Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第1章 光ゴケの夜

第1話 はじまりの日




四方を美しい湖と広大な森に囲まれた王国メドフォード。

気候や土地に恵まれ代々聡明な王が治め続けてきたこの国を、人々は親しみを込めて水と緑の王国と呼んでいる。
幾度とあった他国や魔物からの襲撃も、誉れ高き騎士団の活躍によって一度として侵略を許したことはなかった。
このメドフォード騎士団がいる限り永遠に続くかと思われた平和な日々は……ある日呆気なく崩れ去ってしまう。

賢王とまで謳われた女王ミランダが、左大臣ゲードルの謀反によって命を落としてしまったのだ。
ミランダを殺害され、城内に放たれた無数のアンデッド兵によってメドフォードは完全にゲードルの手に落ちた。
平和だったメドフォードは、たった一夜にして亡者が我が物顔で練り歩く恐怖の王国へと変貌してしまう。

……しかし。ある日突然奇跡が訪れた。
戦いの最中死亡したと報じられていたはずのティアイエル姫が、兵士達を率いて再びこの地へと戻ってきたのだ。
ティアイエル姫といえば、『山猿姫』やら『おてんば姫』やらと周辺諸国に不名誉な名を轟かせる少女であった。
その彼女が剣を手に、誰一人として逆らえずにいたゲードルに立ち向かったのである。

優れた魔法使いであったミランダとは異なり、全く魔力を持たない王女であったティアイエル姫。
しかし恐ろしいアンデッドの群れを前に微塵も怯むことなく、先頭に立って剣を振り下ろす彼女の勇ましい姿は、
まるで若い頃のミランダ女王生き写しであったと、涙を流す老人達も少なくはなかった。


ゲードルによる長い悪夢は終わりを告げ、これからのメドフォードは復興に向けて歩み始めることになるだろう。
以前の姿を取り戻すためには、確かに時間はかかる。しかし人々に笑顔が戻った今、確実に前へと進んでいる。
一歩ずつ、ゆっくりと。







「ねぇ、エディソン先生。質問がありまーす」

大きく開け放たれた窓から見える光景は、赤や桃色、白や黄の見事な薔薇が咲き誇る中庭の庭園が広がっていた。
メドフォードの庭師達が誇る薔薇園である。休憩中だろうか。楽しそうに談笑をする数名の侍女達の姿が見える。
ティエルの希望で様々な種類の薔薇が植えられており、今では美しく広大な薔薇の庭園となっている。

「これはこれは……ティエル姫様が質問とは珍しい。礼儀作法の質問ならば、いくらでもお答えいたしましょう」
「礼儀作法の質問じゃありません。それは授業だけでお腹いっぱいです」
「そうですか、それは残念なことです。姫様も漸く王女としての自覚を持ち始めたのかと思いましたよ」


くるんとカールした口ヒゲが自慢である礼儀作法の教師エディソンは、椅子に腰掛けるティエルに笑いかける。

ティアイエル姫。
癖のないミルクティー色の髪を長く伸ばし、ふっくらとした丸顔の少女だ。大きな茶の瞳が幼さを引き立たせる。
誰もが振り返るような美しい容姿というわけではないが、目にした者を惹き付けるような健康的な魅力があった。
それは屈託のない笑顔や、身分や種族などに決して囚われることのない彼女の性格が大きな理由の一つだろう。

「ミランダおばあさまは立派な人だったって知ってるけど、わたし……おじいさまのことは全然知らないなって」
「ほう、ゲオルグ国王様ですか」
「そうそうゲオルグおじいさま。早くに亡くなったって聞いたけど、どんな人だったのかなって思ってさ」

ミランダの夫であるゲオルグは早世したと聞かされていた。
そのため未だ幼い息子達が人の上に立つ人物と成り得るその日までの期間、ミランダは女王として即位したのだ。
代々メドフォードの国王は男性しか認められていなかったため、これは異例のことである。


「ゲオルグ様が国王であった頃は、わたくしもまだ幼い子供でしたからね。ですが穏やかな方だったと聞きます」
「ふぅん。エディソン先生が子供の頃って、相当昔だよね」
「ええ。ゲオルグ様は隣国ファーレンハイトの第三王子であらせられ、ミランダ様とは幼なじみだったそうで」

