Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第8章 考古学者アリエス
第95話 Sustain a defeat...
「よし、魔術師どもは完全に封じた。残りはたった三人だ、遠慮なく接近戦に持ち込んで一気に終わらせるぞ!」
口元に余裕の笑みを浮かべ、艶やかな黒髪をかき上げたヴェリオルは背後に控える騎士達に次々と指示を出す。
ヴェリオルを含めて相手は十名。全体攻撃を得意とするリアンとジハードを封じられたのは大きな痛手であった。
残ったのは怪我を負ったティエルとサキョウ、そしてクウォーツのみ。圧倒的にこちらが不利な状況である。
「さあさあ、どうしたティエル? オレの首を取るなどと威勢の良いことを言っていたが、口だけかねお姫様!」
ティエルの背丈を優に越える大剣デスブリンガーを軽々と片手で構え、闘牛の如くヴェリオルが突っ込んできた。
決して追えぬほど早い動きではない。しかし、それよりも彼女の身体は恐怖のために竦んでしまっている。
足が凍り付いたかのように動かないのだ。彼女の意思は一刻も早く逃げなければと警報を発しているというのに。
「やはりお前はいつまでも愛らしいオレだけのお姫様だ。変わる必要などない。強くなる必要などないのだよ」
「うるさい、黙れ! わたしは変わるんだ、みんなを守るために、お前を倒すために強くなるんだっ!」
「怒った顔も可愛いよティエル。そうだ、オレをお前の心に焼き付けてくれ。誰よりも強く焼き付けるんだ!」
ヴェリオルを前にすると、メドフォードでの悪夢のような夜が一気に蘇る。
炎に燃える廊下。一体誰が味方で敵なのか。転がっている死体の中にはティエルのよく知った顔も含まれていた。
判別が付かないほど無残な肉塊に変えられた祖母。血に塗れた優しいゴドーの顔。寂しげなガリオンの笑顔。
……あの日、ティエルはこの世の地獄を見たのだ。
泣きながら振り下ろされた彼女の剣を、ヴェリオルはいとも容易くデスブリンガーで遥か遠くへと弾き飛ばした。
竜鱗の剣を奪われたティエルに、最早抵抗する術はない。脆弱な少女だけが、ただ一人立ち尽くしているだけだ。
満足そうに歩み寄って行ったヴェリオルは、彼女の大きな瞳から溢れ続ける涙を掬うと己の口に含んでみせた。
「お前の涙は極上の美酒だよ。破瓜の痛みに流す涙もまた、きっと格別な味なのだろうなぁ……実に楽しみだ」
「このケダモノめ、ティエルから手を離すのだ! 兄上の仇……覚悟しろぉ!!」
「ん?」
ぞっと嫌悪の表情を浮かべるティエルの頬に触れていたヴェリオルに向かって、サキョウが己の拳を振り上げる。
彼の突進を止めるために立ちはだかった騎士の数名が、まるで弾かれたように勢いよく吹っ飛んで行った。
「兄の仇……はて、覚えがありすぎて分からないな。猛獣のような男に好かれてもただ暑苦しいだけだが」
「お前はワシのたった一人の兄であるゴドーを殺した……忘れたとは言わせぬぞ!」
「ゴドー? ああ、あの最期まで抵抗をした不細工な男か。このオレに挑むとは、兄が兄なら弟も相当の阿呆だ」
躊躇いもなくデスブリンガーを振り下ろす。連れて帰れと命を受けているにも拘らず、真っ二つにする気である。
だがサキョウも負けてはおらず、デスブリンガーを両手で挟み込むように受け止めたのだ。
軽く口笛を吹くヴェリオル。明らかに馬鹿にしている。頭に血が上ったサキョウは、剣を折るために力を込めた。
彼が本気を出せば、如何なる剣ですら曲げることも可能であった。しかし、デスブリンガーはびくともしない。
「これほど力を込めても、僅かに曲げることすらできぬとは……!」
「当たり前だろう。この剣は悪名高い魔剣、デスブリンガーだぞ? 一介の坊主などに曲げられてたまるかよ」
