Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第8章 考古学者アリエス

第94話 前触れなく訪れる絶望




サバトの福音の象徴である地下神殿。その最奥に位置する大神殿には、既に信者達の姿はない。
突如現れたティエル達を異教徒の襲撃だと思い込んだ信者達は、我先にと出口へ殺到し逃げ出してしまったのだ。
がらんとした広い聖堂にはティエル達、そしてバアトリに惨殺されたゲマと黒フード達の死体が転がっている。

「目的も達成したし、早く神殿から出よう? 生き残った黒フード達がいつまた戻ってくるかもしれないし……」

転がっている死体から顔を背けつつ、おずおずとティエルが口を開いた。
首を引き裂かれたゲマ達の死体は、眺めていて心地の良いものではない。血の臭いが辺りに充満して咽そうだ。
確かに黒フードや信者達が戻ってきたら戦闘は避けられない。だがティエル達の疲労は既に極限に達している。


「そうだね、これ以上の戦闘は極力避けたい。もしも今の状態で襲撃されれば、確実にぼくらは敗北するだろう」
「うわーお。おいおい一体どうしたよ、ジハードくんらしくもねぇ弱気な台詞だこと」
「弱気も何も……ぼくはただ単に事実を述べているだけだよ。ぼくだって体力や魔力が無尽蔵ってわけじゃない」

接近戦での格闘、極陣、そして治癒魔法を連発し続けてきたジハードの表情には、疲労の色が濃く表れていた。
ティエルやサキョウは大怪我を負った際の痛手が残っている。
クウォーツは普段と変わらぬ様子だが、あれだけの素早い動きで戦い続けていた彼が疲労していないはずがない。


「私はまだまだ余力がありますわ! もしも敵が襲ってきたとしても、この私が全て追い払ってみせますわよ」
「リアン」
「だからティエル達は安心して進んで下さいな。そうと決まれば早速帰りましょう……あら? 誰かしら」

出口の扉に顔を向けてから眉を顰めたリアンの様子に、一体誰がいるのだろうとティエル達は一斉に振り返った。
開け放たれたままの両開きの扉の奥は、松明に照らされた通路が続いている。
その通路の奥から、こちらに向かって黒い鎧を纏った集団が真っ直ぐに歩いてくるではないか。数は十名ほどだ。

先頭を颯爽と歩いているのは黒い髪をした一人の男であった。
男の姿を目にしたティエルの顔が、見せたこともないような憎悪で歪む。かたかたと身体が小刻みに震え始めた。
艶やかな黒い髪、彫像を連想させる見事な筋肉、太い眉の下には他人を完全に見下したような漆黒の瞳があった。


「お久しぶりですなぁ、乗っ取られた王国から命辛々逃げ出したティエル姫様。オレの顔を覚えておいでかな?」


心に重く圧し掛かってくるような低い声。がっしりとした大柄な体躯。その背に担ぐ、禍々しくも巨大な剣。
この男の顔を忘れる? いや、決して忘れるものか。今でもまるで昨日のように鮮明に思い出すことができる。
ティエルの愛する者達を、城を、国を、一夜にして全て奪った男を。彼女を絶望と恐怖のどん底に陥れた男を。

……忘れるはずが、ない。


「ヴェリオル、貴様ぁあ!!」
「落ち着けティエル!」

完全に目の据わったティエルは、竜鱗の剣を握り締めるとヴェリオルに向かって駆け出した。
そんな彼女をサキョウが腕を強く掴んで静止する。このまま向かって行っても返り討ちに遭うのは明確だった。
ヴェリオルという名は、サキョウにも聞き覚えがある。メドフォードにて兄ゴドーを殺した男の名前である。

「離してサキョウ! どうして止めるの、あいつはゴドーを殺した奴なんだよ!?」
「気持ちは分かるがお前には無理だ、恐らくあの男に触れることさえ叶わぬ。みすみす殺されに行く気か!」

