Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第1章 光ゴケの夜
第2話 メドフォード騎士団詰所
「おお、ティエル姫様。ご機嫌麗しゅうございます!」
「やはり姫様にお立ち寄りいただけると、騎士達の士気も高まりますね。……って、サイヤーどうしたんだよ?」
「サイヤーしちゃあ随分と浮かない顔してるなぁ。置きっぱなしの木刀を取りに戻ったんじゃなかったのか?」
「うーん。まぁ色々と事情があってな。少しの間だけ訓練所借りるぜ」
騎士団詰所では丁度休憩中だったのだろう。騎士達はタオルを首に掛けながらそれぞれ寛いでいた。
そんな中突如姿を現したティエルに騎士達は一斉に片膝を突いて頭を垂れるが、隣のサイヤーの姿に首を傾げる。
午前の訓練が終わり、普段のように稽古用の木刀を手にしたサイヤーは中庭のガゼボで簡単な昼食を取っていた。
昼食の後は暫く一人で素振りをしていたのだろう。そして、そのまま木刀を中庭に置き忘れたことを思い出した。
慌てて取りに戻ったところに、間が悪くティエルのイメージトレーニングに遭遇してしまったのだろう。
あまりにも勇ましい彼女のイメージトレーニングを目にして思わず爆笑してしまったサイヤーを許す条件として、
ティエルは二つの条件のうちどちらか一つを選べと言った。
一つは城のコックよりも美味しいアップルパイを作ること。もう一つは、一回だけ剣の相手をすることであった。
勿論料理などしたことのないサイヤーは、剣の稽古という条件を渋々飲んだのだ。
姫君と共に姿を現した彼の姿に驚く同僚達に苦笑を浮かべながら、サイヤーは木刀をティエルへと差し出した。
「どうぞ、姫様」
「ありがと。みんな、休憩中に邪魔しちゃってごめんね。今から一回だけサイヤーに剣の相手をしてもらうんだ」
「言っておきますけど、本当に一回だけですからね? お怪我でもされたら大変ですから」
「はぁい。別にわたしは怪我なんて気にしないんだけどなぁ。できれば本気でやってもらいたいし」
「姫様が気にしなくても、オレが気にするんです。もしも姫様を傷付けたらガリオンにぶっ殺されますからねぇ」
手渡された木刀を様々な角度から眺め、しっくりとくる握り方を探すティエル。
つい先日入団したばかりの見習い騎士達は、国の象徴でもあり守るべき存在である姫君の姿に目を奪われていた。
ティエルをこれほど間近で目にしたことがないのだろう。まさにメドフォードの太陽と呼ばれる憧れの象徴だ。
「ティエル姫様とサイヤーの試合なんて、本当に久々じゃないか? ガリオンが生きてた頃はよくしていたよな」
「そうそう。ガリオンのやつ、わざと負けるどころか一度も姫様に勝たせなかったんだぜ?」
「……あいつはほら、真面目が服を着て歩いているようなもんだし。たとえ試合でも手を抜く性分じゃないだろ」
「確かになぁ」
「あっ、サイヤー。試合の合図はオレがするよ。それでは、準備は宜しいですかティエル姫様」
しんと静まり返る騎士訓練所の最奥に位置する闘技場まで進んだティエルとサイヤーは、それぞれ木刀を構えた。
固唾を飲んで見守る騎士団。メドフォードでも指折りの強さのサイヤーだが、彼はなかなか実力を見せないのだ。
剣の腕はあのガリオンを上回ると言われているが、大雑把で適当な性格のために土壇場でドジを踏むことが多い。
「それでは……始めっ!」
騎士団員の合図と共に、二人は同時に地面を蹴った。速さはどうやら小柄なティエルの方が勝っているようだ。
すぐに間合いに入った彼女は勢いよく木刀をサイヤーの脇腹目指して振り下ろす。勿論本気の一撃であった。
だがサイヤーは全く焦る表情すら浮かべることもなく、ひょいと木刀を握り直してティエルの一撃を受け止める。
彼女がどんなに力を込めてもサイヤーの木刀はびくともしない。それならば、別の角度から再び攻めるだけだ。