「ぐぶぅっ!」
ふん、と鼻を鳴らしたヴェリオルは勢いよく剣をサキョウの手から引き抜き、その勢いのまま振りかぶったのだ。
体勢を大きく崩してしまったサキョウは片手を地面に付けて顔を上げるが、次の瞬間後頭部に重い衝撃が走る。
デスブリンガーで強く殴られたのだ。ぐるんと黒目が回転したサキョウは、泡を吹きながら地に崩れてしまった。
立ち上がる気配もない。早急に治癒魔法をかけなければ、取り返しの付かないことになってしまうかもしれない。
「サキョウ!」
「さぁて、お姫様。お前を守る者は誰一人としていなくなってしまったな。くくく、あの夜と同じだなぁ……」
がたがたと震え、顔色を蒼白にさせたティエル。普段の元気で明るい彼女の姿はどこにもない。
ヴェリオルは知っている。彼女を追い詰めるために最も効果的な方法を。ただ大切なものを、壊せばいいだけだ。
その時。満足そうに笑みを浮かべていたヴェリオルの眉が僅かに顰められる。背後から鋭い殺気を感じたためだ。
絶望的なこんな状況でも、騎士を三人ほど仕留めてきたクウォーツが妖刀幻夢を振り上げて突っ込んできた。
ヴェリオルの急所に向けた寸分も狂いのない一撃だが、軽々と受け止められてしまう。確実に速さが鈍っていた。
「あぁ? お前、悪魔族か。性処理用の淫魔の分際で……剣を振るより、腰でも振って喘いでろ!」
「……っ!」
「ほぅら足元がお留守だぜ、美貌の剣士様。ケツに太い剣をブチ込まれたくなけりゃあ、精々頑張ってくれよ?」
剣が重なり合う、耳障りな金属音が辺りに響き続ける。
普段は全くの無表情のまま剣を振るうクウォーツが、険しい顔付きをしている。あの彼が、確実に押されていた。
強く完璧な存在なのだとティエルが思い込んでいたクウォーツのその姿は、彼女に大きな絶望をもたらしたのだ。
ティエルは戦えるような状態ではない。サキョウは倒れ、リアンとジハードは透明な檻に閉じ込められている。
そんな彼らをフォローしつつ、精鋭の黒騎士三人を仕留めたクウォーツの負担は凄まじいものだったのだろう。
キィン、と涼しい音が鳴り響き、彼の手から妖刀幻夢が遠くへと弾き飛ばされてしまった。
「!」
「死ねやクソ悪魔、串刺しにしてやるわ!」
ヴェリオルの悪魔族に対する嫌悪は相当である。……だが、これが本来人間と悪魔族のあるべき姿なのだ。
確実に殺しにかかってきたヴェリオルの一撃を紙一重でかわし、クウォーツは地面を蹴って彼から距離を取った。
妖刀幻夢は離れた場所まで飛ばされてしまっている。拾いに行く時間など、ヴェリオルは与えてくれないだろう。
背後では青い顔でがたがたと震えているティエルの姿。幼く、無力で。ただ見ていることしかできない少女の姿。
「ティエル」
「やだ……やだよぉ……みんな殺されちゃうよぉ……っ」
「いいから聞け、ティエル!!」
クウォーツから発せられた珍しく強い口調に、目の焦点が合っていなかったティエルはびくりとして顔を上げる。
「クウォーツ……」
「……直にジハード達を拘束している檻は消えるだろう。お前はあいつらと一緒に、早くここから逃げるんだ」
「で、でも」
「あの黒髪の男とはこれ以上関わらない方がいい。こいつらは私が引き付けておく。だから、早く逃げ……っ!」
不意に、言葉を途中で飲み込んだクウォーツの薄青の瞳が見開かれる。
彼の背後にはヴェリオルが立っていた。その手に握った短剣を、クウォーツの脇腹に深々と突き刺していたのだ。
ぐ、と小さな呻き声を口にしながら操り人形のように不自然な動作で振り返ったクウォーツの髪を乱暴に掴み、
ヴェリオルは彼をティエルから勢いよく引き離すと、力を失った身体をそのまま地面へ力任せに叩き付けたのだ。
