Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第9章 焔の王国ゾルディス

第96話 Kingdom of the flame




……焔の王国、ゾルディス。
元は単なる辺境の小国であったが、僅か数年で巨大な軍事国家へと変貌を遂げた王国だ。

女癖が悪いと名を轟かせていた国王の姿は以来めっきり見かけることはなく、病に臥せっているという噂だった。
国王に代わり国の実権を握っているのは『焔の魔女』と呼ばれている宰相だ。
ゾルディスを巨大な国家に変貌させたのは、国王ではなくこの魔女の力ではないかと国民達の間で囁かれている。

ヴェリオル率いる黒騎士団に敗北したティエル達は、転移魔法陣によって焔の王国ゾルディスへと連行された。
……城下町にて人々の奇異の目に晒されながら城に向かう様は、まるで罪人の市中引き回しの光景宛らである。
高い城壁に囲まれた城下町はくすんだ赤い屋根と石造りの建物が特徴的で、重厚にして堅牢といった印象だった。
町のあちこちには魔法で灯された大きな松明が燃え続けており、焔の王国といった二つ名が付いた理由が窺える。


中央通を闊歩するヴェリオル達の姿を町の人々は恐々と見つめ、そして連行されているティエル達に対して
憐れみの視線を投げ掛ける。騎士達に連れられた罪人の末路を町人達はよく知っているためだ。
晒し首か、それとも火炙りか。まだ若者なのに、一体彼らはどんな酷い罪を犯したのだろうと人々は溜息をつく。

焔の魔女様は気まぐれの上に容赦がないお方だからな、と周囲の人々が囁く声が聞こえてくる。
国の実権をほぼ握る宰相・焔の魔女。本名や素性など全てが謎に包まれている大変気分屋な人物なのだという。
ティエル達の身柄の確保をヴェリオルに命じたのはこの焔の魔女なのだそうだ。……しかし一体何のために?


バアトリとの長い戦いによって傷付き、そして極度の疲労状態であったティエル達五人は、
そんなタイミングを見計らったように姿を現したヴェリオル達の襲撃によってあっさりと敗北してしまったのだ。
あんなにも強く復讐を誓ったというのに、ヴェリオルを前にするとティエルの足は竦んで動かなくなってしまう。

身体が完全に『ヴェリオル』という存在を恐れてしまっているのだ。改めて己の不甲斐なさに涙が溢れてきた。


リアンは先程から怒りに燃えるカーネリアンの瞳で先頭のヴェリオルの背中をじっと睨み付けており、
ティエルの隣で寄り添うように歩くジハードは、厳しい表情を浮かべながら周囲の様子を注意深く窺っている。
背後を振り返ると同じく様子を探っているサキョウと、彼に抱き抱えられたクウォーツが瞳に映った。

猛毒ブルーカラットの付着した短剣で刺されたクウォーツは未だに目を覚まさない。
ブルーカラットは拷問用に作られた猛毒だった。相手をじわじわと甚振り、苦しめるためだけに作られた代物だ。
……彼がらしくもない隙を見せたのは、戦意を喪失しているティエルを逃がそうと気を取られていたためだった。

もしもクウォーツがこのまま目覚めずに命を失うようなことがあれば、刺し違えてでもヴェリオルを殺してやる。
どんな手を使ってでも必ず殺してやる。苦しめて殺してやる、とティエルは淀んだ表情でぶつぶつと呟きながら、
投げ出されているクウォーツの手を強く握り締める。体温の低い彼とは思えぬほどに熱く、そして汗ばんでいた。


「ヴェリオル閣下がお戻りになられたぞ! 開門、開門ー!」


黒騎士の誰かが発した声と共に、目の前に立ち塞がる巨大な城門が激しい音を立てながら開いていく。
ぽっかりと開いた大きな黒い穴は、まるでティエル達を骨まで食らい尽くそうとする猛獣の口のようにも見えた。
……いつの間にか市街地を抜けて城へと辿り着いていたのだ。
決して消えることのない炎で彩られた強固な石造りの巨城は、難攻不落の要塞といった言葉がしっくりとくる。

黒騎士に剣を突きつけられながら歩き続けるティエル達の前に、高価なガウンを羽織った初老の男が現れた。
頭は禿げ上がり、でっぷりと肥えた身体。好色そうな厭らしい笑みを浮かべながら男はこちらに顔を向けている。
背後には質素な鎧を身に着けた男達が控えており、黒騎士達と比べると悪い意味で世間擦れしているようだった。

恐らくこの男達は傭兵か下級兵士であり、そして黒騎士達は彼らとは違い選び抜かれたエリート集団なのだろう。
先頭を歩いていたヴェリオルは、肥えた男の姿を視界に入れると実に不快そうに顔を歪めてみせた。