すぐさま相手から距離を取り、弾みをつけると今度は斜め方向から木刀を振り上げる。
いくらティエルに腕力があるとはいえ、それは同年代の少女の中での話である。やはり男の力には全く敵わない。
イデアはそんな彼女の腕力を大きくカバーしてくれていた。
大男の腕力と同等の力を発揮していたために、少女であっても多くの強敵達と互角以上に戦うことができたのだ。
もしもイデアがなければ負けていた勝負も数多く存在するだろう。それほどイデアの力に彼女は助けられていた。
ティエルの突き出した木刀が、サイヤーの右腕を僅かに掠める。
思わず態勢を崩しかけた彼女の木刀を叩き落とそうと振り下ろされた彼の一撃に、ティエルは必死に耐え切った。
びりびりと肩まで痺れるような強い衝撃がティエルに走る。それでも武器だけは、決して手放してはならない。
戦場で己の武器を手放すことは、即ち死を意味するのだから。
「……サイヤーの試合を久々に見たけど、やべぇな。正直勝てる気がしねぇよ」
「一年前の城奪還作戦の時も、アンデッド達を次々に倒していったしな。普段はあんなに大雑把なのになぁ……」
「ガリオンですら練習中によくぼやいていたぜ。サイヤーには絶対に勝てないってな」
「ん? でも、前回の剣術大会は……確かミルディン騎士団長が優勝で、ガリオンが準優勝じゃなかったか?」
「あれはサイヤーが風邪引いてて、途中で棄権してただろ」
「思い出した。大会の後一週間くらい寝込んでいた時か。見舞いに行ったガリオンも見事にうつっちまったやつ」
からぁん、と。騎士団詰所内に乾いた音が鳴り響き、勢いよく弾き飛ばされた木刀が部屋の隅まで転がっていく。
見守っていた騎士団員達は皆一斉に中央の二人へ注目する。木刀を飛ばされたのは……ティエルの方であった。
未だにじんじんと痺れる右手を軽く振ったティエルは、残念そうに肩を落とした。
「あーあ、負けちゃった。……まだまだわたしも頑張らなくちゃいけないな」
「姫様」
「でも久々にいい試合ができたよ。無理に付き合わせたりしちゃってごめんね、サイヤー。本当にありがとう」
「どこかお怪我はありませんか? 申し訳ございません、オレつい熱くなってしまって……」
「ううん、怪我なんてしてないよ。サイヤーもガリオンもわたしに怪我をさせないように気を配ってくれてたし」
遠くへ転がっていた木刀を拾ったティエルは、それをサイヤーへと差し出した。
熱くなっていたとサイヤーは先程言っていたが、それでも彼女に怪我をさせないように常に気を配っていたのだ。
それは勿論かつてのガリオンも同じであった。試合中ですらティエルの安全を最優先に考えながら動いている。
「旅をしていた時に、剣術を教えてくれていた男の子がいたんだけどさ。その子がほんとに厳しかったなぁって」
「……」
「何度も転んで、身体中に青あざばかり作ってた。いつも稽古が終わった後、強くなりたいなぁって思ったんだ」
「あの男、姫様相手でも容赦ないでしょうからねぇ」
「うん。わたしがそうお願いしたんだ。……でも、なんでわたしはこんなにも弱いんだろうって打ちのめされた」
「姫様……」
どうして、いつまでも同じ位置に辿り着くことができないんだろうと。
少し前に進めたと思えば、彼はそれよりも前へと進んでしまう。差は縮まるどころか広がり続ける一方であった。
覚悟の違いか。それとも剣を握る理由の違いか。これほどまでに彼を追い立てる理由とは、一体何なのだろうか。
彼が去ってしまった今は、もう聞くことはできないけれど。
もう一度だけサイヤーに礼を言ってから、騎士達の掛け声で溢れる詰所を後にしたティエルは食堂へ足を向ける。
こんなに生き生きと身体を動かしたのは久々であった。
旅を終えてからの彼女は机に向かうことが多く、以前のように自由に稽古をする時間が取れなくなってしまった。
ミランダ亡き今、メドフォードの政は女王の遺志を受け継ぐ大臣トーマやその補佐達によって執り行われている。