それでも怒りが収まらぬのか、立ち上がれずに身体を丸めているクウォーツを何度も蹴り続けていた。
「ははは。穢れた淫売野郎が、オレの可愛いティエルに馴れ馴れしく近付いちゃあ駄目だろうが。なぁ、おい?」
「い……いやああぁぁっ! やだやだ止めてよぉっ、クウォーツに何するのぉっ!!」
「ティエル、この男は悪魔族なんだ。……オレは穢らわしい淫売野郎から、お前を守ってやっているんだよ」
一体何なんだ、この男は。……完全に狂っている。
クウォーツの顔を爽やかな笑顔を浮かべながら執拗に蹴っているヴェリオルの姿が、途轍もなく恐ろしかった。
血を含んで瞼は腫れ、更には鼻血と裂傷のためにあれほど美しかったクウォーツの顔は無残に血で塗れている。
しかしヴェリオルは蹴り続けるのをやめない。……このままでは彼が殺されてしまう。
早く止めねば。何が何でも止めねば。早くしなければ、この男はティエルの大切なものを奪い取っていくだろう。
「悪魔族のツラってのは見てるだけでも本当に吐き気がするな。男のくせに女みたいな気持ち悪い顔しやがって」
「や……やめて……もう酷いことしないで……。ねぇ、行くから……わたし行くから……」
「ん? 聞こえないぞ、ティエル。いい子だから、もっと大きな声でオレによく聞こえるように言ってごらん?」
クウォーツは倒れたまま動かない。
完全に戦意を失った彼に向けて、乱暴に振り上げられたヴェリオルの足に縋り付きながらティエルは泣き叫んだ。
「ついて行けばいいんでしょう! 行くから、言うとおりにするから……! だから、もう止めてえぇっ!!」
「あーあ、ひっでぇやり方だな……」
「アリエス博士?」
忌々しげな響きを含んで吐き捨てられたアリエスの言葉に、隣で剣を構えていた黒騎士は訝しげに首を傾げる。
「おおそうか、ティエル! オレの深い愛情をやっと分かってくれたんだな。よしよし、いい子だ」
「……」
「では早速ゾルディスに向かおう。ふふふ、オレ達二人の輝かしい第一歩だ。これから忙しくなるぞ!」
先程までの非情な行いがまるで嘘のように、ヴェリオルは満面の笑みを浮かべながらティエルの頭を撫でてやる。
その言葉が合図になったのか、黒騎士達は完全に意識を手放したサキョウとクウォーツの回収作業に入っていた。
同時にリアンとジハードを閉じ込めていた透明な檻も、勢いよく砕け散りながら消え去った。
「ジハード、サキョウをお願い!」
「あ、ああ!」
檻が砕け散った瞬間、転がり出るようにして飛び出したリアンとジハード。
後ろも振り返らずクウォーツに向かって駆け出した彼女から託され、ジハードも詠唱を開始しながら地面を蹴る。
サキョウの身体に目立った外傷はない。ヴェリオルの剣に強く頭を打ち付けられて昏倒しているようだった。
しかしジハードの行く手を二人の黒騎士が塞いでしまう。
「おい、勝手なことはするな」
「……治癒魔法くらいかけさせてくれよ。あなた達も騎士ならば、そのくらいの情けはあるだろう?」
「許可はできん、どちらにしろお前達は死ぬ運命だ。我ら騎士団に刃向かった罪人どもは全て絞首刑に……っ?」
「ごちゃごちゃとうるさいな。……どかないと、全員殺すよ」
はち切れんばかりの殺気を纏いながら、ジハードが笑顔で台詞を口にする。
煩わしい。まどろこしい。苛々する。いいからさっさとどけ。彼が口に出さずとも、そんな迫力が伝わってきた。
これ以上何かを言えば、確実に殺される。黒騎士達はぎくりとした様子で、慌ててジハードから身を離した。
一方。
蹴り転がされたまま動かないクウォーツに駆け寄ったリアンは、焦りを隠せない表情で止血処置を続けていた。
彼の脇腹から溢れ出る血は止まらない。既に彼女の白いハンカチは血が滴り落ちるほど赤く染まっている。