「おお、ヴェリオルよ戻ったか! お前にしては随分と遅い帰還であったな、焔の魔女殿が待ちわびておるぞ」
「これはこれは醜い豚野郎……でなかった、ブノワ大臣ではないですか。わざわざお出迎えとはご苦労なこった」
「……っ、口の利き方には気を付けるのだ青二才め。それにしても一体何だ、この連行されているガキどもは?」

「後に紹介することになるかもしれませんがねぇ、大臣殿。その茶色の髪の娘はオレの花嫁になる娘でしてね」


ヴェリオルに視線を向けられ、ティエルはびくりとした様子で顔を上げる。
ブノワと呼ばれた大臣は彼女を見やり、緑髪の女ではなく本当にこの娘の方なのか、と半信半疑の表情であった。
大人びているわけでも、とびきり美しいわけでもなく、ただの子供だ。この男は本気で言っているのだろうかと。

「おいおい、まだ子供じゃないか。お前ならいくらでも極上の女を手に入れることができるのに……好き者だな」
「ブノワ大臣のご趣味には敵いませんがな……そこの死にかけた悪魔族の男なら、格安で売ってやりましょうか」
「ほ、ほほう……?」

ブノワ大臣の口元に下卑た笑みが浮かんだ。
こそこそと不穏な会話をヴェリオルと続けた後、大臣は下級兵士達に目配せだけをすると背を向けて去って行く。
そのでっぷりと肥えた後ろ姿に向けて、死ねクソ豚野郎が、と忌々しそうにヴェリオルは吐き捨てた。


「ティエル、オレは仕事に戻らなければならないんだ。寂しいだろうが、少しの間だけ辛抱してくれるよな?」
「……」
「それと……ああそうだ、そこの下品な阿婆擦れ女。お前も今からオレと一緒に来るんだ」
「きゃあっ!?」

満面の笑みを浮かべてティエルに向き直ったヴェリオルは、やがて思い出したようにリアンの髪を乱暴に掴んだ。
ぐいと唐突に引き寄せられ、細い彼女の身体は勢いあまって転倒してしまう。
これだから女は面倒臭い、と彼は眉間に皺を寄せたが、彼のような大柄な男に掴まれれば仕方のない話であった。

「リアン!」
「待てヴェリオル、リアンをどこに連れて行く? ……まさかお前、彼女を慰み物にする気じゃないだろうな」
「あ? オレをブノワの豚野郎と一緒にすんなよ。くくく、捕虜には紳士的で丁重な扱いをってのが信条だぜ?」

転倒したリアンに慌てて駆け寄り、彼女を守るかのように前に立ち塞がるティエル。
ジハードはリアンに怪我がないことを目視で確認し、ヴェリオルに向けて軽蔑の混じる冷ややかな視線を向けた。
背筋の凍り付くようなジハードの視線も軽く受け流すと、彼はさも意外そうに首を大げさに振ってみせる。


「ちょいとこの女に聞きたいことがあるんでな。なぁに、それが終わればすぐにでもお前達の元に戻してやるよ」
「信用できると思っているの!? リアンに指一本でも触れてみろ、その指を切り落としてやるからな!」
「……ティエル」

ゆっくりと立ち上がったリアンは、再び激昂状態にあるティエルの両頬に優しく手を触れる。
蜂蜜を数滴落としたような大きなカーネリアンの瞳。吸い込まれそうなその瞳に、ティエルは言葉を吞み込んだ。
彼女の瞳からは何も読み取ることができない。怒りも、悲しみも、悔しさも、そこには何も存在しなかったのだ。

「リアン……?」
「私は大丈夫、必ず無事に戻ってくるから。だから……もう二度と会えないような、そんな悲しい顔をしないで」
「……っ」

最後に一度だけリアンはティエルをぎゅっと抱きしめる。
リアンに抱きしめられていると、先程まで感じていた不安や怒りが次第に落ち着いていくように感じられたのだ。
これが最後の会話になるかもしれない。そんな恐ろしい不安で胸が張り裂けそうなのに、不思議な感覚だった。

名残惜しそうにティエルから身を離したリアンは、それから背後のサキョウとジハードに無言で微笑んだ。
どうかティエルをお願い。……確かに彼女の瞳がそう語っていた。微笑みを向けられた二人は深く頷いてみせる。


「おい、さっさとしろ阿婆擦れ女」
「分かっていますわ」

苛立ったようなヴェリオルの声に、リアンは再び彼に冷めた視線を向けた。
乱暴に彼女の腕を掴んだヴェリオルは、無理矢理引いていくような形で松明に照らされた長い廊下を進んでいく。
遠ざかっていく彼女の背を追おうと思わず駆け出したティエルを、いとも簡単に黒騎士の一人が取り押さえた。