「ほぉう……これはまた大歓迎をされていますなぁ。わざわざゾルディスから出向いた甲斐があったというもの」

呻くように笑い声を響かせたヴェリオルは、嘲りを含んだ眼差しをティエルとサキョウに向けた。
左大臣ゲードルと手を組み、ティエルの祖母である女王ミランダを惨殺し、愛する者達を無残に殺した男だった。
彼女が過酷な旅に出る原因を作った憎き男を前にして、ティエルが冷静でいられるはずがなかったのだ。


「オレはお前を迎えにきたんだよ、ティエル。一緒にゾルディスへ行こう。きっとお前もあの国を気に入るさ」
「……ゾルディス?」

サキョウに押さえ付けられても尚、じたばたと暴れ続けているティエルを一瞥したジハードが僅かに眉を顰めた。

「元々は北の小国だったゾルディス。ここ数年の間に急激に力をつけて、巨大な軍事国家になったという国かい」
「ほほう、ゾルディスをご存知で?」
「国王は既に病の床に臥し……現在のゾルディスを操っているのは一人の宰相だという、実にきな臭い話を聞く」


ゾルディスという国の情報など、ティエルにとってはどうでもいい話であった。
ヴェリオルの姿を視界に入れているだけでも不快である。悔しさのあまり涙が溢れ、段々と彼の姿が滲んでいく。
殺したいほど憎い相手が近くにいるのに、何故サキョウは止めるのか。返り討ちにされても構うものか。

「オレはティエルさえ手に入れば、他の奴らがどうなろうと全く構わんのだがね。全員連行しろとのお達しでな」
「なんだと?」
「だが、無傷で連行しろとは言われていない。抵抗すれば殺すぞ。……さて。ご苦労だったな、アリエス博士よ」

「……え?」
「いやぁ、ごめんなティエルちゃん。だから言ったろ? オレはあんたが思っているほど良い奴じゃないってさ」


普段と同じくへらへらとした笑みを浮かべてから、アリエスは顔を見せぬように帽子を下げながら歩き始める。

「実は最初に会った時からあんた達のことは知ってたんだ。……でも、オレの復讐も手伝ってもらいたかったし。
 ヴェリオルの旦那に連絡を入れるのは、ゲマを倒してイデアを奪い返した後でも遅くはないかなって思ってさ」
「……先程姿を消していたのは、ヴェリオルと連絡を取っていたためだったのかい」

「そうそう、ジハードくんの言うとおり。オレを怪しんでるあんたの目を盗んで連絡を入れるのは苦労したぜー」
「……」
「こうなっちゃ仕方ねぇだろ? すっぱり抵抗を諦めてゾルディスまで来てくれりゃあ、手荒な真似はしねぇよ」

帽子をひょいと上げたアリエスの表情は、やはり相変わらず明るい少年のような笑顔を浮かべていた。
暴れ疲れてしまったティエルに向ける視線の中に、ほんの一瞬だけ哀れみを感じたのは単なる気のせいだろうか。


「……で、肝心の答えは? ゾルディス王国に皆さん快くご足労頂けますかな」
「わたし達が素直について行くとでも思っているの!? みんなの仇……ヴェリオル、お前の首を取る!」

抜き放っていた竜鱗の剣を構え、ティエルは震えながらも剣を突き出した。
既にサキョウは彼女を押さえていなかった。彼も怒りに満ちた眼差しで拳を構え、ヴェリオルを睨み付けている。
リアンは杖の先端に魔力を溜めており、ジハードは長い詠唱を完了させ、クウォーツは無言のまま剣を抜き放つ。


「オレの首を取る? 全員疲労したぼろぼろの状態でかね? できるものならば遠慮なくやってくれたまえ」
「え、マジで抵抗すんのかよ。ティエルちゃんはともかく、その他の面々はもっと賢いと思っていたんだけどな」
「……アリエス博士よ、怪我をしたくなければお前は引っ込んでいろ」
「へいへい。ヴェリオルの旦那は、どさくさに紛れてオレまで斬り殺しそうで正直怖ぇんだよなー」