「幼なじみと結婚したんだ? へー、なんだか素敵だね! もっとたくさんおばあさまからお話聞きたかったな」
「それは大恋愛だったと聞きます。ですが、ゲオルグ様は元々病弱な方でして……四十一歳で亡くなられました」
「……おばあさま、物凄く悲しかったんだろうな。それでもしっかりと国を守っていたんだね。すごいなぁ」

「ふふふ。やはりティエル姫様が目指しておられる理想の女性像は、今も昔も変わらずミランダ様なのですねぇ」
「勿論だよ! わたしもいつか、おばあさまのような素敵なレディになる予定なんだから」


興奮して鼻息荒く拳を握りしめるティエル。この分では『おてんば姫』を卒業できるのはまだまだ先の話だろう。
素敵なレディは鼻息荒く拳を握りしめたりはしませんよ、とエディソンはがっくりと溜息をついた。
相変わらず思ったことがすぐ顔に出る姫様である。裏表のない素直な性格がティエルの長所でもあるのだが……。

「時間はたくさんあります。焦らずにゆっくりと、姫様はご自分のペースで成長していけばいいのですよ」
「うん」
「……姫様に今一番必要な知識は礼儀作法ですな。旅を終えてからの姫様は、おてんばに磨きがかかりました」
「もー、エディソン先生ったらひどーい。こんなレディにおてんばだなんて失礼なこと言わないでよ!」

拗ねたように唇を尖らせ、ティエルは両手を腰に当てる。
艶々とした長い髪、薔薇色の頬。以前は水平線のようであった胸も、微かに膨らんでいるように見えなくもない。
旅をしていた頃と比べて、女らしくなったと言われればそうかもしれない。山猿姫などと呼ぶ者はいないだろう。
だがそれは侍女達の努力の結晶である外見に限った話であり、中身は以前と変わらずおてんば姫のままであった。

その時。丁度十二時を告げる鐘が鳴った。


「さあ、今日の授業はもうおしまい。エディソン先生、ごきげんよう!」
「もうそんな時間ですか。では姫様、また明日お会いしましょう。明日は会食事のマナーのおさらいですよ」
「はぁい。復習してきまーす!」

ぎこちない動作で会釈をしたティエルは、長い桃色のドレスの裾を掴むと身軽な動作で部屋を後にしたのだった。


柔らかな日差しが降り注ぐ中庭に出ると、先程窓から見かけた侍女達がティエルに向かって笑顔で頭を下げる。
彼女達に軽く手を振ると、ティエルはそんな何気ない穏やかな日常に心から平和を実感した。

メドフォードを奪還してから、もうすぐ一年が経とうとしている。本当にあっという間に月日が過ぎ去っていく。
漸く取り戻した平和を実感すると共に、ティエルは旅をしていたあの頃を酷く懐かしく感じていたのだ。
辛い日々もあった。だが、それ以上に幸せな日々もあった。
メドフォードを取り戻す戦いから、まだ一年しか経っていない。だが言い代えれば、もう一年も経ってしまった。

ベムジンへ帰っていったサキョウとは毎月のように手紙のやり取りを続けている。
長い間留守にしていたために、修行の遅れを取り戻そうとしているという。モンク僧の修業に終わりはないのだ。
そして、なかなかメドフォードに訪れることができなくてすまないとも書かれていた。残念だが仕方がない。

約束をしていたゴドーのお墓作りは、当分先になりそうだ。


そろそろ先月ベムジンへと出した手紙の返事が届いてもいい頃だろう。むしろ普段よりも若干遅いくらいだ。
ティエルは毎日のように侍女達に『手紙は届いていないか』と確認するのだが、今朝はまだ届いてはいなかった。
しかしサキョウも忙しいのだ。あまり返事を催促してはいけない。そう理解はしているのだが、少し寂しい。

それならばこちらから会いに行ってはどうだろうか。確か、モンク僧の修業を体験させてくれると言っていた。
そうと決まれば早速予定を立てよう。勿論、サキョウの都合を聞いてからになるが。