「離せ、離してよ! わたしもリアンと一緒に行くんだっ!」
「お前達は処分が下るまで別の場所で待機してもらう。一体どんな罪を犯したのかは知らんが、精々悔い改めろ」
「裁かれるのはあいつの方だ、わたしの家族と国を奪ったあいつの方だ……!」

「へへへ……ヴェリオルの旦那ってば、ちゃっかりいい女だけ連れて行っちまった。あの旦那も好きだねぇ」
「一回でもいいからあんなとびきりのいい女を抱いてみてぇなぁ。ちぇっ、残ったのはメスガキと野郎どもかよ」
「さ、そろそろオレ達も仕事しねぇと。ブノワ大臣殿にもエリートの黒騎士さん達にも怒られちまうぜ」


ブノワ大臣に連れられてきた下級兵士達は、暴れ続けるティエルの様子を笑みを浮かべながら暫く眺めていたが、
やがてつかつかと大股で彼女達に歩み寄ると、サキョウに抱えられたままのクウォーツを指差した。

「そいつ、悪魔族だろ。人間様と奴隷身分の淫魔を同じ扱いにするわけにはいかねぇ。さっさと身柄を渡しな」
「それよりもどうか解毒剤を与えてくれないか。ワシらは不当に連行された者だ。殺すわけにはいかんだろう?」
「おっさん、さっきの会話を聞いていなかったのか? この悪魔族はたった一万リンで、大臣に買われたんだよ」
「は……!?」

耳を疑うような台詞を口にした兵士は、驚愕のあまり目を見開いているサキョウの顔を覗き込むようにして笑う。
その様子から、単なる下卑た冗談ではなく本気の物言いであることが分かった。
この国では悪魔族の身分は奴隷に等しく、玩具としての取引が公然と行われているのだとサキョウは知ったのだ。


「お前ら、いいことを教えてやるよ。ブノワ大臣に買われた悪魔族は、三日と持たずに死んじまうそうだぜぇ?」
「大臣は奴隷を乱暴に扱いすぎるんだよな。精液でドロドロの汚ねぇ死体を片付けるオレらの身にもなれっての」
「なっ……!?」
「……まぁここまで綺麗な兄ちゃんだと、男に興味が全くねえオレでも殺しちまうのは勿体ねぇと思うけどなぁ」


下級兵士達の一人がサキョウから半ば引っ手繰るようにしてクウォーツを奪い取ると、彼を乱暴に肩に担いだ。
これがアリエスの言っていた『牢に放置されるだけならまだマシだった』という意味なのか。
猛毒に冒された彼を、この上辱める気なのだ。それが人間のやることなのかとジハードは強く拳を握り締める。

隠しきれない殺気を孕んだ瞳で極陣の詠唱を開始したジハードをそっと制したのは、意外にもティエルであった。

「だめ、ジハード」
「ティエル!?」
「アリエスは最悪な事態にはならないように努力するって言ってくれた。だから、わたしはアリエスを信じる」
「あいつはぼくらをヴェリオルに売ったような男だぜ? そんな信用ならない男の言うことなんて信じるのか?」

「……信じるよ」

じっと、痛いくらい真剣な眼差しで自分を見つめてくるティエルに、ジハードは後に続ける言葉を吞み込んだ。
何故この少女は、つい先程自分達を売った男をここまで信用できるのだろう。その信頼はどこからくるのだろう。
一度心を許した相手は、最後まで信頼する。それが彼女の一番良いところでもあり、一番悪いところでもある。

いつか近いうちにその信頼が元で、彼女が深く傷付くことがあるような気がする。ジハードはそれが心配だった。


「分かったよ。……今騒ぎを起こしてしまっては、きっとクウォーツもリアンも無事では済まないだろうからね」
「ありがと、ジハード」
「ぼくもどうやら先程から冷静さを欠いているみたいだ。ティエルのお陰で目が覚めた気分だよ、ありがとう」

詠唱を中断したジハードからは既に殺気は消え失せ、普段の飄々とした態度の彼の姿に戻っていた。
こくりと小さく頷いたティエルは、それからクウォーツを担ぎながら歩き始めている下級兵士に鋭い瞳を向ける。


「……彼に少しでもおかしな真似をしたら、その時は地の果てまででも追いかけて一人残らず斬ってやるからな」
「ひゅーっ、随分と勇ましいことを言うお嬢ちゃんだぜ。へへへ。オレ、怖くてチビっちまったよぉ」
「できるもんなら是非やってくれよ、楽しみに待ってるぜ」

「相手にするな、兵士ども。お前達は早く持ち場に戻れ。……それにしても、こんな時まで気丈な奴らだ。
 捕まった罪人どもは、皆情けなく命乞いを始めるか、恐怖のあまり気が触れてしまうかのどちらかなんだがな」

軽口をいつまでも叩いている兵士達を手で追い払い、黒騎士の一人はどこか感心したような声を発したのだった。





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