呼吸も荒く、高熱のために汗の量も多かった。時折痙攣を起こすこの苦しみようは、単なる昏睡状態ではない。
そこへ、ジハードが駆け寄ってきた。振り返ると、サキョウもふらふらとした足取りで歩み寄ってくる。
少々顔色が悪いように見えるが、治癒魔法のお陰で無事に意識を取り戻したようだ。
リアンの隣で膝を突いたジハードがクウォーツのシャツをめくり上げると、紫色に変色した傷口が露わになった。
「……畜生、やってくれた。毒だ」
そう呟き、ジハードは眉を顰めながらクウォーツの身体に両手で触れる。
ジハードが両手で治癒魔法をかけることは稀であった。眩い緑の光が溢れ、目に見える速度で傷が塞がっていく。
全身の打撲や刺傷も凄まじい速度で回復し、執拗に蹴られ続けて血に塗れた顔も傷一つ残さずに治癒していった。
やはりジハードの治癒能力は稀代と自負するだけはある。しかし、苦しみ続ける彼の容態は一向に変わらない。
「どうなんですの、ジハード!」
「刺傷はほぼ塞いだ。急所も僅かに逸れている。……けれど、恐らく刃物に猛毒が付着していたのかもしれない」
「猛毒ですって……?」
「顔の傷も、殴打痕も、外傷は全て治した。確かに治した。でも、治癒魔法じゃ……解毒はできないんだよ」
「どうやら刃物に付着していた毒は、ブルーカラットっていう拷問用の猛毒らしいねぇ」
為すすべもなく拳を握り締めるジハードの元へ、杖をくるくると回転させながら歩いてきたのはアリエスである。
半ば場違いな明るい笑みを浮かべている。苛々したように舌打ちをしたジハードは、鋭い瞳で彼を睨み付けた。
「ブルーカラットだって?」
「そ、拷問用に作られた毒だぜ。三日三晩じっくりと苦しみ抜いた後、最後は衰弱死しちまう性質の悪い猛毒さ」
「死ぬ……?」
「うん、死んじまうよ。やっぱ美人は薄命だよなぁ。マジで幸薄そうな顔してるもん、クウォーツくんってさ」
「やだ……死んじゃ、やだよぉ……」
顔を蒼白にさせながら、いつの間にかティエルが背後に立っていた。
己が口にした台詞に恐怖を覚え、ふるふると首を振って否定する。大きな瞳からは止め処もなく涙が溢れていた。
口調はどこか幼児のようにたどたどしく、あまりの恐怖を体験したために幼児退行を起こしているようだった。
「……ティエルちゃん」
「どうしたらいい? どうしたらいいの? わたし、何でもする。何でもするから、クウォーツを助けて……!」
縋り付くように詰め寄ってくるティエルの顔を暫く眺めていたアリエスだったが、やがてふっと表情を和らげる。
「ヴェリオルの旦那相手じゃ、あまり大したことはできねぇけど……最悪な事態にはならないように努力するよ」
「最悪な事態……?」
「旦那の悪魔族嫌いは半端じゃねぇ。ゾルディスに連行後も、恐らくクウォーツくんは死ぬまで牢に放置される」
放置されるだけならまだマシかもしれねぇけどな、とアリエスは言葉の後に小さく付け加えてから歩き始めた。
遠ざかっていくアリエスの背を見つめながら、ティエルは強く拳を握り締める。今は彼を信じるしかない。
ゾルディス側の人間でただ一人だけ信用できる人物なのだ。彼に騙されてはいたが、藁にも縋る思いであった。
黒騎士達から急かされるようにして剣を突きつけられ、ティエル達はのろのろとした重い足取りで歩き始める。
未だ荒い呼吸を繰り返しているクウォーツをサキョウが抱き上げ、その様子をリアンが暗い表情で見つめていた。
「くくく……それでは惨めに負けたお姫様一行、早速向かいましょうか。焔の王国ゾルディスへとな……!」
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