足元へ投げ付ける。硝子玉が割れ、黒い煙が噴射する。
転移の魔法が封じ込められていた硝子だった。バアトリの姿は黒い煙に吸い込まれるようにして消えてしまう。
伸ばしたサキョウの両手は、行く当てもなく虚しく宙を掠めるだけであった。
もっと早く行動をしていれば。仇を取ることのできなかった虚無感に、サキョウはがっくりとその場に膝を突く。
サキョウに掛ける言葉が思いつかない。……ティエル達は皆口を閉ざし、重すぎる沈黙が辺りを包み込んだ。
「やあ諸君、どうやら長い戦いは終わったようだねぇ。ゲマも死んだし、イデアも奪還。めでたしめでたし!」
場にそぐわぬ明るい声に一行が怪訝な表情を浮かべて振り返ると、へらへらと笑みを浮かべるアリエスだった。
そういえば先程から、彼の姿を見かけていなかったことを思い出す。一体どこへ行っていたのだろうか。
しかし当のアリエスはそんなことなど欠片も気に留めていないような様子で、実に軽い足取りで歩み寄ってくる。
「ちょっとアリエス、わたし達がバアトリと必死に戦っていたときに……あなた一体どこにいたの?」
「え!? ほ、ほらぁ……オレ、黒フード達相手に戦ってたじゃねーか。確かティエルちゃんも見てただろぉ?」
「その後だってば。黒フード達が全員倒れていたのに、アリエスの姿だけなかったよ?」
「そ……それはだな、アレだよ。そうそう逃げ出した黒フード達を追っかけていたら、迷っちまってさぁー」
あっけらかんとして明るく笑うアリエス。そんな笑顔を眺めていると、ティエルは何も言えなくなってしまう。
彼の屈託のない笑顔は、どうしても毒気を抜かれてしまうのだ。
バアトリは逃がしてしまったが、結果として封魔石も手に入りゲマも死亡した。目的は達成したといってもいい。
そういえば、と思い出したようにリアンが胸元からシルバーの細かい鎖に繋がれたペンダントを取り出した。
ペンダントの中心には三センチほどの薔薇色の宝石が輝いている。
封魔石イデアは大司教ゲマによってペンダントに加工されていた。松明の光に照らされ、美しい光を放っている。
だがこれは五つに分割したイデアのジェムの受け皿となる、いわば器のようなものだとアリエスが言っていた。
イデア本来の力を発揮するためには、五つのジェム全てを集めなくてはならないのだと。
リアンが求めているイデアの力は、残念ながら全てのジェムが集わなければ発揮できないのだという。
「……私の目的のイデアは、ジェムが全て集ったイデアなんですのよ」
「慌てなさんなって、ジェムはこれからゆっくりと集めていけばいいじゃねぇか。あんた達ならきっとできるぜ」
「うむ、アリエスの言うとおりかもしれん。焦らなくともいいではないか、確実にジェムを集めていく旅もよし」
「そうだよリアン! わたしだって国を取り戻すときには、完璧なイデアで挑みたいもん」
「ええ……そうですわね」
暫く己の手にしている封魔石に視線を落としていたリアンだったが、ぐっと握り締めるとティエルに差し出した。
「イデアのペンダント、あなたが持っていなさいな。私が持っていると……うっかり落としそうで怖いですわ」
「でも、わたしの方が余計に落としそうなんだけど」
「もう! イデアの力で国を取り戻して仇を取るんでしょう? しっかりしなさいな、ティエル!」
「は、はい!」
差し出された封魔石を前にして、迷ったように視線を泳がせているティエル。
いつまで経っても悩み続けているために業を煮やしたリアンは、無理矢理に彼女の手にペンダントを押し付けた。
ぴしゃりとリアンに叱られ、反射的にティエルは背筋を伸ばす。初めて手にした封魔石は想像よりも小さかった。
これなら常に首にかけていても戦闘中邪魔にはならないだろう。