足取りも軽くティエルが中庭を進んで行くと見えてくるのは中庭のガゼボだ。その向こうに騎士詰所と寮がある。
昔はよくこの場所でガリオンやサイヤー達と他愛のない話に花を咲かせていたものだ。
ガゼボの周辺には人の姿は見当たらず、歩き続けて疲れを覚えたティエルはよいしょとベンチに腰を下ろした。

風に揺られて、微かに葉の音が聞こえる。時折響くのは可愛らしい鳥のさえずり。なんて穏やかな日々なのだ。
暫く鳥の声に耳を傾けていたティエルだったが、ふと視界の端に使い古された木刀が映った。
騎士や兵士達が稽古用に使用する木刀である。恐らく、先程までここにいた誰かが忘れてしまったものだろう。

……そういえば。
今日は起きてからずっと授業が続き、身体を動かしていないことに気付いた。


「誰のか分からないけど、ほんの少し借りるだけなら……いいよね?」

そろそろと伸ばした手で握った木刀は、とても軽い上に握りやすかった。長さもほぼイデアと同じくらいである。
平和を取り戻したメドフォードだが、身体が鈍ってしまわぬようにティエルは剣の稽古を続けていた。
師匠や強敵はおらずとも、イメージトレーニングを毎日続けることはとても大事なのだと旅の最中に教えられた。

目の前に魔物がいると仮定する。今日はマンティコラとの戦いをイメージしてみよう。
木刀を振り上げながらティエルが突っ込んで行くと、想像のマンティコラは木刀を受け止めようと手を伸ばした。
掴まれては折られてしまうため、姿勢を低くして足元を狙う。素早く足払いをかけると相手はバランスを崩した。

転倒したマンティコラの胴体に一撃。木刀があまりにも手に馴染むため、ティエルの動きも軽やかになる。
イデアもこの木刀のように扱うことができれば。大切なものは、自分の力で守らなければならないのだから。
ドレスの裾を捲り上げ、ティエルがマンティコラに止めの一撃を振り下ろそうとした時。……視線を感じた。


恐る恐る振り返ったティエルの瞳に映ったのは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているサイヤーの姿だった。

癖の強い赤い茶毛をした背の高い青年である。確か、今年の城内抱かれたい男ランキングの一位を獲得していた。
姫君として見られたくないような場面を見られてしまった。照れくさくて、ティエルは思わずへへへと笑う。
そんな彼女の姿を暫く眺めていたサイヤーだったが、やがて笑いを吹き出してしまう。

「あっはっは、姫様! わはは、申し訳ございません! いやいや、噂に違わぬ勇姿だ。それでこそ我らが姫様」
「……ちょっとぉ。いくらなんでも笑いすぎなんじゃないの、サイヤー」
「いやでも、レディがあんな勇ましすぎる顔をしてはいけませんってば。ははは、せっかくの可愛らしいお顔が」
「もー、うるさいうるさーい!」


笑い続けるサイヤーをじろりと睨み付けるティエル。
このサイヤーという青年は昔からこうなのだ。相手が姫君だろうが誰だろうが物怖じせず、軽口を叩く性格だ。
だが決して軽薄ではなく、礼儀を重んじる時は重んじる。誰よりも国を愛する熱い心を持った青年であった。

親友のガリオンを失ってから、彼がこんなに笑ったことはあっただろうか。久々に目にしたような気がする。
ひとしきり笑い続けた後、サイヤーは急に真面目な表情を浮かべると片膝を突いて深々と頭を垂れる。


「ご無礼を大変申し訳ございません、ティエル姫様。このサイヤー、どんなお叱りも受ける覚悟でございます」
「ふーん。散々笑ってくれた後に急に真面目な態度をされてもなー」
「反省しているのは本当ですって」

「……じゃあ、許してあげるからお詫びに美味しいアップルパイ作ってよ」
「え!? い、いや……料理はちょっと……そういうのはコックに頼んで下さいよ……」

勿論サイヤーが料理を作ることができないと知った上でのティエルの台詞である。
暫く意地悪そうに悩む振りを続けていたティエルだったが。やがて笑顔を浮かべるとサイヤーの顔を覗き込む。

「それじゃ、一回だけ剣の相手をしてくれる?」





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