大剣デスブリンガーを手にしたヴェリオルの言葉に、アリエスは肩を竦めながら祭壇の奥へと歩いて行った。

「そんじゃティエルちゃん達、精々頑張って抵抗してくれよ。オレはここで応援してっからさ」
「よし、黒騎士団全員かかれ! 魔術師対策は作戦の通りだ、白髪の男と緑髪の女にはあれを同時に使用しろ!」


ヴェリオルの合図と共に、黒い鎧の騎士団が一斉に向かって来た。
騙され続けていたアリエスに対して言いたいことは山ほどあったが、今はそんなことを考えている場合ではない。
バアトリ戦で疲労した状態のティエル達の次の相手は、ヴェリオルを含めて十名の精鋭揃いの黒騎士達であった。

剣を握るティエルの手が震えている。これは、ヴェリオルを前にしている怒りと恐怖のためだけではなかった。
既に彼女には体力が残っていないのだ。背中の傷は治癒魔法によって回復していたが、完治とは程遠い。
そんなティエルに気付いたサキョウが、彼女を守るようにして前に立ちはだかった。だが彼も怪我を負っている。


「手っ取り早く終わらせてやるよ、極陣発動!」

ジハードの虹色に輝く魔法陣が浮かび上がり、黒騎士二人を巻き込んで派手な爆発を起こした。
だが彼にしては威力が大幅に落ちているようだ。……無理もない、先程から大きな魔法を連発し続けているのだ。
魔力を消費しすぎた反動の目眩を起こし、ふらふらとしたジハードの背後に向けて、黒騎士が剣を振り下ろす。

殺気を感じて振り返ったジハードだったが、避ける時間はない。
しかし黒騎士の剣は彼に届くことはなかった。背後からクウォーツが黒騎士に妖刀幻夢を突き立てていたためだ。


「しっかりしろ」
「ごめん、クウォーツ。……今の状態でまともに相手をしていたら勝ち目はない。逃げることだけを考えてくれ」
「それなら、私が敵の注意を引き付けますわよ! 派手な魔法であいつらを囲んで、その隙に脱出しましょう?」
「ぼくも援護する!」

向かってくる黒騎士達に大きなロッドを向け、ハニーシアンの髪を払い除けたリアンが魔法の詠唱を開始した。
彼女の詠唱に重ね合わせるようにジハードもリグ・ヴェーダを開いて、魔法陣を描き始める。


「静寂の彼方より生まれし形ある水よ、凍てついた刃となりて……」
「魔法が来るぞ! 今だ、魔術師どもにあれを使え!!」

デスブリンガーで軽くサキョウを弾き飛ばしたヴェリオルは、黒騎士達に向かって指示を出した。
背後でのんびりと戦闘を眺めていたアリエスは、あれって何だ?と首を傾げていたが、やがてぽんと手を打った。
ヴェリオルの指示に黒騎士達は懐から黒く輝く小さな玉を取り出し、詠唱中のリアン達に向けて投げ付けたのだ。

投げ付けられた黒い玉はリアンとジハードの足元で次々と弾け飛び、黒い煙を噴射する。
二人の姿を包み込んだ煙はやがて透き通った頑丈な三角錐の檻になり、彼らを完全に閉じ込めてしまったのだ。


「きゃあぁぁっ、何これ!?」
「……畜生、閉じ込められた!」

「あー、その透明な檻は魔法封印効果のある檻だぜ。数十分はいかなる衝撃を与えても壊すことができねぇよー」

にやにやとした笑みを浮かべながら解説を口にするのはアリエス。
確かに先程までリアンの杖に集っていた魔力は消滅していた。……完全に魔法を封じ込められてしまったのだ。
ならば己の力で破壊するのみ、とジハードが拳を何度も叩き付けるが、薄い硝子の壁はびくともしなかった。





+ Back or Next +