「よかったな、ティエル。これからはイデアのジェムを探す旅の始まりだ。忙しくなるぞ!」
「……うん」
ぽんと優しくティエルの肩を叩くサキョウ。母親の仇が判明した今、彼にとっても仇討ちの長い旅になるだろう。
「オレも久々に暴れてすっきりできたし、ゲマとバアトリが姿を消したサバトの福音も徐々に力を失うだろうし。
できればオレの手でゲマをボッコボコにしてやりたかったけど……まぁ、リナの怪我の復讐は果たせたかな」
「アリエス」
「うんうん、やっぱりティエルちゃん達を選んでよかったぜ。オレの目に狂いはなかったってことだ」
「……ありがとう、アリエス博士。あなたがいなかったら、封魔石は手に入らなかったよ。本当にありがとう」
相変わらず緊張感のない笑顔を浮かべているアリエスに向かって、ティエルは深々と頭を下げた。
礼を言われることに慣れていないのか、アリエスの余裕の笑みが若干崩れ、どこか照れたような表情を浮かべる。
ティエルから視線を外しながら、所在無さげにぽりぽりと頬を掻く。
「そんなマジになって礼を言われると照れるじゃねーか。……オレはあんたが思っているほど良い奴じゃねぇし」
「えっ?」
「もしかしたら、隙あらば騙しちゃおうかなーとか考えているかもしれねぇよ? なんてなー」
「ほんとに、わたし達を騙そうとしてるの?」
「いやぁ、どうだろうねぇ。……ジハードくんが割とマジで怖いから、なかなか実行するのは難しいけどなぁ」
「……なんだか今更ながらに胡散臭い男ですわね。あら? やだ、まだ血が止まっていなかったのかしら」
悪い笑顔を浮かべているアリエスを呆れたように眺めていたリアンだったが、己の手の甲へと視線を落とした。
彼女の白くしなやかな手の甲には、一筋の赤い線が走っていた。じわりと血が滲んでいるようだった。
「あれ、リアン怪我してるよ?」
「クウォーツが十字架の鎖を削っていた時に引っ張られて切ったんですのよ。本当に雑で乱暴な伯爵様ですわね」
「私が悪いのか」
腕を組んで沈黙に徹していたクウォーツは、リアンの発した言葉に首を傾げる。そんなに乱暴に扱っただろうか。
つかつかとリアンまで歩み寄ると、無遠慮に彼女の手を取った。どうやらそんなに深くは切っていないようだ。
「こんな傷、舐めとけば治るだろ」
「舐めとけばって……あなたねぇ。そんなので治ったら治癒魔法はいりませんわよ」
「いちいち大げさだな」
機嫌が悪そうに頬を膨らませているリアン。
そんな彼女を暫く眺めていたクウォーツであったが、彼女の傷口から滲んだ血を不意にぺろりと舐め取ったのだ。
血が溢れていたから舐め取った。ヴァンパイアにとってごく普通の、彼にはただそれだけの行動だったのだろう。
しかし硬直しているリアンにとっては、普通でも、ただそれだけとも言い切れる行動では決してなかった。
「あ……あなた……」
「?」
「いくらなんでも色々と無神経すぎますわよ! 今まで大概のことは容姿のお陰で許されてきたんでしょうけど、
それが私にも通用すると思ったら大間違いだわ! クウォーツの無神経! バカ! もうほんと無神経バカ!」
顔を真っ赤にさせながら怒っているリアンを、心底理解できないといった様子で首を傾げているクウォーツ。
その隣ではジハードが半ば呆れがちに、あーあ、と呟いていた。
「何故怒っている」
「いや……今のはクウォーツが悪いよ。うん、全面的にあなたが悪い」
「また私が悪いのか」
ジハードに散々悪いと指摘されても、やはりクウォーツは何が悪かったのか全く理解できていないようであった。
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