正直ティエルにはよく分からない世界であるのだが、ゆくゆくは彼女の夫になる者がメドフォードの国王となる。
その時に国王を支え、共にメドフォードを守っていかなければならないのが、ティエルの役目であった。
そんなことを考えながら歩いていると、前方に見えてきた兵士休憩所で二つの人影が手を振っているのが見えた。
赤茶の髪をした太めの青年と、黄色の髪をした色白で神経質そうな青年である。万年見習いのジョンとリックだ。
「ジョン、リック!」
「ティエル姫様もこれから昼食ですか? 今日の食堂のメニューは、待ちに待ったカレーライスなんですよ!」
「馬鹿だな、ジョン。姫様はオレ達と同じ食堂じゃないだろ。カレーライスなんて庶民的なメニューはねーよ」
「え……マジかよ。カレーライスを食べられないなんて、なんて可哀想な姫様……」
「姫様を食いしん坊のお前と一緒にするんじゃねーっての! お前は何でも自分基準で考えすぎなんだよ」
「わたしも好きだよ、カレーライス。甘口が好き! コック長におねだりしないと全然作ってくれないけどさ」
食いしん坊のジョンは、最近更に体格が良くなってきているような気がする。
相方と比べてほっそりとした身体つきのリックは、ジョンの隣に並ぶと随分と不健康そうに見えてしまうのだ。
簡素なタオルを首に掛けたジョンとは裏腹に、実家が裕福な商家のリックは汗を拭くハンカチもブランド物だ。
「カレーライスはやっぱり甘口ですよねぇ! ……あ。そういえば、ジハードさんが姫様を探していましたよ」
「……えっ」
「先程ジハードさんから姫様の居場所を聞かれました。満面の笑顔で。あれは絶対、滅茶苦茶怒ってますよね?」
「な、何に対して怒ってるんだろ……思い当たることが多すぎて、どれに対して怒ってるのか分かんない……」
「正直亡くなったゴドーさんよりも怖いとか言って、リックはジハードさんが苦手だって言うんですよぉー」
「怒る時まで笑顔って怖いだろ。なのにジハードさん、城内でもファンが多いらしいし。女ってよく分からん!」
「いやぁ、分かるだろー。さらっさらの髪に、よく見ればかなりのイケメンだし。そりゃあモテるでしょうよ」
ジハードはモテる。それは旅の最中でも度々目にしてきた光景であるが、ティエルはいまいちぴんと来ないのだ。
宿屋の女性従業員や、買い出し先の女性店員が彼に対して頬を染めている光景を何度も見てきた。
彼と買い物に行くと高確率で女性店員から値引きやおまけをしてもらえる。なのに、何故ぴんと来ないのだろう。
あまりにも近くにいすぎて、よく分からなくなっているのだろうか。完全に家族目線になってしまっているのだ。
「でもジハードはさぁ、寝起きすごく悪いし、説教は長いし、たまに爽やかな顔で下ネタ言ってくるしなぁ……」
「へぇ、そうなんですかぁ。あっはっは、ジハードさんのイメージ崩れますねぇー」
「オレ達が下ネタ言ったら投獄レベルだけど、イケメンなら姫様に下ネタ言っても許されるなんてどうよ、それ」
「リックはイケメンに何か恨みでもあるのかよ。……ってか、ジハードさんに対抗意識持ちすぎ。敵わないって」
「オレは実家金持ちだし。寝起きはすごくいいし、説教しないし、下ネタなんて姫様に対して言わねーし!」
「落ち着けよ、リック」
「……やっぱりここだった」
その時。ジハードの性格について盛り上がるティエル達三人の背後から、実に落ち着き払った静かな声が響いた。
まさに話題の人物の声である。
身体を強張らせたティエルが恐る恐る振り返ると、そこには想像していたとおりの青年が立っていたのだ。
太陽の光を帯びた白い髪に、身体中に彫られた刺青。整った顔に満面の笑みを浮かべているジハードであった。
「サイヤーと試合をしたらしいけど、あまり危ないことはしてくれるなよ。……で、誰が下ネタ言ったって?」
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